『いのちの食べかた』の監督が切り取る、「夜」の営み

©2011 Nikolaus Geyrhalter Filmproduktion GmbH
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昨年3月下旬、映画の撮影のために被災地を縦断した。陸前高田に気仙沼、松島や石巻など、津波被害の特に大きい地域を訪ねながら、まずは匂いに気がついた。形容するのは難しいけれど、微かな腐敗臭に潮の香りが入り混じったような複雑な匂い。複雑ではあるけれど、海沿いの被災地は、ほぼどこも同じような匂いがした。

次は音(ノイズ)だ。瓦礫は実のところ、ひっきりなしに音を立てている。まして海沿いは風が強い。周囲を覆う音は決して小さくない。

そして最後は闇。それも津波が打ち寄せた地域の夜の闇の深さだ。当たり前だけど周囲には、照明の類は一切ない。まさしく漆黒の闇。音と匂いだけ。そこに僕は立ち尽くしていた。匂いもノイズも闇も、テレビや新聞では決して伝えられない要素だ。だからこそ何かの本質に自分が触れかけているような気がした。でも手にしていたカメラのスイッチを入れたところで、闇は撮れない。

被災地や福島第一原発周辺の撮影を終えて東京に帰って来たとき、取材のために来日していたドイツ人記者が、「東に行けば行くほど夜が明るくなる」と僕に言った。

「明るくなる?」
「そうだ。音もうるさくなる」
「東って要するに・・」
「日本はFAR EAST(極東)だ」

彼の言葉を補足すれば、ヨーロッパから東へ来れば来るほど、夜は明るくなって賑やかになるという。モスクワより北京。北京より東京。つまりはそれだけ電気を消費しているということだ。言い換えれば、世界で最も夜を蹂躙している国、ということになる。

およそ数百万年前のアフリカ大陸で人類の先祖が樹上から地上に降りて来たとき、夜は決して安らぎの時間ではなかったはずだ。なぜなら天敵である肉食獣は夜行性が多い。だから(現状では)最古の人類とされるラミダス猿人は、夜は樹上に登って睡眠をとっていたとの説もある。

やがて彼らの足の形は、地上生活に順応してきた。もう樹上には戻れない。でも同時期に火を使うことを、人類の先祖は学習した。こうして漆黒の闇に明かりが灯る。明るいだけではなく、火は暖も提供する。さらに火を使えば鉄器を作ることもできる。石の破片ではない鋭い鉄の矢じりは、失った爪や牙の代わりになった。それから月日が過ぎて、人は火薬を発明した。もう天敵はいない。人類はこの地球上の覇者となった。

つまり人類の進化は、夜を征服する過程と重複する。ならば世界で最も夜が明るくて音がうるさい首都を抱えるこの国は、現状において進化の頂点にあるということになる。

……書くまでもないかもしれないが、ここまでを読んで「本当にそうだ」と同意する人は、おそらくはとても少数派だろう。こうして電気を浪費することの引き換えとして、この国は54基の原発設立を容認していた。世界第3位だ。でも1位のアメリカは国土が圧倒的に大きい。そして2位のフランスは地震がほとんどない。誰がどう考えても異常な状況だった。

そう考えると、本作の監督であるゲイハルターが99年に撮った『プリチャピ』にも触れたくなる。チェルノブイリ原発から4km地点にある街であるプリチャピに暮らす人たちを撮りながら、ゲイハルターは現代文明の奢りと弱者を犠牲にする国家や企業のシステムに、強い憤りを持ったのだろう。だからこそその後に、浪費するばかりの現代の食生活を批判する『いのちの食べかた』を撮り、今回の『眠れぬ夜の仕事図鑑』に至るのだろう。

本作では、ヨーロッパの様々な夜と、そこに棲息する人たちが描かれる。イギリス・ロンドンにある警備会社では、犯罪防止やテロ対策のために町中に設置された監視カメラを、監視員たちが24時間見つめている。ドイツ・ミュンヘンで毎年秋に開催されるビール祭りオクトーバーフェスト。消費されるビールは600万杯以上で30万本以上のソーセージが胃袋に収められる。

©2011 Nikolaus Geyrhalter Filmproduktion GmbH
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オランダ・ヘンゲロには、ボランティア相談員が人間関係や病気などの悩みを抱えた人に24時間年中無休で電話相談に応じる自殺防止ホットラインがある。ドイツ・ドレスデンにある火葬場の光景はショッキングだ。まるでオートメーションの工場のように遺体が焼かれて骨つぼに納められている。

©2011 Nikolaus Geyrhalter Filmproduktion GmbH
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他にも、チェコ・プラハの売春宿、夜のミサが行われるバチカン市国、イギリス・ラングリーにある郵便仕分け会社など、様々な夜の仕事や営みを眺めながら、ある通奏低音がファーストカットから流れていることに気づく。それを言葉にすれば「管理統制」だ。

前述したロンドンの警備会社だけではなく、スペインの国境線警備や、イギリスの戦闘機を作る工場、ドイツ・ヴィットリッヒの警察官訓練所にスロバキアの国境警備など、ゲイハルターの興味と関心は、明らかに「管理して統制する」システムにある。そしてここで監視されるのは、「夜」が体現する自然の営みだ。

映画終盤、ドイツで深夜に行われた放射性廃棄物輸送に反対する市民デモと、これを排除しようとする警察の様子が至近距離から紹介される。ただしこの映画が作られたのは、福島第一原発事故前だ。

行きたい場所に行きたい。放射能は怖いから使わないでほしい。自分がいた場所に帰りたい。本来は何もなかった土地に境界を作ってそんな思いを管理統制することで、人はここまで繁栄を続けてきた。でもおそらくそれも、今は閾値にきている。まさしく臨界寸前だ。便利さや安全、享楽や安寧、そんな要素を手に入れるために、僕たちは何を犠牲にしてきたのだろう。何を失ってきたのだろう。

観ながらそんなことを思う。ナレーションがないからこそ思う。そしてナレーションがないからこそ、ゲイハルターの強い主張を感知することができる。

最後に補足する。パンフなどでは、イギリスは世界一の監視カメラ大国であるとの記述があるが、実は現状において、監視カメラの総数は日本とほぼ同じか、日本のほうが上回っているとする説もある。つまり日本は、世界一夜が明るくて、世界一音がうるさくて、そして世界一監視社会化が進んでいる国になっているのかもしれない。だからこそ思う。この作品の舞台はヨーロッパだけど、観客として最も強く感応しなければいけない国はどこなのだろうと。

映画情報
『眠れぬ夜の仕事図鑑』

2012年7月28日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開
監督・撮影:ニコラウス・ゲイハルター
配給:エスパース・サロウ



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