伊藤郁女が父を想う。言葉がなくても見つめるだけで距離は縮まる

ヨーロッパを拠点に活動するダンサー・振付家の伊藤郁女(いとう かおり)。フランスを代表する人気振付家フィリップ・ドゥクフレの新作に若くして抜擢されたことをきっかけに世界に飛び出した彼女は、いまや自身のカンパニーを率い、精力的に新作を発表している。

そんな彼女にとって久しぶりの日本公演になるのが『私は言葉を信じないので踊る』だ。実の父、伊藤博史との共同制作である本作は、ダンサーである娘と、彫刻家である父とのさまざまなコミュニケーションを通じて、家族や芸術にかかわる多様な問いを観る者に提示する。

常識的に考えれば、自分の父や母と舞台上にあがるのはすごく難しいことのように思う。気恥ずかしさもあれば、小さい頃から大人に至るまでの、いろんな葛藤もあるはずだ。けれども、『私は言葉を信じないので踊る』を見た観客の多くが、国籍や民族の違いを超えて、熱の込もった声を寄せるのだという。父と娘が踊るダンスは、人の心をなぜ震わせるのだろうか? スイスで新作ツアー中の伊藤郁女に、話を聞いた。

(メイン画像:©Gregory Batardon)

作品の中で父に質問するシーンがあるんです。「どうして私の彼を嫌うの?」とか。

—『私は言葉を信じないので踊る』は、郁女さんと、郁女さんのお父さんの博史さんが共演する作品です。どんなきっかけで、この作品は生まれたのでしょうか?

伊藤:数年前、両親がそろってベルギーに遊びに来たことがあるんですよ。そのときに、父がやたらと私の真似をして踊っているのを見て、ふと「この人、才能があるかもしれない」と思ったのがきっかけです。昔から、家で父が中島みゆきの曲をかけながら社交ダンスみたいなことをしているのを目撃していたし、本人も「いつか郁女と一緒に踊りたい」なんて言ってましたから、なんとなく今回につながる予感はありましたね。

伊藤郁女 © Gregory Batardon
伊藤郁女 © Gregory Batardon

—博史さんは彫刻家ですよね。ダンスの才能もあったというのはすごい。

伊藤:「巧い」というか「味」があったんですよね。普通の人にも、踊って面白い人と面白くない人がいますけど、父は1時間見続けていても面白かったんです。それで、せっかく踊るなら作品としてかたちにしたいし、彼の作る彫刻も登場させたいな、と。

—なるほど。でも、親と一緒に何かをするって大変じゃないですか? 気恥ずかしさだってあると思うんですよ。

伊藤:家を離れてだいぶ経ちますから、距離感はありますね。母とはSkypeでちょくちょく長電話するんですけど、父は照れてどこかに逃げちゃうから、きちんと話をする機会があまりなくて。だからこのクリエーションを、久しぶりにじっくり話す機会にしたいな、とは思っていました。それもあって、作品内で私が父にいろんな質問をするシーンがあるんです。

「生きるってどういうこと?」みたいな深い内容から、「どうしてうちの家は、クリスマスの時に恐竜を飾っていたの?」なんていう些細なものまで。それと、やっぱり普通では聞けないこともたくさん知りたくて「人生で何を苦しんだか?」「どうして昔、ギリシャ音楽を聴いていたの?」「どうして私の彼を嫌うの?」とか(笑)。それで最後にその答えが父から返ってくる、というのが最初の構想でした。

この制作が始まってあらためて「自分は父に愛されてるな」と思うんですよ。

—海外公演を拝見して印象的だったのが、やっぱり博史さんのダンスです。すごく積極的に踊ってらっしゃいますよね。

伊藤:すごいです。作品の準備を始めたのが2013年12月なんですけど、それまでは家でインターネットばっかりしてるような生活だった父が、その日から頑張って毎日ジムに通うようになったんです。いよいよ練習の段階になって何度かヨーロッパに来てもらったんですけど、しっかり踊れるうえに、人を笑わせる才能に恵まれていて驚きました。外国人のスタッフにも大ウケで。

伊藤博史 © Gregory Batardon
伊藤博史 © Gregory Batardon

—『私は言葉を信じないので踊る』は、すでに40都市を巡って、計100回近く上演されています。それだけ長い間、父親と時間を共有するというのはかなり特殊な経験ではないでしょうか?

