東京都庭園美術館の物語。40周年記念事業や角戸菜摘によるショートムービーとともに歴史を紹介

1983年に開館した東京都庭園美術館。旧朝香宮邸として知られる同館は、洗練されたアール・デコ様式の装飾が特徴で、2015年には国の重要文化財に指定された。館そのものが貴重な建築として鑑賞対象でもある東京都庭園美術館は、数々の美術館やギャラリーがひしめく東京都内にあって、ひときわ個性的な存在感を放っている。

開館40周年を迎えた2023年度には、アニバーサリーを記念する事業を展開。40周年を記念する特設サイトが設けられているほか、展覧会『装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術』、イベント『TEIEN 40th Anniversary festival』や記念樹の植樹など、さまざまな催しで節目の年を彩った。

この記事では、40周年記念事業の概要や写真、映像などをアーカイブとして掲載し、同館のためにショートムービーを手がけたフォトグラファー角戸菜摘のコメントを紹介。さらに、東京都庭園美術館が辿ってきた歴史と、その代え難い魅力をコラムで深掘りする。

メイン画像:撮影 加藤新作(写真提供:東京都庭園美術館)

2022年には建築家・妹島和世が館長に就任。アートファン注目のスポット

東京都庭園美術館の敷地面積は、約35000平方メートル。目黒駅からも近い白金台に位置する敷地内には、本館、新館、茶室、カフェレストランといった建物があるが、敷地の半分以上を緑豊かな庭園が占めている。

1933年に建設された本館は名建築として知られる旧朝香宮邸であり、設計は宮内省内匠寮が担当した。主要な部屋の内装にアンリ・ラパンやルネ・ラリックら、フランスのアール・デコ様式を代表するデザイナーが起用されている。2013年に建設された新館には、設計アドバイザーとして杉本博司が参加している。

新館の設計に関して杉本は、「本来、個人の邸宅であった本館は、文化財という点で制約もあり、美術館として使用するには難易度の高い空間であったと思います。一方で、美しい建築や調度そのものを常設で見せることのできる、日本には稀有な美術館であるとも考えています。新館へのアドバイスに際しては、本館のアール・デコ建築といかに違和感なく調和させるかということを念頭に置きました」と語っている(参考:リニューアルについてのインタビュー 杉本博司(現代美術作家))。

新館が完成するまでの様子を撮影した動画

2021年に「東京都庭園美術館条例」が施行され、都立文化施設として新たなスタートを切った。2022年7月には世界的な建築家・妹島和世が館長として就任したことも追い風となり、国内外のアートファンからひときわ注目を浴びている。

展覧会だけでなく、音楽&ダンスやプロジェクションマッピングまで。開館40周年をさまざまな催しで祝福

そんな東京都庭園美術館では、開館40周年を記念した事業を展開。2023年に開催された展覧会『装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術』では、同館の装飾プランに大きな影響を与えたとされる『アール・デコ博覧会』を中心に、フランス近代庭園を巡る動向に着目し、絵画や彫刻、工芸、版画、写真、文献資料など約120点の作品を展示した。

またイベント『TEIEN 40th Anniversary festival』では、同館の庭園を祝祭空間に変える催しを実施。10月1日の開館記念日には、ジャズバンドによる生演奏とダンスによる公演『ジャズとダンスの祝宴 マチネ』や、庭園のシンボルツリーでもあるエノキとムクノキに、光り輝くモビールで飾り付け、庭園内にキッチンカーや花屋が集った『庭園マルシェ』などが行なわれ、多くの来場者が庭園空間を楽しんだ。

2023年10月に開催された『TEIEN 40th Anniversary festival「ジャズとダンスの祝宴 マチネ」』では、ジャズバンドHIBI★Chazz-Kによる生演奏に乗せて、水中めがね∞がダンスを披露した。

