箭内道彦×今日マチ子 藝大で学んだ、個人と向き合うもの作り

ものを作る上で大切なこととは。「風とロック」のクリエイティブディレクター箭内道彦と、漫画家・今日マチ子が対談。在学時期こそ違うものの、ともに東京藝術大学の卒業生である二人。その対話の中で浮き彫りになったのは、アートの存在意義であり、二人に共通するもの作りの基本姿勢だった。

※この取材は東京都の外出自粛要請が発表される前に実施しました。

自分のできることを模索した。二人が学生時代を回想

―箭内さんと今日マチ子さんは、今回が初対面なんですよね。

今日:きちんとご挨拶するのは初めてなんですけど、実は博報堂の入社試験の面接でお会いしてると思うんです。

箭内:え! 博報堂の入社試験を受けていたんですか?

今日:金髪の派手な方が作品を見てくれて、もしかしたら箭内さんかも? と思ったのですが、緊張しすぎていて、ちゃんと顔も見られず……。もちろん箭内さんのことは存じ上げていたのですが…(笑)。

箭内:金髪の派手な方、きっと僕ですね(笑)。改めてよろしくお願いします。

箭内道彦(やない みちひこ)
クリエイティブディレクター。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」、リクルート「ゼクシィ」、サントリー「ほろよい」等、数々の話題の広告をディレクション。「月刊 風とロック」発行人、福島県クリエイティブディレクター、渋谷のラジオ理事長、2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場した猪苗代湖ズのギタリストでもある。東京藝術大学 学長特命・美術学部デザイン科教授。

―お二人とも東京藝術大学(以下、「藝大」)の卒業生でもあると思いますが、箭内さんは現在、藝大の教授であり、広報ブランディング戦略の担当もされているんですよね。広報に関してはどんなことを考えているのでしょうか?

箭内:まず最初に、「藝大とはなにか」を考えるきっかけとしてタグラインの募集をしました。教職員、学生、OB、いろんな人に、それぞれが思う藝大を一言で表現してもらったんです。結果として、230を超える応募の中から、「才能の森、創造の泉」という応募作をブラッシュアップして「世界を変える創造の源泉」というタグラインに決まりましたね。

藝大タグライン冊子『GEIDAI is ○○』

―ホームページのコンテンツも手がけているんですよね。

箭内:芸術家の卵である藝大生の親御さんに登場していただき、さまざまな苦労や思い出、人が芸術を志す過程を親目線で語ってもらう「藝大生の親に生まれて」、藝大の著名な卒業生に直系の現役藝大生がインタビューをする「藝大人たち」、あとは、藝大の理事であり、NHKでクローズアップ現代という番組を担当されていた国谷裕子さんが藝大の教授を訪ね、深掘りしていく「クローズアップ藝大」っていう企画も……。

―オマージュですね(笑)。

箭内:ちゃんと国谷さんの承認を得ましたよ(笑)。藝大の財産は人。面白い人がいっぱいいるということを伝えたいから、人を伝えるコンテンツを作っているんです。少し前に『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』(二宮敦人 / 新潮文庫)っていう藝大の本が話題になって、卒業生の大半は行方不明である……みたいな帯が書いてあったんですけど、ちゃんと所在のわかる人がたくさんいるんですよ、と。

今日:私もその本にコメントを寄せて、売るのに加担しちゃってました(笑)。

箭内:あ、そうだったんですか?!(笑)でも、はみ出しているところを丸くしない、というのも藝大らしさですからね。

―お二人は、学生時代にはどんなことを学んでいたのでしょうか?

箭内:僕は3浪してデザイン科に入りました。当時のデザイン科は倍率が50倍。3浪もすると「合格して藝大生になること」が最終目標みたいになっちゃって、合格したら目標を達成した気になって、いつのまにか4年経っちゃいました。「自分にしか描けない絵・デザインってなんなんだ?」っていろいろ試すんだけど、全部誰かがやったなにかに似てたりして、もがきながら逃げながら、広告の世界にたどり着いたという感覚です。

―もともとは「広告の道に進む」という強い意志を持っていたわけではなかったのでしょうか?

