拒絶も受ける映画界の問題児ギャスパー・ノエの新作をレビュー

やっかいな問題作を量産。讃美と拒絶を受けるギャスパー・ノエとは?

過激な性描写や暴力描写、近親相姦あるいは流産、中絶といったモチーフ、エキセントリックなドラッグ描写などによって、映画を作るたびにセンセーションを巻き起こしてきた鬼才ギャスパー・ノエ。熱狂的に受け入れられる一方で、彼の映画が強烈な批判や拒絶にもさらされるのは、しかし、単に扱うテーマがセンセーショナルだからだけではないだろう。

彼は、長編デビュー作『カノン』(1998年)から映画というメディアの枠自体を揺るがすような試みを一貫して行っている。たとえば、彼の映画ではショットとショットの間に黒画面という断絶を意識的に取り入れてきた。画面に大写しになる印象的な警句、キャプションアートもそのひとつ。また、あるシーンからあるシーンへと映画が進んでいくとき、そこには通常考えられる時間の垂直的な経過はあっけらかんと無視されることもしばしば。

『CLIMAX クライマックス』場面写真 ©2018 RECTANGLE PRODUCTIONS-WILD BUNCH-LES CINEMAS DE LA ZONE-ESKWAD-KNM-ARTE FRANCE CINEMA-ARTEMIS PRODUCTIONS

時間的な連続性を断たれたシーンとシーンをつなぎ合わせるのは、俳優の姿勢や事物の類似といったイメージの次元だ。そして、それによって私たちが自然のうちに受け入れている「映画の規範」はぶっきらぼうに解体される。

なかでも長編2作目の『アレックス』(2002年)から顕著になる、トリップ感のある荒唐無稽なカメラワークには、物語への没入や登場人物たちへの感情移入といったレベルでの観客の共感は置き去りにされるだろう。むしろそれらの映画で目指されているのは、現代の道徳ではタブーとされている価値観にも、どうしようもなく感応してしまう私たちの情動そのものだ。

『CLIMAX クライマックス』場面写真 ©2018 RECTANGLE PRODUCTIONS-WILD BUNCH-LES CINEMAS DE LA ZONE-ESKWAD-KNM-ARTE FRANCE CINEMA-ARTEMIS PRODUCTIONS

映し出されたものが発する圧倒的にパワフルで自由な光景は、規範にそぐわないという点でひどく暴力的で挑発的でもある。しかし、そんな彼の映画に熱狂したとしても、逆に拒絶反応を示したとしても、両者はともにギャスパー・ノエにあてられているということには変わりはない。そのような意味で彼の映画は実に「やっかい」な問題作ばかりなのだ。

題材から技術まで。ギャスパー・ノエ成分たっぷりの97分

この度公開されるギャスパー・ノエの最新作『CLIMAX クライマックス』は、22人ものダンサー(そのほとんどが俳優ではなく、本物のプロダンサーたち)が、廃墟となっている校舎の中でパーティーを開くが、知らぬ間にドラッグ入りのサングリアを飲んだことから狂乱の一夜を過ごすことになる、実に奇妙な映画だ。1996年に実際に起きた事件からインスピレーションを受けたとされる(このことは映画の冒頭でも明示される)本作は、いままで彼の映画で執拗に描かれてきたセックスにバイオレンス、ドラッグといった題材から、キャプションアートや脅威的な長回しによる流麗なカメラワークという技術的な面に至るまで、ギャスパー・ノエ印が97分という時間の中に未だかつてない程凝縮されている。

『CLIMAX クライマックス』リハーサル中の写真 ©2018 RECTANGLE PRODUCTIONS-WILD BUNCH-LES CINEMAS DE LA ZONE-ESKWAD-KNM-ARTE FRANCE CINEMA-ARTEMIS PRODUCTIONS