40年分の展覧会のチラシを展示した『ウェルカムラウンジ 教えてください わたしのいい日』では、来場者から「わたしのいい日」をキーワードに、東京都庭園美術館にまつわる思い出を募集した。「2019年のキスリング展に付き合ったばかりの恋人と一緒に来館しました。(中略)当時の恋人は今の夫です」「今日は自由けんきゅうのためにここへ来ました。どの作品も何かしらの工ふうがしてあり(とてもいいな)と思いました」「ルネ・ラリック展に行ったのは20年前になるとは、時が経つのは早いです。今は病棟にいる父も元気だった頃、両親と過ごした時間。今となっては宝のような時間でした」など、さまざまな思い出が寄せられた。

さらに、小学生らとともにオオシマザクラを植樹する『オオシマザクラ植樹式』、本館をプロジェクションマッピングで彩った『FUTURE ART TOKYO 2023』なども開催。さまざまな切り口で東京都庭園美術館の40周年を祝福した。

2023年4月に開催された『開館40周年記念事業 プロジェクションマッピング FUTURE ART TOKYO 2023』の映像

現在は展覧会『旧朝香宮邸を読み解く A to Z』を5月12日まで開催中。同館の建築技法や建設に携わった人々、室内意匠や素材、各時代にまつわるエピソードなどをアルファベットのAからZを頭文字に持つキーワードをピックアップして解説している。

気鋭のフォトグラファー/ビデオグラファーが記念のショートムービーを制作。コメントも到着

開館40周年記念事業を締めくくるのが、気鋭のフォトグラファー/ビデオグラファーである角戸菜摘によるショートムービーだ。この映像を公開するにあたって、角戸からCINRA編集部にコメントが到着した。映像本編とあわせて紹介しよう。

角戸菜摘によるショートムービー

―ショートムービーをつくるにあたって角戸さんが感じた、東京都庭園美術館の魅力を教えてください。

角戸:初めて庭園美術館に訪れたときは、旧朝香宮邸の建築や内装の美しさにとても心を惹かれて、プライベートでもよく訪れていました。建物が公開された2023年の「邸宅の記憶」では普段見られない部屋の装飾も見ることができ、当時の職人やデザイナーの技術やセンスを目の当たりにして、とても感動しました。

今回、ショートムービーをつくるにあたって、担当の斉藤さんから「庭園の魅力をもっと伝えたい」という要望があり、あらためて庭園を撮り下ろしました。

広い庭園を歩いていると、四季によって様々な花が咲き誇り、いつ来ても気持ちのいい庭園が眺められるのは都内ではとても贅沢なことだと感じました。暖かい光のなかで四季折々の写真を撮るのも楽しいです。

そして庭園で飲み物やごはんだって食べられるなんて(!)

美術館だけど、もっと気軽に、遊びに来やすい! と思える理由がこの庭園にあるなぁと改めて思いました。

また、ベビーカーで庭園を回れるように道が工夫されていたり、子ども向けのワークショップを行なったり、年齢問わずにアートに触れられる機会づくりをしている点もとても魅力的だと思います。

―東京都庭園美術館は今後、人々にとってどんな場所であってほしいですか?

角戸:都内で自然を感じられる数少ないオアシスとして、1人でも、友達や家族と来ても楽しめる、皆様の癒しとして末長く愛される場所であってほしいと思います。

次ページからは、美術ライター/編集者の島貫泰介によるコラムを掲載する。同館の歴史をいまこのタイミングで振り返ることは、41年目を迎えるその場所の稀有な存在意義を再認識する機会となるはずだ。
(テキスト:CINRA編集部)

東京都庭園美術館の歴史を辿る。まずは縄文時代から

あらゆるものに歴史がある。一見してわからなくとも、例えばかたちをつぶさに観察してみたり、名前や社会での受容のされ方を手がかりに調べ進めてみたりすることで、歴史はその姿をさまざまに現す。そうやって思い巡らすことが芸術鑑賞や読書といった文化体験の醍醐味と言えるが、今日は東京都庭園美術館の歴史を紐解いてみたい。

