imaiの音楽家人生と作家性 ひとつの機材を独自に使い倒した先で

ポップかつエキセントリックなサウンドと唯一無二のライブパフォーマンスによって、日本のインディーシーンに一石を投じた2人組ユニットgroup_inou。2016年に惜しくも活動休止してしまった彼らですが、その独自かつ中毒性の高い音楽は今なお多くの人たちに愛され続けています。今年1月にリリースされた上坂すみれのアルバム『NEO PROPAGANDA』では、4年ぶりに楽曲制作を行い話題になった彼ら。そのトラックを手がけ、現在はソロで精力的に活動しているのがimaiさんです。

KORGの名機「ELECTRIBE」を駆使しつつ、様々なジャンルを取り入れた楽曲を作り続けてきた彼のクリエイティビティーは、どのようにして培われてきたのでしょうか。imaiさんの自宅を訪れ、group_inou時代のエピソードからソロの構想まで語り尽くしてもらいました。

※この取材は東京都の外出自粛要請が発表される前に実施しました。

imai(いまい)
group_inouのTRACK担当。2017より本格的にソロ活動を開始。クラブからライブハウスまで、これまで以上に活動の幅を広げる。『FUJIROCK FESTIVAL』『BAYCAMP』『森、道、市場』『ボロフェスタ』『全感覚祭』等の大型イベントにも出演。橋本麦が手がけた“Fly feat.79,中村佳穂”のMVはVimeoの「Staff Picks」に選出、『新千歳空港国際アニメーション映画祭』の観客賞を受賞、香港の『ifva awards』で特別賞を受賞するなど、世界中で話題となっている。

ドラムに目覚め、バンドでデビューを目指していた10代。メンバーが次々といなくなるなか、imaiは音楽家人生を変える機材に出会う

1982年に神奈川県で生まれたimaiさん。小学生の頃、父親の仕事の関係でイギリスに渡り、6年生まで住んでいました。当時イギリスではJamiroquaiやBlurなどが流行りはじめていて、imaiさんも至るところで彼らの楽曲を耳にしていたそうです。帰国後は、周りの友達と一緒にJ-POPなどを聴くようになり、家では両親がカセットテープで流すサザンオールスターズやCHAGE and ASKAなどに触れていました。

「熱心な音楽リスナー」というほどでもなかったそうですが、現在に至るまでの雑多なリスニングスタイルは、この頃に培われたのかもしれないと振り返ります。

imai:高校生になる頃に、ちょうどメロコアブームが来て。友達もみんな、Hi-STANDARDをきっかけに洋楽も聴くようになったんですよ。「やっとみんなと音楽の話ができる、いい時代になってきたなあ」なんて思っていましたね(笑)。

自分もだんだん音楽にのめり込むようになっていって、運動部を辞めて軽音楽部に転部しました。先輩がハイスタのドラムをめちゃめちゃカッコよく叩いているのを見て、自分もドラムをはじめたらあっという間に上達してしまって。それまで何も取り柄がないと思っていたんですけど、ドラムに関してはめちゃくちゃ飲み込みが早かった。それで足の速い子の気持ちがわかったというか(笑)。自分が得意なことに打ち込むって、本当に楽しいんだなと思えました。

その頃には、周りの誰よりも音楽に夢中になっていたimaiさん。メンバーを半ば強制的に集め、自分の好きな音楽を「これがカッコいいんだから!」と説得して聴かせて、デモテープを作ってレコード会社へ送るなどしていたそうです。

imai:曲もほとんど作ったことないし、ドラムしかやってなかったのに、音楽の道で生きていくと決心していて。高校を出てからも大学へは行かず、バイトしながらバンド活動をやっていました。でも、そのうちに自分以外のメンバーとは温度差のようなものを感じてきて……。そりゃそうですよね、無理やりやらせているんだから(笑)。で、どんどんメンバーは辞めていってしまい、気づけばひとりぼっちになっちゃって。どうしようかなと思ったときに、当時発売されたばかりのKORG「ELECTRIBE」に出会ったんです。

imaiの自宅スタジオには、これまでに入手した「ELECTRIBE」が20台以上保管されていた
1stアルバム『FAN』(2008年)収録曲

SNSもない時代、imaiの作家性はひとつの機材を独自に使い倒すうちに磨かれていく。group_inou結成前夜の話

「ELECTRIBE」は、手軽にビートやトラックを作成することが可能なシーケンサー専用機。専門的な知識がなくても直感的に使いこなせることも特徴で、tofubeatsさんをはじめ多くのミュージシャンに愛されてきた名機です(参照:『あの人の音楽が生まれる部屋 vol.15 tofubeats』)。

imai:「あ、これを使ったらひとりで全部できるかもしれない」って思ったんです。ずっと「自分が4人いれば最強のバンドが組めるのに」と思っていたんですけど(笑)、それが現実になった気がしました。当時は、くるりやbloodthirsty butchers、USインディーの音楽と一緒にAphex Twinなんかも聴いていたので、打ち込みで音楽を作ることにも全く違和感はなかったです。

