おそらく世界でひとりの肩書きを持つ人物、「発酵デザイナー」小倉ヒラクの活動は、実に幅広い。お味噌やお酒など発酵醸造メーカーのアートディレクション。誰にでもできる味噌作りを歌と踊りで伝えるアニメ『てまえみそのうた』の制作。さらに著書『発酵文化人類学』などの執筆や発酵ワークショップも行っている。
10年前は、当の本人も想像できなかった人生。でも、ばらばらに見えた経歴が実はすべてがつながっているとしたら? 寄せ集めから価値を生み出す「ブリコラージュ」で生きる小倉は、通ってきた道、得てきたものをひらめきで接続し、どこにもなかった自分だけの仕事を作りあげる。
そんな小倉ヒラクが参加する展覧会『BENTO おべんとう展―食べる・集う・つながるデザイン』が7月21日、東京都美術館でスタートした。一見、芸術とは縁遠そうな「お弁当」を起点にすることで、人間の創造力やコミュニケーションに新たな光をあてる企画だ。その多様な参加作家の中に名を連ねる小倉ヒラクに、仕事に関する思考法を展覧会場で聞いてみた。
良い街には良い味噌蔵や酒蔵があって、土地のアイデンティティを支える場になっている。
—小倉さんは「発酵デザイナー」として「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指しているそうですね。失礼ながら最初はニッチなお仕事を想像したのですが、実際はとても幅広い活動ぶりですね。
小倉:はい(笑)。発酵は食文化だけでなく医療、環境など多領域につながっているし、国境を越えて世界につながってもいます。だから発酵デザイナーを名乗りはじめてからも、改めてそのポテンシャルを感じています。
—発酵デザイナーになったきっかけは?
小倉:まず、会社を辞めてデザイナーとして独立したときから、色んな縁が重なって社会の課題解決に関わるソーシャルデザインに携わることになりました。主に農業や伝統産業に関わる人たちと一緒に、どうすれば彼らの作ったプロダクトをお客さんに良いかたちで届けられるか、そんな仕組み作りも含めた仕事を始めました。
ありがたいことに良い結果が出て、口コミで仕事が広まっていくようになりましたが、その忙しさと、それでも夜遅くまで遊び続けたせいか(苦笑)、体に問題が出てしまいました。毎朝めまいがしたり、子供のころの喘息がぶり返したり。そんなとき、発酵食品に出合うんです。
—来ましたね、ここで発酵が。
小倉:後輩の先生で発酵学者の小泉武夫先生(発酵仮面という異名も持つ第一人者)にお会いしたら、「お前、免疫不全だな? もっと味噌汁と納豆と漬物を食べなさい!」と強く勧めてくれて。試してみたら本当に体が回復してきたんです。そこから先生の本を読んだり、自宅で味噌を仕込んでみたりするほどになりました。
—入口は身体的な実体験だったとして、デザイナーとしては発酵文化のどこに可能性を感じたのですか?
小倉:発酵文化は地方の文化でもあります。全国を訪ね回るうちにわかったのですが、良い街には良い味噌蔵や酒蔵があって、そこが文化のパトロンだったり、土地のアイデンティティを支える場になっていたりする。そういう試みを社会のなかで活かすための可能性がたくさんあります。そこで、土地のフィールドワークや地誌の調査をベースに、蔵元さんなどとの新商品開発やイベントの企画をするようになったんですね。
山梨県甲府の老舗味噌屋「五味醤油」のパッケージ、会社案内、WEB等のデザイン(アートディレクション、イラスト:小倉ヒラク)
—フィールドワークといえば、小倉さんは大学で文化人類学専攻でしたよね。
小倉:はい。まさにここで「これ、自分が大学で学んだ文化人類学とつながる!」と確信したんです。もう普通の仕事している場合じゃない、僕が今まで培ってきたスキルを発酵とつなげるんだ!と勢いづいて(笑)、そこから「発酵デザイナー」を名乗ることにしました。
—では小倉さん自身にとって、発酵の魅力とは?
小倉:発酵は「オルタナティブを示してくれる」存在。その理由は主に2つで、まず、人間から見ると絶対的な他者性の世界だからです。そもそも相手が人間じゃない(笑)。実際に発酵食品を作るのは菌たち。僕たちヒトは直接ものづくりをすることはできなくて、お酒やお味噌作りでも、言ってみれば人間は良い発酵のための環境作りしかできない。でも、だからこそ面白い。
—そのあたりは小倉さんの著書『発酵文化人類学』(2017年)に詳しいですね。微生物と発酵食の関わりをときに恋愛やアートにもたとえ、人間社会や自然と付き合うヒントをくれます。
小倉ヒラク『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』(Amazonで見る)
小倉:発酵がオルタナティブである理由のもうひとつは、考えるべき時間のスパンがすごく長いこと。IT業界がドッグイヤー(犬の1年は人間の7年に相当するとの意味から、短期間で激変すること)なら、発酵の世界は「逆ドッグイヤー」で、100年単位でさかのぼったり、先を見たりするのが当たり前の感覚です。
—つまり「標準」の視点とは違うところから、重要なことを見つめられる?
