武田砂鉄が語る不遇の時代 モテる奴らに負けないための悪巧み

24年にわたり毎週月曜から金曜まで生放送されてきたTBSラジオ『荒川強啓 デイ・キャッチ!』の後番組として、4月から新番組『ACTION』がスタートする。宮藤官九郎、尾崎世界観(クリープハイプ)、DJ松永(Creepy Nuts)、芥川賞作家の羽田圭介と、曜日ごとに異なるパーソナリティが配された番組で、金曜担当に抜擢されたのがライターの武田砂鉄だ。

武田は過剰なまでに掘り下げる考察と、触れにくいことにもズバッと切り込む批評で多数の連載を抱え、2015年には初の著書『紋切型社会』で第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞している。いわば「言葉のプロ」として活躍してきた彼は、ラジオという場でなにを発信するのだろうか。

じつはCINRA立ち上げメンバーのひとりでもあり、雑誌とラジオに支えられて青春時代を過ごしてきたという彼に、ラジオへの思いや番組への意気込みについて語ってもらった。

(パーソナリティの起用は)光栄だし、楽しみでもありますけど、恐怖心もあります。

—今回、このインタビューはCINRA.NETに掲載されるのですが、武田さんは株式会社CINRAの杉浦社長と中学高校の同級生と聞きました。

武田:そうなんです。しかも僕はCINRAの立ち上げから関わっています。大学生の頃に、それぞれの大学であんまりうまくいっていない人たちが杉浦の家の近くにあるマンション屋上のプレハブ小屋に集い、CINRAをスタートしたんです。最初はCD-Rに記事データを入れるCD-Rマガジンを出していたんですけど、その最初の数号は自分が編集長をしていました。もう15年ほど前になりますが、それがいつの間にか大きな規模の会社になり、なんだか不思議な感覚です。

—逆もそうじゃないですか。武田さんも著書で賞を獲られて、今度はTBSラジオのパーソナリティ就任ということで。

武田:いやいや。でも、お互い、当時からやっていることはさほど変わらないです。それが徐々に膨らんで、こうして取材してもらえるのは、うれしい限りですね。

武田砂鉄

—そのパーソナリティについてですが、最初に話を聞いたときの率直な感想は?

武田:学生の頃から、ずっとラジオを聞いてきたし、ライターになってから、あちこちのラジオに出演させてもらってきたので、パーソナリティをやってみたい、という思いは、当然、頭のどこかにありました。

だけど、現実になるとは考えてなくて、ましてや『デイ・キャッチ!』という、とても歴史の長い番組の後にやるのは光栄だし、楽しみでもありますけど、恐怖心もあります。ただし、「恐怖です」と言っていても仕方ないので、「さぁ、どうすっか」という現在です。

—ずっとラジオを聞いてきたと言ってましたが、どんな番組を聞かれていたんですか?

武田:実家では、朝はテレビを見ない、というルールがあったので、TBSラジオで朝の番組を聞くのが日課でした。あと、中高時代は部活をサボりがちだったので、4時くらいに帰ることが多く、テレビで『あぶない刑事』の再放送を見るか、ラジオで『デイ・キャッチ!』を聞くかを選ぶ、そんな生活をしてました。

—学生時代から『デイ・キャッチ!』を聞いていたんですか?

武田:はい、とにかくずっとTBSラジオが流れていたので。あと、音楽ではヘヴィメタルが大好きだったので、メタル界の重鎮、音楽評論家・伊藤政則さんのラジオも欠かさず聞いていました。それから伊集院光さんのラジオを録音して、自転車通学の行き帰りで聞いていましたね。

—ハガキ職人のように、ラジオに投稿もしていたんですか?

武田:政則さんのラジオには投稿していましたね。政則さんは1970年代のプログレや、ヴィンテージなハードロックが好きなので、高校生がそういうのをリクエストしたら読まれるんじゃないかと考えながら投稿してました。でも、それが採用されたんですよ。

—採用されるための投稿を?

武田:そうですね。いまだに覚えているのは、Blue Öyster Cult(アメリカのハードロックバンド、1967年結成)というバンドがいて、本当はそんなに詳しくないんだけど、「いまBlue Öyster Cultにハマってまして」って投稿したんです。そしたら政則さんは「えー、高校生がこんなの聴いてるの!?」って。狙い通り(笑)。読まれた日のカセットはいまだに実家にあります。この仕事をして、政則さんに会って、そのことを伝えたら「まったく覚えてない!」と言われましたが。