伊藤:いちばん面白いのは、私自身が父親を見続けることの不思議さです。舞台上に、父娘が2人きりでずっと居続けるわけですから。

公演を重ねた今になってみれば、一人のプロフェッショナルとして父を信頼していますが、最初のうちはとにかく心配でした。私たちが手をつなぐシーンがあって、そのときに手のひらから父の心臓の鼓動がダイレクトに伝わってくるんですよ。そのリズムがすごく速くなるので、「このまま死んでしまうんじゃないか?」なんて気持ちがふっと頭をよぎったり。

左から:伊藤博史、伊藤郁女 © Gregory Batardon
左から:伊藤博史、伊藤郁女 © Gregory Batardon

—父親と身体を合わせること自体、なかなかないことですよね。

伊藤:そうですね。この制作が始まってあらためて「自分は父に愛されてるな」と思うんです。びっくりするくらい協力的で、公演の前の晩は体力をつけるために一生懸命食べているし、夜型なのに劇場にも朝早く来てくれる。なおのこと疲れは溜まるだろうし、舞台美術の彫刻を作るための材料が現地で準備できていなかったりすると、日本みたいに簡単には調達できないからストレスもあると思うんです。だから心配にもなるし、愛情も感じるんです。

—クリエーションによって距離が縮まったんですね。

伊藤:私からすると父をさらに強く芸術家として尊敬するようになった。あと、私たちの芸術的なセンスが似ていることもわかりましたね。

いろんな質問を繰り返すよりも、手を握り合うとか、見つめ合うだけで、言葉以上の答えが得られたりする。

—どんな瞬間に「似てる」と感じますか?

伊藤:シンプルなことからいろんなイメージを湧き立たせるのが好きだとか、黒一色のなかに、もっと繊細な黒のバリエーションを見つけだせるとか。あとはやっぱり笑いのツボが似てるかな。

—本作に郁女さんが寄せた制作ノートの最後に「なぜなら私も父も、言葉を信じないからです。」という一文がありますが、言葉への感性も近い?

伊藤:そう思います。言葉を交わして対話しなくても、私の声を聞いたり、動作を見ているだけで、2人のあいだにある距離がなくなって、理解し合えるようになることってあるじゃないですか。いろんな質問を繰り返すよりも、手を握り合うとか、見つめ合うとか、一緒に踊るだけで、言葉では得られない以上の答えが得られたりする。あるいは、その感覚自体が答えとして納得できるものになりうる。

—言葉を交わすよりも、一緒に踊ることの方が互いを理解し合える。

伊藤:父は、昔舞台の演出家をやっていたことがあるんです。そこで、ある一人の女優さんに「もうちょっと詩的にやってください」ってお願いしても、「詩的」という言葉が通じなかったそうなんです。父にとって詩的というのは歌と人間的なものが混ざった、大切な言葉だったのに、女優さんから返ってきたのは「もう(詩的に)やっています」という言葉だった。

人間は言葉を使ってコミュニケーションしているけれど、それがきちんと相手に伝わるまでには辛抱が必要で、そのプロセスで諦めなきゃいけないことも多すぎて、限界がある。それで父は舞台の仕事を辞めて、彫刻を始めたんですよ。

伊藤博史 © Gregory Batardon
伊藤博史 © Gregory Batardon

—彫刻家になるきっかけの一つが「言葉」だったんですね。

伊藤:自然にある石や木って、叩いて砕いたり、乾かさなきゃいけなかったり、とても現実的な素材ですよね。それは言葉っていう膜に巻かれる以前の存在で、そういうものと仕事をしたかったと父は言うのですが、それは私にもよくわかることでした。

