夏フェスの予習に、90年代UKロックの流れとTRAVISの価値を学ぶ

今年、デビュー20周年を迎えるTRAVISが、4月10日に来日公演を行い、29日には8枚目のアルバム『Everything At Once』をリリースする。おそらく、1990年代後半~2000年代にかけて洋楽を熱心に追いかけてきたリスナーにとって、TRAVISは最も馴染み深いUKバンドの1組だろう。もちろん、若い世代のリスナーにとっても、TRAVISの名前を聞いたことがない人の方が少ないはず。しかしながら、「TRAVISってどんなバンドなの?」と訊かれたとき、それを説明するのは少々骨の折れる作業だったりもする。実のところTRAVISは、かなり複雑なアイデンティティーを持ちながら登場したバンドでもあるのだ。

そこで本記事では、そんなTRAVISの20年を、90年代~現在までのUKロックの全体像と共に振り返りながら、この20年間、彼らがどれほど特殊かつ特別なバンドとして存在し続けたのかを検証したいと思う。

ちなみに、筆者も、本記事の担当編集者も、どちらも80年代後半生まれの、90年代を「覚えていない」世代だ。我々だけでは少々、心もとない。そこで、90年代末からラジオDJやインタビュアーとして活動し、TRAVIS来日の際には本人たちの取材も多く経験している、自称「宇宙で一番TRAVISが好き(笑)」という岡村有里子に話を聞いてきた。岡村による当時の「実話」も交えながら、検証を進めたい。

90年代UKロックを語る前に知っておきたい、「マッドチェスター」と「シューゲイザー」

まずは振り返ろう。地元グラスゴーのアートスクールで出会った4人組、TRAVISがシングル“All I Want To Do Is Rock”でデビューしたのが、1996年。しかし、話はもう少し遡った場所から始めるべきだろう。

90年代前半~半ばまでのイギリス音楽シーン。ここでは何が起こっていたのだろうか? まずは当時、いち音楽ファンとしてUKロックを追っていたという岡村の話から。

岡村:私が最初にシングルまで全部買い集めるくらいハマったのは、80年代後半に登場したTHE STONE ROSESだったんです。それをきっかけにHAPPY MONDAYSとか、いわゆる「マッドチェスター」のシーンにハマっていって。他に、RIDEも好きでした。それが90年代の前半でしたね。

岡村有里子
岡村有里子

90年代前半~半ばまでのイギリスのロックは「狂騒の時代」だった。THE STONE ROSESやHAPPY MONDAYSの他、INSPIRAL CARPETS、THE CHARLATANSなどマンチェスターで生まれたバンドたちは、同時期にシカゴハウスやデトロイトテクノの影響を受ける形でイギリスのクラブシーンに広まった「アシッドハウス」からの影響を取り込み、ダンサブルなサウンドを展開する。この90年代初頭のマンチェスターのバンドムーブメントは「マッドチェスター」と呼ばれ、大きな人気を博した。

マッドチェスターとは相反するように、オックスフォードで生まれたRIDEやMY BLOODY VALENTINEなどは、聴き手を内省に誘うノイズロックを展開。彼らのサウンドは、まるで俯いて「靴を見つめる」ようにフィードバックギターを掻き鳴らすその演奏スタイルから、「シューゲイザー」と呼ばれる。

メインカルチャーとして台頭した、OASISやBLURを始めとする「ブリットポップ」

こうした90年代前半のUKロックの動きは、どこか60年代末のアメリカに通じる部分がある。アシッドハウスからマッドチェスターにかけてのレイヴカルチャーは、「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれた67年のアメリカのヒッピームーブメントになぞらえて「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれているし、シューゲイザーのノイズサウンドの源流をたどれば、60年代末のアメリカで「サマー・オブ・ラブ」の楽天的なヒッピーイズムに相反するように陰鬱で不機嫌なガレージロックを鳴らしていたTHE VELVET UNDERGROUNDやTHE 13TH FLOOR ELEVATORSに行き着く。90年代初頭のイギリスとは、まるで60年代末のアメリカのように、新しいカウンターカルチャーが生まれていた時代だったのだ。

