コンプレックス文化論 第六回「一重(ひとえ)」

コンプレックス文化論 第六回「一重(ひとえ) 」 其の一 二重(ふたえ)ファシズムの中で

コンプレックス文化論
第六回「一重(ひとえ)」

其の一 二重(ふたえ)ファシズムの中で

昨年のAKB48総選挙の選抜メンバー16人の画像をネットで拾い、最大限拡大してみる。16人中16人、驚異的な数値が出た。15位の横山由依は奥二重でキリリとシャープな目をしているが、とはいえ二重は二重だ。二重率100%。ひと呼吸置いてパソコンに入っている昨年の同窓会の写真を拡大してみる。写り込んだ8人の女性のうち二重は5人。二重率62.5%。おまけにももいろクローバーZも調査しておく。5人中5人、こちらも100%だ。2つのグループが叩き出した二重率100%が示すこととは何なのか。アイドルに「親しみやすさ」が求められる時代に、パーフェクトな顔立ちやスタイルはアイドルの必須条件とはされなくなってきた。団子鼻でも短足でもかまわないし、むしろその不完全な様が際立つほど、それは歓迎される条件にもなる。不完全を愛でるのだ。が、しかし。どうやら、二重は不完全にはカウントされない。前提でなければならないようなのだ。ファンはアイドルの好みを一重か二重かで選んではいないだろう。なぜならば、選ぶまでもなく、横並びで二重なのだ。まぶたが一重か二重か、簡略すればまぶたに一本の線が入っているかどうか、この程度のことが、前提条件としてそびえ立っている。前提とはつまり強制、ならば、一重は根強いコンプレックスになる。この連載としては、素通りは出来まい。

画面に登場するだけで幸の薄さが画面全体に漂う女優の木村多江は、「わたしの顔には、立体感がない」と言い切る(エッセイ集『かかと』より、以下同様)。マネージャーからは「しゃもじみたいな顔」と言われ、そのマネージャーは社長から「なんとか、なんないの?」と持ちかけられたという。「なんとか、なんないの?」、つまり整形をせよ、ということ。木村はマネージャーとともに美容整形の病院を訪れるが、両目で40万円という額を提示される。挙げ句、手術後は1か月の外出を禁じられるという。ちょうど近々の仕事が入っていたし、「(もうすでに)テレビに結構出ちゃってるから」という社長の意向もあり最終的に整形は見送られる。木村多江はこのエピソードをさらりとエッセイの一要素に使っているが、一重の女優がいればさらりと「二重にしてこいや」と事務所の社長がマネージャーに命じるのがこの世界の常識だと教えてくれる。

アイドルのゴシップ雑誌を長年定点観測しているが、この10年、パンチラや胸チラの類いに勝る勢いで増えてきたのが、女優・アイドルの整形疑惑モノだ。現在の写真と中高時代の卒業アルバムや修学旅行のスナップショットを見比べる。整形がよりフランクに行なわれている韓国アイドルなど、ここまでくるとアッパレと思えるほどの開き直った「加工」を見せつけてくるが、日本のアイドルや女優の場合、あれほど豪快なものは少ない。一重を二重にするのは、突っ張ったエラ骨をガリガリ削るのと比べれば「プチ」だ。しかし、「プチ」だからこそ、疑惑として取り扱うには逆においしいようだ。ここで覚えておきたいのは、一重は成長段階で二重になることもあるということ。医学的見地から定義付けると「老化」は15、6歳から始まるそうで、まぶたの皮膚が薄くなることで皮膚が折れ曲がり二重になる場合もある。それゆえ、中学校の卒業アルバムと現在が異なっていることを整形だと結論付けるのはやや尚早といえる……という認知が広まったとしても、あいつは二重に整形したらしい、という推察はあちこちで下世話に暴走するだろうけれど。

それにしても、そもそもなぜ一重は、こんなにもコンプレックスと浸透してしまったのだろうか。その名も「ひとえ.com」というウェブサイトには「一重のデメリット」がズバリ明示されている。「一重まぶたは本当に厄介なものです。(中略)雑誌やテレビに出ている憧れのモデルや女優が、大きな目をくりくりとさせて爽やかな笑顔を見せているだけに、一重まぶたの人が持つ憧れとのギャップ感は相当なものですよね」。何だか救いがない。スリムなボディなどとは違って、一重は何かを怠ったからそうなったわけではない。片手にポテチ、片手にコーラで、「アタシ、読モになりたい」とほざいているわけではないのだ。ただただ、一重なだけだ。一重に生まれてきただけだ。それなのに「本当に厄介」と言われ、「相当なものですよね」と一方的に同情されてしまう。これは、「お前の母ちゃんでべそ」なんてのとは、次元の異なる具体的な攻撃ではないか。