もちろん、そんなすぐには納得のいくようなサウンドにはならなかったし、「ELECTRIBE」は制約があるから、なんでもできる機材ではないんです。ただ、僕にとっては「ELECTRIBE」が最初の機材だったから比較するものもなくて。シンプルだからこそ、まったくストレスもなくすんなり使いこなせたんです。もう、楽しくて仕方なかった。それに、ちょうどその頃、rei harakamiさんが『red curb』(2001年)というアルバムをリリースして。ひとつの音源モジュールを駆使して作られたっていうので、「『ELECTRIBE』だけでも思いどおりの音楽が作れるんじゃないか?」ってかなり勇気づけられました。僕の場合はむしろ、シンセを持ったことでエレクトロニックな音楽により惹かれていったところがあったと思います。

rei harakami『red curb』を聴く(Apple Musicはこちら

imai:今は宅録をしている人どうしが作品をネットで共有できるじゃないですか。教則の動画なんかもたくさん出てくる。でも、僕がやっているときには誰とも共有できなければ、機材の扱い方について相談する人もいなかったから、そのおかげでどんどん独自のイビツな音楽に辿り着いたところもあって(笑)。だから自分にとって、当時の環境は逆によかったのかもしれない。もし自分のなかに「作家性」なるものがあるとしたら、そういったところから育まれたのだと思います。

「ELECTRIBE」でいくつもパターンを作成し、MTRに一発録音を繰り返しながら楽曲を作る日々。MIDI同期なども使わず、多少のズレやヨレは気にせずミックスした音源を、CD-Rに焼いて友人に手渡ししていました。そんなことを1年ほど続けたimaiさんが、cpさんと結成したのがgroup_inouです。

imai:実はcpには、僕がまだバンドをやっていた頃に一度声をかけられていたんです。当時の彼はUSインディーに影響を受けたような音楽を宅録でやっていて、バンドが組みたくて僕をドラマーに誘ったんですけど、そのときは自分のバンドもあったし断ったんですよね。そこから友達付き合いがはじまって、彼は他のメンバーとuri gagarnを結成しました。

まだ大学生だったときにCDデビューしたりと、結構トントン拍子で進んでいたんですけど、メンバーのひとりがアメリカに帰国しバンドが空中分解してしまって。ちょうど僕もひとりになって「ELECTRIBE」で宅録をしていた頃で、お互いやることがなかったので「じゃあ、一緒にやろうか」と。

imai:ただ、すでにバンドではお互い大変な思いもしてきたし、今さらメジャーデビューに向けてがんばるのもなあ、って。group_inouは「これで一旗あげて」みたいなことからは、一番遠いところからのスタートでしたね(group_inouは2003年に結成)。

group_inouの初期を振り返る。サポートしてくれた関係者や会場、CDデビューに至る2つの転機について

imaiさんの制作したトラックの上で、cpさんが半ばアドリブでメロディーを乗せていく。そんなスタイルでスタートしたgroup_inou。2人の「化学反応」が全てであり、「何か明確なビジョンがあったわけでも、目指していたアーティストがいたわけでもない」とimaiさんは言います。

2ndアルバム『_』(2010年)収録曲

imai:親からも「あんたの音楽は、どんな気持ちで聴いたらいいのかよくわからない」って言われていました(笑)。cpも感覚的な人だから、特定のモデルがあったというよりは2人ともただただ、やりたいことを好きなようにやっていただけなんですよ。

でもなぜかネスト(ネストは「ON AIR NEST」「SHIBUYA O-nest」「TSUTAYA O-nest」と名前が変わってきた歴史があります)の岸本(純一)さんや、当時海外のバンドを呼んでた「Dotlinecircle」や「Map」の人たち、あとは「HEADZ」の佐々木敦さんとか、そういう界隈に面白がってもらえたんですよね。

group_inou『_』を聴く(Apple Musicはこちら

imai:それで、来日イベントのオープニングアクトで呼んでもらえたりするようになりました。お客さんには全然ウケてなかったけど、共演した海外のバンドにはいつも褒めてもらえたので、それが救いでしたね。Make Believeのメンバーに気に入られて、アメリカから音源をリリースする話がきたり。それは結局ポシャっちゃったんですけど(笑)。

