サニーデイMVから溢れる、曽我部恵一の自主映画への愛

現在、日本の映画産業が危機的状況に直面している。映画の仕事だけで食べていける監督はごくごく少数。そうした状況で、精力的にインディーズ映画の監督をミュージックビデオに起用しているのがサニーデイ・サービスだ。

そのきっかけのひとつとなったのは、かつて曽我部恵一が審査員を務めた『ぴあフィルムフェスティバル』。音楽はもとより、映画にも造詣の深い曽我部恵一は、日本のインディーズ映画やミュージックビデオの在り方について、どのような思いを抱いているのだろうか。

さらに後半では、『ぴあフィルムフェスティバル』のディレクターを長らく務めている荒木啓子の同席のもと、日本の「インディーズ映画」の現在について、互いに意見を交わし合ってもらった。

いまは宣伝の仕方という意味で、ミュージックビデオを作るのがまずは手っ取り早いんですよね。

—サニーデイ・サービス(以下、「サニーデイ」)は、ものすごく精力的に、ミュージックビデオを作られていますよね? この2年のあいだに、10本以上作ってらっしゃいます。

曽我部:そんなに作ってましたか(笑)。いまは宣伝の仕方という意味で、ミュージックビデオを作るのがまずは手っ取り早いんですよね。昔は音楽雑誌に広告を打って記事を作るのがメインだったんですけど、いまは音楽雑誌自体が少なくなり……そこにお金を掛けるんだったら、そのお金でミュージックビデオを1本作ったほうがいいんじゃないかって思うようになりました。みんなYouTubeで音楽を聴くじゃないですか。

左から:荒木啓子(『ぴあフィルムフェスティバル』ディレクター)、曽我部恵一

—特に若い層は、そういう傾向があるようですね。

曽我部:ヘタすると、もうYouTubeでしか聴いてもらえないようなことも、最近はあります。だったら、推し曲はミュージックビデオを作っておいたほうがいいかと。あと、雑誌に記事を作ってもらっても、来月には売ってないし、ネットの記事もどんどん流れていきます。でも、ビデオを作っておけばいろんなタイミングで見てもらえるんじゃないかと、そんなふうにスタッフと話し合ったんです。

—その方針は、いつぐらいに決めたのですか?

曽我部:もう、かなり前です。僕たちなんかの小さいインディーレーベルが「どう作品を宣伝しようか」と考えあぐねた時期があって。2005年に『ぴあフィルムフェスティバル(以下、『PFF』)』の審査員をやらせてもらって。そこで、川原康臣監督と知り合いになったんです。

それからちょこちょこお会いするようになって、そんな中で映画監督にミュージックビデオを撮ってもらうのもいいんじゃないかと思った。それで僕がソロで出した“バカばっかり”という曲のミュージックビデオを撮ってもらったんです。それからサニーデイでも撮ってもらっています。

—“セツナ”“青い戦車”“ジーン・セバーグ”の3本ですね。ミュージックビデオの内容に関して、曽我部さんは、「この楽曲には、こういうイメージがあって……」みたいなオーダーが、明確にあるのでしょうか?

曽我部:いや、まったくないです(笑)。むしろ、どんなものがあがってくるか楽しみに待っています。もし自分でなにかアイデアがあるときは自分で撮ればいいと思っているので、人に頼む場合は、なにも言いません。もちろん感想は言いますよ。「ここがこう良かったです」とか。でも、「ここを直して欲しい」みたいなのはありません。

—なるほど。先ほど「YouTubeで聴いてもらえるように」という話がありましたが、だからと言って、YouTubeで見やすい形の作品になっているかというと、必ずしもそうではないような……。

曽我部:そうですね。コメント欄とかに、「シュール過ぎて、意味がわからない」とかもたまに書かれてます(笑)。「シュールでいいじゃん!」とか思うけど(笑)。

—川原監督の“セツナ”も、相当変わったビデオでしたよね?

