何かが壊れた一年 石橋英子インタビュー

『Remix』誌で年間ベストに選ばれるなど、大きな話題を呼んだ前作『drifting devil』から約2年ぶりとなる石橋英子の新作『carapace』。ジム・オルークがプロデュースを務め、録音・ミックス・演奏と全面的に関わった本作は、ライブでの再現性を重視して、ピアノと歌だけでも成り立つことを意識したというシンプルな作品でありながら、的確に配置された管弦楽器の響きも印象的な、実に味わい深い作品となっている。年明けから良作の続く2011年だが、その中でも最も厳かに、しかし力強く、新しい年の幕開けを飾る作品と言えるだろう。
約10年間に渡ったPANICSMILEとしての活動終了から始まり、七尾旅人、長谷川健一、Phewといった数々のアーティストとの共演を経て、『carapace』へとたどり着いた2010年を評して、石橋は「自分の中で何かが壊れた一年だった」という。はたして、その真意とは?

(インタビュー・テキスト:金子厚武)

(PANICSMILEが終了したのは)ポトッと殻が落ちたみたいな感じです。

―今年(2010年)はまず3月にPANICSMILEとしての活動が終了しましたよね。約10年間活動したバンドに対する率直な想いを教えてください。

石橋:私の20代の生活にとってすごく大きなバンドでしたね。25、6歳ぐらいまではしばらく音楽をやってなくて、たまたま行った20000V(ライブハウス/現、東高円寺2万電圧)で働いていた吉田(肇)さんに「一緒にバンドをやらないか」って言われてやることになって。それから音楽の知り合いが増えたし、ツアーとかも楽しくて、ホントに家族みたいな感じで。

―じゃあバンドの終了には寂しい思いもありますか?

何かが壊れた一年 石橋英子インタビュー
石橋英子

石橋:最後のアルバム(『A GIRL SUPERNOVA』)を作ってたときになんとなく、自分ができることはもうやったなって感じてて。何の理由もないし、自分のソロ活動とも関係ないんですけど…。そういう時期に、ジェイソンが抜けてアメリカに帰るっていうタイミングも重なって、「次で最後にしよっか」って。

―ごく自然に、終わるべきときに終わったという感じですか?

石橋:そうですね。ポトッと殻が落ちたみたいな感じです。


―PANICSMILEをやる前の、音楽から離れていた時期っていうのはどういう時期だったんですか?

石橋:ピアノは4歳ぐらいからやってたんですけど、高校でピタッとやめたんです。大学のときは映画を撮りたくて、音楽は宅録をしていたくらいだったんです。

―音楽じゃなくて、映画を作りたかったんですね。

石橋:でも、映画はお金も時間もかかるからなかなかうまくいかなくて。それで結局、映画を撮ってた人たちでバンドをやることになっちゃったんです(笑)。

―そうなんですか(笑)。

石橋:はい。でも、大学卒業とほぼ同時にそのバンドもなくなっちゃって、私も本格的に音楽をやるつもりはなかったから、普通に仕事をしてたんです。

―その後に20000Vでたまたま吉田さんに誘われたと。

石橋:そうなんです。その学生のときにやってたバンドで、まだ福岡にいたときのPANICSMILEとシェルターで対バンしたりしてたから、知ってくれてたんです。

―でも映画的な感覚って石橋さんの作品からすごく伝わってきます。質感だったり、全体的なストーリー性だったり。映画はどんな映画がお好きなんですか?

石橋:最近ではセルジオ・レオーネの『Once Upon a Time in the West』を観て、ホントに号泣しましたね(笑)。台詞があんまりなかったりするし、わりと辛抱の要る映画なんですけど、一個一個のシーンの深さに感動するんです。もちろんストーリーもだけど、力強いものを作れるっていう可能性にも感動して。あと(ヴェルナー・)ヘルツォークさんのシュトロツェクという映画も本当に素晴らしかったです。

ジムさんと(飲み屋の)店長から色んな音楽を教えてもらって、ホント音楽の先生みたいで。

―PANICSMILEではドラマーというポジションだったわけですが、ソロをはじめ、色んな方と共演されたり、多岐に渡る活動をされてますよね。ご自身としてはプレイヤー、作曲家、はたまたシンガーソングライターとか、どんな意識が強いですか?