なかでもやっぱり、岸本さんの存在は大きかったですね。あの人が頑張って、お金にならなくても来日イベントを積極的にサポートしていたし、そのおかげで僕らも海外の面白いバンドと共演できたりして。ネストに行けば、常に面白いライブがやってましたからね。「あ、今日トクマルくん(トクマルシューゴ)がオープニングで出るんだ」みたいな。

imai:Battlesとかも初来日はネストですもんね(ヘッドライナー公演としては初となる来日公演を2004年11月にO-nestで実施。Battlesは同年1月、The Mars VoltaのSHIBUYA-AX公演にサポートアクトとして出演)。そういう、ブレイクする前の新しくて勢いのある音楽を紹介していたハコという印象でした。そういうふうにしてネストに出演させてもらっていた期間が3年くらい続いたのかな。

それでも当時はまだクロスオーバーな空気が定着しておらず、海外アーティストのオープニングアクトでgroup_inouが出るとブーイングが起きることもあったそうです。そんななか、ターニングポイントとなったのは2005年、彼らがNATSUMENとともに、とある海外バンドのオープニングアクトを務めたことでした。

imai:NATSUMENはめちゃくちゃかっこよくて、洋楽好きも「彼らは別格」と思っていたくらい人気があって。僕らはいつもどおりステージの反対側のフロアの後ろで演奏して、時間がきたので退場しようと思ったら、ステージ上で機材のセッティングをしていたNATSUMENのメンバーが、「もう1曲やれよ!」ってアンコールしてくれたんです。そしたらその場にいたお客さんが、一気に味方になってくれて(笑)。もう1曲演奏したらめちゃめちゃウケたんですよ。それが界隈で噂になり、いろんなところに呼ばれるようになりました。

『フジロック』の『Rookie A Go-Go』に出させてもらったことと、このときのことはかなりデカかったと思います(group_inouは、GELLERSらとともに2007年の『Rookie A Go-Go』の出演アーティストとして選出)。

group_inou『FAN』を聴く(Apple Musicはこちら) / 『FAN』リリース時に実施されたインタビューを読む(記事を開く

「楽しくやっていたんですけど、『儲かった!』みたいなことはなかったですね」――CD不況とストリーミング時代の狭間で抱えていた葛藤

ところが、2ndアルバム『_』をリリースした翌年に東日本大震災が起きました。

imai:“HEART”という曲のミュージックビデオを制作して、初めてプロモーションにもお金をかけて、インタビューもたくさんやって、これからというときに震災が起きてそれどころじゃなくなってしまったんです。決まっていたツアーも共演者がキャンセルになったりして。当時は若かったし、あっけらかんとしていましたけど、言われてみたら、そのあとの活動にボディブローのように効いてきたかもしれませんね。

2ndアルバム『_』収録曲

imai:僕らは全て自主でやってきて、誰かに搾取されるようなこともないし、楽しくやっていたんですけど、「儲かった!」みたいなことはなかったですね。よく人から「イノウ、売れてるじゃん」「順調でしょ」なんて言われていたし、そう見えていたのかもしれないけど、バブリーなときなんて全然なくて。

お客さんが増えていってるのに、変化がないってのはなかなか厳しかったです。それも、ある日から急にってわけじゃなく、徐々にCDというメディアが廃れていく感じだったので。でも、そのことは口に出さず、「次はこれをやろう」「その次はこういう展開で」って、前に進むことで打破しようとしていた。

3rdアルバム『DAY』(2012年)収録曲

imai:とはいえ、これだっていう解決案もなくアメなしでムチばっかりだからだんだん疲れてきちゃって(笑)……僕ら、遊びでイノウをはじめたはずなのに、なんか違う感じになってきちゃったんです。だったら、無理して続けなくてもいいんじゃないかと。それで、話し合って休止することにしたんです。

group_inou『MAP』(2015年)を聴く(Apple Musicはこちら

下の世代との交流のなかで得た気づき。週1ペースで機材を買い漁る日々を通じて、imaiはより自由に音楽に向き合うようになっていく

2016年11月27日をもって活動休止したgroup_inou。しかしimaiさんの頭のなかには、その瞬間からソロへ向けてのアイデアが次々と湧いてきたのだそうです。

imai:活動を止める話が出て、自分のなかでずっと張り詰めていた糸がパーンと切れて。そしたら「めちゃくちゃ自由だ!」ってなっちゃったんですよ、自分勝手だけど(笑)。休止した年に、中村佳穂ちゃんと仲よくなったりD.A.N.と一緒にツアーを回ったり、自分よりも下の世代と交流が深まって。音楽に対する自分たちとのスタンスの違いを思い知らされたのも大きかったですね。

