あなたの「生き様」に問いかける、絶望と希望の放物線

回を重ねる毎に熱狂的なファンを増やし続けてきた『SRサイタマノラッパー(以下SR)』の3作目にあたるシリーズ最新作が、遂に公開される。制作準備段階の情報を聞く限りでは、「早く観たい!」などと能天気に喚いていられるような状況には程遠く、むしろ「…本当に撮れるのか??」とこちらも不安になってしまうぐらい無茶な規模での撮影が企画されていた。いち早くその危機的な情報を聞きつけた多くのコアなファン達が、「最新作を観たい!」というイノセントな激情に突き動かされて、ボランティアスタッフとして参加したり、撮影に使用する大道具から小道具までを持ち寄ってもなお、本当に完成するのかどうか判らない…。最後の最後まで暗雲立ちこめる中を、スタッフと周囲のファン達の熱量で乗り切った結果、埼玉の野外で行われたフェスシーンを含む、インディーズ映画としては異例の大規模作品となったのが本作である。



「サイタマ」の「ラッパー」というぐらいだから、第一義にはこのシリーズは確かに「ヒップホップを通した若者の物語」だ。彼ら彼女らは、我々と同様に特殊なタレントや環境に恵まれた人間ではないために、誰もが味わうようなビターな挫折を味わい、自分の思い描いていたものとは異なる現実に打ちのめされる。SRシリーズとは、我々と同じようにそうした絶望の中で無様にもがく「持たざる者たち」が、現実という名の暗闇の中に一縷の光を見いだす瞬間の美しさを捉える物語である。

例えば、記念すべき第1作目で、主人公であるIKKUが、借り物ではない自分自身の「ヒップホップ」を掴まんとする「あの伝説の」焼肉屋シーン(埼玉県深谷市にあるこの焼肉屋は、ファンの間では聖地として知られている)。例えば、SR2の主人公である女子ラッパーグループ「B-Hack」の(元)メンバー達が、IKKUらとのフリースタイルバトルを通して、ヒップホップの楽しさを体験する印象的な河原のシーン。劇中の全ての舞台装置、全ての台詞、全ての表情が、そうした一瞬の輝きの為に過不足無く配置してある。漫画『美味しんぼ』の主人公山岡士郎は、夫婦喧嘩から国際問題まで何でも「食事」で解決してしまうが、SRでは「歌」に救われたりする場面は出てこないし、そもそも期待/想定通りに世界が変わる事などほとんどないという現実に向き合い、それを冷徹に描き出しているという点において、「ポスト山岡士郎メソッド」を産み落としてしまったのだ。ビターな体験の只中にいる主人公が、もがきながらも少しだけ前に進むとき、最終的に(世界そのものではなく)世界の見え方が少しだけ変わって見える。そんな誰にでも経験のある出来事を瑞々しく描くのが、SRシリーズである。それは言い換えるのならば、第三者=世界にとっては取るに足らないような些事も、主観においては世界を変える力があるという、個人の物語の強さを謳っているシリーズであるということも言えるだろう。「ラップ」にも「埼玉」にも興味が無いのなら、「ヒップホップ」をあなたにとって大切な他の何かに、「サイタマ」をあなたの住むどこかに置き換えてみよう。現に、熱狂的なファンの中には、「ヒップホップ」に全く関心を持たない人も大勢いる。このシリーズが多くの人に支持された所以は、ひとつにはそうした普遍性に由来するのである。



そんなSRシリーズを、若者の滑稽さを嗤うコメディだと捉える方々(そして勿論その見方だって間違っているわけではない)にとっては、本作のストーリーが過去3作と比べて異質であると感じるかもしれない。本作の主人公=マイティは、前述のSR1の主人公IKKUらによるヒップホップグループ「SHO-GUNG」に在籍した、能天気ではあるが憎めない後輩ラッパーで、SR1の後、本格的に音楽に打ち込む為上京していたのだが、そんな彼が本作ではとんでもない窮地に追いやられてしまう。それはもはや「ビター」という言葉では済まされない、「生」と「死」を賭けた本物の「絶望」で、その現出が主にマイティの主演シーンにおける作品のテイストを、前作までのものとは大きく異なる不吉なものとして見せる。