石橋:そこは自分の中でも区別がないっていうか、作曲するときもプレイヤーでもあるし、プレイヤーとして参加してても作曲するイメージだったり。例えば即興演奏でも、短い時間の中で作曲するみたいな気持ちがあるので。

―ちなみに、今回の作品ではドラムは演奏してるんですか?

石橋:何曲か叩いてる曲はあります。でも分担作業で、例えば私がベース・ドラムを叩いて、ジム(・オルーク)さんがスネアを叩いてたりとかそういう感じで、全体で叩くことはなかったですね。

―それってPANICSMILEでドラマーとしての自分に一区切りがついたっていうことだったりします?

石橋:私がドラマーとして成り立ってたのは、ある意味奇跡だったと思ってるんです(笑)。PANICSMILEっていうバンドだったから、あのバンドのメンバーだったから、私のドラムで成り立ってたんだって。自分はすごい上手いドラマーでもないし、スネアとペダルも持ってなくて、スティック3本だけ持ってるみたいなドラマーだったんで(笑)。ドラマーとしての自覚は元々なかったんです。

―ではピアノに対してはどうですか?

石橋:ドラムは純粋に楽器として楽しめるんですけど、ピアノはまだちょっと怖いんです。ピアノは私にとって、音で世界を決定づけてしまう恐れがある楽器なんですけど、中途半端に長くやっていたから手癖がついちゃってて。そこから抜け出したい、もっと勉強したいっていう気持ちがありますね。

何かが壊れた一年 石橋英子インタビュー

―では、先ほどもちょっと言いましたけど、石橋さんは近年ホントにいろんな方と共演されてるじゃないですか? その中で特に、本作に繋がるような、今の石橋さんに強い影響を与えた出会いというと、誰との出会いになりますか?

石橋:やっぱりジムさんとの出会いですね。ちゃんとお話したのは2009年の夏が初めてで、もちろんジムさんの音楽は知っていたし、ファンだったのですが。でもたまたま共演する機会があって、それからはよくお話したり、作品に誘っていただいたり、一緒に飲む機会もあって。いつもラジカセで音楽を聴かせてくれる飲み屋の店長がいて、その店長とジムさんが色んな音楽を共有してるんですけど、「これ知ってるか?」って言われても、ほとんど知らない音楽ばっかりなんですよ。この半年以上、ジムさんと店長から色んな音楽を教えてもらって、ホント音楽の先生みたいで。

―ジムさんと対等に音楽の話ができる飲み屋の店長ってものすごいですね(笑)。

石橋:焼き鳥屋の店長なんですけど、その辺の音楽家より全然音楽を知ってるんです(笑)。

―それで、その店長さんではなくて(笑)、ジムさんが本作のプロデュースを務めてるわけですが、そういう交流から、まず「ジムさんとやりたい」っていうのがあったのでしょうか? それとも作品の方向性が見えた上で、「この方向性ならジムさん」という順番だったんでしょうか?

石橋:最初は1人で作ってたんです。今までは自分でもどんな曲にするかわからないまま、ドラムを何パターンか作って、それに合わせてピアノを弾いたり歌ったりしてたんですけど、今回はまずピアノと歌だけで作りたいっていうのがあって。あと前作は色んな人が参加してオムニバス的な作品になったのに対して、参加するメンバーをある程度固定したいっていうのもあって。それで今回は、作品のイメージがある程度わかってきたところで、ジムさんと山本達久さんに、まずは演奏家としてお願いして。録音は直前までどうしようと思ってたんですけど、6月の終わりぐらいにジムさんに相談して、「録音お願いできますか?」って言ったら、「いいよ」って。

―プロデュースに関しては?

石橋:最初は自分でやるつもりで、下手したらミックスも自分でやるしかないと思ってて。それでデモが全曲揃った7月の半ばぐらい、録音の1週間ぐらい前に、「録音の仕方を相談したいんでデモを聴いてもらえますか?」ってジムさんに言ったら、録音の3、4日前に、曲のアイデアがいっぱい書いてある紙を持ってきてくださって。それは録音のアイデアじゃなくて、ジムさんの頭の中で膨らんだものがいっぱい書いてあって、これはプロデュースだ、と。そういう流れで、ホント録音の直前にプロデュースが決まったんです。

自分と関係はあるけど、歌にした時点で自分と切り離された存在になったらいいなっていう思いで作ってるかもしれないですね。

―前作と違って、まずピアノと歌だけで作ったり、参加メンバーを固定したいと思ったのはなぜなんですか?

