一秒でもはやく D.W.ニコルズインタビュー

メジャー・デビュー1周年を迎えたD.W.ニコルズのニュー・シングル『一秒でもはやく』は<かなしみを乗りこえていこうぜ>というストレートなメッセージが胸に響く、これからの季節にぴったりの珠玉のバラードである。『DWのUST』として、USTREAMでも放送された今回のインタビューでは、中心人物のわたなべだいすけ自身がいかに悲しみや困難を乗り越えてきたかを紐解くため、D.W.ニコルズ結成以前の話を中心に、わたなべのこれまでを振り返ってもらった。内省の季節を乗り越えてきたわたなべの思いを知ることで、『一秒でもはやく』に込められたメッセージがよりダイレクトに伝わると思うし、変わりつつあるD.W.ニコルズのこれからがきっと見えてくるだろう。

(インタビュー・テキスト:金子厚武 撮影:柏井万作)

ゆずのサクセス・ストーリーを目の当たりにして、なんとなく僕もそうなれたらいいなって。

―まずはわたなべさんが歌を歌い始めたきっかけから教えてください。

わたなべ:一番最初のきっかけは小学校低学年のときの担任だった佐々木先生で、フォークギターを学校に持ってきてて、朝みんなで一緒に歌うところから1日が始まるんです(笑)。その先生をかっこいいなと思ってて。

―珍しい先生ですね(笑)。

わたなべ:あとはゆずの路上ライブをずっと見てたんです。まだホントにお客さんが数十人しかいないときから見てて、「今日でもう終わります」っていう日まで毎週ずっと。だからゆずの影響はすごくあって、自分で作詞作曲して歌を作り始めたのが高校3年ぐらいですね。

一秒でもはやく D.W.ニコルズインタビュー
左:わたなべだいすけ

―じゃあ、初めて人前でそれを披露したのはいつですか?

わたなべ:高3の文化祭の後夜祭ですね。僕、後夜祭の実行委員だったんですよ。それで、トリを自分でやったんです。

―職権乱用的な(笑)。

わたなべ:そうです、実行委員だしいいだろうって(笑)。体育館のステージにパイプ椅子ひとつ置いて、ギターとボーカル用にマイクを1本ずつ立てて何曲か歌ったんですけど、ハーモニカを吹きながらギターを持って歌ったのがすごかったらしくて、ワッっていうすごい歓声が体育館に響いて。そのときの気持ちよさが忘れられなくて、今に至るって感じですね。

―一気に人気者になったんじゃないですか?

わたなべ:プチ人気者でしたね(笑)。学校の中歩いてると「この間よかったです」「カセットテープとかないんですか?」って。僕もずる賢いから後夜祭のライブを録音してて、それに新曲2曲入れたテープを1本100円で買ってもらったりして。

―そういうことができたのは、自分に自信があったからですかね?

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わたなべ:自信は昔の方がありましたね。「お前は自信過剰だ」って友達にすごい言われてた。「あいつ絶対俺のこと好きだ」が口癖だったんで(笑)。中学のときはホントダサかったんですけど、自信だけはあったんですよね。

―ちなみに、その頃はどんな歌を歌ってたんですか?

わたなべ:ポメラニアンのココって犬を飼ってて、そのココが可愛いっていう“ココ”って歌とか(笑)。あとは“山”とか“海”とか、1文字が多かったですね(笑)。

―歌詞はいかにも学生ノリって感じだけど、一方ではちゃんとテープを作ったりもしてて、もう将来音楽でやっていきたいって考えてたりしたんでしょうか?

わたなべ:なんとなく、ふつふつと。ゆずのサクセス・ストーリーを目の当たりにしてたのもあって、「こういう風に有名になっていくんだ」っていうのをすごい思って、だからなんとなく僕もそうなれたらいいなって。

―過剰な自信もあったし(笑)。

わたなべ:漠然とした自信しかなかったですけどね。

そこで貫いたところから、貫かざるを得ない状況が始まったというか。

―でも高校卒業後は音楽の専門学校に行くとかじゃなくて、日芸の放送学科に進んだそうですね。この選択はどういった理由だったのでしょう?