その「絶望」の背景となった俳優陣の名演にまず触れたい。美保純の外面のよい阿婆擦れっぷりや、永澤俊矢演じる自動車工場の親方の禍々しい存在感もさることながら、特筆すべきはガンビーノ小林。日常生活では絶対に出会いたくない極上の因果者(©根本敬)を見事に演じた結果、田舎のプチ権力者の持つ暴力性、醜悪な政治を映画の中に息づかせてみせた。また、『ムカデ人間』への出演が話題となった北村昭博は、粗暴な徒弟制度を持つハードコアラップグループ「極悪鳥」の中で、傍若無人に振る舞い、薄汚い品性を曝け出す好演を見せている(本人に愛嬌がある分、余計怖い)。こうして「もう永遠に逃れられないのではないだろうか…」と不安になってしまう程、深い外堀が「絶望」に埋め尽くされていく様を、例えばマイティが田舎のキャバクラのカウンター上で激しく踊らされるシーンが印象的に表現している。そのとき、彼はそれを断る勇気も権利も奪われているのだ。滑稽さと醜悪な人間関係の軋みが噴出しているこの名シーンに代表される数々の恐ろしいシーンで、こうした悪役達の名演によって、ずっしりと重たい「絶望」が、無力なマイティの周りを執拗に埋め尽くしていく様を確認する事になるだろう。

『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』©2012「SR3」製作委員会
『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』©2012「SR3」製作委員会

そして同様に、「希望」の背骨となるものの質感も明らかに異なっている。過去2作では、主に技術的/脚本的な問題から「ヒップホップ〜音楽の楽しさや喜び」が描き切れていないように見えるという点が、重大な欠点として指摘される事が少なくなかった。しかし本作では先に挙げたようなSR2の河原のフリースタイルバトルのシーンや、SR1でのたまり場の倉庫でのサイファー等でその端緒を掴みかけていた「音楽の楽しさや喜び」が、これまでに無い程良く演出されたミュージカルシークエンスに表現されている。その成功に大きく寄与しているのは、日本のヒップホップの現場で活躍する現役のラッパーら(HI-KING、smallest、回鍋肉)が演じるラップグループ「征夷大将軍」のパフォーマンスである(所謂「ワルいラッパー」に抱くパブリックイメージを煮詰めたような架空の存在=極悪鳥との対比として、軽妙で即興的に描かれているのが楽しい)。彼らが、3作目にしてまるで「ラップの妖精」なのではないかと思ってしまう程、無垢なマスコット性を帯び始めたIKKU、そして裏の主人公〜真の狂言回しであるTOMの「SHO-GUNG」2人と繰り広げる珍騒動とその成り行きは、単純に拳を固めてガッツポーズしたくなってしまう程痛快で格好良く、それ故に本人達が感じているであろう「モノ作りの現場が立ち上がる喜びと興奮」を疑似体験出来る。そして、これは、第1作目から、ずーーーーっとIKKUが追い求めていたものなのだ。

『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』©2012「SR3」製作委員会
『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』©2012「SR3」製作委員会

このような「希望」と「絶望」の間で、文字通り運命に翻弄され続ける主人公マイティ。演じる奥野瑛太は、一分の隙も感じられない程の素晴らしい演技と存在感で、数々の美しいシーンを作り上げた。あまり目を合わせる事もないまま恋人に未来を語る夜道のシーン、弁当屋での慟哭、そして何と言ってもワンシーンで恋人との分かちがたい絆を感じさせる冒頭近くの夕食のシーンなど、何でも無い時間がほんの束の間であるからこそ、鮮やかに彩られた光景ははっきりと観客の脳裏に焼き付くだろう。

そして積み上げられた「絶望」と「希望」が交差し激しく絡み合う様子を、15分以上に渡る長回しで表現したフェスシーンは、これからの日本映画を語る上で長らく語り継がれていくに違いない。筆者もエキストラとして1日だけ観客に紛れてきたのだが、昼から終電までの撮影が2日。ステージではパフォーマンスも進行する中、カーアクションあり、殺陣あり、焼きトウモロコシあり(…)と、完成した映像を見て「何というものに付き合わされていたんだ…」と軽く殺意を抱いてしまうほど(笑)、技巧的で込み入っていながら、最高にエモーショナルなとんでもない名シーンに仕上がっており、むしろ雨の中2日で撮れたのは本物の奇跡であると断言したい。そこでマイティが見せるのは、疫病病みの野良犬のように腐りきった根性、濁りきった眼が、立ち直れない程激しく叩きのめされる中で、ほんの一瞬ぎらつく瞬間。「絶望」に追いつめられ、その絶頂で今まさに断罪されようとしているマイティが、最後の最後で掴んだ「希望」とは一体何だったのか。そもそも、それは本当に「希望」と呼べるものなのか。前作前々作以上に様々な解釈が可能であるこの作品は、あなたの「生き方」に問いかけてくる、切実で誠実なヒューマンドラマだ。2012年4月より、日本全国で公開予定。是非スクリーンで、登場人物を己に置き換えながら体験されたい。

作品情報
入江悠『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』

2012年4月14日(土)より渋谷シネクイントほか全国順次公開
監督・脚本・編集:入江悠
出演:
奥野瑛太
駒木根隆介
水澤紳吾
斉藤めぐみ
北村昭博
永澤俊矢
ガンビーノ小林
美保純
ほか
配給:SPOTTED PRODUCTION



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