箭内:いえ、広告をやろうと思っていました。当時は「芸術はわかる人にだけわかればいいものだ」という風潮があって、それが嫌だったから、たくさんの人が笑顔になる仕事のほうがいいなって。ある意味、芸術への反抗で広告の道を選んだんです。

―芸術の権威的なところに反発していたんですね。

箭内:自分の置かれた場所に文句をいったり、反抗したりするのが好きだったんですよ。当時は就職するよりも、パンの耳をかじってでも自分の作りたいものをを作る人が圧倒的にかっこいいっていう空気も強くありました。僕自身はそれを選ばなかったし、選べなかったんですよね。

―今日さんはどんな学生だったのでしょう?

今日:私は先端芸術表現科でした。実際に入ってみると、他の学部と違って新しい学科なのでシステム自体がまだ確立されていなくて、先生方が新しいなにかをしようとするたびに学生が反発するみたいな構図になっていましたね(笑)。ひたすら誰かと誰かが対立していた記憶があります。

今日マチ子(きょう まちこ)
漫画家。1P漫画ブログ「今日マチ子のセンネン画報」の書籍化が話題に。4度文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出。戦争を描いた『cocoon』は「マームとジプシー」によって舞台化。2014年に手塚治虫文化賞新生賞、2015年に日本漫画家協会賞大賞カーツーン部門を受賞。短編アニメ化された『みつあみの神様』は海外で23部門賞受賞。近著に『センネン画報 +10years』『もものききかじり』『ときめきさがし』等。現在『かみまち』をグランドジャンプで連載中。

―混沌とした状況だったんですね。

今日:やる気があったからこその対立、ともいえるんですけどね。私は当時、自分になにができるのか模索していて、イラストと作文が好きだったので、今でいうZINEを作っていました。2年次以降の課題はすべてそれで通して卒業したんです。デザイン科はみんな仲がよくて、すごく羨ましかったのを覚えています。

箭内:僕が通っていた当時もデザイン科は仲がよかったですね。みんなで旅行に行ったりもしてました。ただ、仲はよくても、「自分にはなにができるんだろうか? なにもできていないな」って毎日突きつけられる感覚はありました。だから僕にとって、藝大ってなにかを教えてもらう場所というより、ヒリヒリとした感覚とともに自分に向き合う場所だったんですよね。

芸術の役割。社会で当然になっているレッテルを疑う視点を提供する

―作品を作るために、自分と向き合うことも多かったと思うんですが、お二人は当時から、今の自分の姿を想像できていましたか?

箭内:数年に一回、藝大の同級生と30人くらいで集まって焼き肉を食べたりするんですけど、「箭内はあの頃から『紅白歌合戦』に出るっていっていた」みたいにいわれたことがあるんです。それ、自分では全く覚えてないんだけど、大口叩いてたら、結果的につながっていったということなのかも。

今日:箭内さんは一貫されているんですね。私が漫画を描き始めたきっかけのひとつは、藝大の卒業制作なんです。卒業制作って、普通は友だちとか後輩とかいろんな人に手伝ってもらって仕上げるものなんですけど、私は誰にも声をかけられなくて、お金を払って便利屋さんを雇ったんですよ。人と関わるのがとにかく苦手で……。でも、逆に、できるだけ人と関わらず、自分一人の手のひらでなにかを生み出すためにはどうしたらいいのか? を考え抜いたからこそ、漫画を書いてインターネットで発表する、という道を見つけられたんです。

箭内:卒業制作の存在って大きいですよね。そこでの悔しさがその後の自分に影響を与えていく。僕の卒業制作はダメダメだったので、自分の中ではモヤモヤとして残っていました。藝大の卒業制作って各科ごとに毎年一つだけ、主席の作品が藝大の美術館に所蔵される「買上げ作品賞」という賞があるんですけど、そこで選ばれていたら違う人生だっただろうと思います。卒業制作が不完全燃焼のまま終わったからこそ、その仇討ちみたいに、今でも作品を作るときには卒業制作に取り組んでいるような感覚なんですよ。

―「藝大」という共通点の他に、お二人の共通点として社会的なテーマを扱っている部分があると思います。 今日さんは『COCOON』(秋田書店)で戦争を描いていて、箭内さんは東日本大震災以降の福島と向き合っています。このようなテーマを扱うことになったきっかけを教えてください。

今日:私はすごく怖がりなので、戦争を題材にした作品は元々苦手だったんです。それなのに、小学生の頃は図書室で戦争の資料を読んで研究していました。怖さと興味がどちらもあったんでしょうね。もともと自分の作品で取り組むということは考えていなかったのですが、沖縄出身の編集さんに出会って、その方がどうしても戦争をテーマにしたいと話してくれたことがきっかけで『COCOON』を着想しました。執筆にあたって取材もしたし、文献にあたりましたが、史実に忠実に、ということではなく、あくまで物語として描いてます。

今日マチ子『COCOON』

―戦争というテーマを伝えなきゃいけない、という思いを持つようになったのでしょうか?

