芥川賞候補作『美しい顔』全文無料公開。講談社は経緯を時系列で説明

メイン画像:『群像』オフィシャルサイトより

北条裕子の小説『美しい顔』が、7月4日に講談社のオフィシャルサイトにて全文無料公開された。7月6日には、講談社が経緯の詳細を時系列順に説明した資料を公開した

『美しい顔』は『第61回群像新人文学賞』を受賞した作品。東日本大震災の被災地が舞台で、母が行方不明となった女子高校生の一人称視点から語られている。作者の北条裕子は「受賞のことば」で「私は被災地に行ったことは一度もありません。とても臆病で、なにもかもが怖く、当時はとても遠くの東京の下宿から、布をかぶってテレビを見ていたのです。現実が恐ろしくてしかたがなかったのです」と綴っている。

新人賞受賞後、作中に震災被災地を取材した複数のノンフィクション作品と類似の表現が発見され、それらが参考文献として記載されていなかったことが問題になった。

6月18日、文藝春秋社が主催する『第159回芥川龍之介賞』の候補作として、『美しい顔』を選出したことを発表。6月29日、読売新聞をはじめ、新聞各社がこの問題について報道を開始したことから、大きな注目を集める事態となった。

主要参考文献とされる書籍は以下のとおり。

・石井光太『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)
・金菱清編、東北学院大学 震災の記録プロジェクト『3.11 慟哭の記録 71人が体感した大津波・原発・巨大地震』(新曜社)
・丹羽美之、藤田真文編『メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大震災』(東京大学出版会)
・池上正樹『ふたたび、ここから 東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)
・文藝春秋二〇一一年八月臨時増刊号『つなみ 被災地のこども80人の作文集』(企画・取材・構成 森健/文藝春秋)

新潮社による5つの要望

新潮社オフィシャルサイトより
新潮社オフィシャルサイトより

『群像』を発行する講談社と、「参考文献」の著者の1人、石井光太および発行元・新潮社との協議は5月から続けられていたとのこと。新潮社が昨日7月6日に公開したプレスリリースによれば、5月29日の協議では新潮社側は主に5つの要望を挙げていたという。

1. 発端となった「群像」の誌面で、何らかの回復措置を講じて頂きたい。
2. 参考文献掲載は当然のこととして、実際に複数の類似箇所が生じていることに関しては、今後の『美しい顔』の単行本化の際、参考文献を記載すれば済む話ではなく、類似箇所の中でも、特に酷似した箇所の修正が必要と考えている。
3. 『遺体』は、石井氏が取材をした被災者に、掲載の許諾を取るなど丁寧な手続きを経てまとめた作品。石井氏との信頼関係があったからこそ話し、文章化を許可して下さった内容のはずが、単なる参考の域を超え、酷似する箇所まで生じてしまっている。石井氏を信じて取材に応じてくださった被災者の方々への対応を考えて頂きたい。
4. 北条氏自身からは、未だ何の説明もない。ご本人から書面などで説明頂きたい。
5. 講談社は、類似箇所が生じてしまった経緯、類似箇所に対する認識も含めて、今回の件についての社としての見解をまとめて頂きたい。

協議は順調だったが……

協議は当初順調に進んでおり、いくつかの要望は実現されたものの、6月29日の読売新聞をはじめとする新聞各社による報道後から状況が一変(参考:芥川賞候補作に参考文献つけず、掲載誌おわびへ : 読売プレミアム)。新潮社が7月6日に発表したリリースから引用する。

しかしながら、7月3日、突然、講談社より「群像新人文学賞「美しい顔」関連報道について 及び当該作品全文無料公開のお知らせ」と題したリリースが発表されました。そしてその中で、「6月29日の新潮社声明において、「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」と、小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメントを併記して発表されたことに、著者北条氏は大きな衝撃と深い悲しみを覚え、編集部は強い憤りを抱いております」と記されるなど、弊社に怒りの矛先を向けた内容でした。

新潮社は当時発表したコメントを再掲し、「小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメント」はなかったと主張している。

講談社による7月3日のプレスリリースでは、「6月29日以降の一部報道により、本作と著者について中傷、誹謗等がインターネット上等で散見され、盗用や剽窃などという誤った認識を与える文言まで飛び交う事態となりました」と事態を説明していた。

全文公開の理由としては「北条裕子氏の作家としての将来性とその小説作品『美しい顔』が持つ優れた文学性は、新人文学賞選考において確たる信により見出されたものです。上記の問題を含んだ上でも、本作の志向する文学の核心と、作品の価値が損なわれることはありません」としている。

錯綜する文脈

『美しい顔』を巡る、大手出版社を巻き込んだ今回の騒動。文脈が様々に入り混じっており、非常に錯綜している。被災地を実際に取材した著者の想い、ノンフィクションとフィクションの境界、盗作と類似表現、収奪とサンプリングの境界。創作物の価値をどこに置くのか? それには創作過程や手法も問われるのか? といった問いや、シンプルに「小説とは何か」という問いも孕む、文学史上の1つの事件でもある。まずはそれぞれの文脈を整理することが必要だろう。

被災者自身が綴った手記をまとめた『3.11 慟哭の記録』の編者である金菱清は、新曜社のブログで「慟哭の記録は単なる素材ではありません」としながら、「今回問題になっている表現の一言一句ではなく、ことの本質はその当時の『人間の体温』や『震災への向き合い方』にかかわるものだと感じました」と痛切な想いを綴っている。

荻上チキは7月3日にTBSラジオで放送された『荻上チキ・Session-22』でこの問題に触れ、『美しい顔』がフィクションでしか表現できなかった作品であると評価しつつ、「パクり、パクられといった単純な問題ではない」と語った(参考:【音声配信】「ノンフィクションを告発するフィクションとしての文学的価値~芥川賞候補作『美しい顔』をめぐる盗用騒動に荻上チキがコメント▼2018年7月3日(火)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」)

なお『第159回芥川龍之介賞』の選考会は7月18日17:00から実施。同日に受賞作品が発表される。選考委員は小川洋子、奥泉光、川上弘美、島田雅彦、高樹のぶ子、堀江敏幸、宮本輝、山田詠美、吉田修一。2000年から選考委員を務めていた村上龍が退任したことが昨日発表されたが、今回の候補作品とは無関係であるとしている。

『美しい顔』は無料公開中。一読を推奨

冒頭に書いたとおり、『美しい顔』は全文無料で公開されている。まずは一読してみてほしい。主要参考文献も簡単に入手可能なので、ぜひ手にとってみてほしい。東日本大震災という未曾有の災害とその後について、改めて考える機会になるはずだ。なお講談社と新潮社の協議は継続中。被災者の方々や各作品の著者が今回の件について納得できる結論に至ることを祈りたい。



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