スカート澤部渡が語る、ポップスこそが一番狂った人が作る音楽

澤部渡のソロプロジェクト、スカートがクリエイトするポップスは本当に独創的だ。一聴すると耳馴染みがよく、老若男女がシンプルにグッドソングと感じるであろう高いポピュラリティーにも富んでいる。しかし、歌の中で描かれている物語や情景の多くがどこか物悲しく、コードやメロディー、アレンジの随所に一筋縄ではいかない閃きと、ささやかなある種の不穏さを伴った「ヤバさ」を感じさせる。それゆえに並びない中毒性に満ちている。映画『高崎グラフィティ。』の主題歌である表題曲と、高畑充希主演の同名ドラマのオープニングテーマ曲として書き下ろされた“忘却のサチコ”など全4曲を収録しているメジャー1stシングル『遠い春』もそうだ。

澤部渡は、なぜ普遍的であると同時に異型のポップスを生み出すことができるのか? そもそもなぜポップスを作ることを選んだのか? 以下のインタビューは、スカートのポップス論に迫る内容になっていると思う。

僕は絶対に天才ではないので。

—よく言われていることだと思うんですけど、今作『遠い春』の表題曲“遠い春”を聴いても、あらためてポップスとして不可思議な魅力に満ちていて。そういう意味でも、今日は澤部さんのポップス論に迫るようなお話を聞けたらなと思うんですけど、まずはこのシングルをどのように制作していったかというところからお話いただけますか。

澤部:まず、シングルを出す理由というのは、ひとつは契約の面ですよね(笑)。去年の10月にリリースした『20/20』というアルバムを経て、とにかく早く次の曲をみんなに聴いてほしい気持ちと契約が合致してたというか(笑)。

澤部渡(スカート)

—最高じゃないですか(笑)。

澤部:そうそう。今までスカートはシングルでいうと、『シリウス』という12インチと『静かな夜がいい』というCDを出してるんです。「これ以上の曲はない、これが今のスカートの100点満点」という手応えを覚えながら出したんですね。でも、今回はちょっと違うんですよ。もちろん、“遠い春”もいい曲なんでけど、はっきり言って、メジャーの1stシングルの表題曲でこの曲を出すバカはいないでしょうっていう。

—派手な曲ではないという意味で?

澤部:絶対に派手ではないですね。でも、今の自分にとって本当にいい曲ができたと思うし、こんなに暗くて地味な曲をしっかりA面にもってくるという判断をしてくれたレコード会社には頭が上がらないですね。

—歌詞において、ある意味では全曲が「喪失」について歌ってると思うんですね。ジワジワ効いてくる悲哀というか。その感触もやはり独特で。

澤部:そうですね。今、あんまりこういう音楽をやってる人はいないだろうなと自分でも思いますね。

—耳に心地いいポップスとして成立しているんだけど、コードや歌メロの動き、アレンジも絶妙な不穏さがあって。それはスカートの本質でもあると思います。

澤部:やっぱり、どこかオルタナティブですよね。でも、何に対してのオルタナティブなのかはわからない(笑)。

—この独創的なポップスとしてのバランスは、澤部さんが聴いてきた音楽のアーカイブから吸収したもので成立してるんですかね?

澤部:そうだと思います。僕は絶対に天才ではないので。「無限に曲ができる!」というタイプではなく、自分が聴いてきた音楽の解釈で、何とか曲を作っているんです。僕は、過去の先にしか新しいものは生まれないと思っているので。それに、天才だったらもっと売れてるだろうなと思うし(笑)。

—いや、それはこれからじゃないですか。

澤部:だってもう30歳ですからね。

—この音楽の前には「まだ30歳」と言えるとも思いますけどね。澤部さんの中で、スカートにおける魅力的なポップスを担保するにあたって、一番必要なことはなんだと思いますか?

澤部:そこが難しいんですよね……本当だったら曲の短さなんですよ。

—ああ、それは他のインタビューでも言っていましたね。(参考記事:スカート澤部のルーツを紐解く、ココ吉で見つけた4作品

澤部:本当は短ければ短いほどいい。でも、今回は4分超えの曲が2曲も入っているんです。

—そこに葛藤もある?

澤部:葛藤もあるんですけど、でも、これ以上短くできないというところまで削ぎ落として完成させたので、余分なものは一切ない状態だとは思ってます。

僕は、物心がつく前から『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)を見るのが好きだったんです。あれってテレビサイズの短さで披露されるじゃないですか。だから、飽きずにずっと見ていられる。そういうテレビサイズという尺が出てくる前の、もっと古いポップスまで遡ると、フル尺でも2分半くらいの曲が多いんです。だから、ポップスの真理ってそこにあるとどうしても思っちゃうんですよね。

僕の記憶のすべては、音楽が鍵になっているんですよ。

—『ミュージックステーション』に出ている日本のポップアーティストで、いいなと思ったミュージシャンはいたんですか?

