町田康からbetcover!!へ。約40年の表現活動で得た確信を伝える

betcover!!の音楽は、いつだって唐突だ。唐突に展開する楽曲、唐突に発せられる言葉……そのすべてが唐突で、しかし、それらが唐突だからといって、まったく奇妙奇天烈なものというわけではない。段差のない場所で転んでしまったあとのように、「そうなのだから仕方がないじゃないか」と思わせるものがbetcover!!の音楽にはある。これが人生なのだから仕方がないじゃないか、と。だから、聴き手がその人自身の人生をそれなりにでもかけがえのないものだと思っているのなら、betcover!!の音楽もまた、かけがえのないものとして響く。

受け手にそんな感覚を抱かせるという点においては、betcover!!のヤナセジロウと町田康は似ているかもしれない。今年二十歳になったばかりのヤナセと、1980年代より活動を続けてきた町田。世代のかけ離れたふたりだが、しかし時代が変わろうが人間の「存在」というのはそう簡単に変わるものではないし、それを追求する表現者のあり様もまた、普遍的なものだ。

去年、CINRA.NETでの取材時にヤナセは町田からの影響を語っており、また町田もかねてよりbetcover!!に対する興味を示していたという。そこで今回、betcover!!の1stフルアルバム『中学生』リリースを記念し、ヤナセジロウと町田康の対談を実施した。「人間」という存在が宿す悲しみ、不安、残酷さ、甘さ、そして美しさ――それらを形にし続ける表現者同士の対談、じっくり読んでください。

人間が生きて死ぬっていうだけで、それはとても重いことですから。そういうものに対して率直に向き合っている詞であり、音楽だなと思ったんです。(町田)

左から:ヤナセジロウ(betcover!!)、町田康

―まず、ヤナセさんはどういった経緯で町田さんの表現に触れたのでしょうか?

ヤナセ:僕は、1980年代くらいの日本のフォークやパンクが好きで、町田さんのことは『アース・ビート伝説'85』の映像でずっと見ていて。

町田:そうなんですね。『アース・ビート伝説』を読者のために説明すると、映画監督の山本政志という人がいて、彼は当時、じゃがたらというバンドの1stアルバム(『南蛮渡来』)のプロデューサーをやっていたんです。

そういう関係で、じゃがたらを中心に、ネパールとか海外からいろんなグループを呼んで、国内でも、彼と付き合いのあるTHE FOOLSや僕なんかも呼んでもらって、日比谷野外大音楽堂でコンサートを開いたのが『アース・ビート伝説』です。でも、僕がbetcover!!の音楽を聴いた印象では、あの辺りの音楽からの影響は直接的にはないような気がしましたけど。もう少し新しい音楽という印象を受けました。

町田康(まちだ こう)
1962年大阪生まれ。作家・詩人・パンクロッカー。町田町蔵名義で歌手活動をはじめ、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな!』でレコードデビュー。96年、処女小説『くっすん大黒』で文壇デビュー。2000年『きれぎれ』で『芥川賞』、2005年『告白』で『谷崎潤一郎賞』、2008年『宿屋めぐり』で『野間文芸賞』を受賞。

ヤナセ:僕は、子どもの頃から両親の影響でEarth, Wind & FireやThe Nolansのような音楽を聴いていて。小学生の頃にはB・J・トーマスやギルバート・オサリバンが好きだったし、音楽性的には、そういったポップスからの影響が強いんです。ただ、そういう音楽のなかに、フォークやパンクのようなものを内包したい……それはジャンルとしてということではなく、精神性の部分で内包したいっていう気持ちがあるんです。

町田:今の話を聞いて、なるほどと思いました。僕のbetcover!!との出会いはYouTubeだったんです。偶然、“平和の大使”のビデオを見て、パッと見ただけでも「これは違うな」っていう感じがあったんですよね。

最近はたくさんの音楽があって、どんな音楽を聴いても、昔に比べると技術もあるし、参照する音楽の幅も広いし、それなりのセンスのよさを感じる。でも、通り過ぎていってしまうんですよね。匿名的というか、どれも似たような感じで(笑)。なので、特に意識に残ることもなく「あぁ、いい音楽だな」くらいに聴くことが多いんですけど、betcover!!に関しては「なんか違うぞ」っていう感じがあったんですよ。

