「フジワラノリ化」論 −必要以上に見かける気がする、あの人の決定的論考− 第5回 優香 其の三 西東京アイドル成り上がり論

其の三 西東京アイドル成り上がり論

2004年、カンヌ国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞した柳楽優弥は東京都東大和市の出身である。志村けんを生んだ東村山市の隣、市内の北部に多摩湖を持つ、何てことない東京西部のひとつ。当初、柳楽優弥のプロフィールには東京都東大和市との明記があった。しかし、カンヌで賞をもらい、周辺が荒らされた頃、彼のプロフィールから東大和市は消えた。これが世田谷区だったら消えただろうか。もちろん消えなかっただろう。これが青森県八戸市だったら消えただろうか。これも多分、消えなかっただろう。東京都、だけど東大和市。だから消した、と読むのが無難である。矢沢永吉が広島から上京する、長渕剛が鹿児島から上京する、夜行バスか、はたまたローカル線で大きな駅まで出て夜行列車だろうか、地方から東京へ、そして東京で大成する、非常に分かりやすい物語である。西東京というのは、都心まで電車で数十分、生臭い数字を出してしまえば、西武拝島線「東大和市」駅から西武新宿駅までは37分である。遠くはない。近くもない。物語を付着させることの難しい距離である。カンヌという抜群の飛距離を手にしてみせた柳楽に、西武新宿までの40分足らずは、要らぬ距離となったのである。

第5回 優香

優香は、東大和市から更に西へ行ったあきる野市の出身である。横田基地を持つ福生市より更に西だ。柳楽優弥は奇しくも、沢尻エリカ主演「シュガー&スパイス」で横田基地周辺のガソリンスタンドで働く青年を演じたが、その福生よりも以西にある。いわゆる田舎だ。東京の田舎、というのは、下手な田舎よりも深刻で、田舎らしさが満ちているわけでもなく、田舎から脱却する濃度が高いわけでもない。行こうと思えば繁華街へ行けるから、ひとまず現状維持なのだ。現状維持では、都心には近づけない。東大和市とあきる野市の間に位置する武蔵村山市にある巨大ショッピングモール「イオンモールむさし村山ミュー」には、三越デパートが初となる郊外店をオープンさせていた。しかし、09年2月を持って営業を停止した。要は、郊外にはデパートは不釣り合いだったのである。まだ早いのか、いつまでも合わないのかは分からない。しかし、ダメだったのだ。賃金格差という意味ではない。意識格差なのだ。

中央線文化という言い方はサブカルのジャンルを中心によく使われるが、サブの中でのメインとしての用法が馴染んできてしまっている。中央線文化という名称は何となく「中野〜三鷹」に使われていて、まぁ中野以東は嫉妬すること無く、淡々とした対応で静観しているが、問題は三鷹より西である。あきる野市は、立川から分岐した青梅線、その青梅線の拝島から更に分岐した五日市線が乗り入れる。そこからはバスで枝葉に分かれる。例えば、新宿に11時半までいても帰ることはできる。しかし、意外な利便性はそこまでで、当該土地に刺激物は無い。下手に近いことで、その土地ならではの何がしかが形成が成されない。田舎と没個性は同義ではない。目的意識が生じない分、後者の方が深刻だ。優香はそんな所で育った。種子島出身の貧乏アイドルや広島弁を残したままのPerfumeが台頭している。地域性はむしろ加点なのだ。個性へと直結する。しかし、あきる野市ではその直結通路は使えない。原武史氏が都下の団地での閉塞感と特異なコミュニティ形成を記した「滝山コミューン一九七四」は西東京という融通の悪さから生じた過敏な過不足感を浮き彫りにさせている。そこには迫力が無かった分、反動のように深淵な混沌が書かれている。中央線的ではなく、西武線的或いは青梅線/五日市線的とはどういうことだに答えている。要するに、いるだけでは何も付着しない場所なのだ。無意識に、のっぺりとこなせる土地なのだ。

優香は池袋でスカウトされる。渋谷でも青山でもなく、原宿でもなく、池袋というのが「らしい」。あきる野市から池袋は遠い。しかし、池袋という土地に北部から流入してくる人種とあきる野市のそれはもしかしたら遠くないかもしれない。東京には近い、しかし自分のフィールドではない。近い距離だが、確かな距離はある。優香には成り上がり精神が染み込んでいない。それを自然体と翻訳するのはいささか強引である。この優香の「のっぺり性」は、土地柄と関係があるかもしれない。どこから東京を目指したのかは、最後まで当人にこびりつく。先ほど申したように、広島だ鹿児島だ(もちろん札幌だ仙台だ)というのは言わずもがなだが、静岡でも千葉でも埼玉でも、それなりの歪みを野望に変換して補正せずに持ち込んで東京へやってくる。コンプレックスの解消が前向きに発動すれば、この世界での個性となる。だけど、西東京で、それは無理なのである。立川や八王子や町田といったそれなりの拠点の中にいれば少し話は変わってくるのだが、あきる野市ではなかなか厳しい。

優香はたまにふわっと力が抜けるような表情をする。癒し系と言われていた所以でもあるが、何かその抜け方を見ると、野望が無い。とにかく無い。例えば、女性誌のトップモデルが三人並んでニヤッと笑う。もう、トップスピードで野望が疾走するわけだ。実際、それで勝ち残っていく。あくまでも仮説だが、優香の「抜け方」は西東京出身ゆえではないか。数十分で新宿へ出られる。でも、その数十分で、景色は大きく変わる。上京できない、ただし、そこにもいられない、その状態を肯定する「抜け方」、優香をちょっとそういう目で見てみても面白いだろう。

巨乳アイドルとしてデビューした優香はあるタイミングで巨乳を封印した。次回は「巨乳を隠すことで露わになるもの」と題して、巨乳アイドル論から優香を考えていきたい。



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