澤部:もちろんいたんですけど、それが今思うと川本真琴さんの“愛の才能”だったりするんですよね。小沢健二さんも好きだったし、そう思うと今のスカートに至る萌芽があったと思います。そこから小学5~6年生でゆずにハマってギターを始めて、椎名林檎さんを経てNUMBER GIRLとかも聴くようになって。それから3~4年は「J-POPなんか聴くのはダセェ」っていう時期に入っちゃったんですよね。今思うとあの時間はもったいなかったと思いますね。

—でも、それって能動的に音楽を掘っていく人はわりと誰もが通る道でもあるじゃないですか。

澤部:そうなんですけど、多くの人はその時期の自分の感覚を忘れることができるじゃないですか。でも、僕の過去は自分の中で全部地続きなんですよ。それがすごくイヤで。

—というのは?

澤部:「はぁ、あの頃の自分はどうかしてた……」ってシリアスな気持ちになるというか。

—ああ、笑い飛ばせない?

澤部:そうです。過去を振り返っても全部地続きだから、昨日の自分のような気がするというか。極端なことを言えば「15年、20年前の自分と昨日の自分の差ってどこにあるんだろう?」って、そういう怖さを考えちゃう。「10年前のことだからね」って片付けられない。あの頃の自分がすぐ背後にいる気がするというか。

—そういう感覚に、すべて音楽が付随していると。

澤部:そうなんです。大袈裟に言うと僕の記憶のすべては、音楽が鍵になっているんですよ。だから、音楽を聴いて蘇る過去の記憶が全部生々しいし、褪せないんです。本当に、全部の記憶が冷凍保存された昨日のように思える。何か、カウンセリングみたいなインタビューになってますね(笑)。

—(笑)。記憶に全部音楽が紐付いているというのは澤部さんにとって幸福なことではないんですか?

澤部:う~ん……幸福ではないでしょうね。僕は人間的な欠落が多いんですよ。極端に人の顔を覚えられないというのが一番なんですけど。だから、音楽の記憶が脳のハードディスクを食っちゃってるんじゃないかって思うんですよね。

中学校の先輩が「大人に反抗する」というロックの表現方法をし始めたんです。それには完全に馴染めなかった。

—澤部さんが音楽を作るときに、ポップスではないものを作る選択肢もあったと思うんですね。もっとアバンギャルドな音楽性を追求することだってできただろうし。

澤部:できたと思いますね。

—でも、ポップスを作ることを選んだ理由は何ですか?

澤部:う~ん……ひとつは、ロックが嫌いだから。ロックが仮想敵なんですよ。

—なぜロックが仮想敵になったんですか?

澤部:いろんな屈折の果てなんですけど。中学生のときにコピーバンドをやっていたんですね。もともと1人でギターを弾いていて、個人的にはゆずをコピーしていたのが楽しかったんですけど、中学の先輩に「バンドやらない?」って誘われて。

最初はGLAYのコピーバンドだったんですけど椎名林檎のコピーバンドを経て、オリジナル曲をやるようになったんですね。その途中で、ロックがだんだんと分からなくなっていって。そしてロックをやろうとしている自分が恥ずかしく思えてきてしまったんです。

—どんなところが恥ずかしく思えたんですか?

澤部:いや、「ロックバンドなんかやりたくない」という気持ちになってしまったとしか説明できないんですけど。なんだろうな? 中学生の頃はNUMBER GIRLや椎名林檎さんが好きだったから、自分はロックが好きなんだと思ってたんですよ。

でも、あるときから僕の周りの先輩が「大人に反抗する」というロックの表現方法をし始めたんです。それには完全に馴染めなかった。

—「ロックのクリシェ」というか、紋切り型の表現に疑問を感じたと。

澤部:そう。僕には反抗したいことなんて何もなかったんですよね。先生ともめちゃくちゃ仲がよかったし。友だちも多くはないけど、心を許せる友だちは何人もいた。そんな環境の中で反抗することなんてないんですよ。

—やさぐれる理由がない。

澤部:そうなんです。ロックというのは何かを主張したい人が表現するべきだと思うんですけど、僕はそうじゃねぇなと思って。

—たとえば、坂本慎太郎さんをロックアーティストと捉えるなら、主張したいことが何もないその向こう側の主張みたいな表現もあるじゃないですか。

澤部:そうですね。でも、ゆらゆら帝国も初期とかは別だけど、『空洞です』(2007年)を聴いて声高々に「これはロックだ!」って言い切れる人って多くないと思うんですよ。椎名林檎さんでも僕が好きなのは3枚目のアルバム(『加爾基 精液 栗ノ花』2003年)で。あれもやっぱりロックと言い切れる人は少ないんじゃないかな。態度の話として。