曽我部:あれ、2回、曲が掛かりますからね。1回曲が終わって、もういちど同じ曲が始まるっていう。こないだまでやってたアニメの『ポプテピピック』より全然早かった(笑)。そのアイデアが、最初に監督から出たときは腰抜かしそうになりました。で、絶対ウケるっていう確信もあったんです。

2回掛かるようにすることで尺も長くなってハードルは上がるんだけど、再生回数も伸びました。監督のセンスに脱帽しましたし、やってよかったと思いました。これも、映画監督だからこそのセンスなのでは、と思っています。

—その“セツナ”をはじめ、最近のサニーデイのビデオは、若手監督の習作の場になっているような気もしますけど。

曽我部:若手だとかは関係なく、自分が個人的に好きで興味がある方に声をかけるようにしています。オファーしたけど叶わなかった海外の監督もいます。映画監督の方にお願いすると、ホントに「映画を1本作る」みたいな熱量でやってくださるので、その気持ちで熱くなれるんですよね。

ミュージックビデオを専門にやられている監督さんって、「とにかく歌が生きるように」と、すごく細かくプロフェッショナルに作ってくださるんですけど、映画監督はそういう観点からはもの作りしない。逆に曲が映像のサントラのように響くこともあって、それが気持ちいいんです。

アルバムを作るときは、聴いたあとにいい映画を見終わったときのような感覚になればいいと思っています。

—映画監督をミュージックビデオに起用したのは、やはり川原監督との出会いが大きかったのですか?

曽我部:そうですね。最初に川原監督にやってもらって、「ミュージックビデオの監督とは、全然違うんだ」って思って。作ることに飢えているんですよね。「作る!」っていう情熱がすごい。それは僕もわかる感覚です。もうホント、みなさんアグレッシブで。

—「この曲は、この監督に撮ってもらおう」みたいな判断って、どんな感じでされているんですか?

曽我部:偶然の出会いとかタイミングです。たとえば、“Tokyo Sick”だったら、友人の勧めもあって三宅唱監督に撮ってもらいたいっていうのが先にあって。で、そのあとに曲を決めた感じでしたね。

三宅監督はヒップホップが好きな監督という印象があって。あの曲はMARIAさんとVaVaくんという2人ラッパーに入ってもらっている曲なので、映像もそっちに寄ったものになるのかなと思いきや、監督は「人は出しません」って(笑)。東京の緑とか風景のカットで構成されている。意外だったけど、それがすごい良かったです。東京のシティー感とローカル感がちゃんとあった。そういう意外な気付きは、すごく楽しい。

—なるほど。

曽我部:“卒業”を撮ってくれた三浦直之さんは、ロロっていう劇団をやっている方。だから、三浦さんには、最初に「学園もので作って欲しいです」って言ったんです。あの曲で、ロロで、学園もので。最高の予感しかありませんでした。

—サニーデイの曲は、昔から非常に映像的なイメージがありますけど、曲が監督選びに影響しているということもないのでしょうか?

曽我部:自分ではあんまり意識してないです。ただ、アルバムを作るときは、聴いたあと、すごくいい映画を見終わったときのような感覚になればいいなっていうのは、昔から思っていました。映画って、ひとつの物語というか、「世界」であり「人生」じゃないですか。そこにすべてが詰まっていると思います。

映画でも音楽でも、明日も元気に生きさせてくれる作品に出会いたいだけなんですよね。

—ここまでの話の中で登場した監督の名前を見ても、気鋭の若手監督ばかりという印象がありますが、そういった監督は、どうやって探し出してくるのですか?

曽我部:川原監督は『PFF』で知り合ったんですけど、いろんな出会いがありますよ。“クリスマス”のビデオを撮ってもらった工藤将亮監督は、『アイムクレイジー』(2017年)っていう初の長編作品を撮ったときに、役者として呼ばれたんです。そんなところからだったり。

—曽我部さん自身は、日本のインディーズ映画も、結構見られているんですか?

曽我部:特に「インディーズ映画」というふうに括っては見ていないんですが、とんでもない不思議な存在感を出しているものが、たまにあったりするんですよね。その存在感は、ちょっとうまく言語化できないんですけど、多分テクニックとかではなく……やっぱりエネルギーなのかな?

—エネルギーですか。

曽我部:うん。だから、どういう作品であっても別にいいというか、こういうジャンルの作品が好きっていうのも、いまはもうあまりないので。とにかく、明日も元気に生きさせてくれる作品に出会いたいだけなんですよね。

それは音楽に関しても同じで。「これがあったら、まだちょっと頑張れるな」っていうものに出会いたいんですよね。自分の魂に力をくれるようなものを求めているんです。

—ちなみに、日本のインディーズ映画で、最近気になった作品はありますか?

