空気公団って何者?SCLL藤枝が語る2010年代を先取りした音楽集団

今年結成20周年を迎えた空気公団が、「Coa Records」在籍時に発表し、廃盤となっていた初期の名作をまとめたベスト盤『Anthology vol.0』をリリースした。「まず音楽ありき」の精神で、匿名性を重視し、ライブもあまり行わなかった第一期。そこから徐々に外側へと開いていき、様々なジャンルのクリエイターとのコラボレーションによって、音楽の聴き方 / 聴かれ方を拡張していった第二期。近年の「シティポップ」の流行も含め、いま振り返ると、その20年の歩みというのは、2010年代を先取りしていたように思えてならない。

そこで今回は、空気公団から山崎ゆかり、「Coa Records」の主宰者で、「いまの若い人にこそ空気公団を聴いてほしい」と語る、Spangle call Lilli lineの藤枝憲を迎えた対談を実施。2009年でリリースに一区切りをつけた「Coa Records」をわざわざ復活させてのリリースを決めた藤枝の熱と、山崎の変わらない信念がきっと伝わるのではないだろうか。

当時の山崎さんは「これはやりたくないです」っていうことがあまりにもありすぎて、正直ちょっと怖かった(笑)。(藤枝)

―まずは空気公団が「Coa Records」から作品を発表するまでの流れを話していただけますか?

山崎:もともと私はクラムボンの三人と同じ専門学校に通っていたんですけど、在学時は高い壁の内側に収められちゃっているように感じて、3年でやめちゃったんです。そのときに先生から「バンドをやってみたら?」って言われたのをきっかけに結成したのが空気公団で。

始めるにあたって、音楽そのものが一番先頭に立った活動をするということを念頭に置いたんです。そこから、必要なこととそうじゃないことを整理したんですけど、「ライブはしなくてもいいんじゃないか」という考えに至りました。

―活動の当初から目的意識が明確だったと。

山崎:まず、“たまに笑ってみたり”っていう最初にできた曲が入ったカセットテープを作って。それは都内で売るものとは別に、関西だけのもの、九州だけのものみたいに地域版を作って、自分たちでお店に電話して、扱ってもらっていました。それで、下北沢のフィクショネスという本屋さんに置いてもらっていたカセットテープを手に取ってくれたのが、藤枝さんだったんです。

左から:山崎ゆかり(空気公団)、藤枝憲(Spangle call Lilli line  / Coa Records)
左から:山崎ゆかり(空気公団)、藤枝憲(Spangle call Lilli line / Coa Records)

藤枝:いまの話を聞くと、まさに山崎さんの戦略どおりなんですよね。僕は音源しか知らない状態で、空気公団のことをすごくいいなと思ったので。もちろんライブを観たことはなかったし、バンドなのかどうかもわかってなかったけど、とにかく曲がよかったので「CD出しませんか?」って連絡したんです。そうしたら、最初に出した2枚『ここだよ』(1999年)と『呼び声』(2000年)がいきなりすごく売れて、それで「Coa Records」を会社にしたんですよ。

―そもそも「Coa Records」はどのように立ち上がったのですか?

藤枝:当時はインディーでCDを出すのが難しい時代で、レーベルをやるアドバンテージがまだあったんです。個人で出して、ちゃんと流通もさせることが、まだちょっとしんどい作業だったんですよね。最初に笹原くん(Spangle call Lilli lineの笹原清明)が当時在籍していたSwarm's Armを友達だからっていう気軽な気持ちでリリースしたら、それがすごい大赤字で(笑)。でも懲りずに、空気公団を出したら、今度はめちゃめちゃ売れたんですよね。

藤枝憲

―それまでライブは全然やってなかったんですか?

山崎:1回だけ、新宿のANTIKNOCKでやりました。

―ゴリゴリのハードコアなライブハウスじゃないですか(笑)。

山崎:ライブハウスでライブをするにはオーディションを受けないといけないと聞いて、「そんなの絶対受けたくない」と思ったんです。そうしたら、ANITIKNOCKはオーディションがないからって言われて、行ってみたら、ドクロの絵が描いてありました。まあ、ライブをすること自体は楽しかったんですけど、活動初期は横のつながりも全然なく、自分たちで道を切り拓かないといけない状態でしたね。

