長塚圭史が語る、演劇の本質。観客の想像力を喚起する演出とは

戦後のアメリカを代表する劇作家のひとり、アーサー・ミラーによる『セールスマンの死』は、これまで世界中で何度も上演や、映画化がなされてきた名作戯曲。20世紀中盤のアメリカ、晩年を迎えたセールスマン・ウィリーを主人公に、その家族の抱えた問題が描かれるこの群像劇は、1949年の初演時には742回上演のロングランを記録。『トニー賞』『ニューヨーク劇評家賞』『ピューリッツァー賞』を受賞している。

今回、KAAT 神奈川芸術劇場で、この演劇史に残る不朽の名作に挑むのが、劇団「阿佐ヶ谷スパイダース」を主宰し、自らもNHK連続テレビ小説『あさが来た』や、映画『容疑者Xの献身』などで俳優としても活躍している演出家・長塚圭史。彼が見つめているのは、この物語に描かれた家族が抱えた深い「業」だった……。いったい、この名作からどんな家族像が浮かび上がってくるのか? そして、この作品を通して見えてくる「演劇の本質」とは何だろうか?

戯曲『セールスマンの死』には、ほとんど演出の余地がないんです。

—なぜ、アーサー・ミラーの名作として知られる『セールスマンの死』を上演することになったのでしょうか?

長塚:KAATの芸術監督である白井晃さんから、「KAATで作品を創ってもらいたい」という話をずっと前から頂いていて、いろんな作品が候補に挙がりつつ、どうしても定まりきらなかった。そんな時、ある雑誌に僕が寄稿したエッセイで、もともと好きな作品でシンパシーも感じていた『セールスマンの死』について「いつか、自分が成熟したらやりたい」と書いていたのを白井さんが読んでくれて、「やってみましょう」という提案を受けたんです。

長塚圭史

—「いつか」と書いていたら、意外と早く実現してしまったということですね(笑)。今おっしゃった、長塚さんがこの戯曲に感じていた「シンパシー」とはどのようなものですか?

長塚:僕自身、さまざまな家族劇を書いていました。その中でテーマとなってきたのが「血の業」とでも呼べるようなものです。『セールスマンの死』も、「業」とも言うべき問題を抱えたある家族を描いた作品です。

父・ウィリーは、老境に差し掛かり、仕事がうまくいかなくなっていく。長男のビフは学生時代にアメフトの花形選手だったものの、病的なほどに父から期待をかけられ、次第に転落していく。次男のハッピーは何をしても注目されず、満たされない気持ちを抱えている。母親のリンダは彼らを何とか取りなそうとしながらも、その精神は崩壊寸前……。

—家族のそれぞれが、どこか壊れた部分や闇の部分を抱えていますね。

長塚:しかも、描かれるわずか2日間という時間に、彼らが経てきた栄光と挫折の時間が凝縮されています。その背景には、一攫千金を狙う古き良きアメリカンドリームの時代や、それを支える広大な大地の風景も見えてくる。アーサー・ミラーが描いたこの物語には、とてつもない魅力がありますね。

—では、その演出を担うにあたってはいかがでしょうか?

長塚:やりづらいですね……。この戯曲には、ほとんど演出の余地がないんです。ト書きまで細かく書き込まれているから、演出家が自分の色を出しにくい。

実は、曖昧に書かれている作品の方が、演出家としてはやりやすいんです。曖昧の中に自分のセンスを混ぜたり、「ここに焦点を当てたのか!」と驚かせることができますからね。でも、『セールスマンの死』にはそういった余地がほとんど残されていません。

この作品は、どんな人にでも開かれたエンターテイメントだと思っています。

—とても精密に描かれた完成度の高い作品であるからこそ、演出家の独自性を発揮しにくいんですね。

長塚:舞台セットや派手なアクションなどで、僕の演出が作品よりも前に出ることは、徹底的に書き込まれたこの作品にとって無意味です。これを上演するにあたって必要なのは、派手な演出を施すのではなく、戯曲に従って言葉の細部を追いかけていくという地道な作業。特に、日本人である僕らが文化の違いを乗り越えて行くためにも、「これは何を意味している台詞なのか?」「どんなイメージを元にした台詞なのか」と、一つひとつの言葉を磨いています。

—アーサー・ミラーの書いた言葉を信頼し、その意味を徹底的に追求する、ということでしょうか?