小倉:はい、それで言うと文化人類学も、常に時代のなかでオルタナティブを提示する一面があります。この領域のオリジネイターであるレヴィ=ストロースやブロニスワフ・マリノフスキらもそうだったと思う。「未開」の民族を自分たち文明人が啓蒙する存在ではなく、むしろ彼らから学ぼうとし、野蛮なのはむしろ我々では? と問いかけたわけですから。
現代的な表現はマルチレイヤーであるべきだと思っています。
—この夏、小倉さんは東京都美術館で『BENTO おべんとう展―食べる・集う・つながるデザイン』に参加しています。お弁当を起点に多彩な参加作家が、人間のコミュニケーションを見つめるという企画ですね。
小倉:僕は展覧会のテーマソングでもある新作アニメーション『おべんとうDAYS』で参加します。主人公の少女が時空を超えてお弁当文化を旅しながら、お父さん(山の神さま)にお弁当を届けようとする短編です。じつは今回は発酵食そのものではないのですが、「ニッチっぽく見えて、掘り下げると大きな流れが見える」という自分の仕事としてはつながっています。
—大人も子供も楽しめそうな作品ですね。つい口ずさんでしまう歌と、一緒に動きたくなる踊りがベースにあるのは、味噌作りの楽しさを伝えて各所で話題になった『てまえみそのうた』(2014年、『グッドデザイン賞2014』受賞)などに通じる印象です。
小倉:これは食と文化を扱う上で大切にしていることで、たとえば土地のものを食することは地域の持続性にもつながりますが、そのためには習慣化、つまり日常的なアクションが鍵になる。そのとき、子供を核にした家族やコミュニティという関係性はけっこう大切です。だから『てまえみそのうた』も歌や踊りを活かして、子供にとってお味噌作りが楽しくなるものにしたんです。
絵本『てまえみそのうた』の出版記念イベント『みそみそワークショップ』の様子
—よく見ると、展覧会で実際に紹介されている古今東西の変りダネ弁当箱や、実際にそれらが使われた場面も出てきたりしますね。
小倉:そうなんです。また、お弁当は旬の食材で季節ともつながっていて、俳句的な一面もある。さらにコミュニケーションを作り出すデザイン装置とも見ることができて、そうした文化の多様性も伝わればと思いました。さらにお弁当にまつわる絵巻の一場面をサンプリングしたり、参加作家さんをカメオ的に出演させたりもしています。
『おべんとうDAYS』の一場面 / お弁当が出てくる有名な絵巻物や写真集から多数サンプリングされているという
—何度見ても発見があるように?
小倉:僕は、現代的な表現はマルチレイヤーであるべきだと思っています。見た目はポップでも、別の読み取り方があってしかるべきで、たとえば今回はお弁当のアニメなので、日本の伝統色の見本帳から、食べ物の色(紫=ナス、オレンジ=人参、青=浅葱、ピンク=桜など)だけを使っています。
また今回はGOING UNDER GROUNDの松本素生さんが歌を担当してくれたのですが、リズムや伴奏も口で演奏するドゥワップ風に仕上げてくれて、「お弁当の曲だから、ぜんぶ口で歌ってみたよ」と言ってくれたのも、自分のしたいことが通じたようで嬉しかったですね。
上野東京都美術館『BENTO おべんとう展』の出展作品である小倉ヒラクの新作アニメ『おべんとうDAYS』
もともとアートは目的ではなく、結果的にアートになったというものが大部分ではないか。
—なぜ「現代的な表現はマルチレイヤーであるべき」と考えるのでしょう?