そうして「カウンター」として生まれた新たなサウンドや価値観を継承しつつも、「メイン」のカルチャーとして、イギリス中を巻き込んだ動きを展開したムーブメント――それが、90年代半ばにおける「ブリットポップ」だった。

岡村:マッドチェスターの後しばらくは、イギリスの音楽よりも、グランジを始めとするアメリカの音楽がイギリスでも流行っていた印象が強かったんですけど、90年代半ばくらいになってBLURやOASISが登場すると、いわゆる「ブリットポップ」という音楽シーンが作られていったんです。やっぱり、それまでアメリカの音楽が流行っていたから、もっとイギリスの文化に根差していて、人々にとって身近なバンドが出てきたことで盛り上がったんだと思います。

90年代は、91年にリリースされた『Nevermind』で大ブレイクしたNIRVANAを筆頭に、PEARL JAMやSMASHING PUMPKINSなどアメリカのオルタナティブロックバンドたちが世界的な成功を収めるようになった時代でもある。こうした時代感の中で、サウンド面でも精神性としても、如何にもイギリス人らしいアイデンティティーを持ったバンドであるOASISやBLUR、SUEDEなどが勢いを持ち始めたことは、当時のイギリスの人々にとって何よりの朗報だったのではないか。ベテランではあるが、イギリス人らしいシニカルなユーモアを得意としたPULPのようなバンドも、この時期にブレイクしている。労働者階級出身のOASISと、中流階級出身のBLURのチャート戦争がメディア上でもてはやされるなど、イギリス全体を巻き込んだ巨大かつバブリーなムーブメント、それがブリットポップだった。

消費的な「ブリットポップブーム」の終盤に登場したTRAVIS

この時期のイギリスには「クールブリタニア」という言葉も存在したというが(最近、日本でも国家政策の中で使われる「クールジャパン」の語源はここ)、ブリットポップは90年代のイギリス文化の繁栄に大きく付与しながらも、その巨大さゆえに虚無も抱えていた。

岡村:正直、ブリットポップは無理やり感もあったと思うんですよ。いいバンドが出てきたし、リスナーにとってはいい時代だったと思うんですけど、ちょっと使い捨て感もあったというか。すぐに消えちゃうバンドもたくさんいて、それがすごくもったいない印象がありましたね。そして、結果的にブリットポップのブームが終わった頃に、RADIOHEADやTHE VERVEが注目されるようになって。それと同じ時期に、TRAVISが出てきたんです。

ここでTRAVISの登場である。ブリットポップのお祭り騒ぎとは無縁の場所に居続けたRADIOHEADが、3rdアルバム『OK Computer』で世界的な評価を確立したのが97年。それと同じ年に、TRAVISはデビューアルバム『Good Feeling』をリリースしている。同年、同じくグラスゴーから「ポストロック」の新たな地平を切り開く形で、MOGWAIもアルバムデビュー。それはブリットポップが終わり次の時代へ、90年代が終わり次の時代へ……そうやって時代が移る変換点だったのだ。

<俺たちは90年代に疲れたんだ。でも、90年代に愛着だってあるんだ>

しかしながら、デビュー時のTRAVISは決して「次の時代」を感じさせるバンドではなかった。当時のTRAVISは、OASISからの影響を感じさせるエネルギッシュなギターロックという側面を持っているバンドだったのだ。なにせ、デビューシングルのタイトルが“All I Want To Do Is Rock(俺がやりたいのはロックだけ)”である。だが、『Good Feeling』には、TRAVISがブリットポップに、そして1990年代に対して複雑な想いを抱いていたことがよくわかる、素直すぎるくらいの1曲が収められている。その名も、“Tied to the 90's”である。

We're tired of the 90's
We're tired of the 90's
We're tired of the 90's
But we're tied to the 90's