長塚:そうですね。この作品は台詞の分量も多いし、時間軸も変わり、現実と虚構の間を行ったり来たりする。イメージを強く持っていないと、言葉がするすると流れ去ってしまうんです。例えば、「そういえば、あのでっかいベッツィって女いただろ?」という台詞を発する時、過去に存在していたベッツィという女性のイメージを鮮明に作らなければならない。

キャラクターを造形するにあたっても、ビフを演じるのであれば、彼が放浪したアメリカの広大な土地を漠然とイメージするだけでなく、どれくらいの距離を放浪してきたのかを具体的に掴まなければ、彼が抱える苦悩の大きさが見えてきません。テンポよく進んでいく劇にすることを前提としながらも、言葉の一つひとつ、会話の一つひとつが立体的に浮かび上がることを目指していますね。

—稽古場の入り口にアメリカの地図が貼られていて、戯曲に登場する地名の距離感が一目でわかるようになっているのはそのためなんですね。イメージを確かなものにし、言葉の強度を高めることには、どんな効果があるのでしょうか?

長塚:俳優がどれだけイメージを強く持っているかによって、舞台の上で観客が想像力を広げられ、実際に存在しないものも見えてくるようになります。そうすれば、空想と回想と現実を行き来する複雑な構成を持つ『セールスマンの死』でも、とてもわかりやすく観られるはずなんです。一筋縄では行きませんが、この作品は、どんな人にでも開かれたエンターテイメントだと思っています。

今の社会は、あたかも、僕らがバカになるように仕向けられているように感じる。

—「エンターテイメント作品」といえば、「頭を空っぽにして楽しめる作品」と理解されることもしばしばですが、随所に暗い影の射している『セールスマンの死』は、決してそのような種類の作品ではありません。長塚さんがエンターテイメントという言葉を使う時、どのような意味を指しているのでしょうか?

長塚:僕はどんな難解な劇を手がける時にも、「エンターテイメント」であることを心がけています。例えば、2011年から上演している三好十郎の『浮標(ぶい)』は、1940年に執筆され、戦争に巻き込まれていく時代を背景としています。これを、白い砂を敷いただけの抽象的な舞台で上演しました。

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『セールスマンの死』稽古場写真 撮影:細野晋司

—理解が難しそうな舞台ですね……。

長塚:しかし、白い砂の上で演技している俳優を見ていると、観客の頭の中には、あたかも畳が敷かれた部屋にいる登場人物たちが見えてくる。優れた劇は、観客の想像力を刺激し、登場人物の心情や関係性だけでなく、彼らがいる場所、そしてその裏にある社会までもクリアに見せてくれるんです。そこには、演劇を観る上での最も大きな喜びがあると思います。

—観客が想像力を駆使して見えないものが見えてくるということが、長塚さんの考える「エンターテイメント」なんですね。

長塚:一方で暴力的なまでに情報が詰め込まれ、観客を楽しませるだけの作品は、劇場に座っている時間を「現実を忘れるための時間」にしてしまいます。もちろん、それが悪いわけではないし、僕自身もそれを求めることがある。ただ、そんなエンターテイメントばかりでは、非常に危険だと思うんです。

—「危険」とは?