「何がしかのコンプレックスが人を表現活動に向かわせたのではないか」と仮定し考察を進めるこの連載に一重をぶつけてみると、表現活動の入口にすら立たせようとしない態度において、これまでのテーマより格段に強いコンプレックスに位置づけられる。勿論、見てくれを商売道具にしない表現者にとっては、一重であろうが二重であろうが関係ないのだが(余談だが、一重のメリットの一つに「保湿効果」がある。作品や画面をじっくり見つめる機会が多いであろう各種クリエイターには一重のほうが有利かもしれない)、さぁ自分のビジュアルで勝負しようと意気込んだ一重の誰かには、「一重じゃ話にならん」と門前払いが待ち構えている。AKBやももクロの100%が証明するように、一重は玄関でお断りされてしまうのだ。「ビラ・勧誘・一重お断り」である。事務所の社長が言う、「なんとか、なんないの?」。その誘いに応えれば玄関に入れてもらえる。それじゃあと、一重のコンプレックスを易々と放棄するのである。

美容ジャーナリスト・齋藤薫が書いた連作短編集、その名も『Theコンプレックス』は、様々なコンプレックスを持つ女性主人公の物語を記した小説集。正直、平凡な内容だが、平凡なだけにコンプレックスの平均的な像を知る上では役に立つ。短篇「二重にした女」で描かれるのは、「そんな目で見るなよ」と男に言われ続けてきた一重の女・佳恵。佳恵はいよいよ二重まぶたを作るテープを購入する。しかし、男から「何それ、テープ? 途中まではがれているよ」とバレて別れてしまう。テープじゃだめと、本格的に二重に整形する。今度はバレずに結婚した佳恵だが、偶然会った友人に打ち明けたことをきっかけに夫にも整形の事実を告白する。中学の頃、先生にいきなり「お前、何か文句あるのか」と言われた、この目では暮らせなかった、だから、二重にしたのよ。夫は理解を示す。んで、愛が深まる、という小咄。美容ジャーナリストだからなのか、一重に救いの手は差し伸べない。逆に、美を追い求める行為には理由がどうであっても善とする。手を差し伸べるのは一重のままの女ではなく二重にした女であった。

一重と二重がある。正確に言えば、一重と、「二重に出来る状況」がある。個人的にスマホにする必要性をちっとも感じていないので旧型の携帯を持ち歩いているが、そうすると「え? なんでスマホにしないの?」と言われる。スマホと二重は似ている。「え、なんで二重にしないの?」だ。本人にそのつもりはなくても、相手がそれを前提として話してくる。「個性爆発前髪パッツン系」を除けば、女性誌に登場するモデルはほぼ二重だ。二重が前提となっているアイメイク術を前に出されると、一重はどうすることも出来ない。企業の採用に年齢基準があるように、女性誌には二重基準、つまり二重でないとこのメイクはそもそもできませんから、という基準が暗に設けられている。次回の議論にしようと思うが、アイプチやつけまつ毛の浸透によって、目をパチクリ見せるメイクは極めてインスタントになった。一重でも、簡単に二重に近づけるようになった。プリクラではボタン一つで、目をパチクリ拡大できるようになった。平然と一重でいることが、たちまちコンプレックスとして認定されてしまう世の中になってしまった。奥二重、という言葉 / 状態もあるけど、なんだか「友達以上恋人未満」のような、話が長くなりそうな気配があって歯がゆいので深追いはしない。貧乳コンプレックスは、静かなる貧乳ブームがゆったりと定着して和らいだし(当事者ではないので実際のところはわからないが)、デブをぽっちゃりに変換する作業が各所で行なわれ、いわゆる太った女性向けの雑誌『la farfa』が刊行されては好評と聞く。そういった身体的コンプレックス改善の波から、一重は取り残されている。救いの手が差し伸べられぬままになっている。一重は根本的にでも一時的にでも、とにかく貴方自身で淡々と解消しなさいとするのが世間であり、いいや、それをコンプレックスとして育んでいくべきかもしれないではないかと提議するのがこの連載、である。踏ん張らなくてはいけない。

これまで、全3回のうち「其の二」をインタビューとする形式をとってきたが、今回からは「其の三」をインタビューとすることにした。「其の三」では何と、「一重について語ってくれませんか?」という奇特なオファーを引き受けたアイドルが登場する。次回は、今回あまり触れられなかった「一重が作り出してきたカルチャー」について掘り下げていくことにする。「読者モデルは二重だらけだが、超一流のモデルはなぜだか一重だらけ」、この辺りから議論を進めていくこととしよう。

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武田砂鉄

締め切りを守るフリーライター。

武田砂鉄
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