「俺たちは90年代に疲れたんだ。でも、90年代に愛着だってあるんだ」――ここで吐露されるTRAVISの心境は、その若さゆえに正直だ。ちなみに、この時期のTRAVISはOASISのノエル・ギャラガーからの寵愛を受けている。もしかしたらノエルの中には、自分が表立って言うことはできない90年代に対する複雑な想いを、若い世代が代弁してくれている――そんな感覚があったのかもしれない。なにせノエル・ギャラガーこそ、「Definitely(確かに)Maybe(たぶん)」(94年発売、OASISのデビューアルバムタイトル)、そんな曖昧な感情と共に90年代を走り抜けてきた男なのだ。

スターにならなくてもいい。消費されない曲を作り続ける姿勢

そうやって90年代に対する引き裂かれたアイデンティティーを伴って登場したTRAVISが、本当の意味で自分たちの存在を確立したのは99年の2ndアルバム『The Man Who』と、2001年の3rdアルバム『The Invisible Band』、この2枚の大ヒットアルバムによるところが大きい。代表曲“Why Does It Always Rain On Me?”を収録した『The Man Who』はUKチャートの1位に輝き、続く『The Invisible Band』も1位を獲得。00年代初頭において、TRAVISは「イギリスを代表するロックバンド」の座に就くこととなる。

ちなみに00年代初頭は、TRAVISの後続バンドともいえるCOLDPLAYもブレイク。他にもアメリカから現れたTHE STROKESも人気を博し、それに誘発される形でTHE LIBERTINESも登場。世界同時多発的に起こった「ロックンロールリバイバル」と呼ばれる動きがイギリスでも顕在化した。そうやって若い世代が台頭することで、TRAVISは「イギリスを代表するロックバンド」の立場をより強めていくのか……と思いきや、『The Man Who』や『The Invisible Band』というまるで無色透明なアルバムタイトルが示すように、楽曲と共に人々の生活に溶け込んでいくかの如く、TRAVISは次第にバンドとしての「エゴ」を消し去っていく。ここで、今に続くTRAVISというバンドの「特殊さ」が現れてくるのだ。

岡村:フラン(Vo)がインタビューで言っていたんですけど、『The Man Who』の曲を作っているとき、うるさいロックを鳴らすと隣に住んでいる人の迷惑になるから、抑えた曲調のものを作っていたらしくて(笑)。前作『Where You Stand』について話を聞いたときも、「ラジオで流れることを意識しながら曲を作っている」って言ったんですよね。彼は自分がリスナーの立場に立ったとき、「誰の曲かはわからないけれど、いい曲だな」って思いながらラジオで音楽を聴くらしくて。TRAVISって、ずっと「あくまでも曲が主役で、バンドはそこに花を添えることができればいいんだ」ということを言い続けてきたバンドなんです。

岡村有里子

バンドよりも曲が大事――TRAVISがこの楽曲至上主義的な価値観に行き着いたのは、きっと彼らが90年代の若い頃にブリットポップの栄枯盛衰を見てきたから、なのではないだろうか。スターのように持ち上げられては、次々と楽曲と共に消費されていくバンドたちを見てきたからこそ、TRAVISは、自分たちの何より大切な「音楽」と、それによって生まれる聴き手との「繋がり」だけは守り抜こうとしてきたのではないか。

「名声を得ることで変わってしまう人もいるかもしれないけど、TRAVISはずっと変わらない」(岡村)

00年代半ば以降のTRAVISの歩みは、決して派手なものではない。ARCTIC MONKEYSのようなネット世代のスターバンドも登場し、時を経るごとに次第に音楽の消費スピードが速まっていく中で、TRAVISの周りだけは、穏やかでゆっくりとした時間が流れているような印象を受ける。しかし、「ラジオでかかる音楽」として多くの人々に受け入れられるポピュラリティーを維持しながら、それでも安易に消費されることを望まない――これがどれほど難しいことか、今の時代に音楽を愛する人ならわかるはずだ。