山崎ゆかり

藤枝:「ライブは不毛だと思います」って言ってたもんね(笑)。当時の山崎さんは「これはやりたくないです」っていうことがあまりにもありすぎて、正直ちょっと怖かったもん(笑)。結局出会ってから1回もライブをやらないままメジャーデビューして、レコーディングも自分たちでリハスタでやっていたから、演奏している姿すら見たことなくて。本当にバンドなのかどうかもよくわかんなかった。ジャケットにも人は写ってないし、アーティスト写真も「風景のなかに人がいればいいです」みたいな感じで撮ってたもんね。

音楽よりも人が見えちゃうと、言おうとしていることが上手く聞き取ってもらえない気がしたんです。(山崎)

―それは最初におっしゃったように、「音楽そのものが一番前に来てほしい」という想いがあったということでしょうか?

山崎:そうですね。音楽よりも人が見えちゃうと、歌で言おうとしていることが上手く聞き取ってもらえない気がしたんです。歌詞で「私」って使っちゃうと、歌ってる人の話になっちゃうのが嫌で、当時はよく「僕」を使っていました。空気公団の曲のなかにいる見知らぬ男女が、なにかを繰り広げていて、それを私が情景描写しているって感じで聴こえたら、一番いいなって思っていたんです。

空気公団『ここだよ』収録曲

藤枝:最初に出したミニアルバムの『ここだよ』のジャケットは、街並みを見下ろす写真で、「この街のなかに人が生活していることが伝わればいいです」って言ってて。その自分を前に出さない感じがすごく新鮮だったのを覚えてる。

空気公団『ここだよ』ジャケット
空気公団『ここだよ』ジャケット

山崎:当時は、みんな「前に前に」の時代だったんです。

藤枝:「音楽がやりたい」っていうよりも、「バンドがやりたい」とか「ライブハウスに出たい」っていう人が多かったよね。でも、空気公団の場合は「打ち合わせがしたい」だった(笑)。

―途中で話にも出ましたが、「Coa Records」から2枚のミニアルバムを出して、その後メジャーデビューをしていますよね。

藤枝:メジャーデビューするってことで初めてライブをやったんですけど、ステージに幕を下ろして、その後ろで演奏するっていうもので。

左から:藤枝憲、山崎ゆかり
左から:藤枝憲、山崎ゆかり

山崎:音楽が一番前に出ているべきという考えはそのままに、でもライブもしたかったのでそう決めたんです。幕を下ろした状態で、その後ろで輪を作って、楽しく演奏するっていうのがいいかもなって。

藤枝:そのライブが終わったあと、「本当に演奏してたんですか?」ってお客さんに何度も訊かれて(笑)。ステージにカメラを入れて、映像を流したりはしたんだけど、映像なのでリアルタイムで起こっているかはわからないじゃないですか? 僕自身も初めて観た空気公団のライブがそれだったので、ちょっとしたトラウマです(笑)。

空気公団はレーベルの一番の稼ぎ頭だったし、一番人気があったんですけど、一番説明しづらかった。(藤枝)

―匿名性を徹底しすぎて、本当にその場にいたのかと疑われるのは面白いですね。

山崎:1日3回公演だったんですけど、3回目のときに、「幕の後ろにメンバーはいないんじゃないか?」と思って帰る人がいるって話になりました。なので、3回目だけちょっとだけ幕の前に出た記憶があります。しかも、持ち時間1時間半のなかで、ライブをしたのは20分だけだったんです。それ以外の時間は、飾った写真を見てもらったり、お茶を出したり、クイズを解いてもらったりして……。

山崎ゆかり

藤枝:「自分の時間を過ごしてください」ってね。とにかく、当時はあらゆることにおいて、いまの何倍も尖ってたんですよ(笑)。メジャーに行って、僕は一旦制作からは外れたんですけど、その後もアートワークで関わらせてもらうなかで、「え?」って思うことが何度もあって。メジャーデビュー作が『融』(2001年)っていうのも、「漢字一文字?」って。

山崎:レーベルの方からも「サブタイトルがないと意味がわからなくないですか?」って言われて、「融~◯◯」みたいなのを提案されたんですけど、「そんなのできるか!」って思いました。

藤枝:ほんとに尖ってたよね(笑)。だから、バンドというよりも、グループというか、プロジェクトというか、世界観を提示するための組織というか……結局僕は第一期の空気公団は最後までつかみきれなかったんですよ。レーベルの一番の稼ぎ頭だったし、一番人気があったんですけど、一番説明しづらかった。