「お前は公園のブランコでいちゃいちゃしてるけど、俺はラジオで投稿を読まれてるからな!」と心の中で思っていました。

—ラジオで投稿を読まれるって、嬉しいですもんね。

武田:高校時代、モテる友だちが女の子と一緒に帰ってる姿とかを見るじゃないですか。僕、そういう出来事とは程遠い状態にあったんですけど、ラジオで読まれた翌日は心が強気でした。「こっちはラジオで投稿読まれてるからね」って。

—勝手に勝った気分になってたんですね(笑)。

武田:「お前は公園のブランコでいちゃいちゃしてるけど、俺はラジオで投稿を読まれてるからな!」と心の中で思っていました。そこでがんばるしかなかったんですよ。

—そういう意味では、ラジオが心の支えになっていたのでしょうか。

武田:そうですね、支えでしたね。だって、こっちは伊藤政則さんに読まれてんだから、って。自分のリクエストが読まれた回のテープが増えていくことがうれしくて。

—賞状をもらったみたいなものですよね。

武田:モテる彼らの価値観に合わせれば、繰り返し伊藤政則に告られてるみたいなもんですよ(笑)。あと、肝心なことを忘れてましたけど、高校時代に放送委員会もやってました。

体育科に前野先生っていう、そんなに人気のない先生がいたんですよ。体育科の教師って、生徒を引き連れるようなタイプが多いですよね。だけど、前野先生は体育科の教室で1人、パソコンの麻雀ゲームをやっているような人。僕らはそんな前野先生が好きで、独占インタビューをやったんですね。もちろん他に取材に来る競合はいないですが。コアなリスナー、というか、一部の友人が反応してくれましたね。

—当時から企画力にあふれていたんですね。

武田:深夜ラジオを聞いていた人からすれば、いかにもありがちな悪巧みだったとは思いますけどね。

—その企画力を活かす道もあったと思いますが、なぜ文筆の道に進んだんですか?

武田:当時から雑誌のコラムをいくつも読むのが好きだったんです。自転車通学のラジオと立ち読みが、いま書いていることの軸になっています。週刊誌、女性誌、ゴシップ誌問わず、あれこれ読んでいました。コラムという形態が大好きなんです。

録音した深夜ラジオを聞きながら学校に行って、帰りにブックオフに寄って、安い本を買って帰る。それが頭の中のすべてでしたし、いまもそんなに変わりはありません。

—同じライターとしては、うらやましい吸収量です。

武田:明治学院という私立の中高でしたが、東村山市という東京の郊外にあって、自分は学校の近くに住んでいたので自転車通学だったんです。だけど、多くの同級生は都会に住んでいて、中央線や西武線を使ってわざわざ郊外に登校してくる。すると、彼らはどうやら、学校帰りに女子とカラオケに行ったり、新宿で買いものをしたりしているらしい。こっちはブックオフで売られているナンシー関の文庫と『BURRN!』(ハードロックやヘヴィメタルの専門誌)のバックナンバーを買って、それこそ『デイ・キャッチ!』を聞きながら読んでいる。その落差を当時は受け止められなかったんです。

—本音を言えば、彼らがうらやましかった、と。

武田:めちゃくちゃうらやましかったですよ。なんとかしたいと頭の中では思っていた。そんな現実への抵抗が放送委員会でのインタビューだったんですけど、いつもの友人以外、ウケないんですよね。

高校2年生のときに、コントをやったらモテるんじゃないかなと思って、数人でコント同好会も立ち上げたんですよ。実際、学園祭でやったらそれなりにウケた。キリスト教系の学校だったので、チャペルの周辺で告白する人が多かったんですが、文化祭のあとにその周辺をうろついてみたんです。閑散としてましたね。

—誰かから告られることを期待して、チャペルの裏をうろついたんですか?

武田:誰かしら来るんじゃないかなと思っていたんですけど、からきし誰も来ない。たぶん、いま原稿を書いたり、ラジオでしゃべったりっていうのも、そういう原風景を引きずっているんだと思うんです。放課後、女子とカラオケに行っていた人たちに負けたくないという思いは、いまだに持ってますよ。

変わらないって、超いいじゃん、と思うんです。

—たとえば本やコラムだと、読者が能動的に選んで読むじゃないですか。でもラジオは受動的に聞いている人も少なからずいると思うんです。その違いに対して意識されていることはありますか?