1933年に竣工した旧朝香宮邸とその敷地として広く知られる東京都庭園美術館だが、まずは一気に6000年前の縄文時代にまでさかのぼる。美術館のある白金台、その近くの麻布台、高輪台、三輪台で複数の貝塚遺跡が発見されているように、かつてそこには海岸線が入り込み、人々が暮らす集落が点在していた。東京都庭園美術館から徒歩12分のところにある、2018年に移転リニューアルした港区立郷土歴史館では、発掘された土器やミンククジラの骨格標本などが展示されており、縄文時代から現代までの変遷に触れることができる。

この地域の記録を紐解いてみよう。江戸幕府が編纂した地誌『御府内備考』によれば、室町時代初期に京都から移ってきた下級役人の子孫で「白金長者」と呼ばれた柳下上総介の一族が、この一帯の名主であったらしい。その居館跡とも推測される土塁の一部は、美術館敷地内にいまも残っている。

江戸初期には増上寺が管轄していたが、のちに讃岐高松藩の下屋敷となり、往時には現在のJR目黒駅方面まで広がる6万坪の広大な土地を同藩が有していたという。その後、明治政府による近代化政策の一環で同地は政府に返還され、海軍や陸軍の火薬庫が建てられた。そして1917年に陸軍から宮内省に献納され、朝香宮家に下賜されることになる白金御料地となった。

朝香宮邸が生まれるきっかけにもなった、ある不幸な出来事

ここからは、現在の東京都庭園美術館のファンにとって馴染みのある時代だ。

美術館の象徴とも言えるアール・デコの館の最初の住人であった朝香宮家は、久邇宮朝彦親王の第8王子・鳩彦(やすひこ)王が1906年に創立した宮家で、明治天皇の第8皇女である允子(のぶこ)内親王との結婚後、1920年に白金御料地の一部を下賜された。しかし、女子2人と男子2人をもうけた一家が最初に住んだのは白金ではなく、品川駅近くのパシフィックホテル東京(2010年閉館)の場所にあった宮内省所有の洋館だった。

第2王女である大給湛子(おぎゅう・きよこ)氏は「どの宮様方もみんな外国からのお客様、大・公使等を自邸にお招きしておりましたのに、我が家にはお招きする部屋もないような状態」だったと述懐している(『旧朝香宮邸物語 東京都庭園美術館はどこから来たのか』編=東京都庭園美術館、ART DIVER刊)。

スペース不足や老朽化の問題、また1923年の関東大震災での被災を受けて、朝香宮家は白金御料地にいよいよ移り住むことになるのだが、朝香宮邸の誕生には、もっと大きな要因があった。

1922年、軍事研究の名目で欧州遊学に一人旅立った鳩彦王は、目的地であるフランスで交通事故に遭う。従兄弟にあたる北白川宮夫妻とのドライブ中の事故で運転していた北白川宮成久王は死亡、その妻・房子妃は重体、運転手、房子妃の介添役のフランス人女性も怪我を負った。そして鳩彦王は足と顎を骨折し、パリ郊外の病院に入院。その報を受けた允子妃は、看護のために急遽渡仏する。

幸い、允子妃がフランスに到着する頃には鳩彦王快方に向かい、朝香宮夫妻は療養のために約2年半におよぶパリ生活を始めることになる。

20世紀初頭のパリでの文化消費が、名建築を生んだ

不幸な事故から始まった想定外のヨーロッパ滞在は、しかし2人にとって忘れがたい経験となった。鳩彦王の傷が癒えると、2人は堅苦しい皇族の身分を伏せてイギリス、ドイツ、オーストリア、ベルギーといった欧州各国を巡遊し、ヨーロッパの文化や流行を大いに堪能した。

東京都庭園美術館が所蔵する『受領証綴』にはパリで暮らした1925年までの領収書約3000枚がまとめられており、2人の暮らしぶりを仔細にうかがうことができる。

留学中の夏目漱石も驚かせた1900年のパリ万博を経て、近代都市としての爛熟期にあった1920年代のパリは、消費や文化活動を通して鳩彦王と允子妃の美意識にも大きな影響を与えた。