長塚:想像することは、人間にとっての原始的な力です。演劇を観ながら想像力を育てていくことで、いろんな物を触ったり、見たり、時間を過ごす時に「豊かさ」を感じることができる。しかし、テクノロジーの発達によって、すごいスピードで何でも手に入る世の中になると、想像力は必要とされず、僕らの肉体性は奪われていきます。今の社会は、あたかも、僕らがバカになるように仕向けられているように感じるんです。

だから、いわゆる「エンターテイメント」とは対極的な、思考したり、何かを思い返したり、想像力を広げていく「能動的なエンターテイメント」があってしかるべき。僕にとっては、能動的に考えられる作品の方が、はるかに「エンターテイメント」ですね。

—そんな「エンターテイメント」のあり方を、昔から考えていたのでしょうか?

長塚:いえ、20代の頃は、それこそ暴力的に情報を与え、観客をびっくりさせることばかりを考えていたし、それによって人気を獲得していきました。けれども、そればかりを続けていくことに対して、僕自身がだんだんと疲弊してしまったんです。

驚きを与え続けるばかりでなく、お客さんの想像力を信用したい。それによって、お客さんとの新たな関係性を作ることができなければ、この先演劇を続けていくことはできないと感じたんです。10年くらい前、30歳を少し過ぎた頃の話ですね。

経験やイメージを積み重ねること。そのことで、人間の内側の深い部分が刺激され、豊かな想像力が生まれていくんです。

—10年前といえば、ちょうど、長塚さんは文化庁の新進芸術家海外留学制度によって、ロンドンに滞在していた時期ですよね。そこで学んだことが大きかったのでしょうか?

長塚:ロンドン滞在中、井上ひさしさんの『父と暮せば』を使って、英国の俳優とワークショップをした時のエピソードは象徴的だと思います。原爆をテーマにした作品のおもしろさを伝えるために、1週間のワークショップの中で、畳などの日本の生活道具を集めて、日本の生活を説明したり、実際に触ってもらったり、身振りを体験してもらったりしたんです。正座をすること、ハグするのではなく適度な距離を保つこと、お茶碗を持っても乾杯しないこと(笑)。そういった日本人の生活の細部を伝え、実際にやってもらうことによって、イメージを広げてもらいました。

長塚:その上で最終的には日本のものを全て取り払い、イギリスのテーブルとカップだけを使って、この作品の1シーンを演じてもらいました。これがとてもおもしろかった。日本のある父と娘による微妙な距離感の会話がイギリス人によって演じられると、あたかもイギリスでも原爆が落ちてしまったのではないか……というぐらい想像が広がったんです。

—文化の違う俳優たちと、表層だけでなく作品の本質を共有することができたんですね。

長塚:必要なのは即物的な様式を使うことではなく、経験やイメージを積み重ねること。そのことで、人間の内側の深い部分が刺激され、豊かな想像力が生まれていくんです。このワークショップを通じて、演劇の持つ根源的な可能性に触れたような気がしました。

「何だこれ?」と感じてしまうもの、内側の触れてはいけない部分に手を伸ばすことを大切にしたい。

—今回の公演では、主人公の老セールスマンを風間杜夫さんが演じます。なぜ、風間さんの起用に至ったのでしょうか?

長塚:当初は、この作品を、僕のこれまでの経験値の中だけで構築できるか不安でした。でも、ウィリー・ローマンを風間杜夫さんが引き受けてくれたことで企画が進んでいったんです。

風間さんはとても肉体的な俳優であり、とてつもない狂気を生み出せる一方で、小市民的な平凡さも持っている。ウィリーを演じるにあたってはこの上ない俳優です。稽古をしていても、アメリカを描いているはずなのに、ある場面では昭和の親父に見えてきます(笑)。決して、スタイリッシュな翻訳劇にはなりませんね。

左から:風間杜夫、片平なぎさ

—表層的なスタイルではなく、人間の内面を見つめる長塚版『セールスマンの死』にはぴったりですね(笑)。稽古が進展していく中で、作品の捉え方は変わっていっているのでしょうか?