今日:いえ、そういうわけではないんです。『COCOON』はひめゆり学徒隊の少女たちをモデルに描いているんですが、「戦時下の少女たち」という存在は、「悲劇のヒロイン」のようなすごく偏った認識で捉えられることがあって、それは漫画家としても、女としても、すごく違和感を抱いていました。それを変えたい、自分だったらこうしたいっていう思いをぶつけた感じですね。戦争を描いた作品がなんで苦手なのか編集さんと一緒にずっと考えていて、「悲劇の少女」という型がまずあって、そこに押し込もうとしていることが問題だって気づいたんです。

―なるほど。カテゴライズされることで、当事者が実際にそこでそのとき感じたはずの気持ちが蔑ろになってしまう、という。

今日:一つのラベルだけペタっと貼られて、生活とか思想とか、他のものは全部なかったことにされるんですよね。戦死者だってそれぞれに異なる生活や感情があったはずなのに、みんな一括りに「悲劇の人」みたいになるのが嫌だったんです。自分がその人だったら、「全然違うよ」っていいたい、というところから始まってるんです。

―箭内さんは震災以降、福島と向き合い続けていますが、最初にやろうと思った理由はなんだったんですか?

箭内:自分の故郷だから、ですね。それだけなんです。震災が起こる数年前、「福島が嫌いだ」みたいなことを歌にしたり、インタビューで話したりしていたんですけど、結局「嫌い」っていうのは愛情の裏返しだったし、そんなふうにいってるのに故郷が大怪我したときに知らんぷりするのはおかしいなって。

猪苗代湖ズ“I love you & I need you ふくしま”MV

―そういった社会的なテーマを扱う上で、芸術が重要な役割を持っているのかもしれません。

箭内:そうですね。今は、芸術の役割が重要になっていると思うんですよ。誰もが、「好き」「嫌い」「賛成」「反対」という自分の意思を表明しやすい時代になっているから、答えが簡単にまとまりにくい。例えば壁を塗り直そうとしたときにある人は「赤だ」っていってて、別の人は「黄色にしたい」っていってて。でも赤になったら黄色の人たちはイライラするし、黄色になったら赤の人たちはふてくされる。黄色と赤を混ぜてオレンジにすればいいのかっていうと、それは両者がモヤモヤして終わる。そこで、「ちょっと待って。水色にしたらどう?」とか、「そもそも別のかたちにしてみない?」っていえるのが、芸術の力だと思うんです。全く別の角度から新しい考え方を提案して前に進めるというか。

―理屈だけでは伝わらないことを、芸術が代弁してくれる、ということですね。

箭内:そうですね。以前、藝大の広報誌の企画で教授たちへ「藝大生とは?」「藝大らしさとは?」っていう二つの質問が投げかけられたことがあるんです。僕は、藝大生は「アカデミック・バット・パンク」で、藝大らしさは「括らないこと」って答えました。だから今日さんが先ほどおっしゃったみたいに、レッテルを貼らない・括らないってことが、もしかしたら藝大で学んだことの特徴であり、芸術というものの重要性なのかもしれません。

上野キャンパスにて無料配布中の藝大広報誌『藝える(第6号)』

―先入観を取り去って考えるということですよね。そのためには、そこに生きている人、起きていることをしっかり見つめることが大切なんですね。

今日:私は基本的に、他の人がなにを考えているかわからないと思っているんです。だからこそ、じっくり考えるっていう部分がありますね。実際に付き合いのある人からも「人のこと考えてない」ってよく怒られていて、ほんとすいませんっていつも思いながら生きているんですけれど、それゆえに作品を描くときには、その個人がなにを思い、どう行動するかを全力で考えます。

