
震災後の日本に送られた仏アーティストからのビデオメッセージ
- 文
- 萩原雄太
日本とフランス両国を文化によって繋ぐ役割を担うフランス政府の公式機関・東京日仏学院。これまでにも、語学学校に留まらず、アーティストの招聘や、公演の実施などを行いながら、フランスの現代アートシーンを日本に伝えてきた。今年3月に日本を襲った東日本大震災の衝撃は、日本のみならず世界中に衝撃を与えたが、日仏学院ではそのあまりの衝撃を考え、フランスのアーティストたちから日本に向けたビデオレターを募集。震災から半年を迎え、ようやく落ち着きを取り戻した9月に全員のメッセージを編集した最終版がアップロードされた。はたして現在の日本は、フランスを始めとする諸外国からどのような視線が投げかけられているのか? そして、この状況に対して日本のアートシーンが果たすことのできる役割とは? このビデオメッセージをきっかけとして、改めて震災後のアートについて思いを巡らせてみることにしよう。
『日本に寄せる80分のビデオメッセージ』
メッセージが表す日本とフランスとの絆
1755年にポルトガルで起こったリスボン大地震は、10メートルの津波による1万人あまりの犠牲者を含む6万人の命を奪っていった。それまでスペインと並ぶ強国だったポルトガルが、徐々にその地位を低下させていくきっかけとなったこの震災はヨーロッパ中に衝撃をもたらし、哲学者のジャン=ジャック・ルソーやイマヌエル・カントらにも深い衝撃を与えたという。そして、そのことは結果的に、彼らの生み出した思想からインスピレーションを得た新たな表現が生み出されることになった。
3月11日に東北地方で起きた震災も、世界史の年表に記載されるほどの大きな事件だろう。日本のみならず、あらゆる国のメディアによって報道がなされ、世界中が津波の恐怖に戦慄し、数多くの国々からとても「ささやかな」とはいえないほど多額の義援金が寄せられている。もちろん金銭的な面だけではなく、支援物資やボランティア活動、そして暖かな心遣いなど、あらゆる国の人々から傷ついた日本に対する支援が送られた。
あれから半年以上が経ったいま、1本のビデオレターがネット上にアップロードされている。『日本に寄せる80分のメッセージ』と題されたそのビデオには、表題の通り80分にわたってフランスの芸術家たちによる日本への励ましの表現が詰め込まれている。オデオン座芸術総監督である演出家オリヴィエ・ピィや、ヒップホップとコンテンポラリーダンスを融合させた先駆者であるムラド・メルズーキ、史上最年少で仏ミシュランの三ツ星評価を獲得したシェフであるアラン・デュカスなど、演出家やダンサー、映画監督、イラストレーター、DJ…etcと多彩な職業の人々からメッセージが寄せられた。
アラン・デュカス(シェフ)
「企画が持ち上がったのは震災直後の3月でした。『文化交流の面から私たちに何かできることはないか』という院長の発案で、これまで日本に関わりのあったアーティストたちに声をかけ、日本への応援のメッセージを募集しました。日本とフランスとの絆、『Solidarité(連帯感)』を示したかったんです」。このように振り返るのは、日仏の文化交流の架け橋となる日仏学院・広報の津田桜さん。「はじめは1人1分、合計で60分の内容になる予定だったのですが、みなさん表現したいことがたくさんあるようで…、結果80分になってしまったんです」と苦笑する。遠いアジアで起きた震災ながら、フランス人にとっても他人事ではない。ましてや来日経験があり、日本の観客たちと関わりを持ったことがあるアーティストならなおさらだろう。メッセージは言葉によるもののみならず、音楽家のアケミ&ドミニク・フィヨンによる震災をきっかけに作られた新曲”Sakura2011”や、イラストレーターのセルジュ・ブロックによるアニメーション、アンヌ・ポルチュガルによる詩作品など、表現方法も多岐に渡る。振付家のジェローム・ベルが寄せるのは、自宅室内にある日本の製品を映しだしただけというシンプルな作品。ハローキティや陶器の食器、日本食品、ファッションといったごく日常的な製品だが、それらがごく自然にフランスの家庭の中に入り込んでいる光景は、日本とフランスとの深いつながりを感じさせてくれる映像となっている。
ジェローム・ベル(振付家)
また、震災後のフランスからの支援として日本で最も多く報道されたのが、このビデオメッセージにも名前を連ねるジェーン・バーキンのライブだろう。それはタイトな日程を押して決行した、気迫あふれるものだった。