曽我部:二ノ宮隆太郎監督の『枝葉のこと』(2017年)が、すごく良かったです。ちょっとまだ、自分の中で、ここが良かったっていうのがうまく言葉にできないんですけど、すごく心に残りました。あと、インディーズ映画なのかはわかりませんが、最近見たサトウトシキ監督の『名前のない女たち うそつき女』(2018年)も良かったです。

僕らの時代は、「自分で宣伝するのとか、カッコ悪い」って感覚があったけど、いまはまったくない。

—インディーズ映画を語る上で欠かせないのが、さきほどから名前が登場する『PFF』です。ここからは、『PFF』のディレクターを長らく務められている荒木啓子さんも交えて、インディーズ映画についてさらに深くお話を聞かせていただけたらと思います。

曽我部:『PFF』って、若手映画監督の登竜門だと思うのですが、最近の応募作品の傾向って、どんな感じなんですか?

荒木:いまはジャンルも作風も、ものすごくバラバラになってきていると思います。だから、いわゆる「流行」が非常に掴みにくいですね。ひと昔前は、「この映画の影響がすごい強いな」っていうのがわかったんですけど、いまはホントにバラバラなんです。

左から:荒木啓子(『ぴあフィルムフェスティバル』ディレクター)、曽我部恵一

曽我部:やっぱり、技術的なところは、昔よりもうまくなってきているんですか?

荒木:大学の映画学科なり映画学校なりで勉強されている方が多いので、やっぱりうまいですよね。機材もいいですし。いまは、スマホで撮ったって、立派な映画になりますから。あと最近の傾向として、キャリアの長い俳優でなくても、出演者が映像に撮られ慣れている。生まれたときから撮られている世代です。

曽我部:なるほど、出演者側にも変化があるんですね。

荒木:昔の自主映画のような、ぎこちなさが全然ないんですよね。いまは、俳優希望の方が、積極的に自主映画に出演しています。また、自主映画の出演者を募集するサイトがあったり、著名な俳優の出演作品もあったりします。機材や技術だけでなく演者も含め、昔とはもうすべてが違う。30年前の自主映画の印象で、いまの自主映画はまったく語れないと思います。

曽我部:みんな普段からネットで動画を見たり、自分で映像を撮ったりしているから、映像に対する感覚が、昔とはだいぶ違うんでしょうね。

荒木:そうですね。いまの人たちは、「見せる」ということに対して、昔よりも恥ずかしさがなくなってきているんだと思います。

曽我部:それは音楽もそうですね。僕らはやっぱり、もともとアンダーグラウンドの人間なので、「聴きたい人だけ聴いてくれ」みたいなスタンスがカッコいいと思っちゃってるところがあるんですよね。「お前らのためにやってないから」みたいな(笑)。

でも、いまの若い子たちは、そういうのがないですよね。「自分をレぺゼンしていくことが当たり前でしょ」っていう。僕らの時代は、「自分で宣伝するのとか、何かカッコ悪いよね」って感覚があったけど、いまはそれがまったくない。

荒木:多くの人に見せるということに対する積極性が、昔とは全然違いますよね。だから、いまはどの作品も非常にコントロールされていて、ちゃんとエンターテイメントになっているものが多い。他人に見せるための最低限のレベルを、みんなちゃんとクリアしていて驚きます。

—曽我部さんもインディーズのミュージシャンとして活動して長いですが、昔といまでだいぶ変わったところもあるんじゃないですか?

曽我部:音楽は、メジャーとインディーズの線引きがいまはほとんどなくなっていますよね。結局やってることは大して変わらないですから。インディーズのレーベルから、メジャー作品よりもヒットする曲が生まれることもありますし。でも、映画の場合は、どうなんでしょう?

荒木:うーん、日本の映画界は、産業としてもはや危機的状況だと思うので……本当に作りたい人は、メジャーに頼らず自分で作るしかないんですよね。大昔のように、監督が映画会社の社員というわけでないですし、映画だけで食べている監督も、ほんのひと握りなんです。産業構造が変わらない限り、映画監督だけで食べていくのは、非常に難しいという現実があって。そのためには、まず監督に作品の権利がある状態にならないとダメだと思うんですよね。

曽我部:えっ、監督さんって、自分の作品の権利を持ってないんですか?