ヤナセ:ありがとうございます。

betcover!!(べっとかばー)
1999年生まれ多摩育ちのヤナセジロウによる音楽プロジェクト。小学5年生でギター、中学生のときに作曲をはじめ、2016年夏に本格的に活動を開始。同年レーベル主催企画で初ライブ、その次はロッキングオン主催の『RO JACK for COUNTDOWN JAPAN』で優勝し『COUNTDOWN JAPAN 16/17』に出演。2019年7月24日、メジャーデビュー作となる1stフルアルム『中学生』をリリースした。

町田:特に印象に残ったのは、詞のあり様です。これは文学作品ではなくて音楽の話なので、歌詞を独立させて考えるのは危険なんですけど、その前提でお話すると、「この人の詞には、なにかあるな」というのを“平和の大使”を聴いたときに直感的に感じたんです。

パッケージとしてはエンターテイメントな要素があるんだけど、内実の部分には、人間が日々生きていくにあたって感じるであろうことが表現されている。そうはいっても別に、大げさなことではなくてね。人間が生きて死ぬっていうだけで、それはとても重いことですから。そういうものに対して率直に向き合っている詞であり、音楽だなと思ったんです。今のヤナセさんの話を聞いて、自分の直感は間違っていなかったんだと思いました。

betcover!!『サンダーボルトチェーンソー』(2018年)収録曲

―ヤナセさんご自身は、歌詞に対してどのように向き合っていますか?

ヤナセ:僕が歌っているのは、根本的にはとても個人的なことなんです。僕は、父親に酒の問題があって、もう10年くらい会っていなかったり、兄には知的障害があったりして、家庭環境のなかに逃げ場がなかったんです。そんななかで、音楽を作っている間が一番楽しかった。でも、そういう僕の個人的な話は、世間には関係がないし、社会にはなにも影響を与えていないじゃないですか。

だから、僕の個人的なことを歌ったものが社会的なイメージを持てばいいなって思っているんです。僕の個人的な感覚や身内の事情が、巡り巡りって、一般論的なところにまで届けばいい。そういうことを意識しはじめたのが『サンダーボルトチェーンソー』なんですよね。あのなかで歌っているのは、ただただ家庭のことなんです。

betcover!!『サンダーボルトチェーンソー』を聴く(Apple Musicはこちら

町田:あれは家庭の歌だったんですね。今、とても重要なことをおっしゃったと思うんですけど、「個人的な歌が社会性を帯びる」というのが、まさにbetcover!!の詞だと思うんです。

一番重要なことは、言葉に嘘がないことだと思います。(町田)

町田:たとえば、ラブソングを歌ったとしますよね。そのラブソングを作った人は、特定の「君」のことを思い浮かべて詞を書き、歌いますけど、それを聴いた人が、それぞれの「君」を思い浮かべる。それが、歌が社会性を帯びる第一段階。そして次の段階にいくと、そこで歌われる「君」は、恋愛対象だけではく、聴いた人の肉親のことや友達のことにも広がったり、もっと言うと、「君への愛」が、神への愛や、他者全体への愛、世の中全体への愛へと広がっていく可能性がある。

それが、歌のよさだと思うんですよね。言葉だけでそれをやるのは難しいんです。なぜなら「言葉にする」ということは、「これって、こういうことですよね」と物事を限定して、結論に集約していく作業だから。でも、「歌う」というのは広げていく作業。だから、普遍性を帯びるんですよね。もちろん、それはどんな人にでもできることではなくて、そういう歌を歌うには、一定の条件があると思うんですけど。

―町田さんが思う、その条件というのは、具体的にどのようなものなのでしょう?

町田:いくつかあると思うんですけど、一番重要なことは、言葉に嘘がないことだと思います。「嘘がない」というのは要するに、自分が思っていることと言葉の距離の問題です。思ってもいないことを「こんなこと言ったら売れるんちゃうか」と思って言っても、それはきっと人に伝わらないんですよ。「じゃあ、人間なにかは思っているはずだから、それをそのまま書けばいいじゃないか?」と思われるかもしれないですけど、人間って、頭のなかでは実にくだらないことしか考えていないもので(笑)。

ヤナセ:(笑)。

町田:「こんなことは、果たして他人にとって価値があることなのだろうか?」というようなことしか、人は思っていないんですよ。そのくだらないことを歌詞にして、果たして人に伝わるかなと考えたときに、つい書けなくなってしまうんですよね(笑)。「歌詞が書けない」っていうのは、そういうことなんです。