昔から、私は喋るのがあまり得意ではなくて、踊りだったら大丈夫かなと思ってダンスを始めて、それが海外に移住するきっかけになった。それでニューヨークでは英語、フランスではフランス語を使いはじめわけですけど、国が変わるたびにわかっていた言葉がリセットされて、言葉によるコミュニケーションができなくなる。そうすると最初は音楽のように言葉を聴いたり、イントネーションやジェスチャーから人の気持ちを読み取ろうとする。それはとても大変なことなんですけど、言葉の周りにあるものを一生懸命読み取りながら、意味を感じようとするプロセスが、振付のもとになっていったりする。

言葉よりも信頼できるものがあることで、感性が鋭くなり、それがダンスや彫刻のなかに現れる。そういうところに親子2人の人生観みたいなものが重なってくるんです。

『私は言葉を信じないので踊る』の様子 © Gregory Batardon
『私は言葉を信じないので踊る』の様子 © Gregory Batardon

—『私は言葉を信じないので踊る』では、郁女さんが博史さんの作った彫刻と踊るような時間がありますね。逆に博史さんが自分の彫刻と踊るような瞬間もある。彫刻を通して相手や自分を知ろうとする手触りのあるシーンです。これは本当に言葉を使わない対話だなあ、と思いました。

伊藤:この作品を続けるなかで私たちが思っているのは、踊りながら、同時に「さよなら」を言っているんだ、とうことです。この作品が終わったら、父はまた日本に帰るし、私はヨーロッパに残る。そういう意味で、2人のなかでちゃんと別れを言う。そういう作品になってますね。悔いのない別れを言うための作品。

泣くって愛情の始まりなんじゃないでしょうか。

—ところで立ち入った質問かもしれないのですが、郁女さん、お子さんはいますか?

伊藤:息子がいます。いま、ちょうど8か月かな。

—今回は父と娘のダンスでしたが、何十年後かに郁女さんと息子さんが踊ることもありえるでしょうか?

伊藤:(笑)。そのことはみんなによく言われますね。父とこの作品を創った後に、今度は私のパートナー、それと私の元カレについての作品を発表したんです。さらにその後、ちょうどいまツアー中の新作がアンドロイドを題材に、私自身をテーマにした内容なんです。

これらはある意味でトリロジー(三部作)になっていて、自分の人生や孤独に関する思考を共通のテーマにしています。アーティストって、レジデンスや上演に合わせて国内外のいろんな土地を飛び回って、いろんな人に会って、そして別れる、ってプロセスを繰り返す人生です。そのサイクルのなかで、ふと「ここで自分が死んじゃったらどうなるんだろう」とか考えることが多くなって、それがこのトリロジーにつながっている。

特に新作は、精巧なアンドロイドが人間のマネをしている様子をさらにマネするという内容なのですが、そこには自分の分身、自分の子どもへの意識があるように思います。

伊藤郁女 © Gregory Batardon
伊藤郁女 © Gregory Batardon

—じゃあ、いつか息子さんとの共演もあるかも?

伊藤:それが彼の人生にとってよいものになれば、ですね。とりあえず、押し付けはしないようにしないとって思ってます。

—お母さん目線ですね(笑)。『私は言葉を信じないので踊る』に始まったトリロジーは、ファミリーストーリー、個人的な歴史に眼差しを向ける内容ですよね。郁女さんの関心も、そちらに向いているのでしょうか?

伊藤:今まで発表してきた作品は、多くの人に向けてダイナミックに踊るものが大半でした。つまり、技術のしっかりしたダンサーがパーフェクトに踊るっていうものを私はずっとやってきました。

でも自分のカンパニーを作ったときに、さらにそれを追求するんじゃなく、自分の個人的な経験を人に話すことで、他の人とどうやってつながっていくかということにすごく興味があったんです。

『私は言葉を信じないので踊る』が扱う父と子の関係って、全員が無縁ではないじゃないですか。それを語ることで、観客ともつながれたっていう実感を強く持てたっていうのは、お客さんや友人からもらう感想から特に感じます。「私の場合はこうでした」とか「私はお父さんとそういう話ができなくて、もう遅いんですけど」とか、いろんな話が返ってきます。

© Gregory Batardon
© Gregory Batardon

—上演時の観客のみなさんの反応はどのようなものですか?

