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尾崎裕哉が明かす、父・尾崎豊への歌手としての憧れと自身の葛藤

尾崎裕哉が明かす、父・尾崎豊への歌手としての憧れと自身の葛藤

尾崎裕哉『LET FREEDOM RING』
インタビュー・テキスト
金子厚武
撮影:豊島望 編集:山元翔一

本質に対する真摯さや、自分を作らないっていうアーティストとしての姿勢に関しては、父と同じなんじゃないかと思います。

―その感じは、“27”によく表れていると思うんですけど、この曲は尾崎豊さんの“僕が僕であるために”に対するアンサーソングのように聴こえました。“僕が僕であるために”は、<僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで>と歌っているのに対し、“27”では<ため息ばかりついてたのは 僕が僕であるために背負うことが多すぎた 受け入れることも 否定することも 全て僕が選ぶことだと知っているの>と歌っていますよね。1980年代は白黒はっきりした答えを求められたのに対して、今は「答えはひとつじゃない」という感覚が基本になっていて、この2つの曲の間にそういう時代の変化を感じたんです。

尾崎:なるほど。人は生き物ですから、その場その場で正しい答えは変わるし、臨機応変に判断しないといけないっていうのが僕の考えです。ただ僕が、なぜ尾崎豊の曲が好きかっていうと、答えがあるからなんですよね。

アーティストの理想って、どんな葛藤に対してもひとつの答えを出すことだと思うんです。そういう意味では、自分はまだまだとも思う。正しさにはいろんな形があるから、いろんな正しさを歌っていけばいいのかもしれないですね。

尾崎裕哉

―“27”は葛藤の時期を超えて、自分の道を進んで行くんだっていう、尾崎さんなりのひとつの答えを提示した曲ではありますよね。

尾崎:そうですね。あと自分にとって音楽は日記に近くて。そのときの感情や起こったことを言葉やメロディーにすることで、いつでもそれを思い出せるように、っていうのが曲を作る理由のひとつでもあるんです。“27”に関しては、「もがいていたときのことが、これから報われていくんだ」っていう、希望を込めて書いた曲でもあります。

―ちなみに、先ほど尾崎豊さんと「ベクトルは同じ」という話がありましたが、その「ベクトル」を言葉にしてもらうことはできますか?

尾崎:生きることの本質を歌うってことじゃないですかね。それっていうのは人それぞれの解釈でしかないとも思うけど、いろんな観点で物事を見たとき、自分なりの答えを突き詰めていくということ。そういう本質に対する真摯さや、素直さをなくさない、自分を作らないっていうアーティストとしての姿勢に関しては、同じなんじゃないかと思います。

尾崎裕哉

音楽だからこそ伝わるメッセージを発信していくのも、シンガーソングライターとしての役割のひとつだと思う。

―裕哉さんがミュージシャンになることを真剣に考えるようになったのはいつ頃ですか?

尾崎:高校を卒業するタイミングで、母親に「ミュージシャンになるから、大学には行かない」って言ったんですけど、「馬鹿野郎」って言われて(笑)。その頃はちゃんと曲も書いてなかったし、一生の友は学生のときじゃないと作れないから、大学に行ってからでも遅くないんじゃないかと。それで大学に行きながら曲を書き始めたんですけど、最初は歌詞が全然書けなかったんです。

―それはなぜ?

尾崎:たぶん、理想が高かったんだと思います。僕は尾崎豊の音楽を聴いて育ったので、ああいう物語を描写するような歌詞が正解で、「作品としての音楽」を求めていたんです。だからこそ、20歳から5~6年くらいは全然書けなくて、すごく苦しかったですね。ただ言葉を並べればいいはずなのに、でも言葉を並べるだけじゃ納得いかない。曲はすぐ作れても、それに見合う歌詞がまったくできない状態がずっと続いていたんです。

―5~6年苦しい時期が続いて、そこからの転機になったのはいつのどんな経験だったのでしょうか?

