世界が惚れるアートアニメ、ノルシュテインの代表作を一挙紹介

ユーリー・ノルシュテイン。旧ソ連、いまのロシアが世界に誇る偉大なアニメーターで、「アニメーションの神様」と言われている。動物たちを通じて語られる、生きることの喜怒哀楽。人が争うことの悲惨さ、意味のなさ。そういった複雑な生の実感が、すべて手作業で作り上げられた精緻なアニメーションによって描かれる。使われる効果音、音楽もすてき。もはやアニメーションの概念を超えた「芸術」である。

12月10日より『ユーリー・ノルシュテイン監督特集上映~アニメーションの神様、その美しき世界~』と銘打って、代表作6本を2Kスキャンで修復したデジタルリマスター版が世界に先駆けて初上映される。ノルシュテインはなぜ「アニメーションの神様」と語られるのか。その秘密に迫ろうと75歳を迎えたばかりの監督にインタビューを実施し見えてきたのは、芸術を通して世界を思考する、哲学者のような一面だった。 

デジタルリマスターで再発見する、ノルシュテイン作品の気の遠くなるようなこだわりっぷり

ユーリー・ノルシュテインの作品をデジタルリマスター版で見ると、画質、音質がより鮮明になったことにより、すみずみまで趣向を凝らしたその表現を楽しむことができる。

はじめに、今回上映される計6作品の、気の遠くなるくらいに手の込んだ作りについて見ていこう。ノルシュテインの監督デビュー作である『25日・最初の日』(1968年)。25日とは、ロシアの旧暦で1917年10月25日、ロシア革命の最初の日のこと。静かな広場に民衆の怒りが打ち寄せ、資本家、ブルジョワ、聖職者、憲兵などの支配者階級が打倒される。

「すべての権力をソビエトへ」と書いてある / 『25日・最初の日』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
「すべての権力をソビエトへ」と書いてある / 『25日・最初の日』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

『25日・最初の日』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
『25日・最初の日』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

「1920年の芸術(ロシアアバンギャルド)を基盤に映画を作る」という企みの通り、都市のデザインにはジョルジュ・ブラック(フランスの画家、パブロ・ピカソとともにキュビスムの創始者の一人)、漫画は詩人ウラジミール・マヤコフスキー(20世紀初頭のロシアアバンギャルドを代表するソ連の詩人)をモチーフに、音楽は交響曲第5番“革命”で有名なショスタコーヴィチの交響曲第11番の一節を使用。美術監督アルカージイ・チューリンとの共作。芸術担当の官僚の圧力で、ノルシュテインたちの意図するところがすべて表現できたわけではないが、革命に身を投じた人たちの熱い想いが伝わってくる。

平面的な切り絵の手法で、立体的な表現を実現させる

第2作となる『ケルジェネツの戦い』(1971年)は、ロシアの著名な作曲家であるリムスキー=コルサコフのオペラ『見えざる町キーテジと乙女フェヴローニャの物語』に魅せられたイワン・イワーノフ・ワノーが、『25日・最初の日』の技法を取り入れようとして、ノルシュテインを共同監督に招いた一作。

切り絵の手法が使われている / 『ケルジェネツの戦い』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
切り絵の手法が使われている / 『ケルジェネツの戦い』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

「ケルジェネツ」は河の名で、988年、ロシアとタタールの戦闘のあった場所。戦闘に巻き込まれた小さな村を舞台に、人形アニメを提案したワノーに対して、ノルシュテインが主張して実現した平面の切り絵による手法が見事成功し、どこか立体的に見えてくるから不思議だ。

子ども向けのかわいらしい作品であっても、高度な芸術の手法をとりいれる

ノルシュテイン初の単独監督作品である『キツネとウサギ』(1973年)は、なかなかスタジオから仕事がもらえなかったときに、スタジオの上層部にウケのよい「子どものための作品」としてロシア民話をもとに制作した。