石橋:ライブで1人で演奏できるものっていうのを念頭に置きたかったんです。1人でポツンとステージに立ってやっても、力強いものにできないとダメだっていうのがあって。

―再現性を重視したということですね?

石橋:leteっていう下北沢の小さいライブハウスでやることが多くて、自分の曲をどうやって再現するかを考えたときに、前までの作り方だと音数が足りないんですよ。それがジレンマになってて、歌とピアノだけで十分成り立つものを作りたいっていう強い思いがあったんです。

―石橋さんの中でシンガーとしての意識が芽生えたのって、やっぱり前作を作ったことが大きいんですか?

石橋:それがね、まだ芽生えてない(笑)。シンガーなんて自覚はホントになくて、歌うことはいまだに嫌いなんです(笑)。自分しか歌う人がいないから、しょうがなく自分が歌うって感じです。歌録りのときもジムさんに「英子さん、歌いたくないのはわかってるけど、そろそろ…」って(笑)。

―そうなんですね(笑)。ちなみに、歌うようになったのはPANICSMILEがきっかけですよね?

石橋:そうですね。ホントに不思議、よくやってたなって(笑)。

―その頃と比べての歌に対する意識の変化というと、どうですか?

何かが壊れた一年 石橋英子インタビュー

石橋:違いがあるとすると、自分が歌いたいことがわかってるって感じかな。前はほとんど記号のように、自分と関係ないことのように歌ってたけど、今は自分とすごく関係があると思って歌ってる感じがします。

―「歌いたいこと」というのは?

石橋:自分のことだったりするのかな…さっき言ったことと正反対になっちゃうかもしれないけど、もちろん自分と関係あるんですけど、自分じゃないっていうか、私自身の想いじゃないっていうか。例えば、その言葉が儀式のように存在したらいいなと思ってるんです。空からの視点であったりとか、そういうものであったらいいなって。自分と関係はあるけど、歌にした時点で自分と切り離された存在になったらいいなっていう思いで作ってるかもしれないですね。

―それって映画監督的って言えるかもしれませんね。もちろん自分が撮った作品なんだから自分の作品なんだけど、レンズを通してるから自分じゃない、みたいな。

石橋:そうですね。ちょっと冷めた視点があるというか、ドライというか。

―言葉のチョイスに関して大事にしてる部分はありますか?

石橋:熱くなり過ぎない感じかな。自分に対して「寒い」っていうセンサーがすごく働くんですよ(笑)。そのサムサムセンサーが働き過ぎてもダメだし(笑)、かといってあんまりウェットになってもダメだし、その加減を気をつけてるかな。

―自分が出過ぎちゃうとセンサーが働く?

石橋:そうかもしれない。それは子供の頃からで、やっぱり恥ずかしいんですよ。もう1人の存在が常に監視してる感じがあるんです。何を言っても、何を弾いても常にそういう存在がいて、ものをじっくり作るときはそういう客観的な視点があっていいんですけど、ライブはホントにきついですね(笑)。少しお酒飲んだ方がいいかなって最近思ってるんですけど(笑)。

―飲みながら歌詞を書いたらセンサーが鈍ってちょっと違うものが書けるかもしれないですね。

石橋:そうですね、今度やってみます(笑)。

いいものは外側じゃなくて内側にあるんじゃないかと思うんですね。自分の中にあるはずなんですよ。

―僕が石橋さんの歌詞から感じるのは、ものすごく大きな存在の中で生きてるというような感覚なんですよね。自然というか…漠然としてるんですけど。

石橋:一つ一つの歌はすごく小さい出来事から作ってることが多いんです。すごく固有的なものって、普遍的になり得るっていうか。それでそう感じるのかもしれないですね。小さい出来事ってみんなの中にあるから、それが自然とか宇宙になり得ると思うんですよね。最近スピリチュアルとか流行ってるじゃないですか? あれは大丈夫かなって思うんですけど(笑)。