わたなべ:大学受験ではいろんな学部・学科を受けたんですよ。さっきの先生に憧れてたのもあって、教師にもなりたかったから教育学部も受けたし、経済学部も受けたし。全部受かるとは思ってなかったんで、受かったところに行って、それでその先にある人生に進んでいこうと思ったんです。ひとつに縛っちゃうのはつまんないなって。

―そこに入ったからにはマスコミの道に進むことも考えた?

わたなべ:音楽もやりたい気持ちはあったので、もし4年間通っていろいろ学んで、何か音楽より興味が湧くようなものがあったら、それを突き詰めてもいいんじゃないかと思って。音楽で行こうって決めるのはちょっと怖かったので、自分を試すじゃないけど、色んなことをやってみようと。

―では実際に卒業のタイミングではどういう選択をしたんですか?

わたなべ:4年間いろいろやってみて、やっぱり音楽が一番だと思ったんですよね。なので、卒業したら自分の歌をライブハウスとかで歌って、プロのミュージシャンになれるように活動を始めようって決めて、就職活動は一切しなかったんです。

一秒でもはやく D.W.ニコルズインタビュー

―1社も受けず?

わたなべ:最後まで受けなかったですね。「1社ぐらい受けろ」っていろんな人に言われましたけど。そこからすべてが始まった気がしますね。そこで貫いたところから、貫かざるを得ない状況が始まったというか。

―就職活動をしないことに不安はありませんでしたか?

わたなべ:方法論もノウハウもなかったので、どうやったらプロのミュージシャンになれるのかまずわかんない、なにをしたらいいのかもわかんない、こんな状態で何とかなるもんなんだろうかって不安しかなかったです。だけど…やってみたい、挑戦してみたいって思ったんです。

―高校の頃まで漠然とあった自信はこの頃にもあったんですか?

わたなべ:大学のときも作った歌をみんなに聞かせたりして、漠然とした自信はあったんです。当時デモテープを色んなところに送ってたんですけど、あるレコード会社の偉い人から直接電話がかかってきて、「契約云々は抜きにして1回会いたい」って言われて。結局その人は「結構いいから頑張んな」ってだけだったんですけど、僕はもう電話かかってきた時点で「行った」と(笑)。大学在学中にデビュー行ったと。

―中学のときの「あいつ絶対俺のこと好きだ」と同じですね(笑)。

わたなべ:まったく同じですね(笑)。その電話を「ありがとうございます!」って切った後そのまま友達1人ずつ電話して「僕デビュー決まりました」と(笑)。でも「いいね」で終わっちゃって、「結構厳しいかも」って思ったんです。もっと現実的にちゃんとやっていかなきゃって。だから自信はどんどん削られていったというか。

「やめる・やめない」とか「あきらめる・あきらめない」とか、そういう問題じゃないのかもしれないって気づいたんです。

―大学卒業後はどんな歌を歌ってたんですか?

わたなべ:今の僕らはハッピーな歌とか愛の歌とかが多いんですけど、当時は1人でいる時間も多かったし、内側に向かった歌が多かったですね。漠然とした不安をそのまま吐露するような歌だったりとか。

―例えばどんな歌詞でしたか?

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わたなべ:20歳ぐらいから2〜3年、自分の誕生日の直前に歌を書くっていうのを決めてて、20歳のときに書いたのが“春雨”って曲なんですけど、それは<明日晴れるかな あの頃の僕に胸張れるかな やれるかな 僕はまだやれるかな 揺らいでいるのはきっと煙だけ 僕はもうすぐ21になる>っていう、「20歳の俺に何があったんだ?」って今聴いて思いますけど(笑)。1人で部屋でひざを抱えて、悶々とそういうことを考えてる時期がしばらく続いてましたね。

―確かに20歳にしては内省的ですね。特に今のニコルズと比べると。

わたなべ:揺らいでたんですよ、多分。このまま音楽を続けてっていいのかなとか、どうしたらいんだろうって。

―あきらめようと思ったことはなかったですか?