キャラクターデザインは、妻で美術監督のヤールブソワとともに民衆芸術を参考にして考えたという / 『キツネとウサギ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
キャラクターデザインは、妻で美術監督のヤールブソワとともに民衆芸術を参考にして考えたという / 『キツネとウサギ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

『キツネとウサギ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
『キツネとウサギ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

ストーリーは、キツネに家を乗っ取られたウサギが、オオカミやクマ、ウシたちの協力を得てキツネを追い出そうとするというもの。マトリョーシカなどのロシア雑貨に見られるような、素朴ながらも様式化された色彩鮮やかな「ガラジェッツ絵画」のデザインを取り入れた構図が斬新な一作だ。

北斎や広重の浮世絵の手法に着想を得た、監督本人も満足している幻想的な作品

ノルシュテイン本人が満足したできばえだと語る『アオサギとツル』(1974年)は、アオサギとツルの心理描写が、繊細な切り絵アニメで現出する。

お互いを意識しあっていて、求婚のプロポーズを繰り返す / 『アオサギとツル』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
お互いを意識しあっていて、求婚のプロポーズを繰り返す / 『アオサギとツル』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

その都度、お互いにプロポーズを拒否して後悔の念にかられる / 『アオサギとツル』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
その都度、お互いにプロポーズを拒否して後悔の念にかられる / 『アオサギとツル』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

生涯でもっとも相性がよかったという撮影監督アレクサンドル・ジェコーフスキーの力も相俟って、さまざまな試みが成功した本作は、草むらや雨など、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵や水墨画に着想を得た背景が美しく幻想的に仕上がっている。

霧を抜けると人生観が変わる。主役のハリネズミの愛くるしさ

世界でもっとも愛されているノルシュテイン作品といえば、『霧の中のハリネズミ』(1975年)であろう。盟友である高畑勲監督も「ただただすばらしい10分間と余韻を味わう」と評した一作は、セルゲイ・コズロフの児童文学に、ノルシュテインが「霧の中から抜け出したハリネズミの人生観が変わっていく」というアイデアを加えたもの。

仲良しのコグマの家で星を数えるために、夕暮れの野道をハリネズミのヨージックが急いで歩いている / 『霧の中のハリネズミ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
仲良しのコグマの家で星を数えるために、夕暮れの野道をハリネズミのヨージックが急いで歩いている / 『霧の中のハリネズミ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

周りに霧が深くなるなか、ハリネズミのヨージックは、さまざまな体験をする。ミミズク、白いウマ、ガやホタル、イヌ、サカナなどに出会うときのヨージックの動きが精細にしてリアルで、その一挙一動が可愛く、微笑ましい。

『霧の中のハリネズミ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
『霧の中のハリネズミ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

『霧の中のハリネズミ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
『霧の中のハリネズミ』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

本作のために監督は、ジェコーフスキーとともに大型の撮影台を制作。そのマルチプレーンと呼ばれる多層の硝子面に切り絵を配置する手法によって、深い映像空間が広がり、いつのまにかノルシュテイン魔術のとりこになってしまうのだ。

左から:本物のハリネズミと『霧の中のハリネズミ』のヨージック
左から:本物のハリネズミと『霧の中のハリネズミ』のヨージック

鮮烈なイメージがたたみかける、監督の自伝的作品

ノルシュテインの自伝的作品とも言える『話の話』(1979年)は、トルコの詩人、ナジム・ヒクメットの同名の詩をもとに、監督自身の記憶の断片が繋がっていく。戦争、その影響、戦勝記念のパーティー、戦死通知を受け取る夫人たち……。子どものオオカミが、いわば狂言回しで、さまざまなイメージが交錯する。

『話の話』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
『話の話』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

ストーリーらしきものはないけれど、叙情、ユーモア、悪夢など、そのイメージは鮮烈である。バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の前奏曲とフーガ8番、モーツァルトの“ハープシコード協奏曲”、監督本人も大好きだという、ロシアで大ヒットしたタンゴの“疲れた太陽”などの名曲が、効果的に使われる。