小倉:ひとつには受け取り側の体験の仕方の変化も関わっていると思います。たとえば昔は、映画なら映画館で2時間集中して観たけど、今は自宅でNetflixを見ながらスマホでCINRA.NETの記事もチェックしたりする。
あるコンテンツに集中する行為は、生活から離れて隔離した行為になりがちです。対して日常はマルチな表現の入れ子状態で、ブラウザのタブを立ち上げているような感じもあります。そうすると、「わざとスッキリわかりやすくさせない」ことで先が見えない状態を喚起するのが大事になることもある。気になるからタブを閉じられない。この『おべんとう展』が一見すると美術展ぽくないのも、そうした現代的なモードのひとつの表れだと思うんです。
東京都美術館『BENTO おべんとう展―食べる・集う・つながるデザイン』メインビジュアル(サイトを見る)
東京都美術館『BENTO おべんとう展―食べる・集う・つながるデザイン』会場風景(北澤潤『おすそわけ横丁』)
—なるほど。
小倉:たとえばピカソの回顧展を観る時って、集中して作品をガッと観るのは、けっこう疲れる体験ですよね。今回の展覧会はそういう「作家の作品を鑑賞する」という体験とは違って、自分の日常生活にインスピレーションを得るために来てもらう感じかなと思う。お弁当という身近なフレームを通した表現で、人間のクリエイティビティやコミュニケーションの新しい視点を見せている。それが逆説的にアート展になっていると思います。
—先ほど発酵のお話で出た、普遍性とオルタナティブにも通じそうです。
小倉:そうですね。たとえばお弁当箱は実用品だけど、せっかく持つなら可愛いさや快適さが欲しい。それが突き進むとあるとき価値の転換が起きて、「こんなすごいものがあるんだ! 皆で見よう」となって、つまりアートになる。それは芸術の根源のひとつではないでしょうか。
長い人間の歴史のなかでは、もともとアートは目的ではなくて、結果的にアートになったというものが大部分ではないか。むしろ今のようにアートが暮らしから切り離された純粋な表現として営まれることのほうが特殊で、ここ200~300年ちょっとの話ではないかと感じることもあります。
会場には、作家の作品のほか、懐かしいものやとても貴重なものなど、様々なお弁当箱も展示される
—小倉さんはかつて絵描きを志していたとか。それがめぐりめぐって、発酵デザイナーとして美術展に参加するのも面白いですね。
小倉:美大を受験していて、合格もしたんですが学費の問題で総合大学を選びました。でも結果的にそれで、文化人類学に出合えたとも言える。その後も絵は続けて、在学中に一年休学してフランス・パリで絵を学んで個展もしたけれど、帰国したら就活に完全に乗り遅れていた。でも、そうなったことで紆余曲折を経て今の自分がいると言えそうです。
そして絵画を志したことは、いまの活動にも活きています。だから、もし10年前の自分に会えるなら「キミは絵描きにはならないけど、微生物に夢中になって、結果的に美術館からオファーがくるよ」と伝えたいですね(笑)。
何かに夢中な時はとにかく「これ面白すぎる!」とか言いながらやっています。
—小倉さんはいま、ワインの名産地である山梨にお住まいで、小さな発酵デザインラボも構え、デザイナー&微生物研究家の日々を送っているそうですね。
小倉:もちろん、最初から今のような働き方を目指していたわけではないですけどね(笑)。
—たとえば、ごく早い時期から自分の将来像を見出して、そこに突き進む人がいますね。でも実際は、迷いながら進む人の方がずっと多い気もします。どちらが良い悪いではないと思いますが、小倉さんは自分の道の定め方についてどう考えていますか?
小倉:生物学者のリチャード・ドーキンスの「デザインとデザイノイド」という考え方があって、よく知られている彼の「ミーム」のような概念よりはずっと地味だけど僕は好きなんです。どういうものかと言うと、昆虫の目とカメラができるプロセスの違いです。この2つは構造的には同じ機能なのですが、そこに至るまでのプロセスが違う。
カメラは「写真を撮る」という明確な目的のもとにデザイナーとしての人間が設計したデザイン。対して昆虫の目は「たまたま自分の生きる環境で、光を多く取り込んだ個体が生き延びやすかった」という自然淘汰の原理が何世代も積み重なって結果的に目ができた。そういう「結果的に機能しているもの」を「デザイノイド」と呼んでいるんです。で、僕は自分のキャリアを「デザイノイド」だと思っているんですね。
—なるほど、事前に予測はしていないけれど、結果的には機能していると。でも小倉さんの場合は「たまたま」だけでなく、働きかたも常に思考して選んでいますよね。ご自身のTwitterにこんな言葉がありました。
小倉:「できそうだけど、できなかったこと」は、自分の適性を見る目が試されますからね。適性って重い言葉でもありますが、たとえばバスケ選手になるには身長が足りないというのは、ある意味わかりやすい。難しいのは、自分がやるべきじゃないことまで抱えてしまうとか、そもそも実は自分の領分じゃなかったとか。それを見極めるのは、いま選んでいることをやめるか続けるかのタイミングを測る力でもある。