伊藤:ヨーロッパだと、本当に全員がいっせいに泣くシーンがあるんですよ。それこそ、笑いながら泣いて、泣きながら笑ってくださるんですけど、まるで知らない人たちが、私と父の個人的な話を通して感動してくれるのは不思議でありつつ、嬉しいことでもありますね。

思うんですけど、泣くって愛情の始まりなんじゃないでしょうか。1歳くらいの頃の記憶で、父に近くに来てほしくって、わざと私が泣いていたのを覚えてるんですよ。そうやって泣き止まずにいると、父は私を外に連れ出して一緒に星空を眺めるんです。私はそれがとても好きで泣いていたんですね(笑)。大げさな言い方ですけど、「愛の歴史がそこから始まったんだ」という気がします。

—普遍性のある経験だからこそ、多くの人が反応するんでしょうね。

伊藤:そうかもしれないです。先日、カリブ海の島で公演したんですけど、みなさん最後はスタンディングオベーションでした。お父さんはびっくりして「郁女、あれはお前の仕込んだ客か?」って疑ってましたけど(笑)。

—しみじみ思うのですが、お父さん、可愛いですよね!

伊藤:そうなんですよ(照)。

イベント情報
『私は言葉を信じないので踊る』

テキスト・演出・振付:伊藤郁女
出演:
伊藤郁女
伊藤博史
舞台美術:伊藤博史

さいたま公演
2018年7月21日(土)、7月22日(日)全2公演
会場:埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール
料金:一般4,000円 U-25券2,000円 メンバーズ一般:3,600円

豊橋公演
2018年7月27日(金)、7月28日(土)全2公演
会場:愛知県 豊橋 穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース
料金:一般3,000円、U24 1,500円、高校生以下1,000円

金沢公演
2018年8月4日(土)、8月5日(日)全2公演
会場:石川県 金沢21 世紀美術館 シアター21
料金:一般3,000円、大学生以下1,500円、一般ペア5,500円
※友の会会員・障がい者割引は、一般2,700円、大学生以下1,300円

プロフィール
伊藤郁女
伊藤郁女 (いとう かおり)

東京生まれ。5歳よりクラシックバレエを始め、20歳でニューヨーク州立大学パーチェスカレッジへ留学後、立教大学で社会学と教育学を専攻。その後、日本政府より奨学金を得て再びニューヨークに渡米。アルビン・エイリー・ダンスシアターにて研鑽を積む。2003~05年文化庁新進芸術家海外研修制度研修員。フィリップ・ドゥクフレ『Iris』のダンサーに抜擢される。プレルジョカージュ・バレエ団に入団し、アンジュラン・プレルジョカージュ『les 4 saisons』に参加。2006年、ジェイムズ・ティエレ『Au revoir Parapluie』で踊り、2008年シディ・ラルビ・シェルカウイ『Le bruit des gens autour』の作品にアシスタントとして参加。シェルカウイとは、ソリストで参加したギィ・カシアスのオペラ『House of the sleeping beauties』で再び創作を共にする。同年、自身初となる作品『Noctiluque ノクティリュック』をヴィディ・ローザンヌ・シア ターで創作。2009年マルセイユのメラン・ナショナルシアターで『SOLOS』を発表。アラン・プラテルと共演した『Out of Context』はダンストリエンナーレトーキョー2012でも上演された。2013年、カンパニーles ballets C de la Bプロデュースによる、4作目となる『Asobi』を創作。2014年オリヴィエ・マルタン・サルヴァンと『La religieuse à la fraise』を創作、アヴィニヨン演劇祭とthe Paris Quartier d’été Festivalに参加。2015年SACDより新人優秀振付賞を、フランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受賞。2018年、新作『ROBOT, L'AMOUR ÉTERNEL』を発表、ヨーロッパ各地で好評を博す。



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