彼らはとにかく音楽が純粋に好きで、「ロックスター」になりたいわけじゃないんですよ。僕ら以前の世代はよくも悪くもスターを目指している人が多かったと思うんですけど、それとは別の価値観で音楽と向き合っている気がしますね。

imai:そういう人たちと交流を持つようになって、イノウ休止前から自分のなかで沸々したものはあったと思います。休止の話し合いをした帰りの電車のなかで、やっていないことを全部ノートに書き出して、それを全て試そうと決めました。

そうやって新しく身につけたことと、この10年間やり続けてきたことを組み合わせれば、波動拳と昇竜拳を両方使いこなすみたいに、めちゃめちゃヤバイものができるはずだ、と(笑)。そこから週1くらいのペースで機材を買いまくり、自分のなかの「スタメン機材」を5台くらいに絞り込んでいました。ここ数年は派手な活動をしていなかったんですけど、そろそろ自分のなかでやりたいことも固まってきましたね。

ミュータントタートルズとKORG「MS-20」

現在はライブごとにアレンジを練り直すなど、なるべく新しいことを試して、自分をビックリさせたいというimaiさん。今までの方法論と、新たに身につけた方法論を組み合わせるという制作方法は、ある意味、2つの別々の制作スタイルを持つ2人の自分が「脳内セッション」をしているとも言えるのではないでしょうか。彼の活動は、常に「バンドへの憧れ」がモチベーションになっているようです。

imai:バンドへの憧れ、めちゃめちゃありますよ。「バンドこそ至高」じゃないですか(笑)。人間として生まれてきて、人と人が化学反応を起こすことにしか興味がない。イノウもそうだったし、今はひとりで打ち込みしてるけど、ライブをやってお客さんの反応をもらうことが全てなんです。そのためにはカタチはどうでもいい。

バンドでも全くコミュニケーションができてない人たちもいるし、打ち込みでも化学反応を起こしまくっている人たちもいる。ただ「バンドマジック」的なものへの憧れは強くて。それを打ち込みでどう起こせるかを、これからも追求していきたいですね。

2人のimaiによる「脳内セッション」が音楽に変わる、自宅内スタジオ

ここが自宅の一部屋に作られた、imaiさんのプライベートスタジオ。全ての作曲やアレンジ、レコーディング、簡単なデモミックスなどが行われています。普段の曲作りは、シンセなどを適当に弾いているところからはじまることが多いそうです。

スタジオ風景

imai:新しくシンセを買うと、その音色に触発されることが多いですね。頭のなかでメロディーを組み立てることは滅多になくて、シンセを触りながら「このコードいい感じだな」「この音色、気持ちいいな」みたいなことがとっかかりになっています。それともうひとつが、目をつぶってても操作できるくらい使いこなせる「ELECTRIBE」でシーケンスを組むパターン。この2つを融合させながら曲を作っています。

どちらか一方だと自分の納得いくところまでいかなくて。「ELECTRIBE」だけでも自分のカラーにはなるんですけど、それは13年もやってきているから自分にとって新鮮味がない。両方のエッセンスを混ぜることで、化学反応にもなるし、自分の驚きにもなるんです。

あと、自分の精神状態にも曲作りが左右されることが最近わかってきて、普段から楽しいこと、新しいことをやるように心がけています。たとえば、食べるものを毎日変える。音楽と関係ないと思うかもしれないけど、常に「新しい自分」になっていることが大切だと思うんですよね。

お気に入り機材1:KORG「ELECTRIBE EM-1」

KORGが1999年に発売した「ELECTRIBE」シリーズは、手頃な価格、シンプルな操作性、ユニークな音色など、その独特な製品コンセプトによって今なお多くのミュージシャンから愛され続けています。「EM-1」は2002年に発売されたもので、「ELECTRIBE A」(シンセサイザー)と「ELECTRIBE R」(リズムマシン)の機能を兼ね合わせたモデル。シンセ、リズムマシンともにPCM音源を採用しています。

imai:シンセの音色がモノで同時に2種類しか使えなかったり、リズムのパターンもあまり細かいことはできなかったりするんですけど、当時は全くストレスを感じませんでした。それに、限られた機能のなかで工夫してトラックを作ることが、今考えればオリジナリティーにつながっていたのかなと思いますね。