自分が思っていることのくだらなさに愕然として、それ以上書けなくなってしまう。でも、くだらない気持ちはみんな抱いているものだから、それを嘘なしに書くことができれば、共感されるものになると思うんです。それが一番の条件だし、それをbetcover!!は満たしている。偉そうですけど、そういうことを僕は直感的に感じたんです。

betcover!!『中学生』(2019年)収録曲

―自分の気持ちを吐露する自己表現としての歌は、世の中に溢れているものでもあると思うんです。ただ、そのすべてが町田さんのおっしゃる「嘘のない言葉」によって綴られているかというと、そうでもない感じもします。「言葉に嘘がない歌」とは、どのような形を伴って表れるものなのでしょうか。

町田:「私は傷ついている」「私は癒されたい」とか、そんな程度のことを歌う音楽は、本当に「自分を語っている」とは言えないと僕は思いますね。それは「自分を語るということはこういうことだ」というフォーマットをなぞっているだけです。本当にキリキリと自分のことを突き詰め、自分を語るということは、一見なんのことだかわからない言葉が出てきて、そこに対する説明がなかったりする。

ヤナセさんの詞には、説明がひと言もないんです。なぜなら、説明というのは「嘘」だから。もしも、フィクションにいちいち説明が入っていたら変でしょう? 説明もなしにいろんなことが起こるから、フィクションが成立しているわけです。現実も同じですよね。結果だけが、瞬間だけが常に連続しているだけで、説明というのは事後的に存在するものに過ぎない。人は、瞬間に対して説明はしない。瞬間にあるのは、常に衝動ですよね。

ヤナセ:すごくわかります。説明している間に、曲が終わっちゃうから。

betcover!!『中学生』収録曲

町田:ヤナセさんの書く歌詞は、心のなかがそのまま説明されずに歌詞になっている。だから、信用できるんです。

人の心はいろいろですから、同じ言葉を聞いて同じことを思うなんていうことは、ありえないわけです。(町田)

町田:あと、僕がヤナセさんの歌詞で感心したのは「多声性」ですね。音楽的にも多声性は導入されていて、それによって説得力は増していると思うんですけど、言葉の面での多声性もあって。

歌詞を書こうとすると、どうしても、ひとり語り、いわゆるモノローグになりがちなんですよ。ところがヤナセさんの歌詞のなかには、「君」に語りかけている「僕」の言葉が続いたと思った次の瞬間に、「君」自身の言葉に変わっていくことがある……って、さっきから僕が勝手な思い込みで語っていますけど、違っていたらごめんなさいね(笑)。

ヤナセ:いえ(笑)。

町田:弁解しておくと、物語やフィクションを読んだり聴いたりするときに、作者に対して「これってどういう意味なんですか?」と訊くことは、一番愚かなことなんです。僕もそういう経験はあるし、友達の作家も言っていますけど、自分の小説が国語の試験問題に使われて、作者本人が間違える場合も多々ありますから(笑)。

大事なのは、それぞれの人の心にどうやって響いたか、そこから生まれるクリエイティブな読みだと思います。人の心はいろいろですから、同じ言葉を聞いて同じことを思うなんていうことは、ありえないわけです。というわけで、僕は目の前にいる作者に「それは違う」と言われようが、恐れずに言いますが(笑)。

ヤナセ:お願いします(笑)。

町田:ヤナセさんの歌詞は、ひたすら自分のことを垂れ流すのではなく、作者としての意識を持って、その世界を伝えるために立体的に「声」を積み上げている。さらに、音と言葉が一体化しているところが素晴らしいですよね。

betcover!!『サンダーボルトチェーンソー』収録曲

町田:日本語には日本語の高低があり、リズムがあり、メロディーがあるんですけど、音楽的にいわゆる洋楽の影響が大きい場合、どうしても日本語をそこに合わせようとすると難しいんですよ。つい、歌詞も「音」として捉えてしまうんですよね。音が「主」で、言葉が「従」の関係になってしまう。

でもヤナセさんの場合は、日本語の抑揚とアクセントをメロディーが裏切っていない。それができるのは音と言葉が互いに並び立ち、支え合いながらひとつのものに融合しているからです。なぜそういうことができるのか、僕はご本人に訊いてみたかったんです。