―例えばそれは、登場人物の生活や性格について想像するというようなことでしょうか。

今日:漫画の中なので、こういう出来事があったらこう反応するだろうっていう、ロジカルな部分はあるんです。だから最初のキャラ設定である程度決まるんですが、それでもやっぱりもう一段深く考えるというか、理論上はここで悲しむべきだけど、本当の人間だったらここで悲しまずにもう一歩先で悲しむかもしれないとか、逆に怒るかもしれないとか。それを自分に当てはめてみたり、あの人だったらどうだろうって考えてみたりしていますね。

今日マチ子『COCOON』の一場面 ©今日マチ子(秋田書店)2010

大勢のためではなく、たった一人のためのもの作り。そのために、表面的ではない美しさをより深く探る。

―今日さんのデビュー作『センネン画報』(太田出版)を読んでいると、なんでこの作品はこんなに自分のことを知っているんだろう、って気持ちになったりするんですよね。

今日:よくそういっていただくんですけれど、私は人を全然わからなくて、それが怖いんですよ(笑)。人間の脳って無限にいろんなことを考えられるじゃないですか。すべての人が、それぞれに無限の考えを持っていると思うと、途方もない気持ちになっちゃうんです。

―そういうことをひたすらに想像してるんですか?

今日:人を描くために、それ以外になにができるだろう? って思っています。

今日マチ子『センネン画報』

―箭内さんの手がける広告も、人を平面的に捉えて情報を伝えるというよりは、一人ひとりに語りかけているように感じることが多いです。

箭内:みんなを笑顔にしたいって話を最初にしたけれど、「みんな」を思い描いても、実際はそこに誰もいなかったりする。すごくあやふやなんですよ。でも誰かたった一人に伝えたいものを作ったほうが絶対に届くし、そのたった一人は自分自身なのかもしれない。自己満足ってことじゃなくて、自分が驚いたり、ドキドキできるかっていうところが、一番確実な心理じゃないですか。今年の『アカデミー賞』で「作品賞」を受賞した『パラサイト』のポン・ジュノ監督も、スピーチで「最も個人的なことが、最もクリエイティブなことだ」っていうスコセッシ監督の言葉を引用していましたね。

今日:大勢にウケるために、みたいな欲を持つと、結果として誰にも届かないってことはよくありますね。誰かに向けて描くにしても、本当に1人に向けるとか、自分と向き合う時間が作品作りになっていくんだと思います。ただ、私の場合、自分に向けてなにかを作るとどこまでも孤独なほうへ行ってしまうんですよね。

―『センネン画報』のあとがきに、「言葉にならないきらめきや揺らぎを 描いていく」って書かれていますが、今日さんのようにとことん一つに向き合うから描かれる美しさがあるのだと思いました。

今日:そんなにポエティックな人間というわけではないんですけれど、とても地味に、小さい世界で暮らしているので、その中からどう美しいものを見つけていくか、どう切り取っていくかを、こういう人生だからこそやらなければならないって真剣に考えているんです。その切り取り方とか、美しさの測り方は藝大で学んだものですね。

ずっと一人でやっていたらもっと表面的な美しさだけ切り取ってしまっていたんじゃないかな。一見醜いものの中にも美しさはあるから、そこのラインを探すとか。「美とはなにか」とか、おおよその人が納得する美の見つけ方を、知らないうちに藝大でトレーニングされていたんだと思っています。

今日マチ子『センネン画報』の一場面 ©今日マチ子 / 太田出版

―感傷を表現するテクニカルな領域を学んだ、という。

今日:そうですね。こういうこというのは余計かもしれませんが、私が『センネン画報』を出したあと、この作品に影響を受けたというか……これ真似してるな、みたい漫画がたくさんあったんです。でも、それはすごく表層的なレベルでの抽出でしかなくて、海辺で女子と男子が手を繋いでればいいみたいな。使い古された美しさみたいなものをみんなが持ち出していて、それに対して違和感があったんですよね。

―むしろ、そうした表面的な美しさに対する抵抗があったわけですもんね。

今日:そうですね。そうした姿勢は藝大の先生たちから「これは美しくない」など、厳しい指摘も受ける講評の中で学んでいたと思います。自分の作品だけじゃなくて、人の作品に関してもなにがダメだったのかを聞いているわけじゃないですか。それでやっぱりここが美しくないと映るんだなっていうのを、ちょっとずつ蓄積していったんです。その期間がなかったら、自分の美の基準ってもっと曖昧だったかもしれません。

箭内:自分の作ってるものが、人から見たらよくないとか、足りないとかって、最初は衝撃ですよね。講評の中で謙虚になったって話をされていましたけど、自信を持って突っ走る部分と、グっとブレーキをかける二つの感覚がどっちもあるんです。ブレーキを思い切りかけながら、自転車をめちゃくちゃ漕いでいるみたいな。「違うかもしれない」っていう心配と「絶対伝わる」っていう確信をどっちも持ちながらやっているので、主観と客観を往復する、すごく遠くを見るのと近くを見るのを同時にやる、体に悪い作業をし続けるんですよね。

―それを大人になっても、ずっと続けているってことですか?