荒木:日本はダメなんですよ。たとえば制作委員会の中に、監督は入れない。だから、アメリカのように、ある程度お金のある監督が制作会社を作って、自分たちで出資できるといいのですが、日本はなかなかそうならないですね。

もちろん、塚本晋也監督(日本の映画監督、俳優。代表作は『鉄男』『野火』)のように、自分の会社を作って、その会社で権利を持っている監督さんもいなくはないんですけど、一般的にはなかなか難しいですよね。

—現在大ヒット中の『カメラを止めるな!』の上田慎一郎監督も、その権利が無いので、いくら興行成績が伸びても、自身のギャラには反映されないとテレビで発言されていました。

荒木:私の最大の懸念は、製作側の倒産などの事情によって、作品の権利が不明になったり、上映できなくなったりすることです。たとえば監督が自らの作品を「映画祭出品」という権利だけでも持っている環境になってほしい。それが近年の切実な願いです。

—そういう厳しい状況の中、『PFF』を続けていくことの意義は、どこにあるのでしょう?

荒木:やはり、インディーズ映画の優れた人材を途切れずに発掘することですね。映画を作る人がいなくなったら、こんなに寂しい世の中はないと私たちは思っているので。だから、そういう場所をちゃんと作っておきたいですし、その人が全身全霊を込めて作った映画が上映されるチャンスがあるということを、『PFF』で示しておきたいんですよね。

—いまは、いろんな映画祭で、インディーズ映画のコンペティションが設けられているようですが、やはり『PFF』は40年の歴史があるわけで……新人監督の登竜門として、ひと際存在感を放っていますよね。

荒木:そうですね。まあ、そもそも成り立ちが、他の映画祭とは違いますから。『PFF』の母体である「ぴあ」は、もともと映画研究会の学生が作った会社なんですよね。みんな映画監督になりたかったけど、それをあきらめた人たちが雑誌を作ったら大成功して……で、映画会社が崩壊したこの時代に、何かできないかって始めたのが、『PFF』なんですよ。そのときの感じのまま、いまも続けているというか……だから、そういう成り立ちが、他の映画祭とはちょっと違うんです。

ただ、プライベートな会社がやっている映画祭だから、いわゆる公的資金の導入は困難で、簡単に言えば「それは営利でしょ?」っていうことになってしまう。でも、営利なわけないじゃないですか(笑)。映画祭はどこまでいっても文化事業。いろいろ悩みを重ねて、2017年に一般社団法人PFFを設立して一種の独立をはかりました。それによって活路が広がるのではないかと思っています。とにかく続けるためには、どうすればいいのかっていうことを、私たちは常に考えているんですよね。

曽我部:『PFF』がなくなったら、「これから」という若手の映画監督にとっては大変なことになりますもんね。

—文化事業として『PFF』の意味が大きいですもんね。

荒木:そうですね。映画産業が危機的な状況にある中で、「いま自主映画を作るとはどういうことなのか」「いま『映画』とはなんなのか」っていうことを、『PFF』を通じて問い続けていきたいと思っています。

今年の映画祭プログラムをすべて作り終えたあとに気づいたんですけど、『PFF』アワード以外の作品は、全部過去の名作というか、映画の歴史なんですよね。ロバート・アルドリッチ監督(1950年代~70年代に活躍したアメリカの映画監督)の特集はもちろん、「映画のコツ」という企画は、いま活躍されている映画監督たちが、どうしてもこれからの人たちに見せたいものを上映するプログラムですし、たむらまさきさん(日本の撮影監督)の追悼特集も過去の作品ですよね。そうやって、「過去と現在を繋ぐ」という役割も、今後もっと大きくなっていくのかなっていう感じはしています。

リリース情報
『第40回ぴあフィルムフェスティバル』

2018年9月8日(土)~9月22日(土)
会場:東京都 京橋 国立映画アーカイブ
休館日:月曜

プロフィール
曽我部恵一 (そがべ けいいち)

1971年生まれ、香川県出身。1994年、サニーデイ・サービスのボーカリスト・ギタリストとしてメジャーデビュー。2001年よりソロとしての活動をスタート。2004年、メジャーレコード会社から独立し、東京・下北沢に「ローズ・レコーズ」を設立。精力的なライブ活動と作品リリースを続け、執筆、CM・映画音楽制作、プロデュースワーク、DJなど、多岐にわたって活動を展開中。2018年3月、サニーデイ・サービスのニューアルバム『the CITY』をリリースし、そのアルバム全曲を総勢18組のアーティストが解体・再構築していくプロジェクト『the SEA』をSpotifyのプレイリストで公開し話題に。8月29日には、『the SEA』のアナログ盤を発売した。



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