尾崎:曲の書き方を勉強しようと思って、バークリー音楽大学のサマープログラムに短期で参加したんです。そこに、僕が大好きなジョン・メイヤーの先生でもあるパット・パティソンっていう人がいて、彼の授業がすごくよかったんですね。彼の曲作りのメソッドは、「誰が、誰に、なぜ歌うのか?」が大事だということで、それを言われたときにハッとして。

そのプログラムでは、自分の曲を発表する機会があったんですけど、何人かいた日本人の受講者が僕の曲を褒めてくれたんです。“Road”っていう曲だったんですけど、等身大の歌詞というか、何も作ってない、自分の普通の言葉だったから、これでいいんだって思えたんですよね。

―「作品でなければならない」という想いから、解放された瞬間だったと。

尾崎:そうですね。ただ、だからといって急にスラスラ曲が書けるようになったわけではなく。初めて自分で納得できた曲は、去年配信でリリースした“始まりの街”なんですけど、あれを書くことができたのって、2年前なんですよね。

それまでは、歌うことはできても、「ヤバい、曲を作る才能がない」って、結構焦ってたんです。でも、そこは努力するしかないし、シンガーではなくシンガーソングライターとしてやりたいっていう想いは譲れなかったので、とにかく曲を書き続けました。それでようやくデビューするまでに至るという。

―“始まりの街”は、大学院を卒業するタイミングで母親に贈った曲なんですよね。

尾崎:そうです。そういう意味では、「誰が、誰に、なぜ歌うのか?」がはっきりしていたからこそ書けた曲でもあります。シンガーソングライターは、自分の想いや感情をいかに曲に込められるかが大事だと考えているんですけど、そのためには、もっと自分の心に潜っていかないといけないんですよね。そう思うのは、尾崎豊の存在が大きいからこそで。今は自分をさらけ出す過程にいて、まだ自分の想いや感情の10%も出せていないので、もっともっと頑張らないといけないなと。

―EPの1曲目の“サムデイ・スマイル”は、どんなテーマで作られた曲ですか?

尾崎:もともとは“上を向いて歩こう”みたいな曲が作りたかったんです。落ち込んでる人に、「僕らは絶対幸せになれる、今はその途中なんだ」って言っても、ピンと来ないじゃないですか? でも、音楽だからこそ伝わるメッセージってあると思っていて、そういうメッセージを発信していくのもシンガーソングライターとしての役割のひとつかなって思うんです。

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リリース情報

{作品名など}
尾崎裕哉
『LET FREEDOM RING』(CD)

2017年3月22日(水)発売
価格:1,500円(税込)
TFCC-89613

1. サムデイ・スマイル
2. 27
3. 始まりの街(Soul Feeling Mix)
4. Stay by my Side

イベント情報

『尾崎裕哉ツアー』

2017年10月6日(金)
会場:大阪府 NHK大阪ホール

2017年11月3日(金・祝)
会場:東京都 有楽町 東京国際フォーラム ホールC

料金:各公演 前売6,480円

プロフィール

尾崎裕哉
尾崎裕哉(おざき ひろや)

デジタルネイティブ世代のバイリンガル、コンテンポラリー・シンガーソングライター。1989年、東京生まれ。2歳の時、父・尾崎豊が死去。母と共にアメリカに渡り、15歳までの10年間を米国ボストンで過ごす。米国ではLed ZeppelinやGreen Dayなど、1960年代~90年代のロック&ブルーズから幅広く影響を受ける。もっとも敬愛するアーティストはジョン・メイヤー。同時に、父親が遺した音源を幼少期から繰り返し聴き続けて歌唱力を磨き、ギターとソングライティングを習得。2016年に、自伝『二世』(新潮社)を出版し、アーティスト「尾崎裕哉」としては初の音源となるデジタル1stシングル『始まりの街』をリリース。2017年春、初のフィジカルCD作品『LET FREEDOM RING』のリリースが決定(日本語訳は『自由の鐘を鳴らせ』)。「父が成し遂げられなかったことを果たしたい」という思いを胸に、遂に本格デビューを果たす。

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