―パワースポットとかね。

石橋:場の力というものは、もちろんあると思うのですが、そういうものがカルチャーになってしまうと、疑いをもっちゃうんです。もっといいものは外側じゃなくて内側にあるんじゃないかと思うんですね。自分の中にあるはずなんですよ。

―すごくライトなものになってる気はしますね。

石橋:そうそうそうそう。でも最終的に個を見つめると行き詰るんです。その先は、周りにいる人たち、自分が好きな人たちのことを考えるんです。曲を作るのもそういう流れで、ホントに音楽だけって考えたら、私が作んなくてもいいと思うんですよ。すでにいい音楽っていっぱいあるから。私が自分のことを音楽家と言いたくないのは、そういうところがあって、今さら私は音楽を作る必要があるのかっていうのを、ホントに音楽だけで考えると、「ない」っていう答えが自分の中で返ってくるからなんです。じゃあ、なんで音楽作るのかって考えると、自分の身近な人に聴いてもらいたいとか、単純にそれだけだったりするんですよね。

―なるほど。

石橋:それが商品になるってなったときに少しジレンマはあるんですけど、でも単純に作品を作るっていうときはそれしか考えてなくて、今回も平川さん(P-Vine/felicity)が熱心に聴きに来てくれてなかったら、出さなかったかもしれないし(笑)。

―よかった、出してくれて(笑)。

石橋:例えば、即興とかでもそうなんですけど、自分が音を出してるとか、自分が演奏してるって感じから抜け出せないと、音楽にならないっていうのがあるんですよね。自分と関係ない「願い」みたいなものがないと、音楽にならないんです。

―これまでに話していただいた文脈と、本作のタイトルである『carapace』(甲羅)とは関係がありますか?

石橋:そのサムサムセンサーがすごく働くので(笑)、自分の歌詞を全部亀が歌ったことにしちゃおうかなって思ったり(笑)。あと一つ一つの曲が甲羅の一つ一つみたいだなとも思って。今回すごく歪なものを作ったって感じがあって、歪なものって形が変わってるから、光によって見え方が変わってくる感じがして。

―では最後に改めて、色んなことがあった2010年は石橋さんにとってどんな年でしたか?

石橋:このアルバムに向かった1年だったと思いますね。それで何かが壊れたと思います。自分の中で何かが壊れて、死んでいって、真新しい自分になった気がします。自分 でも「変わらなきゃ」って思ってたのが、はっきりしたっていう感じの1年だったと思いますね。

―どう変わったのでしょう?

石橋:音楽家としてじゃなくても、音楽を真剣に作っていくっていう単純なことなんです。今まではその辺はあまり意識的にできていなくて、それでよかった部分もあると思うのですが、作品も即興も強い心をもって、作れないものを作らなければと思うのです。自分の中で何か爆発したもの、起こったものを大事にして、やっていかなきゃいけないなって。

―それこそ、本作は結果的にジムさんのプロデュースになったわけですが、一から十まで自分の作品っていうのも作りたいという欲求はありますか?

石橋:それはありますね。時間かかってもそういうものを作らないといけないと思ってます。もうやらなきゃいけないときが来てるのかもしれない。もう始めないと、準備しないといけないと思います。

リリース情報
石橋英子
『carapace』

2011年1月6日発売
価格:2,625円(税込)
FCT-1006 / felicity cap-117

1. coda
2. shortcircuit
3. rythm
4. splash
5. shadow
6. emptyshout
7. face
8. hum

プロフィール
石橋英子

茂原市出身の音楽家。大学時代よりドラマーとして活動を開始し、いくつかのバンドで活動。映画音楽の制作をきっかけとして数年前よりソロとしての作品を作り始める。数年前よりその後、2枚のソロアルバムをリリース。ピアノをメインとしながらドラム、フルート、ヴィブラフォン等も演奏するマルチ・プレイヤー。シンガー・ソングライターであり、セッション・プレイヤー、プロデューサーと、石橋英子の肩書きでジャンルやフィールドを越え、漂いながら活動中。最近では七尾旅人、Phew、タテタカコ、長谷川健一の作品に参加。



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