ヤナセ:今、指摘していただいた部分はすごく嬉しくて、そこは一番と言っていいくらいにこだわっている部分なんです。

町田:ほらね!(と言ってインタビュアーを見る)

―はい(笑)。

ヤナセ:(笑)。

言葉の流れも、川の流れのようなものだと僕は思っているんです。(ヤナセ)

ヤナセ:僕は曲を作るとき、メロディー先行と歌詞先行のどちらでもなくて。まず伴奏を作り、コード感を作ってから、そこに日本語の適当な言葉を当てはめていくんです。それは、ひとつずつ言葉をコラージュのように並べていく感覚で。

なので、「ここまでこういうことを言っていたのに、次の瞬間にまったく違う言葉が出てくる」みたいな脈絡のない形になるんですけど、それは決して、言葉の流れを意識していないわけではなくて。僕の住んでいる場所の近くに多摩川があるんですけど、言葉の流れも、川の流れのようなものだと僕は思っているんです。

町田:意味としては段差があるけど、言葉としては流れているっていうことですよね。

ヤナセ:そうです。なので、言葉自体は影響し合っているんですよ。全体に流れがあるから、宇宙のことを歌っていて、急にバナナのことを歌ったとしても、それによって生まれる悪影響はないんです。

ヤナセ:音楽ってイメージとして、プレイボタンがあって、そこからひとつの方向に音が流れていくようなイメージがあるかもしれないけど、僕の場合は、絵のような感覚で全方向に矢印が向いている感じなんです。そこには、ジャンルもないし、言葉の前後関係もない。上流も下流もなく、全部に流れがある感覚。

だから、全然意味のない言葉もあれば、全然意味のない曲もある。新しい『中学生』っていうアルバムには、まったく意味がない曲もあるんですよ。でも、そういう曲があることによって、他の言葉や音や曲が、「流れ」のなかで引き立つんじゃないかって思っているんです。

betcover!!『中学生』を聴く(Apple Musicはこちら

町田:もし全体に流れがなければ、本当に脈絡のない言葉の羅列になってしまって、聴き手がまとまったイメージを感じることはできない。でも、ヤナセさんは言葉に脈絡がなくても全体に流れを持っているから、聴き手がイメージできるんですね。

詞が先にできるのでも曲が先にできるのでもないというのは恐らく、言葉によってメロディーが呼び出されているし、メロディーによって言葉が呼び出されているっていうことなんですよね。瞬間的に言葉とメロディーが移動しながら、常に両者が生まれてきている。これは、作詞としては唯一にして無二の手法だと思いますし、短歌や俳句のような日本の短詩系も、そういうふうにして言葉の響きと、言葉そのものが持っている雰囲気などが連鎖しながら作られてきたんだと思います。

言葉を覚えた頃には、もう人生終わっています(笑)。でも、人間が生きるって、そういうことなので。(町田)

ヤナセ:ただ、僕は歌詞を書くことに対しては苦手意識もあって。僕は高校を半年で退学しているし、勉強ができなくて。なので、「ここはなんて言えばいいんだ?」みたいな苦しみが常にあるんですよね。ボキャブラリーが少ないんです。ホースを手で絞めて、弱い水量で押し出している感覚というか……本当はもっと全開で気持ちよく出したいんだけど、歌詞が出てこないせいで、曲が1か月くらいできないこともあるんですよ。

町田:語彙を自分のものにするには方法はひとつしかなくて、時間はかかりますけど、簡単ですよ。とにかく、本を読むしかないです。ただ、語彙って、受験勉強で英単語を覚えるようにしても身につかなくて。やっぱりバックグラウンドに自分の実感がない語彙は身につかないんですよね。自分の人生の体験と結びついたときに初めて、その語彙が自分の身に沁みてくるんです。

町田:僕なんかは、昔、落語で聞いた言葉をあとから本で読んで「あ、そういうことだったのか」って理解することも結構あって。でも、そうやって語彙を自分のものにしていくのって、4~50年かかることなんです。で、満足いくほどに語彙が身についた頃には、なにかをやる体力もなくなっているんです(笑)。

ヤナセ:はぁ……。

町田:でも、みんなそうだから仕方がないですよ。言葉を覚えた頃には、もう人生終わっています(笑)。でも、人間が生きるって、そういうことなので。頑張ってやるしかないです。