『話の話』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF
『話の話』 ©2016 F.S.U.E C&P SMF

ノルシュテインいわく、「アニメーションにおける音楽は、内面を奧深く表現し、引き出してくれる役割を果たし、音楽で世界が広がる」とのこと。多くの人が「世界最高のアニメーション映画」と語る傑作である。

「私は自分のことを、なにかすごいものを作り上げた人間とは、ちっとも思っていないんです」

この11月、ノルシュテインが来日し、忙しいスケジュールの合間に話を聞くことができた。ぶしつけな質問にもていねいに、ユーモアたっぷり、時には痛烈な皮肉も交えて多くを語っていただいた。「アニメーションの神様」と言われていることについて聞いてみると……。

ノルシュテイン:たぶん、そう名付けてくださった方は無神論者だと思う(笑)。私は自分のことを、なにかすごいものを作り上げた人間とは、ちっとも思っていないんです。だからそう言われることには、ただもうびっくりしますね。

ユーリー・ノルシュテイン
ユーリー・ノルシュテイン

―そうでしたか。「神様」と呼ばれ、半ば伝説的な人物だとすら言われているあなたが、どのようなことを思いながら一日を過ごしているか気になります。

ノルシュテイン:とても楽しくて、困難。ドラマチックであり、ドラマチックでない。そういった相反することが伴っています。

私は、アニメーションという「創造」の分野で働いていますが、創造する作業を続けていくためには、資金が必要で、どのようにこの資金を生み出すかという問題が、日々立ちはだかっています。私の生まれ、育った国(ソビエト社会主義共和国連邦)は無くなりましたが、そのことを喜んでいる人たちがいます。とくに喜んでいるのはお金をもうけている人たちで、そういう人たちは、私などを何とも思っていないんですよ。ホコリのひとつぐらいにしか思っていない。そういうことから、毎日、生活全体に緊張感が生まれているんです。どのような緊張感かといった細かいことは言いたくないくらい……それぐらい大きな緊張感ですね。

「楽なことをしてはいけない」という、ノルシュテインの人生観

ノルシュテインの作品は、一見してわかる圧倒的な美しさと、時に政治的で、難解な物語性が共存している。監督は以前、映画にしろ、文学にしろ、難解な表現に対して、「理解できないというのは、その人の脳や感覚が商業主義に陥っているから」と厳しく指摘したことがある。

ノルシュテイン:作品を理解するために、自分を見つめ、自分と向き合うというのは、楽なことではありませんが、必要なことです。いまは、ますます自己の確立をなおざりにしているように思えるんです。物理的にはそのほうが楽かもしれませんし、群衆のひとりになったほうが楽でしょう。でも私は、楽なことをしてはいけないと思っている。

ユーリー・ノルシュテイン

―いまのお話をうかがって、以前「芸術とは、頂上、高みという言葉の持つ意味合いが含まれている」とおっしゃっていたことを思い出しましが、通ずるところがありますか?

ノルシュテイン:いまもそう思っています。芸術は、エベレストのように克服できるものではなく、決して克服しえない、極められない高みを持っていると感じます。

ただ、よく「文化水準が高い」と言うときに、どれだけ絵画を見たか、どれだけ本を読んだか、どれだけ知識かあるかといったことを基準にしがちですが、私はそうは思いません。なぜなら、キリストの生まれたころには、本も絵画もいまよりずっと少なかったし、ましてや映画などそもそもありませんでした。でもそのなかで、巨大な世界を表現した聖書が生まれたわけですよね。

―つまり、人々のなかにもっと想像力があったということでしょうか。

ノルシュテイン:いまは、かつての宗教が示していた、向かっていくべき方向、本質が忘れ去られ、すっかり装飾的になっていると感じます。大海があり、草原があり、果てしない道があり、大空があり、宇宙がある。この巨大な世界に生きていて、私たちはこの大自然の一部です。こういった感覚が失われていると思います。