実際は、何かに夢中な時はとにかく興味ドリブンで、「これ面白すぎる!」とか言いながらのめりこんでいるわけです。まずこの没入状態が状況を前に動かす。でもその状態をずっと続けていると浮世離れしてくるので、ある瞬間にメタ視点でものを考えてみて、バランスをとっています。そして今うまくっている物事を「ダメになったときどうするか」から考えるのも好きだし、楽しい。自分が生物として滅ばないためにも、今あるもの、今いる状況から考える。無いものねだりするのではなく、今あるものをアレンジしながら未来を作っていくんです。
—今あるものから考えるというのは、前述のレヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」(本来の用途とは関係ない寄せ集めで、当面の必要性に役立つ道具を作ること)も連想します。
小倉:実際、僕はブリコラージュしかしていない、とすら言えるかもしれません。僕のキャリアって紆余曲折のようでいて、実は無駄がない。文化人類学をやって、デザインをやって、発酵に出合って、それら全てが結び合ったことで「発酵デザイナー」にたどり着いた! と今インタビューで偉そうに話すこともできますよね。でもそれは実際には結果論。昆虫の眼みたいなものです。
例えばトンボのデザインを分解してみると全てが無駄がなく必然に見える。でもトンボを「無駄ないね」と褒めても「さあ? たまたまじゃない?」という話になる。僕はたまたまが重なって色んなジャンルの経験が接合したキャリアになったけれど、そうした接合ができなかったら全てが無駄ということになっていたかもしれない。
そう考えると、「バラバラなものをつなげて文脈を通す知恵」の力は大切だと思います。でないと、色んな経験がただのとっ散らかったものになってしまうから。「経理をしながら色彩コーディネーターの資格を取りました」というようなケースでも、実績と挑戦がつなげられたら一番良い。
日本の発酵醸造文化を伝えるアニメ『こうじのうた』の一場面(動画を見る)
—それは創造力であると同時に、生きるための力でもある?
小倉:そもそも生物の進化はブリコラージュ的です。鳥がなぜ飛べるようになったのかについて、こんな説があります。鳥の祖先が地球上に登場した時代、大気の酸素濃度は低かった。そのため彼らは肺や循環系が発達して、体の中に風船が入っているような状態になった。するとムササビみたいに滑空した時にものすごく長く空を滑空できるようにになり、結果、そこから飛行する能力が生まれたという考えです。「効率的に呼吸をする」という機能が発達していく過程で「空を飛ぶ」という予測していなかったイノベーションがたまたま起きる。
こうした生物学的なクリエイティビティから、現代的なクリエイティビティを考えるのが、僕が何かを作るときのベースになっています。破壊的イノベーション(既存事業の秩序や構造を破壊するほどの劇的な技術革新)には圧倒的な才能が必要だけど、ブリコラージュは誰にでもできるし、持続的イノベーションの力を高めるとも思う。だから、結局これは「自分がどう納得して生きのびるか」ということでもあるんですよね。
- イベント情報
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- 『BENTO おべんとう展-食べる・集う・つながるデザイン』
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2018年7月21日(土)~10月8日(月・祝) 会場:東京都 上野 東京都美術館 ギャラリーA・B・C
時間:9:30~17:30(金曜は20:00まで、入室は閉室の30分前まで)
参加作家:
阿部了
大塩あゆ美
小倉ヒラク
北澤潤
小山田徹
平野太呂
マライエ・フォーゲルサング
森内康博
休室日:月曜日、9月18日、9月25日(8月13日、9月17日、9月24日、10月1日、10月8日は開室)
料金:一般800円 大学生・専門学生400円 65歳以上500円
※高校生以下無料
※障害者手帳帳、愛の手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、被爆者健康手帳をお持ちの方と付添者1名は無料
※8月15日、9月19日は65歳以上入場無料
※10月1日は都民の日により無料
- プロフィール
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- 小倉ヒラク (おぐら ひらく)
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発酵デザイナー。「見えない発酵菌たちのはたらきを、デザインを通して見えるようにする」ことを目指し、東京農業大学の醸造学科研究生として発酵を学びつつ、全国各地の醸造家たちと商品開発や絵本・アニメの制作やワークショップをおこなっている。書籍『てまえみそのうた』でグッドデザイン賞2014受賞。自由大学や桜美林大学等の一般向け講座で、発酵学の講師も務めている。2015年より「こうじづくりワークショップ」を全国で展開中。著書に『おうちでかんたん こうじづくり』『図書館版 発酵菌ですぐできる おいしい自由研究』など。
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