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岡﨑乾二郎が日本の現代美術史を徹底解説、転機は1980年代だった

岡﨑乾二郎が日本の現代美術史を徹底解説、転機は1980年代だった

金沢21世紀美術館『起点としての80年代』
インタビュー・テキスト
杉原環樹
撮影:江森康之 編集:木村直大、宮原朋之

日本の現代美術にとって、1980年代とはどんな時代だったのか。観念的な1970年代、サブカルチャー的な表現が隆盛した1990年代といったイメージに比べると、その狭間の時代はどこか掴みづらい。しかしこの時代にこそ、現在の美術の源流があるのでは? そんな問いを掲げる『起点としての80年代』展が、金沢21世紀美術館で開催されている。

1980年代に本格的に活動を始めた世代を中心に、19作家が出品。「時代」という切り口ゆえに実現した異質な作家たちの並びに、当時のシーンへの想像力が自然と膨らむ。

この展覧会の冒頭で、1981年に開催されたデビュー個展を再現しているのが造形作家の岡﨑乾二郎。岡﨑といえば、絵画から彫刻、建築、絵本までを手がけ、旺盛な批評活動でも知られる現代の総合芸術家と呼ぶべき存在だ。今回は、金沢21世紀美術館館長・島敦彦にも同席してもらい、岡﨑に当時の関心や1980年代の美術がもたらしたものについて訊いた。その語りのなかで、さまざまな固有名は一般的なイメージから解放され、思いもかけないつながりを見せていく。

1980年代、美術館は「公式」の歴史を組織しようとしたが、美術館の理解の枠組みは、作家たちの関心や活動に追いついていなかった。(岡﨑)

—今回の展覧会で、岡﨑さんは1981年のデビュー個展で発表した『あかさかみつけ』シリーズを展示しています。美術ファンの間では有名な作品ですが、デビュー時のものがこれだけ多く並ぶのは貴重ですね。

岡﨑:この作品がコレクションされたのはだいぶ前のことだけど、今回の話が来たとき、時間も経っているし作品の見え方にずいぶんズレがあるだろうと心配もありました。最近、そういう経験が多くてね。「美術館に収めたから大丈夫」なんて大間違い(笑)。

だから、「1980年代展をやる」と聞いたとき、そんな大きな括りで歴史を観測する視点はどう定義するのだろう、とは不安に思いました(笑)。ただ当時の個展の作品を半分以上出品し37年ぶりに再現できたことは素晴らしい機会になりました。

金沢21世紀美術館『起点としての80年代』展での岡﨑乾二郎の展示風景 撮影:木奥惠三 写真提供:金沢21世紀美術館
金沢21世紀美術館『起点としての80年代』展での岡﨑乾二郎の展示風景 撮影:木奥惠三 写真提供:金沢21世紀美術館
金沢21世紀美術館『起点としての80年代』展での岡﨑乾二郎の展示風景 撮影:木奥惠三 写真提供:金沢21世紀美術館
金沢21世紀美術館『起点としての80年代』展での岡﨑乾二郎の展示風景 撮影:木奥惠三 写真提供:金沢21世紀美術館

:岡﨑さんと僕は同世代ですが、1980年代というのは30年以上も前の話ですよね。今回担当した学芸員は、みんな1980年代の美術をリアルタイムで経験していないんです。1980年代を軸にした展覧会は、秋から国立国際美術館でも『ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代』展が始まりますが、色んな視点の企画が同時的に出てきていますね。

岡﨑:「当時を見ていない」という話はリアルですね。最初の個展はかなり話題になって、僕には幸運なデビューでした。けれど当時の展示を見た人はもう家族を含めて数人しかいない。御三家の批評家(針生一郎、東野芳明、中原佑介)を含めて亡くなった人がたくさんいます。同世代でも見ていない人は多い。300人ちょっとの人しか見ていないわけですから。

だから僕にとっては、再現できるだけでうれしかった。所詮、25歳の若者が作った作品なので、色彩とか心配でした(笑)。が、展示したら、他人事のように、その若者だった自分の作品は思いのほか良く見えました。

:展示した7作品のうち6つは高松市美術館の所蔵で、もう1つは岡﨑さんとも親交の深い作家の宇佐美圭司さんが所有していたものです。いずれもなかなか見る機会はないものですから、それらが一堂に会し、非常に新鮮に感じました。

岡﨑乾二郎『そとかんだ』1981 高松市美術館
岡﨑乾二郎『そとかんだ』1981 高松市美術館
金沢21世紀美術館『起点としての80年代』展での岡﨑乾二郎の展示風景 撮影:木奥惠三 写真提供:金沢21世紀美術館
金沢21世紀美術館『起点としての80年代』展での岡﨑乾二郎の展示風景 撮影:木奥惠三 写真提供:金沢21世紀美術館

本当は1986年以前と以後の違いを見ていかないと1980年代の文化をうまく捉えることができない。(岡﨑)

—「現在の美術の起点は1980年代ではないか」という問いに対しては、岡﨑さんはどのように感じられましたか?

