『異端の鳥』に描かれる自由とカオス、不自由と暴力の普遍性

※本記事は『異端の鳥』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。

今年一番の話題作と言っても過言ではないチェコ・スロバキア・ウクライナ合作の映画『異端の鳥』(監督:ヴァーツラフ・マルホウル)。ポーランド出身の作家イェジー・コシンスキの小説を映像化したもので、第二次世界大戦中にホロコーストを逃れるために、両親に疎開させられた少年を襲う悲喜劇を描く問題作だ。すでに『ヴェネチア国際映画祭』で「ユニセフ賞」を受賞し、『アカデミー賞』の「国際長編映画賞」チェコ代表にも選出されている。

映画『異端の鳥』予告編

暴力=生きるもの全てが、生きるために他者に影響を与えること。「暴力の普遍性」を主題とした映画

まず、観客は徹底したリアリズムで展開される残虐行為の数々に息を呑むことだろう。冒頭からそれは主人公の少年(ペトル・コトラール)が抱えていた動物を、複数の少年たちが取り上げて焼き殺すシーンに十分過ぎるほど表れている。海外では各地で途中退場者が続出したと報じられており、筆者が東京都内の映画館で鑑賞した際も何人かが退席して戻らなかったが、ぜひ最後まで目を覆う惨状にひるむことなく観通す勇気を持ってほしい。なぜなら、これは単なる露悪趣味の映画ではないからだ。

原作者はもとより、監督のヴァーツラフ・マルホウルが意図しているのは、「暴力が特殊なものではなく普遍的なものである」という世界観を体験させることに尽きる。もっと言えば、それは決して殺傷行為だけに留まらない。性行為はもちろんのこと、視線、表情、言葉遣い、仕草、匂い、雑音、これらすべてが物語が進行するにつれて暴力の相貌を帯び始めるのだ。ただし、この場合の暴力とは、生命活動そのものの影響力を指す広義の暴力のことである。ホロコーストに関するエピソードがあるが、それは実はこの映画のメインテーマではない。

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他人と色が違うこと=記名性というラベリング。それが失われたとき、何が待ち受けているのか

主人公の少年の黒い髪と黒い目は、ユダヤ人とジプシーの特徴といえるもので、彼は劇中で色を塗ったことにより群れに突き殺される鳥(『異端の鳥』の原題がThe Painted Bird)のように、各地で民衆による差別と迫害にさらされ、放浪を余儀なくされる立場に陥ってしまう。その先々で出会う人々に導かれる数奇な運命が物語を引っ張っていく。

とはいえ、少年が本当にユダヤ人やジプシーであるかはさして重要な問題ではない。ただ他と色が違う異質なものであるというところに本質がある。色とはわたしたちにとってラベリング(ラベルを貼ること)と同義と言える記名性のことであり、記名性は「自分が何者であるか」を明確にするが、同時に「よそ者」をも明確にする。だが、本作における思考はそこで終わらない。記名性が失われることによるカオス(混沌)、つまり境界や秩序がなくなった世界をも描き出すからだ。

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記名性を失うことで得られるもの。自然の死と再生の営みの中に存在する、自由と混沌

本編中のほんのわずかな幕間でしかないが、記名性が何の役にも立たない荘厳な大自然において、あるいは記名性に重きを置かない人々との邂逅において、少年はある種の解放感とともに自由を享受することになる。しかし、この自由は恐るべきことに「神隠し」や失踪に似ている。夜逃げが分かりやすい例だが、失踪者は通常、現在の自分の境遇に嫌気が差し、別人としての人生を送ることを願う。だが、別名を獲得するまでは「誰でもない」(nobody)。

この「何者でもないと」いう陰画(ネガ)には、何者でもあり得るという陽画(ポジ)が含まれている。いわば透明人間だ。戸籍登録がされているようなカウント可能な「社会の構成員」としては存在せず、その外側のカウント不可能な領域へと飛躍するようなものである。森の木々や生き物たちは誰にも知られることなく死と再生の営みを繰り返しているが、人間であることの徴(しるし)がなくなればそれと同様のカオスの世界が待ち受けている。剥き出しの生態系は良くも悪くもわたしたちの概念的枠組みには無関心なのだ。

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社会の構成員として生きる不自由と救済、属さないことで得られる自由とカオス。作品を貫く寓話性、普遍性がここにある

「何者であるか」を明確にする一方で、「よそ者」も明確にしてしまうという記名性の両義性は、少年がソ連軍に保護され、一時的に兵士となりかけるプロセスにおいて、驚くほどアイロニカルに語られる。共産主義というカテゴリーの庇護を受けながら、そのカテゴリーゆえの殺戮を目の当たりにするからだ。