山崎さんは自分の言いたいことを説明するためにすごく言葉を選ぶから、沈黙が長くて……それもやっぱり怖かった(笑)。でも、やりたい放題だったよね。CDの仕様も毎回見たことないようなものだったし。

山崎:林静一さんにイラストをお願いした『わかるかい?』(2001年)っていうシングルのジャケットは、下半分だけなんです。

空気公団『わかるかい?』ジャケット
空気公団『わかるかい?』ジャケット

藤枝:「本の帯みたいにしたい」って言われて、すごく大変だったけど、面白かった。荒井良二さんとコラボしたカセットとフィギュアのセット(2001年リリースの『ポロンちゃん』)も、いま思うとすごく贅沢だし、貴重な経験をさせてもらいました。

山崎さんのそういうところって、ある種のパンク精神というか。「ほんとにそうであることが必要なのか?」っていう、業界の慣例とか、すべてに対して一度懐疑的に考えるっていうことの表れだったような気がする。

藤枝憲

山崎:でも、メジャーデビューするにあたって、メンバーとは「別の空気公団になっちゃうかもしれないけど、そこは我慢しよう」って、結束を固めたんですよ。

藤枝:山崎さんの考えはバンド内では共有されていたのかもしれないけど、それが当然のように外でも振舞ってたからね。「グリーンピースくん」ってキャラクターがいたんですけど、それも、さも当然のように「グリーンピースくんが~」って話すから、初めて聞いた人は「え、何それ?」っていう(笑)。

グリーンピースくん
グリーンピースくん

山崎:バンドにキャラクターがいるってこと自体、当時は珍しかったんですよね。私たちは極力顔を出したくなかったので、「グリーンピースくんをアー写にしてください」って言ったこともあるんですけど、「それは無理」って言われました。

空気公団にとって初めてのレコ評に、「70年代を思い出させる」って書いてあって、私は「え?」って思ったんです。(山崎)

―メジャーから数枚出したのち、再び「Coa Records」に戻って『こども』(2003年)をリリースしていますね。

山崎:メジャーに行って、「空気公団の隣に空気公団を作りたい」って言われたんです。「いまあっちに光が当たってるぞ」となったら、私たちの気持ちは変わらずここにあるけど、空気公団という砂山だけ光の当たっているところに移動させようって。

でも、それってつまりは売れてるものに合わせるやり方で、それによって空気公団の形が変形していくのはすごく嫌だった。だから、「これなら自分たちでやったほうがいいや」って思って、その後にまた「Coa Records」にお世話になって。2004年に第一期が終了しました。

―初期からのメンバーが脱退されて、一度山崎さんと戸川由幸さん(Ba,Gt)だけになると。その後すぐに第二期が始まって、2006年に窪田渡さんがキーボードで加入します。

山崎:今度は光が当たっているところに砂山を移動させるんじゃなくて、砂山に人を集める作戦にしようと思ったんです。2008年に『空装』っていうイベントをやったんですけど、そのときは紗幕を使って、演奏しているメンバーの姿がうっすら見える前で「珍しいキノコ舞踊団」に踊ってもらって、その奥では荒井良二さんが絵を描くっていう形。「音楽の見せ方とか聴かせ方は、もっといろいろあっていい」という考えで、イベントをやったんです。

山崎ゆかり

藤枝:山崎さんの身構えてる感じが、だんだん外に向かって、いまはすごく自然体になってる気がする。ここに至るまでは紆余曲折があったんだけど、周りも空気公団が何者なのかがわかってきて、いまはすごくタフっていうか、揺るがない感じがあって。この感じならあと10年は余裕でやっていけそうだなって思いますね。

―言ってみればですけど、当時からすごくいまっぽい考え方でしたよね。レコード会社の体力がなくなってきて、そこに依存するのではなく、「自分たちだけでもやれることがある」という認識を、いまの若いバンドたちはすでに持っていると思うんです。

藤枝:ほんとにそう思いますね。当時は理解するのがだいぶ大変でしたけど(笑)。

―途中の匿名性の話にしても、いまはそれを活かして自由な表現をするアーティストもたくさんいますし。

藤枝:いわゆるニューミュージック、シティポップス的な歌もので、ちゃんと音楽を聴いてもらうためのやり方として、匿名っていうのはすごく理にかなった手法だと思います。曲を聴いていいなって思って、ホームページを見て、ギターを持ったアー写が前面に出ていることで、ニュートラルに音楽が聴けなくなることが僕はよくあるんで(笑)。

―それこそ、ここ数年は若い人の間でも「シティポップ」という言葉が流行して、そのなかで空気公団が再評価されている部分もあるかと思うのですが、ご本人たちはそこに対してどの程度意識的なのでしょうか?