若い頃から日本画に親しんでいた允子妃はフランス人彫刻家、イヴァン=レオン=アレクサンドル・ブランショから水彩画を学び、そこで得た技術や知見は旧朝香宮邸のために允子妃自らデザインしたラジエーターカバーにも生かされた。また、ブランショをはじめとするパリ時代に出会った芸術家たちの作品は、鳩彦王と允子妃たっての希望で朝香宮邸の各所を飾ることになった。

もともとは不幸な出来事からはじまったパリの生活であったのは事実だが、白金のための新たな邸宅が「アール・デコの館」として誕生するには、パリでの2年半が不可欠だったのだ。

朝香宮邸のクリエイティビティを牽引したのは、妻の情熱だった

朝香宮邸の建築に携わったのは、全体計画を定めた権藤要吉をはじめとする宮内省内匠寮(たくみりょう)の面々や戸田組(現在の戸田建設)だが、朝香宮夫妻の関与はきわめて大きかった。先述したブランショによる大理石レリーフ、ブランショを介して夫妻と交流を持ったとも推測される装飾美術家アンリ・ラパンが担当した大広間や大客室など計7室の内装デザインや香水塔のデザイン、ガラス装飾で知られたマックス・アングランによる大食堂のエッチングガラス扉などは、夫妻たっての希望で邸宅に持ち込まれたものだ。

パリ生活を経た夫妻の美意識の変化を伝えるエピソードとして、家庭内で使う言葉にフランス語を用いた話(食事の最中に「ブール、シルヴプレ(丸パンをください)」「ロー、シルヴプレ(水をください)」を使うようになり子どもたちを困惑させたそうだ)は有名だが、とりわけ允子の熱意は高く、デザインだけでなくフランスから届いた手紙やカタログ見本の翻訳も率先して行ない、建物のコンセプトを定める指揮をとっていたようだ。

ふたたび、大給湛子氏の述懐を引用してみる。

どっちかというと、父よりも母のほうが新しいものに敏感だったかと思います。(中略)母は女らしく、しとやかという感じの人じゃなかったと思いますね。でも使われている人たちは皆妃殿下のためなら……と言って献身的にお仕えしていました。何か大きな包容力のある人だったようです。
- 『旧朝香宮邸物語 東京都庭園美術館はどこから来たのか』(編=東京都庭園美術館 ART DIVER刊)より

現在、東京都庭園美術館では建築そのものにフォーカスした『開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z』展が開催中だが(5月12日まで)、建造当時の允子妃のクリエイティブな奮闘を想像しながら観て回るのも楽しいはずだ。

宮家の邸宅から首相公邸、迎賓館へ。そして美術館へと生まれ変わる

1945年の敗戦で、朝香宮家と邸宅をめぐる状況は一変した。占領政策を実施したGHQ(連合国最高司令官総司令部)主導のもと戦前からの皇族の特権は失われ、朝香宮家にも所有資産の79%という高額な財産税が課せられた。そして1947年10月には直接天皇家につらなる直宮家以外の十一宮家の皇籍離脱が決定。朝香宮の人々は熱海に移住する。

その後、旧朝香宮邸の新たな主人となったのが、当時の総理大臣であり、外務大臣でもあった吉田茂だ。吉田は当初、この邸を外務大臣として借り上げたと記録されている。

吉田がこの場所を公邸に選んだのは永田町にあった首相官邸を気に入らなかったからとも言われるが、納税に窮していた朝香宮家のための救済措置という側面もあった。首相在任中の1950年には、堤康次郎が社長を務めた西武鉄道が土地と建物を購入。内閣総辞職で吉田がこの場所を去る1954年まで、「目黒にうかがいを立てる」などと政界やマスコミで囁かれ、腹心であった白洲次郎が足繁く通ったように、旧朝香宮邸は戦後政治・外交が蠢く舞台となったのだ。