わたなべ:(あきらめることを)常に考えていたからこそ、そういう(内省的な)歌が多かったんだと思うんですけど、あるとき「やめる・やめない」とか「あきらめる・あきらめない」とか、そういう問題じゃないのかもしれないって気づいたんです。他の人っていろんなものを平均的に積み上げていけると思うんですけど、僕はずっと音楽っていうところで高みを目指していたので、ひとつのところばかり積み上げてきちゃって、パッと他を見たら全然積み上げてこれなかったんです。でも何かひとつのことをずっとやるのってそういうことで、ここから下に飛び降りて、また全部を平均的に積み上げていくのはとても大変なことだし、だったら少しだけど積み上げてきたものを信じて、このままここを積み上げていく方がいいんじゃないかと思って。

―なるほど。

わたなべ:あとは単純に歌を作って人前で歌うことが好きだったし、歌を褒められたら嬉しいし、みんなが喜んでくれたらすごく嬉しい、それをずっと味わっていたいなって、それは今も続いてる感覚なんです。あきらめそうにもなったし、毎回嫌にもなってたけど、続けていくってことだけはやめなかったですね。

―その甲斐もあって、バンドになってからは順調な活動が続いてますよね。

わたなべ:バンド形態でやり始めた途端に反応が変わったのを肌で感じるようになって。バンドのアンサンブルとかも全然わからないので無我夢中なんですけど、自分1人でやってるのとは違うから曲もどんどん書けるようになって、違うタイプの曲も書くようになったし、ライブもバンドってだけで一気に出れるライブハウスが広がって、ありがたいことに色んな人が呼んでくれて、どんどん広がっていきました。

―歌ってる内容も大きく変わりましたよね。愛や幸せについて歌うようになった。

わたなべ:お客さんにもっと喜んでもらいたい、楽しんでもらいたいって思うようになったんですよ。あとは単純に(バンドが)楽しかったので、悶々とした気持ちを歌う必要がなくなったっていうのもあると思うんです。まだそういう気持ちもどこかにはあるけど、別に言いたいことがどんどん出てきて。家族を大事に思う気持ちとか、「わたなべだいすけ」で歌うと照れくさいことも、ある意味D.W.ニコルズっていう場所を借りて歌うことができるようになったんで。

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D.W.ニコルズ

―メジャー・デビューをはじめとしたバンドを取り巻く急激な変化に対してはどのように感じていますか?

わたなべ:単純にやっぱり嬉しいですね。どうしてこういう状況になったのかって振り返ってみると、口に出して言ってたんですよね。「CD出したい」「メジャー・デビューしたい」って。「有名になりたい」とかって常に言ってると、こいつはホントに有名になりたいんだなって気持ちが色んな人に伝わって、気づいたら周りに協力してくれる人が、僕と同じものを信じてくれる人がたくさんいる状態になって、じゃあみんなでてっぺん目指して頑張りましょうってなっていったんでしょうね。

―その一方では当然プレッシャーも感じるかと思いますが。

わたなべ:そういうものは当たり前だと思うんです。そういうのがあるからこそ、たくさんの人に伝えられるチャンスがあるわけで。僕が一人で活動してるときにはそういうのもなくて、ただ漠然と不安があっただけ。今も不安はあるんだけど、それと同じかそれ以上にチャンスもあるし、それが嬉しいですよね。ずっとそういうとこでやるイメージ・トレーニングもしてたんで(笑)。

悲しみって忘れられないものだと思うんです。

―では新曲の“一秒でもはやく”ですが、「悲しみを乗り越える」というテーマをストレートに歌った感動的な楽曲だと思います。どのようにして生まれた曲なのですか?

わたなべ:バラードを書こうと思って書いた曲なんです。今のこの時期に僕が歌うバラードってどういうバラードがいいんだろうって考えたときに、ラブソングでもないし、「頑張れ」っていうバラードでもない、悲しみとか喜びをテーマにしたバラードを書けたらいいなと思って。悲しみって忘れられないものだと思うんです。忘れられないからこそ悲しみだと思うし、忘れられてしまった時点で悲しみは違うものに変わってしまうと思うんですね。でも乗り越えていくことならできると思うんです。音楽とか僕が悲しみを抱えている人に何かできるとしたら、「一緒に乗り越えていこうぜ」って言うことかなって。

―なるほど。

わたなべ:ライブハウスでみんな笑顔でこっちを見てくれてはいるけど、1歩ライブハウスを出たら、悲しみを思い出してしまったりとか、それぞれ色んな悲しみを抱えてたりすると思うんです。そういうときにそっとそばに寄り添えるような、ライブハウスを出た後も、僕らが目の前で演奏していないときにも、そっと寄り添っていられるような曲が書けたらなって。