岡﨑:1980年から1990年の10年というのは曖昧すぎる。僕に言わせれば分水嶺なのは1976年と1986年ですね。もっとも僕に関して言えば、1981年に個展をしたので「その通り!」とも思います(笑)。総体としてそう言えるかは別の話ですね。

その上で1980年以降に今までと違う表現がでてきたように見えたとすれば、その前の70年代に美術表現として認められていたものと、実際に動いていた文化構造全体とのズレがはっきりしてきたからだと思います。

:一例として、1980年前後から全国に美術館ができ始めるんですよね。ちょうど廃藩置県から100年の頃で、経済的な成長も後押しして地方自治体の文化的な施策が盛んになった。僕も1980年に富山県立近代美術館(現・富山県美術館)の準備室に入りました。

岡﨑:1980年と1986年というのは世界的に見ても大きく位相が違います。1980年くらいに仕事を発表し始めることと1986年くらいに発表し始めることは大きくちがう。それが示されていないとだめでしょうね。

1986年、日本ではバブルの本格化もあって美術界は大きく変わりました。世界史的にはソ連でグラスノスチ(情報公開に向かった改革)があって、すぐにチェルノブイリ原発事故が起こった。企業が運営するギャラリーが増えて、企業のセゾン現代美術館の成功を追うように、公営の「現代美術館」建設が計画された。ですから、本当は1986年以前と以後の違いを見ていかないと1980年代の文化をうまく捉えることができない。

言説のレベルで言えば、島さんが言われるように1980年前後に断絶があるとは言えるかもしれません。1970年代後期に、美術の言説はもう現実との対応を失って萎縮し始めていました。既存の枠組みを守ろうと保守化していた。

現実的には文化は多元化し、日本という文化的な境界も揺るぎ始めていた。ベトナム戦争の終結、沖縄返還、日中、米中国交回復は繋がっていました。大きく言えば、日本はまだ占領文化の下にあるということが自覚された。

そして一枚岩に見えた日本の文化のなかに、アジアをはじめ無数の文化の穴がたくさん開いている、そういう多国籍文化状況が自覚された時代だった。その意味でYMOにしても、村上龍『限りなく透明に近いブルー』(1976年刊、講談社)にしても、山口百恵“横須賀ストーリー”(1976年)にしても、一言でいって基地文化、ポストコロニアル文化(編註:植民地主義的遺産に立脚した文化)の自覚でした。

ところが美術批評とか美術のメディアでは、こういう文化的な動きに応答できなくなっていた。ある意味排他的で議論が収縮し始めていたのですね。で「真正の絵画とは何か」「彫刻とは何か」みたいな、本質主義的な、つまり同語反復に陥るほかない閉じた議論が盛んになっていきます。

そのときにグリーンバーグ(1909年ー1994年、アメリカの美術評論家で抽象表現主義を批評面で支えた)みたいな膠着した議論というのは復活しやすい状況になっていて、実は僕はグリーンバーグの批判から始めたんですね。だから、今でもフォーマリズム(形態や色彩など、作品の形式的要素を重視する方法、主義)とかで僕を括ろうとする人は、僕が1980年くらいから書いているものを一切読んでもいないのだと思います(笑)。僕は若い頃、今は違いますが生意気だったので(笑)、ロシアフォーマリズムの議論をよく参照して、美術における萎縮したフォーマリズムの批判をしていたものでした。構造主義的思考の言わば起源として、美術以外ではロシアフォーマリズムは基本でしたから。

こういう美術批評の後退もあって確かに、1980年代になると美術館の学芸員、ついで美術ライター、ジャーナリストが書く言説の役割が相対的に大きくなってきたとは言えるでしょう。

:補足的に言うと、1980年頃というのは、それ以前の大物評論家が相次いで亡くなった時期でもあるんです。瀧口修造(1979年没)や、土方定一(1980年没)、若手では宮川淳(1977年没)などですね。

島敦彦(金沢21世紀美術館館長)
島敦彦(金沢21世紀美術館館長)
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イベント情報

『起点としての80年代』

2018年7月7日(土)~10月21日(日)
会場:石川県 金沢 金沢21世紀美術館 展示室1~6、13
時間:10:00~18:00(金、土は20:00まで)
休場日:毎週月曜日(ただし7月16日、8月13日、9月17日、9月24日、10月8日は開場)、7月17日(火)、9月18日(火)、9月25日(火)、10月9日(火)
料金:一般1,000円 大学生800円 小中高生400円 65歳以上800円

プロフィール

岡﨑乾二郎(おかざき けんじろう)

造形作家。武蔵野美術大学客員教授。1955年東京生まれ。1982年パリ・ビエンナーレ招聘以来、数多くの国際展に出品。総合地域づくりプロジェクト「灰塚アースワーク・プロジェクト」の企画制作、「なかつくに公園」(広島県庄原市)等のランドスケープデザイン、「ヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展」(日本館ディレクター)、現代舞踊家トリシャ・ブラウンとのコラボレーションなど、つねに先鋭的な芸術活動を展開してきた。東京都現代美術館(2009~2010年)における特集展示では、1980年代の立体作品から最新の絵画まで俯瞰。2014年のBankART1929「かたちの発語展」では、彫刻やタイルを中心に最新作を発表した。長年教育活動にも取り組んでおり、芸術の学校である四谷アート・ステュディウム(2002~2014年)を創設、ディレクターを務めた。2017年には豊田市美術館にて開催された『抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜』展の企画制作を行った。

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