長塚:稽古で俳優の演技を見ていると、登場人物全員が「被害者」である一方、どこかそれだけではない部分が見えてくる。例えば、母親のリンダは、この家族におけるいちばんの被害者のように描かれている一方、その行動をよく吟味していくと、もっとできることがあったはず……。それぞれが、それぞれの被害者性や加害者性を持ちながらも、大きな視点で見れば、誰も責められない関係性なんです。

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『セールスマンの死』稽古場写真 撮影:細野晋司

長塚:「ウィリーが悪い!」「ビフが悪い!」と、はっきり告発することができれば、彼らも楽だったでしょう。しかし、それができない人々は、家族の「渦」に巻き込まれていってしまうんです。そんな状況は、家族というコミュニティが持つひとつの側面です。自分自身の経験を振り返ってみると、僕は家族にとって、被害者であり加害者でもあった。両親が離婚したという意味では僕は被害者ですが、その後、僕の言動は彼らに罪の意識を植え付けようとした。それは、加害行為と言えます。

—そんな家族の濃密な関係を描くから、この作品には拭い去れない影のようなものが射しているんですね。では、そのような家族劇を、今の観客に対して、どのように観てほしいと思いますか?

長塚:今の時代に対して……ということはあまり考えないようにしています。例えば、この作品から「アメリカの崩壊」といったテーマ性を引き出すことは可能だし、それに対して理解もできる。しかし、僕自身、作品を作る際には「これはこうだ!」と断言できないものを描きたいと考えています。断言できない、何かよくわからない感情だったり、「何だこれ?」と感じてしまうもの、内側の触れてはいけない部分に手を伸ばすことを大切にしたい。

『セールスマンの死』を観れば、きっとみなさんの人生の中で得た様々な記憶が引き出され、内側が刺激されるはずです。お客さんにとって、自分の内面に目を向けるような、豊かな時間が生み出せれば嬉しいですね。

イベント情報
『KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「セールスマンの死」』

作:アーサー・ミラー
演出:長塚圭史
出演:
風間杜夫
片平なぎさ
山内圭哉
菅原永二
伊達暁
加藤啓
ちすん
加治将樹
菊池明明
川添野愛
青谷優衣
大谷亮介
村田雄浩

神奈川公演
2018年11月3日(土・祝)、11月4日(日)、11月7日(水)~11月18日(日)全12公演
会場:神奈川県 横浜 KAAT神奈川芸術劇場
料金:S席8,500円 A席6,000円 U-24券3,000円 高校生以下1,000円 65歳以上8,000円
※11月3日、11月4日はプレビュー公演

愛知公演
2018年11月29日(木)、11月30日(金)全2公演
会場:愛知県 東海市芸術劇場大ホール
料金:一般9,000円 U-25券4,500円

兵庫公演
2018年12月8日(土)、12月9日(日)全2公演
会場:兵庫県 西宮 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
料金:A席6,000円 B席4,000円
※未就学児入場不可

プロフィール
長塚圭史 (ながつか けいし)

1996年、演劇プロデュースユニット・阿佐ヶ谷スパイダースを旗揚げし、作・演出・出演の三役を担う。2008年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年、ソロプロジェクト・葛河思潮社を始動、『浮標(ぶい)』『冒した者』『背信』を上演。また17年4月には、福田転球、山内圭哉らと新ユニット・新ロイヤル大衆舎を結成し、北條秀司の傑作『王将』三部作を下北沢・小劇場楽園で上演。同年10・11月には初めてKAATプロデュース作品に演出家として参画、『作者を探す六人の登場人物』を上演した。
近年の舞台作品に、『華氏451度』(上演台本)『MAKOTO』(作・演出・出演)、『ハングマン』(演出・出演)、『かがみのかなたはたなかのなかに』(作・演出・出演)、『プレイヤー』(演出)、『はたらくおとこ』(作.・演出・出演)、『ツインズ』(作・演出)、『十一ぴきのネコ』(演出)、『蛙昇天』(演出)、など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。また俳優としても『あさが来た』(NHK)、『Dr.倫太郎』(NTV)、『グーグーだって猫である』(シリーズ/WOWOW)、映画『花筐』、『yes!-明日への頼り』(ナレーション/TOKYO FM)など活動。



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