―わたなべさんご自身も色んな悲しみを乗り越えたからこそ今があるわけで、そういう自身の経験も反映されているわけですよね。

わたなべ:そうですね。僕は1人でやっていた当時、色んな人たちのインタビューを読んで、同じような境遇にあった人たちの経験を見て安心したりしてました。「この人今すごい有名だけど、僕と同じような気持ちを抱えてたんだ」って。僕もそういう存在になれたらなって思うし、だから僕が今まで抱えてた悲しみとか不安も全部含めて、この新曲に込めてあるつもりです。

―タイトルにはアスリートに対する憧れも反映されてるとか?

わたなべ:ミュージシャンって、CDが売れた枚数とか色んな数字で出るものもあるんだけど、今日のライブがどれくらいよかったか、この歌がどれくらい人に伝わったかって、数字で出ないじゃないですか? でもアスリートって、例えばランナーだったら、1秒速く走れたら、目に見えて速くなったことが数字で出るじゃないですか?それってすごい憧れるんです。うらやましい気持ちもあるし、怖いなって気持ちもある。「悲しみを1秒でも速く乗り越えよう」って、バカバカしいし、稚拙な感じだけど、それぐらいの気持ちじゃないと悲しみは乗り越えていけないと思って。

―数字には換算できないけど、わたなべさんが思う人に伝わる強度を持った音楽って何が重要でしょうか?

わたなべ:個人的に見ていてぐっと来るというか、心が突き動かされる瞬間っていうのは、その人が滲み出る、溢れ出てるときにぐっと来ます。だから僕は常に身の丈を超えないようにって気をつけて歌詞は書いてるし、等身大のまま、そのままステージに上がるようにしてるし、当たり前のことだけど、嘘がなくて真っ直ぐ、ピュアな気持ちで、音楽が好きで、歌が好きで書いてるっていう、その気持ちを伝えることじゃないですかね。

―では最後に、11月にはメジャー・デビュー1周年記念ツアーも控えていますが、メジャー2年目のD.W.ニコルズがどうなっていくか、今考えていることを教えてください。

わたなべ:これまでは「D.W.ニコルズとしての僕」っていう意識が強かったんですね。バンドのボーカルとして歌を歌うことをすごく意識してたんですけど、D.W.ニコルズの土台がしっかりできてきた気がするので、そろそろ「わたなべだいすけ」をもっと押し出してもいいんじゃないかっていうモードに最近なりつつあって。それこそ悶々としてた時期の僕の感じだったり、今でも色々不安もあるし怖いこともたくさんあるし、そういう今までは「D.W.ニコルズでこういうことを言うのはちょっとなあ」と思ってたことも、言っちゃってもいいんじゃないかって。

―なるほど。

わたなべ:さっき言った滲み出ちゃうようなものが出てきたら、もっとD.W.ニコルズの魅力が広がっていけるんじゃないかと思うし。この“一秒でもはやく”という作品から、なんとなくそういう兆候が見えつつあるので、期待してほしいです。

リリース情報
一秒でもはやく
D.W.ニコルズ
『一秒でもはやく』

2010年10月20日発売
価格:1,000円(税込)
AVCH-78020

1. 一秒でもはやく
2. 安いワインとチーズをちょっと
3. 初恋はラジオの中に

プロフィール
D.Wニコルズ

09年9月9日に「マイライフストーリー」でメジャーデビュー!全国ラジオパワープレイ31局を獲得したD.W.ニコルズは05年9月わたなべだいすけ(Vo&Ag)、千葉真奈美(Ba&Cho)が中心となり結成。07年3月 鈴木健太(Eg&Cho)、岡田梨沙(Drs&Cho)が加わり、現在の4人編成に。一瞬聞き返してしまいそうな…聞いた事がある様な…。バンド名は、「自然を愛する」という理由から、D.W.=“だいすけわたなべ”が命名(C.W.ニコル氏公認)。今回10月20日に『一秒でもはやく』をリリースし、11月には初の全国ツアーを9都道府県で実施する。また、毎週木曜日にMyspaceにて『DWのUST』を生放送し、毎回様々な事を発信中!



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