武田:雑誌に書いて、他の人の記事に埋もれるのが好きなんです。たとえば誰かのエッセイ目当てに雑誌を開いた人が、隣に載っている武田鉄矢みたいな名前の人のコラムを見かける。別に熟読してもらわなくても、「坂上忍の毒舌って、結局、自分で仕切れる環境で言ってるんだから、毒舌じゃない」といったフレーズが目に入ったとするじゃないですか。

それで、もう一回僕のコラムをどっかで見たときに、「あれ? こないだ書いてた人じゃん」となる。それが好きなんです。「読んで! 読んで!」ではなく、見かけられたいんです。

—雑誌だとペラペラめくっているうちに、気になる記事が出てきますもんね。

武田:ラジオは、たまたま耳にする人も多くいますね。車の運転中にラジオをザッピングしていて、いま信号が青だから、とりあえずつけたものを聞いている人も、必ず何人かはいるわけだから。そういう出会いかたって、ものすごい贅沢だなって思うんです。

偶然、青信号が続いてお気に入りの番組に選局できなかったから、自分の話に3分間付き合ってくれた。そういう瞬間が生まれるかもしれないと考えると、すごく面白いメディアだなって思えるんです。

—僕が武田さんの文章を最初に目にしたのは、CINRA.NETのメールマガジンで書かれていた連載だったんです。それも偶然でしたけど、その頃から武田さんがやっていることは変わってないということですよね?

武田:そうですね。CINRAの初期から、もっと言えば放送委員会からも変わってないです。

—武田さんとしては、同じことをやり続けていた結果、まわりの反応が大きくなってきたという感覚なんですか?

武田:そうなんです。最近同窓会に行くと、ちょっと小馬鹿にした感じで「変わらないよね」って言われるんですけど、僕としては「それ、一番欲しい言葉だから!」って思う。変わらないって、超いいじゃん、と思うんです。やっていることが変わらないって、歳を重ねることによって自信になってくる感じがあります。当時は「チャペルの裏、誰もいないの?」って動揺してたけど。

—いま行ったら誰かに告白されるかもしれない。

武田:別にいま行っても誰もいないと思いますけど、「そのチャペルの裏に誰もいない感じ、こっちはずっとやってきましたから」っていう、その自覚は大切にしていきたいなって思いますね。当時の僕と同じように、いまもチャペルの裏で「誰もいないぞ」って思ってる高校生は絶対いると思うんです。

憧れの人に会いたいというよりも、「いつも同じことを言ってる人」に会いたいです。

—『ACTION』という番組名にかけて、考えられていることはありますか?

武田:インタビューにしろ、なにかの行動にしろ、土足で人の領域に突っ込むって、すごくネガティブなこととされてますけど、いまのメディアは慎重になりすぎ、と感じることが多いです。特に「タブーに挑戦!」みたいな大きなスローガンを掲げたいわけではないんですが、人と接するときに、違和感を覚えさせて、ざらつかせるコミュニケーションの取りかたってあると思うんですよね。

—ざらつかせるコミュニケーションですか?

武田:さっきの話で言えば、放送委員会で前野先生の独占インタビューをするという行為は、別に必要ないわけですよ。あのときに体育科のカリスマだった先生のインタビューをしていたら、たぶん職員室で聞いていた人たちの評価も得られたし、みんなも「やっぱり、あの先生すごいね」となったと思うんです。でも、そんなのやりたくなかった。

前野先生にアクションを起こしたことで、わずかかもしれないけど、「前野先生って面白いね」っていう何人かを作れた。もちろんTBSラジオという大きな媒体である以上、前野先生好きのためだけにやってたらいけないわけだけど、それは意識していかなきゃいけない部分だと思います。ラジオはテレビや新聞に比べて、前野先生的なものにシンパシーを持ってくれる人が多い媒体だと思うんです。

—そのあたりのゲストのブッキングにも、武田さんは積極的に関わっていくんですか?

武田:もちろん「こういう面白い人がいるんですよ」って提案をしてきたいなと思います。だけど、むしろ日頃いろんなインタビューを受けられている方が来たときのほうが面白いのかなって。映画の宣伝でうっかり大物の方が来ちゃったときに、どうやったら別の話が引き出せるか。そこは腕が試されますよね。そういうプレッシャーを浴びるのは、楽しみです。

—いつか会ってみたいゲストはいますか?

武田:憧れの人に会いたいというよりも、「いつも同じことを言ってる人」に会いたいですね。いまはどんなメディアでも、メジャーになっていくスピードがすごく速いと思うんですよ。そういう人って、常に同じような話をすることが多くて。そういう人に対して、どうやっていつもと違うことを言ってもらうか。そのチャレンジができたら面白いなと思うんです。

雑然をもっと増やしていけば、言えることや書けることは増えてくるんじゃないかなと思う。

—週1でラジオをやることになって、文筆業のほうに影響はありそうですか?