箭内:あれだけ植え付けられたら抜けないよね。

今日:そうですね。今も描き終わった瞬間は達成感があるけど、すぐに「こうしたらよかったな」とか反省をします。読者はみんな褒めてくれるんですよね、基本的には。でも、そこで調子に乗ったら絶対にダメで。そこで考えることをやめるとみんなに喜ばれるものしか描かなくなっていくのがわかっているので、読者の言葉はデザートのようなものとしてありがたくいただいて、後はひたすら自分の中でダメ出しを続けます。

―常にそうした自分を信じながら疑い続けるようなもの作りを続けていて、 ふっと力が抜けちゃうときってありませんか?

今日:ありますよ。私は調子が悪くなると、ファイナンシャルプランナーの試験を受けたくなるという、よくわからない癖があって。資格のユーキャンとかのホームページを見て、もう一つの自分の人生を想像するんです。自分は普通にしているつもりでも一般的にイメージされる会社員とはやはり少し生活スタイルも異なるので、たまに弱ってしまうと、途端に不安が出てきます。

―それで、今の自分とは違う可能性を想像するんですね。

今日:そうですね。本来、私は作ってないといられない人間なんです。でも、作るってことから完全に離れる人生を想像してみるんです。途中で、ファイナンシャルプランナーと気象予報士で迷いだすっていう段階があるんですけど、当然ですがどちらも簡単になれる職業ではないので、それで悩むなら早く原稿を上げろよってまた自分にダメ出しをしておしまいになるんです。自分の中でいろんな会話が常に渦巻いてるという感じですね。

箭内:すごい。そんなことを妄想するんですか。

―箭内さんも、逃避しちゃおうかなみたいなことってあるんですか?

箭内:僕は「自分のやっていることは全て広告だ」って考えて、いろんなことをやっているので。ずっとテレビCM考えてるだけじゃなくて、バンドをやるスタジオに逃避することもあるし、ラジオ局に逃避することもあるし、なんだかんだうまくいってると思います。出かけていって帰ってきてフィードバックする、その繰り返しですね。テレビCMだけ作ってろっていわれたらもう行き詰まってると思います。

―今と全然違う仕事をやれといわれたら、なにをやりたいですか?

箭内:できないと思います。生まれ変わっても藝大を受けたいし、生まれ変わっても博報堂を受けたいし、今のように働きたいですね。

サービス情報
東京藝術大学

東京藝術大学が運営するウェブサイト。箭内道彦がコンテンツのディレクションをして、藝大生の親の苦労が語られる「藝大生の親に生まれて」、藝大の卒業生に現役藝大生が話を聞く「藝大人たち」などの企画がある。

プロフィール
箭内道彦
箭内道彦 (やない みちひこ)

クリエイティブディレクター。タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」、リクルート「ゼクシィ」、サントリー「ほろよい」等、数々の話題の広告をディレクション。「月刊 風とロック」発行人、福島県クリエイティブディレクター、渋谷のラジオ理事長、2011年大晦日のNHK紅白歌合戦に出場した猪苗代湖ズのギタリストでもある。東京藝術大学 学長特命・美術学部デザイン科教授。

今日マチ子 (きょう まちこ)

漫画家。1P漫画ブログ「今日マチ子のセンネン画報」の書籍化が話題に。4度文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出。戦争を描いた『COCOON』は「マームとジプシー」によって舞台化。2014年に手塚治虫文化賞新生賞、2015年に日本漫画家協会賞大賞カーツーン部門を受賞。短編アニメ化された『みつあみの神様』は海外で23部門賞受賞。近著に『センネン画報 +10years』『もものききかじり』『ときめきさがし』等。現在『かみまち』をグランドジャンプで連載中。



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