97分という上映時間の短さは、今作を語る上で重要だ。というのも、ギャスパー・ノエは120分をゆうに越える作品を続けて撮っており、とくに先に挙げたような「時間経過にとらわれないシークエンス構成」は、際限なくイメージを水平方向へと広げていけるからだ。そうしてどこまでも広がっていくイメージの連鎖が形作るのは、あるときは兄妹愛、あるときは失われた恋人への愛ということになる。あらゆるとき、あらゆる事象に見出しえる「愛のイメージ」の連鎖は、原理的に終わりがない。『エンター・ザ・ボイド』(2009年)で、兄の死から愛が語られ始めるのは示唆的だった。時間的な終わりがないので、死すらも問題にならないのだ。そのような果てしない時間をギャスパー・ノエは「ボイド=空虚」と呼んだ。

「アンチクライマックス」の作家が到達した新境地は、22人分のクライマックス

そう考えてみると、最新作である『CLIMAX クライマックス』というタイトルは実に象徴的なタイトルであり、かつ極めて彼らしくないタイトルでもある。なぜならいままでの彼は(特に近作では)、「アンチクライマックス」と呼ぶにふさわしい「果てしなさ」を描いてきたからだ。

だから『CLIMAX クライマックス』は、ギャスパー・ノエ印がいたるところに見いだせる集大成的な作品であると同時に、これまでと対局の作品であるようにも見えてくる。実際、本作の構成は、これまでのような縦横無尽な時間と空間の繋ぎはない。いま、目の前にいる大勢のダンサーたちの肉体は、愛の、はたまた暴力のイメージとしてどこまでも広がっていくことはせず、ただただ、ダンスフロアと化した廃校の体育館に存在するだけだ。

『CLIMAX クライマックス』場面写真 ©2018 RECTANGLE PRODUCTIONS-WILD BUNCH-LES CINEMAS DE LA ZONE-ESKWAD-KNM-ARTE FRANCE CINEMA-ARTEMIS PRODUCTIONS
『CLIMAX クライマックス』予告編

無限につづくイメージの連鎖=空虚から抜け出そうとする本作は、ありきたりな垂直的な時間経過や空間構成、つまりは「映画の規範」にそっているかというと、そうではない。本作は、いままでの逆方向へと過激に突き抜けていく。次第に狂っていくダンサーたち22人は、なにかを示すあるイメージとして広がっていくこともなければ、垂直的な物語、因果関係の流れにとらわれることはなく、ただただ即物的に、そこに「ある」。

『CLIMAX クライマックス』場面写真 ©2018 RECTANGLE PRODUCTIONS-WILD BUNCH-LES CINEMAS DE LA ZONE-ESKWAD-KNM-ARTE FRANCE CINEMA-ARTEMIS PRODUCTIONS

いかなる繋がりも断ち切られた人物たちの肉体は、各々が思い思いに「クライマックス」の瞬間を迎えるだろう。それはまるで初期映画のころ、人物たちの運動をカメラがひたすらに映していた頃のような純粋さすら帯びている。もしかしたら運動そのものを捉えるために、人物関係を把握しきるには困難な22人という人数が必要であり、有名な俳優という見知った顔は不必要だったのかもしれない。いずれにせよ、生まれたばかりの映画のような純粋さすら感じる『CLIMAX クライマックス』は、実に「まっとう」な問題作だ。

『CLIMAX クライマックス』場面写真 ©2018 RECTANGLE PRODUCTIONS-WILD BUNCH-LES CINEMAS DE LA ZONE-ESKWAD-KNM-ARTE FRANCE CINEMA-ARTEMIS PRODUCTIONS
作品情報
『CLIMAX クライマックス』

2019年11月1日(金)からヒューマントラストシネマ渋谷ほかで公開

監督・脚本:ギャスパー・ノエ
出演:
ソフィア・ブテラ
ロマン・ギレルミク
スエリア・ヤクーブ
キディ・スマイル
上映時間:97分
配給:キノフィルムズ、木下グループ



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