首相公邸としての役割を終えたあと、1955年からは西部鉄道株式会社の管理のもと、国賓を迎える迎賓館として活用された。さらに1963年の新館オープン以降は、国賓のない時期には結婚式場や宴会場として部分的に民間活用もされるようになり、夏になると1964年につくられたプール(マーブルプール)でビアガーデンも営業された。ちなみにプールの入場料は現在の値段で4,500円から6,000円という強気の価格設定で「水も、料金もちょっと“ひやり”の迎賓館プール」と新聞でおもしろおかしく揶揄されたりもしているが、かつての皇族の住まいに向けて大衆がそういった言葉を投げかけられる感覚が生まれてきたのも、時代の変化だろう。

そして1983年、宮家のプライベートな邸宅から、鵺のごときポリティクスが渦巻く外相・首相公邸へ、そして迎賓館へと変遷してきたこの土地は、東京都庭園美術館に生まれ変わった。

社会の変遷を体現しながら、新たな歴史を刻んでいく場所

開館記念展『グッゲンハイム美術館展』に12万人を超える来場者が訪れ、幾度もの補修で朝香宮邸時代の多彩な意匠が蘇り、2013年には現代美術の展示にも適した新館ギャラリーが新設され、2022年には世界的な建築家・妹島和世が4代目館長に就任……と、東京都庭園美術館の40年の歩みには芸術文化、そして社会が変化していくことに共振するような、固有の手触りがある。

いっぽうで、館の英名「Tokyo Metropolitan Teien Art Museum」に庭や庭園を意味する「Garden」ではなく「Teien」が採用されているのも興味深い。あくまで諸説あるうちの推測の一つなのだが、公共空間としての公園であっても、その原点は個人宅のお庭であったという歴史を尊重して「Teien」としたという説を、この記事を執筆する際に聞いた。

これまで見てきたように、東京都庭園美術館の土地と空間には、公共と個人をめぐる融和や葛藤、よろこばしい人と文化の出会い、やむにやまれぬ別れと、さまざまな歴史が積み重なっている。そのアイデンティティと、造語的でもある「Teien」の響きが、不思議に共鳴して感じられるのは筆者だけではないだろう。

今日、東京都庭園美術館は多くのアートファン、あるいはこの場所自体を愛する人々に開かれた空間だが、こうして現在に届けられるまでにはさまざまな個人の思いや努力があった。

朝香宮夫妻の先取の精神はもちろんのこと、1941年から朝香宮家の事務方を務め、戦後は西武鉄道に所属し、白金迎賓館館長を勤め上げた中田虎一の建物保存の奮闘にも光が当てられるべきだろう。あるいは迎賓館時代以降に散逸してしまった家具の一部を探し当てた美術館職員たちや、迎賓館時代から館の接遇係を務め、家具調査に大きく貢献した鈴木忠男の存在も忘れられない。そういった個人の営みや思いの集積と、かれらを取り巻く大きな時代や社会のありよう。それらが混合したものを「歴史」と呼ぶのだ。
(テキスト:島貫泰介)

参考文献:
『旧朝香宮邸物語 東京都庭園美術館はどこから来たのか』(編=東京都庭園美術館 ART DIVER刊)

『庭園美術館へようこそ 旧朝香宮邸をめぐる6つの物語』(著=朝吹真理子、福田里香、小林エリカ、ほしよりこ、mamoru、阿部海太郎 河出書房新社刊)

『パリの皇族モダニズム 領収書が明かす生活と経済感覚』(著=青木淳子 角川学芸出版)

イベント情報
『開館40周年記念 旧朝香宮邸を読み解く A to Z』

2024年2月17日(土)~5月12日(日)
会場:東京都庭園美術館
時間:10:00~18:00
休館日:月曜
※2024年3月22日(金)、23日(土)、29日(金)、30日(土)は夜間開館のため20:00まで開館(入館は19:30まで)


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