ヤナセ:はい(笑)。

僕がbetcover!!を好きになった最も大きな部分をひと言で言うと、「人間存在」に肉薄している、ということ。(町田)

―おふたりのお話を聞いて改めて思いますけど、ヤナセさんの曲というのは、どれだけ時代が変わろうとも変わらない、人間のなかにある普遍的で本質的なものを表現し得ていますよね。

町田:そうですね。いろいろお話しましたけど、僕がbetcover!!を好きになった最も大きな部分をひと言で言うと、「人間存在」に肉薄している、ということなんですよね。そのひとつの特徴として、そこには悲しみがあるんです。悲しみというか、哀弔というか、哀感というか。わかりやすく言うと、切なさですね。人間が存在しているということに当然付随する切なさが、とても甘美な形で表されていると思います。

―ただ、そうしたものは「そういうものを作ろう」と思ってできるものでもないような気がするんです。先ほどヤナセさんが語ってくださった歌詞の構造についても、狙って作り出せるものではないように思えます。表現の当事者の意識として、それはどのように向き合うものなのでしょうか?

町田:それは、表現をしている者にしかわからないメカニズムだと思うんですけど、「これを描こう」とか「こういう表現をしよう」っていうことではないです。「それは南南西からやってくる」んです、勝手に(笑)。で、それはなにかをやっていないと、やってこないんですよ。やっているから、やってくるんです。だから、やっていないとダメなんです。

なにかを見て「これをやろう」と思うのではダメで、やっているから、「なにかをやろう」と思う。少なくとも僕はそうです。だから僕は、「これによって、人にこんな感銘を与えてやろう」みたいな効果を狙った詞を読んでも、感動しないんですよね。だけどbetcover!!の音楽を聴くと、一見、意味がない言葉にもすごく意味を感じるし、リアルを感じる。感動するんですよね。

ヤナセ:ありがとうございます。

今は時代的に、現実ではないものや、「わからないもの」をわからないまま受け入れてもらえないような気がしていて。(ヤナセ)

ヤナセ:僕は最近、空想世界というか、現実世界ではないものの意味合いをすごく考えるんです。僕の歌詞は、ほとんど自分でもよくわからないようなところから生まれている感覚もあって。

ヤナセ:そもそも小さい頃から、僕はずっとイメージのなかの空想世界に現実逃避をしてきたし、未だにその世界を突き詰めて音楽にしている感覚があるんです。

町田さんが書く歌詞にも、僕は現実世界ではないものが描かれているような気がするんですけど、今は時代的に、現実ではないものや、「わからないもの」をわからないまま受け入れてもらえないような気がしていて。でも、僕はなぜ「わからない」ものを表現するのか、自分でもわからないくらいなんです。その答えを探す過程を、ずっと続けていたいっていう気持ちで今はいるんですけど……。

町田:それでまったくいいと思いますよ。ある種のフィクションを作るということは、この世に生きている僕たちが、自分の体というフィルターを通して、もうひとつの「この世」を作ることだと思うんですよね。だから、現実にどんどんのめり込んで、リアルを突き詰めていくことも、もうひとつの「この世」を作っていることなのかもしれないし、個人の世界にグッと凝縮していくことも、もうひとつの「この世」を作ることなのかもしれない。

それが、どこか甘美だったり、美しかったり怪しかったりすると、人は「そこに行きたい!」と思うわけで。そういうものを突き詰めて作ろうとすることが、表現する者のエロスや衝動として、とても大切なものだと思いますね。自分自身を振り返ってみても、そういうものを作りたいと思って、いろいろ失敗しながらやってきたんだと思います。

町田康によるバンド「汝、我が民に非ズ」の最新作『もはや慈悲なし』(2019年)を聴く(Apple Musicはこちら

―先ほどヤナセさんがおっしゃった、「わからないもの」をわからないまま受け入れてもらえない今の時代感というのは、とても感じるところがあります。町田さんが今のヤナセさんと同じ20代前半だった頃と比べても、今はかなり様子が違っているのかなと思うのですが。

町田:たしかに時代は変わりましたよね。でも、こういうことを言ってしまうのは年寄りの悪い癖で、「昔がよくて今が間違っている」なんていうことはないですからね。時代が変わると、人の心も変わるのは当たり前ですから。