ここでは記名性がもたらすカテゴリーからの包摂と排除の論理が、いかなる集団にも避け難いメカニズムであることを映し出す。民俗宗教であれ、キリスト教であれ、ナチズムであれ、共産主義であれ……そのカテゴリーの構成員として生きる上で、記名性に基づく価値判断は何の根拠もなくでたらめであるが、わたしたちは名無しのまま社会を生きることは困難である。

しかしながら、記名性に従属することは他者を非人間化する地獄の道にも通じる。つまり、何者でもないことはどのようにでもあり得ることを意味するが、自由であると同時にカオスを無条件に甘受せざるを得ない。逆に何者であるかはっきりすることは自己を同定することを意味するが、カテゴリーの副産物といえる破滅と救済の二面性に向き合わなければならない。そのような文脈から考えると、少年を殺して穴に埋める任務を進んで引き受ける、ステラン・スカルスガルド演じるナチスの兵士ハンスの佇まいはあまりに象徴的だ。まるでその惰性(カウントすること)に飽きたような気まぐれなカオスが宿るからである。

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本作の寓話性の核心がここにある。原作の「奇妙なスラヴ語」という設定を踏まえて、人工言語であるインタースラーヴィック / スラヴィックエスペラント語を使用したこともそれを後押ししている。特定の集団を断罪して安堵しようとする素振りから遠ざけるためである。本作で描かれている暴力は歴史を超えて常にありとあらゆる場所で出現し続ける普遍的な現象なのだ。

カオスによる理由のない罰。罪がなくても罰されることを人間は受け入れがたい

ホロコーストの専門家であるクリストファー・R・ブラウニングは、記名性に依拠した暴力を容認する心理反応についてこう記している。

特に問題となる行動が他者に危害を加えることを伴う場合、加害者は犠牲者を罰するに値するものだと理解しがちであるーーこの心理的反応は「公正世界現象〔公正世界仮説ともいう。人間の行動は本来善に向かう傾向があり、何であれ罰を受ける人にはそれなりの悪があるはずだと考える認知的偏見〕として知られている。この心理的反応はさらに、加害行為における残忍さと野蛮さ、さらに犠牲者の非人間化・価値剥奪のエスカレーションという悪循環を生み出す。「〔偏見による〕誤解という基本的属性」を通じて、人びとは自分の行動が他者に与える打撃を無視しがちになり、さらに侮蔑され悲惨な犠牲者の状態は彼らに固有の劣性、あるいは下位にある人間の証拠であるとされてしまう。(『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』谷喬夫訳、筑摩書房)

そのような心理的反応以前の理不尽ーー悪がなくても罰を受けることがあるーーを正視する感受性に開かれることが非常に重要と言える。なぜなら、多くの人々はこのような正当な理由もなく人間の徴(しるし)を奪うカオスに耐え切れず「固有の劣性」といったものに答えを求めようとするからである。それゆえ実質的に名前を失い、言葉を失った少年が示唆的だ。カオスをカオスのまま生きているからこそ、彼は記名性の世界に還ることができないのである。

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カオスはカオスのまま。父親との再会を果たした少年がこれから生きていく世界は

終盤、少年は父親との再会を果たし、ふとした拍子に名前を取り戻すーー他ならぬ理不尽が刻印された徴(しるし)を目にしたことによって。しかしこれは、元の少年に戻ることを意味しない。「私たちの存在の一部はまわりにいる人たちの心の中にある。だから自分が他人から物とみなされる経験をしたものは、自分の人間性が破壊されるのだ」と、プリーモ・レーヴィが『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』(竹山博英訳、朝日選書)で述べたように、魂に彫り込まれたカオスの徴(しるし)は絶対に消えることはないからだ。

そこで少年は初めて父親も自分と同じカオスの世界にいたことを瞬時に理解する。それは名付けという理不尽と名の喪失という理不尽を経由して到達したまったく新しい生の地平であり、想像を絶する悪夢でしかなかった血と慟哭で描かれた軌跡が不思議な光輝を放ち始めるのである。

作品情報
『異端の鳥』

2020年10月9日(金)からTOHOシネマズシャンテほか全国で公開中

監督・脚本:ヴァーツラフ・マルホウル
原作:イェジー・コシンスキ『ペインティッド・バード』(松籟社)
出演:
ペトル・コラール
ステラン・スカルスガルド
ハーヴェイ・カイテル
ジュリアン・サンズ
バリー・ペッパー
ウド・キアー
上映時間:169分
配給:トランスフォーマー



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