藤枝憲

藤枝:当時よく引き合いに出されたのは、シュガー・ベイブだったんですよね。まあ、シュガー・ベイブよりはもっと素朴なんだけど、持っている「街感」が近いっていうのかな。Perfumeとかが表現している「シティ」とはもちろん違うし、かといって、1970年代的かっていうとそれも違うんだけど……普遍性みたいな部分は近いのかなって思いますね。

山崎:空気公団にとって初めてのレコ評が『MARQUEE』に載ったとき、その記事を見たら「70年代を思い出させる」って書いてあって、私は「え?」って思ったんです。

空気公団っていう街のなかに、山があって、川が流れていて、人が住んでいるっていうのを想像しているんです。(山崎)

―「1970年代的な音楽」と評されることに違和感があったわけですか?

山崎:当時私は、70年代の音楽を全然知らなくて、新しいことをやってるつもりだったから、「なんで? これ新しくないの?」って。でも、「へえ、そういう流れがあったんだ」っていう感じで、「まあ、いいか」とは思いました。

私たち結構勘違いされることが多かったんですよ。当時のメンバー四人とも女性だと思われたり、「空気公団」っていう漢字4文字も珍しかったから、パンクバンドだと思われて、『呼び声』じゃなくて『叫び声』って言われたりもしました。

左から:山崎ゆかり、藤枝憲

藤枝:そういうことが起こるのは、やっぱり、人よりも音楽ありきだったということですよね。それってすごくいいことで、そのほうが音楽自体は長く愛されると思うんです。当時でいうと、キリンジも近い感じで、あの二人はルックスよりも、曲で売れてた感じがありますよね。それってすごく真っ当だと思うし、サニーデイ・サービス、キリンジ、空気公団、その後に「喫茶ロックブーム」みたいなのが来たり、すごくいい時代だったなって思います。

今回のリリースにあたって、久々に昔の音源を聴いても、全然古くなかったし、むしろこれからも聴いていけるものだなって思ったんですよ。やっぱり空気公団の音楽って、すごく普遍的だなって思うから、ジャケットも、絶対文字だけがいいって言ったんです。

空気公団『Anthology vol.0』ジャケット
空気公団『Anthology vol.0』ジャケット(Amazonで見る

―音楽的な流れとしての「シティポップ」はそこまで意識していなかったということですが、『ここだよ』のジャケットが街の写真で、そこにいる男女を情景描写的に描くというアイデアだったのは、はじめから「シティポップ」的だったという言い方もできるのかなと。

山崎:私はずっと街を作りたいと思っていて、空気公団っていう街のなかに、山があって、川が流れていて、人が住んでいるっていうのを想像しているんです。なので、曲を作って、デモをある程度完成させたときに、必ず外で聴くんですよ。街と合っているかどうかを確認する。それはずっと続けてることなんですよね。

藤枝:4月26日に出るから、ゴールデンウィークに遠出するときに持って行ってほしいと思いますね。このアルバムのなかに、どこかの風景にマッチする曲が必ずあると思うんです。もっというと、その風景ってみんな同じではなくて、「私にはこう見える」とか「僕にはこう見える」みたいな、「視点の歌」だなって思ったんですよね。

匿名性が強かったとはいえ、当時はずっと近くにいたから曲を聴くとメンバーの顔が浮かんだんですよ。でも、あれからだいぶ時間が経って、ニュートラルな状態で聴くと、山崎さんの切り取った風景を、自分の視点で見てるような感じがして。

空気公団『こども』(2003年)収録曲

―なるほど。

藤枝:いまはその人のタレント性とかキャラ立ちで曲を聴かせるアーティストも多いけど、空気公団はその真逆のスタンスでいいなって思う。それこそ、いまのシティポップ界隈の人たちも、人より曲ありきというか、バンドの持っている空気感を大事にする人たちが多い気がするんですよね。