TRAVISも闘ってきた。それは何かを打ちのめすための闘いではなく、人々にとって「音楽を聴く時間」が特別なものであることを守るための闘いだったのだ。

岡村:名声を得ることで変わってしまう人もいるかもしれないけど、TRAVISはずっと変わらない。会うたびに「この人たちは、なんて純粋に音楽をやっているんだろう」って思うんです。メンバーも変わらずにずっと仲良しだし、どんなに大きな会場でライブを観ても、彼らはステージと客席の垣根を感じさせない、本当にアットホームなライブをするんですよね。お客さんのことも含めて「ファミリー」と捉えているような、そんな印象を受けます。私は“Turn”も“Why Does It Always Rain On Me?”も何百回も聴いていると思うけど、聴く度に胸をギューっと締め付けられるような感覚がある。ここまで人の心を鷲掴みにするような楽曲って、そうないですよね? “Why Does It~”の歌詞に、大好きなラインがあって。<Why does it always rain on me? Is it because I lied when I was seventeen?>というところなんですけど、「なんでいつも雨が降るの? 17歳の時に僕が嘘をついたから?」という少年のような言葉に、「Fran」って書かれたセーターを着ていた、デビュー当時のフランの姿を思い出すんですよ(笑)。作品ごとに変化や進化を続けているけど、根本にあるメランコリックなメロディーと、パーソナルな歌詞が人の心に響くところは、ずっと変わらないですよね。

ずっと変わらない――もちろん、「変わる」ことは勇気のいることだ。でも、「変わらない」ことの勇気もまた存在する。TRAVISは変わらなかった。この20年間ずっと、最高のポップソングをあなたの傍で鳴らし続ける喜びを、彼らは手放さなかったのだ。

イベント情報
『Hostess Club Presents Sunday Special』

2016年4月10日(日)OPEN 12:00 / START 13:00
会場:東京都 水道橋 東京ドームシティホール
出演:
Travis
Ben Watt Band feat. Bernard Butler
John Grant
Lapsley
料金:スタンディング8,500円 指定席9,500円(共にドリンク別)

リリース情報
Travis
『Everything At Once』初回限定日本盤(CD+DVD)

2016年4月29日(金)発売
価格:3,564円(税込)
HSU-12062/3

[CD]
1. What Will Come
2. Magnificent Time
3. Radio Song
4. Paralysed
5. Animals
6. Everything At Once
7. 3 Miles High
8. All Of The Places
9. Idlewild
10. Strangers On A Train
11. Sing (live)(ボーナストラック)
12. Closer (live)(ボーナストラック)
[DVD]
・フラン・ヒーリィが監督したアルバム収録曲に合わせた映像(合計約30分)を収録

Travis
『Everything At Once』日本盤(CD)

2016年4月29日(金)発売
価格:2,592円(税込)
HSU-12060

1. What Will Come
2. Magnificent Time
3. Radio Song
4. Paralysed
5. Animals
6. Everything At Once
7. 3 Miles High
8. All Of The Places
9. Idlewild
10. Strangers On A Train
11. Sing (live)(ボーナストラック)
12. Closer (live)(ボーナストラック)

プロフィール
TRAVIS
TRAVIS (とらゔぃす)

フラン・ヒーリィ(Vo)、アンディー・ダンロップ(Gt)、ダギー・ペイン(Ba)、ニール・プリムローズ(Dr)による、スコットランドはグラスゴー出身、レディオヘッドやオアシス、コールドプレイと並び英国を代表するロック・バンド。1997年『GOOD FEELING』でアルバムデビューを果たすと、99年ナイジェル・ゴドリッチをプロデューサーに迎えた2ndアルバム『THE MAN WHO』をリリース。この作品が全英チャートの1位を獲得し、全世界で約400万枚のセールスを記録。3rdアルバム『THE INVISIBLE BAND』(2001年)は全英チャート初登場1位、全世界で約300万枚を売り上げUKトップ・バンドとしての地位を確実なものとした。2015年11月に突如新曲“Everything At Once”のミュージックビデオを公開し、新作アルバムへ向けて動きだしていた。2016年4月10日に開催される『Hostess Club presents Sunday Special』にてヘッドライナーとして出演する。

岡村有里子 (おかむら ゆりこ)

幼少時代をロサンゼルスで過ごす。1999年にラジオDJデビュー。「自分の目で、耳で体感したことを伝える」をモットーに年間約100本のライブへ足を運んでいる。また、台湾のポップミュージックにも情熱を傾けている。現在は、DJをはじめ、ナレーター、MC、ライター、通訳などとしても活動中。



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