武田:いまのところは、いい影響しかないと思ってます。いろんな人に会って、いろんな人から話を聞いて、それぞれ感じることがあると思うので。その感度を知ることが、物を書くことに影響してくることもあるんじゃないかなって考えています。

—時間がなくなって、執筆ペースが落ちるのかなという心配もあったんですけど、そうとも限らなそうですね。

武田:確かに、いまでも時間は全然ないんですけど、ぐちゃぐちゃな状態が僕は好きなんです。こんまり(近藤麻理恵。片づけコンサルタントとして活躍)とは真逆にいたいと思っていて。家のありかたも、頭ん中も、常にぐちゃぐちゃな状態だと、その一個一個が面白くなるんじゃないかと思うんです。

—ぐちゃぐちゃな状態とは?

武田:いま自分が書いているコラムは、政治的なことを書いたり、芸能的なことを書いたり、ファッション誌で書いたり、その間にラジオをやったり、トークイベントに出たり、常にぐちゃぐちゃな状態です。

そうすると、政治的なことを書くときにインタビュー取材で誰かと話したことを抱き合わせてみようとか、送られてきたファッション誌で読んだ記事の違和感をトークイベントで話してみようとか、そういう雑然とした状態で物事を見ることが好きなんです。

かつて『週刊朝日』の名物編集長だった扇谷正造さんが、企画に困ったときに、いろんな雑誌の目次を並べて、目をつぶって左右の手で適当に指さしたそうなんです。それで「天皇制」と「おいしい朝食」が当たったから、「天皇の朝食」という企画をやってみたら面白いんじゃないか、と。そのエピソードがいつも頭にあります。そのセンスは雑誌でもラジオでも通用するんじゃないかなと思うんです。

—確かに、面白いものが生まれそうです。

武田:物書きの世界では「自分の専門分野はこれなんです」ってハッキリしている人たちが多いですよね。すごい知識量だなと思うけれど、逆に「これは自分の専門じゃない」と踏み込まないことも多いと思っています。自分は、「このテーマを書いてくれ」と言われたら、全然知らなくても引き受けて、後悔しながらも書くことが多い。でもその後悔の繰り返しが好きなんです。

この番組が始まったら、そういう場面も出てくると思います。詳しくないことでも、なんとか話さなければいけないとか、なにかとこれをくっつけて話さなきゃいけないとか。それをなんとかして乗り越えてみたいと思いますね。

—今後の武田さん個人としての目標は?

武田:ラジオのパーソナリティも、いろんな媒体で原稿を書かせてもらってるのも、こうなりたいと思ってやってきたわけではなくて、本当に受注産業なんですよね。谷川俊太郎さんがインタビューでよく「僕は受注産業ですから」とおっしゃっています。あの谷川俊太郎ですら受注産業なら、自分も受注産業に決まってるじゃん、と思うんです。

でも、その受注を受け続けていると、場所が広がっていく。さっき言った「反こんまり」「脱こんまり」の考えからいくと、更なる雑然を目指していきたいと思うんです。

自分の頭の中の本棚がもう満杯だとしても、横に挿せばもう一冊入ったり、半分出したら上にもう一冊置けるスペースが生まれる。その雑然をもっと増やしていけば、言えることや書けることは増えてくるんじゃないかなと思うんです。

—極限まで本棚を埋めていきたいと。

武田:はい。知識量ってことではなく、雑然としたい、という意味で。それが限界になったら本当にいらないものを抜けばいいと思う。まだ会社員から独立して4、5年で、本棚の雑然度が足りないと思っているんです。自分が尊敬する書き手や話し手の人たちは、「まだ本棚に詰められるのか!?」と驚かされる人たちばかりなので。雑然度をもっと濃くしていかなきゃいけないなと思ってますね。

番組情報
TBSラジオ『ACTION』

よりワクワクする明日がくるように。より楽しい日々が過ごせるように。この番組は、パーソナリティ、ゲスト、スポンサー、リスナーたちが「やってみた/やってみたい」という様々な「ACTION」を持ち寄り、呼びかけ、連鎖していくプラットフォーム。なんでも受け身じゃつまらない!「やってみたい」を「やってみる」情報エンタテインメントプログラムです。4月1日スタート。

放送時間:毎週月曜〜金曜 15:30〜17:30
パーソナリティ:
月曜日 宮藤 官九郎
火曜日 尾崎 世界観(クリープハイプ)
水曜日 DJ松永(Creepy Nuts)
木曜日 羽田 圭介
金曜日 武田 砂鉄

プロフィール
武田砂鉄 (たけだ さてつ)

1982年生まれ 東京都出身。大学卒業後、出版社勤務を経て、2014年からフリー。著書『紋切型社会』では、第25回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。連載も多数で、2月現在、cakes/女性自身/日経MJ/文學界/すばる/VERY/暮しの手帖/SPUR/SPA!/週刊現代/サンデー毎日/ヘドバン/EX大衆/一冊の本/UOMO/with/フットボール批評など。政治から、スポーツ・カルチャーまで広範囲で執筆。



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