人気者ならなんでも売れるんだったら、別にくまモンでもふなっしーでもいいわけじゃないですか?(笑) そうじゃなくて、音楽ありきになっているのがすごくいいことだと思うし、だからこそ、いまの若い子に空気公団を聴いてもらいたいと思ったんです。

左から:山崎ゆかり、藤枝憲

山崎:当時を振り返ると、「雰囲気を録る」ということにすごくこだわっていたなって思います。とにかく「この時間を録る」ってことに集中していた。別に、聴いている人が「これは何時だろう?」とか思わなくてもいいんですけど、演奏する人たちがすごくいい雰囲気で、それを記録できることに喜びを感じていましたね。

藤枝:いまのほうがちゃんと音楽だよね。このころはドキュメンタリーっていうか、音楽以外の縛りは一切ない。山崎さんを見ていて常に思うのは、空気公団っていうものを続けていくためのシステム作りをずっとしてるっていうことで。フォームはどんどん変わっていくんだけど、空気公団ってもの自体は変わらない。第一期の終わりのときも「空気公団はなくならない」って言ってたと思うんだけど、そこは信用できるなって思うところですね。

空気公団『ダブル』(2016年)収録曲

―6月には『空気公団 Anthology live vol.1』として、曽我部恵一さんとの共演が予定されています。現在はライブに対してどのような意識をお持ちですか?

山崎:あるときを越えたあたりから、自分たちが前に出ても、目を閉じて聴いてる人が多くなって。それって自分のなかの空気公団を持ってくれてる人が増えたってことだと思うんですよ。

ステージもボーカルが真ん中にいるっていうものじゃないから、見た目の印象と家で聴いてきた感じも、きっとそんなに変わらないですし。そういうふうに、自分が「私」として歌っても、人が前に出た音楽にはならないと思えるようになってからは、ライブに対して消極的ではなくなったんですよね。

左から:山崎ゆかり、藤枝憲

藤枝:曽我部さんとの共演は僕が提案したんですけど、曽我部さんくらいキャラクターが強い人が入ってきても、いまならちゃんと空気公団になり得ると思ったんですよ。

―曽我部さんパワーで下北沢になるのか、それとも……。

山崎:どんな街に仕上がるのか、すごく楽しみですね。

リリース情報
空気公団
『Anthology vol.0』(3CD)

2017年4月26日(水)発売
価格:4,320円(税込)
COAR-0056~8

[DISC1]
1. 田中さん、愛善通りを行く
2. 退屈
3. ここだよ
4. かくれてばっかり
5. 気持ち
6. 優しさ
7. 紛れて誰を言え
8. あおきいろあか
9. だぁれも
10. 呼び声
[DISC2]
1. 白のフワフワ
2. 音階小夜曲
3. 季節の風達
4. あかり
5. 電信
6. 今日のままでいることなんて
7. 壁に映った昨日
8. 例え
9. 旅をしませんか
10. こども
11. おかえりただいま
[DISC3]
1. ねむり
2. とおりは夜だらけ
3. 日々
4. 歩く
5. どこにもないよ
6. 窓越しに見えるは
7. ふたり
8. 見えなくてもわかること
9. 知ってるよ
10. 小さい本

イベント情報
『空気公団 Anthology Live vol.1【1997~2004】with曽我部恵一』

2017年6月2日(金)全2公演
会場:東京都 六本木 Billboard Live Tokyo
料金:サービスエリア6,500円 カジュアルエリア5,000円

2017年6月10日(土)全2公演
会場:大阪府 Billboard Live Osaka
料金:サービスエリア6,500円 カジュアルエリア5,000円

プロフィール
空気公団 (くうきこうだん)

1997年結成。現在は山崎、戸川、窪田の3人で活動中。ささやかな日常語、アレンジを細やかにおりこんだ演奏、それらを重ねあわせた音源製作を中心に据えながらも、映像を大胆に取り入れたライヴや、様々な芸術家とのコラボレーションを軸にした展覧会等、枠にとらわれない活動を独自の方法論で続けている。

藤枝憲 (ふじえだ けん)

1998年、大坪加奈、笹原清明とともにSpangle call Lilli lineを結成。今までに10枚のオリジナルアルバムなど数々の作品を発表し、2015年11月には5年半ぶりとなるフルアルバム『ghost is dead』をリリースした。CDジャケット、本の装丁、舞台の宣伝美術など様々な分野でのデザイン、アートディレクションを手掛けるデザイン事務所「Coa Graphics」の代表も務める。



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