4thアルバム『MAP』収録曲

お気に入り機材2:KORG「MS2000R」

KORGのMSシリーズでは、1978年に発売されたパッチ可能なモノフォニックシンセ「MS-20」が、その優れた機能と高いコストパフォーマンスによって「シンセの名機」として知れ渡っています。「MS2000」は、その名のとおり2000年に発売されたアナログモデリング方式のシンセ / ボコーダー。4ボイスのアナログモデリングシンセシスを採用し、MOD SEQUENCE機能やアルペジエーターなども搭載した自由度の高い音作りが特徴です。

imai:友達が鍵盤付きの「MS2000」をライブで使っていて、めちゃくちゃカッコよかったんですよ。ずっと欲しいと思っていたら、秋葉原の中古楽器屋さんに格安で置いてあって「これは出会いだな」と思って即購入して、裸で自転車のカゴに入れて持ち帰りました(笑)。

それはもう壊れちゃったので、ラック式の「MS2000R」を新たに買い直し、今はメインで使用しています。最近だと踊Foot Worksに提供したトラックは、ほぼこの音源で作りましたね。

踊Foot Works“GIRA GIRA NEON”(2019年)を聴く(Apple Musicはこちら

お気に入り機材3:Roland「TB-03」

独特のうねるようなクセのあるサウンドで、発売してから30年以上経った今もあらゆるジャンルで活躍している歴史的名機「TB-303」。その世界観をACBテクノロジーで再現したのがこの「TB-03」です。手のひらサイズですが、TB-303の挙動とサウンドを忠実に再現。実用性を重視し、機能性もアップしました。

Roland「TB-03」

imai:僕、メインで使っている人があまりいない音源が好きなんです。でも、この「TB-03」のオリジナルの「TB-303」はアシッドハウスなどでも使われる、世界一有名なくらい名機で。そういうベタベタな音色を自分のトラックに混ぜたらどんな感じになるかな? と思って試して成功したシンセのひとつですね。一時期の曲には必ずこのシンセの音を使っていました。最後にひとつのせて完成させるみたいな、プチトマト的なイメージです(笑)。

Roland「TB-03」

お気に入り機材4:YAMAHA「DX21」

YAMAHAのDXシリーズのなかでも、ひときわ個性派として知られる「DX21」。デジタルサウンドの代名詞であるFM音源を2種類同時発音させるデュアルモードを駆使すれば、きらびやかななかにも厚みや奥行きのあるサウンドが得られるのが特徴です。

YAMAHA「DX21」

imai:これは最近購入しました。YAMAHAのシンセってずっと使っていなかったけど、中古屋でよく見かけて気になっていたんですよね。DXだとやっぱり「DX7」が有名だから、あまり他の人が使っていないだろう「DX21」にしてみました(笑)。

サイズ感もいいし、たしか3000円とかで手に入れたのかな。音もFM音源ならではのコロコロした可愛い音で。今まで使っていたシンセとは違って、トランペットとかマリンバとか既存の楽器を模したプリセット音がたくさん入っていますね。そういうのを使うことって今まで得意ではなかったのですが、これは結構自分の曲になじむ音色が多くて気に入っています。

YAMAHA「DX21」

group_inou時代に培ったスキルと、新たに取り込んだ手法を「脳内セッション」させながら、自分自身をも驚かせるような音楽が作りたいと話してくれたimaiさん。今後彼が、どのような音楽を生み出してくれるのか楽しみでなりません。

プロフィール
imai (いまい)

group_inouのTRACK担当。2017より本格的にソロ活動を開始。クラブからライブハウスまで、これまで以上に活動の幅を広げる。『FUJIROCK FESTIVAL』『BAYCAMP』『森、道、市場』『ボロフェスタ』『全感覚祭』等の大型イベントにも出演。橋本麦が手がけた“Fly feat.79,中村佳穂”のMVはVimeoの「Staff Picks」に選出、新千歳空港国際アニメーション映画祭の観客賞を受賞、香港の『ifva awards』で特別賞を受賞するなど、世界中で話題となっている。



フィードバック 55

新たな発見や感動を得ることはできましたか?

  • HOME
  • Music
  • imaiの音楽家人生と作家性 ひとつの機材を独自に使い倒した先で

Special Feature

Crossing??

CINRAメディア20周年を節目に考える、カルチャーシーンの「これまで」と「これから」。過去と未来の「交差点」、そしてカルチャーとソーシャルの「交差点」に立ち、これまでの20年を振り返りながら、未来をよりよくしていくために何ができるのか?

詳しくみる

JOB

これからの企業を彩る9つのバッヂ認証システム

グリーンカンパニー

グリーンカンパニーについて
グリーンカンパニーについて