―たしかに、そうですよね。

町田:ただ、それこそ『アース・ビート伝説』の頃なんかは、みんな「わからない」もののほうがなにかあるんじゃないかと思って、見世物小屋に入っていくような感覚で、わからなければわからないほど興味を持ったし、好きでしたね。情報という名の照明が不足していたので、今よりもっと世の中が薄暗かったんですよ。なんでもないゴミの山を見て「あっち行ったら素晴らしいんだろうな」っていう夢や希望を持てたんです。

でも今は照明が明るいから、「ここもゴミや、あそこもゴミや」って見えるわけですよね。で、遠くのほうに山があって、その山に行くまでにはいくつもの貧民窟があるんだけど、山頂には白亜の豪邸が立っている。その山頂だけはボンヤリして見えないんだけど、「どうやら、そこに行ったやつもおるらしい」っていう噂だけは流れている(笑)。そんな感じですよね、今は。……どうです、今はキツいですか。

ヤナセ:おっしゃるように、今は照明が明るくて世間の見通しがいいなと思うんです。でも、それだけ見通しがいいと、色の強いものしか目につかないんじゃないかっていう気がしてくるんですよね。闇だと、すべてが平等じゃないですか。でも、今の時代の明るさのなかでは、僕くらい色彩の弱い人間は見てもらえないんじゃないかっていう不安もあるんです。わかる / わからない以前に、スルーされてしまうんじゃないか? っていう。

町田:それは大丈夫ですよ。世間って、意外に公平なんです。頑張っていると、気づいてくれる人はいます。自分の知らないところで、「betcover!!、ええな」と思っている人はたくさんいると思いますよ。そういう人たちの思いが、現実的に自分に届くかどうかは別にしてね。

それに、大事なのは結局「自分」なんですよ。世の中がどうあろうと、自分が自分のやっていることに対してどれだけ真面目になれるかっていうことが、なにより大事だと思います。周りを見たら、「大したことのないやつが派手にやっているな」って思うこともあるかもしれないけど、そいつのせいで自分がどうにかなっているわけではないですから。

自分が妥協せず、ちゃんとしたことをやっているかどうか。それだけがものを表現する人間のポイントですね。結果はすぐには出ないですよ。結果というのは「売れる / 売れない」ということではなく、自分にとっての「やれたな」という実感。これはある種、人生を賭けた博打なので。それをやると自分で決めたのであれば、腹を決めて、自分のやりたいことをやっていくしかないですね。

リリース情報
betcover!!
『中学生』(CD+DVD)

2019年7月24日(水)
価格:3,564円(税込)
CTCR-14973/B

[CD]
1. 羽
2. 水泳教室
3. 異星人
4. 決壊
5. 雲の上
6. 世界は広いよ
7. ゆめみちゃった(アルバムver.)
8. 海豚少年(アルバムver.)
9. 素直な気持ち
10. 中学生

[DVD]
・“異星人”PV
・“海豚少年”PV
・レコーディングドキュメント

betcover!!
『中学生』(CD)

2019年7月24日(水)
価格:3,024円(税込)
CTCR-14974

1. 羽
2. 水泳教室
3. 異星人
4. 決壊
5. 雲の上
6. 世界は広いよ
7. ゆめみちゃった(アルバムver.)
8. 海豚少年(アルバムver.)
9. 素直な気持ち
10. 中学生

イベント情報
『1st.フルアルバム発売記念 単独公演「中二魂」』

2019年8月23日(金)
会場:東京都 渋谷WWW

プロフィール
betcover!! (べっとかばー)

1999年生まれ多摩育ちのヤナセジロウによる音楽プロジェクト。小学5年生でギター、中学生のときに作曲をはじめ、2016年夏に本格的に活動を開始。同年レーベル主催企画で初ライブ、その次はロッキングオン主催の『RO JACK for COUNTDOWN JAPAN』で優勝し『COUNTDOWN JAPAN 16/17』に出演。2019年7月24日、メジャーデビュー作となる1stフルアルム『中学生』をリリースした。

町田康 (まちだ こう)

1962年大阪生まれ。作家・詩人・パンクロッカー。町田町蔵名義で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな!』でレコードデビュー。96年、処女小説『くっすん大黒』で文壇デビュー。2000年『きれぎれ』で『芥川賞』、2005年『告白』で『谷崎潤一郎賞』、2008年『宿屋めぐり』で『野間文芸賞』を受賞。

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