「文化とは、真実を切り開く、人間の使命でもあります」

冒頭で、ノルシュテインのアニメーションはもはや「芸術」の域に達していると述べたが、それは彼がもともと、義務教育で重点的に絵を学ぶ学校に通っていたことも大きく影響しているのだという。

ノルシュテイン:当時の先生にこう言われました。「あのね、君たち、描きなさい。一部から全体が想像でき、全体からディテール、小さいものを想像できるように」と。いま思うに、それは手法だけの話ではなくて、風俗、習慣というか、生きることの話だったのではないかと。私たちは部分だけを見ては、生きていけない。全体を見て、自分の周辺の部分も見ていかなければ、現実的に生きていけない。そういうことを教わったのだと思います。

ユーリー・ノルシュテイン

もはや哲学者の様相を呈してきたノルシュテイン。彼の自伝的作品ともとれる『話の話』についてかつてインタビュー(『暮しの手帖 第4世紀20号』に掲載)で語っていたことが、彼の今回の話とリンクするため、要旨をダイジェストして結びとしたい。

ノルシュテイン:『話の話』は、とても単純な、真理についての作品です。私たちの平和で穏やかなふつうに生活を守ること。それが人にとっての幸せであるという真理なのです。

私たちは、木には葉があり、葉がきらめいているのは太陽のおかげということを忘れているのではないかと思うことがあります。テーブルには食物があり、旅人を招くことができる。その人が誰なのか、どこから来たのかを問わずに、偶然通りかかった人を招き入れ、いっしょに食事をすることができる。道は人が行き交うためにあるし、旅をする人のためにある。こういった、人と人との単純な結びつきは、ひょっとしたら、猫がゴロゴロとノドを鳴らす音のようなものかもしれない。あるいは、ロウソクの炎かもしれない。そういうすごく単純なことのはずです。でも、これらを一瞬にして破壊するのが戦争。『話の話』は、そういうことについて描いた作品でした。

文化というものは、たとえ民族が違っても、人と人を結びつけ、影響を与えあって新しいものを生み出していく、まさにボーダーレスな存在です。同時に文化とは、真実を切り開く、人間の使命でもあります。もちろん、民族によって文化は異なるけれど、本質的には、人と人が生き抜く上での合意だから、共通するものがあると思っているのです。

ノルシュテインのアニメーションには、彼が文化や芸術と関わり生きる上で体得してきた、世界に対するまなざしが絶えず注ぎ込まれている。美しいアニメーションにただただ見惚れるもよし、複雑で多層的な物語から、世界のあり方のヒントをもらうもよし。さまざまな角度から堪能し尽くしてほしい特集上映だ。

イベント情報
『ユーリー・ノルシュテイン監督特集上映~アニメーションの神様、その美しき世界~』

2016年12月10日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国順次開催
上映作品:
『25日・最後の日』(監督:ユーリー・ノルシュテイン)
『ケルジェネツの戦い』(監督:ユーリー・ノルシュテイン)
『キツネとウサギ』(監督:ユーリー・ノルシュテイン)
『アオサギとツル』(監督:ユーリー・ノルシュテイン)
『霧の中のハリネズミ』(監督:ユーリー・ノルシュテイン)
『話の話』(監督:ユーリー・ノルシュテイン)

プロフィール
ユーリー・ノルシュテイン

1941年9月15日、第二次大戦下、疎開先のロシア中西部ペンザ州ガラブニーシチェンスキー地区アンドレーフカ村生まれ。アニメーション監督として、これまでに国内外で30以上の映画賞などを受賞。1989年に映画芸術への実作者としての貢献に対してタルコフスキー賞、青少年のためのアニメーションの芸術発展への寄与にたいして国際ジャーナリスト連盟がメダルを授与、1991年にフランスの芸術文学勲章、1995年に文学および芸術上の高度な業績にたいしてロシア「凱旋賞(トライアンフ賞)」を授与された。1981年以来、従来のアニメの常識を覆した『外套』を制作しているが、様々な理由で未だに完成していない。



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