『空洞です』収録曲“空洞です”

—間違いないですね。意識的にロックを切り離しているとも言えるサウンドですよね。

澤部:そういうのもあって、音楽で自分の主張をしたところで、それは表現になり得ないんじゃないかという疑問がどんどん大きくなって。それが決定的になったのがNUMBER GIRLの解散と、yes, mama ok?というバンドと出会ったことだと思うんですよね。

—yes, mama ok?との出会いは本当に大きかったんですね。

澤部:本当に大きい。「自分はロックをやる必要はないんだ」って気づけた。音楽は自分がやりたいことをやっていいんだと思えて。そこでロックという器の便利さに嫌気が差したのかもしれないですね。

一番狂ってる人が作る音楽がポップスだと思うんですよね。

—ポップスの方が、その器の大きさの底を計り知れないと思った?

澤部:解明できないし、過激だと思ったんです。で、ポップスに向き合ってみたら、自分が小さい頃に聴いていた光GENJIやプリンセス・プリンセスの違う面が見えてきた。

—光GENJIだったら“パラダイス銀河”の構造としてのヤバさだったり、それを作ったASKAのすごみだったり。

澤部:みたいなことがわかってくるんですよ。それで「もうロックなんてやってる場合じゃねぇ」という感じになってきて(笑)。当時のメンバーには本当に悪いんですけど。

—ちなみにAORやフュージョンは通ってきたんですか?

澤部:全然。AORとフュージョンはよくわからないです。で、これも最近ようやくわかったんですけど、反抗をバネにする創作と、技術をバネにする創作って実は似てると思うんです。技術に裏打ちされた何かみたいなものを疑っているのかもしれない。

—裏を返せば、音楽の魔法を信じているとも言えるんじゃないですか?

澤部:そうとも言えますけどね。これは他のインタビューでも何度も言ってるんですけど、一番狂ってる人が作る音楽がポップスだと思うんですよね。狂っていて許される、というか。

自分が居心地が悪い、という意味合いでのアウトローで、はみ出し者みたいな言い方になるのはすごくイヤなんですけど……「人ならざるもの」というか、そういう気持ちを抱えて音楽を作るんだったらポップスがいいと思います。ロックは、自分にならなきゃいけないというのが難しいところですよね。デヴィッド・ボウイみたいにそれを克服して、別のペルソナとしてロックを扱える人もいるんだけど、僕はどうしてもそこまでやれない。そういうことに気づいてポップスをやるようになったということかもしれないです。

自分に似合う、似合わないを考えると、ラブソングは歌えなくなって悲しい歌が増えていく。

—そのうえで澤部さんはなぜちょっと物悲しかったり、ちょっとゾクッとするようなポップスを作るんだと自己分析しますか?

澤部:自分が見てきたものや好きなものがそういうものだからだと思います。大きなうねりの気持ちよさ、というよりもどこか、平熱の中にドキッとする瞬間があるものが好きなので。言葉で説明するのが難しいんですけど、何か一瞬の心の揺れみたいなものがある音楽を作れたらいいなと思ってますね。音楽理論はわかってないので。一応、音大を卒業しているのでそういうことを知ってなきゃいけないんですけどね(笑)。

—でも、音大に通っていたときにもっと理論をガチガチに学べばよかったとは思ってないんじゃないですか。

澤部:そうなんですよ。だからこそ、タチが悪いんですよね(笑)。

—もっとこういう曲を書けたらいいなと思うことってありますか?

澤部:ラブソングですかね。ラブソングを歌えるような人生だったら、もっといろいろ違っていたんだろうなという気がします。それはもう、この見た目の話とも絶対に絡んでくると思うんですけど。

—ラブソングを歌えない理由が?

澤部:何だかんだ言って僕は「自分じゃないものになりたい」と思いながら曲を書くんですけど、とは言え、歌うのが自分である以上は似合う、似合わないを自分で勝手に判断してるんだろうと思うんです。そうなってくると、ラブソングは歌えなくなって悲しい歌が増えていくと。

—でも、物悲しい歌ではあるけど、ラブソングに聴こえる歌も多いですよね。

澤部:僕もわりとそういうつもりで書いてはいるんですけど、いわゆる王道のラブソングにはならない。今まで一番踏み込んだのは“静かな夜がいい”の歌詞にある<誰でもいいから君に会いたい>というフレーズだと思うんですけど。

—今後、王道的なラブソングを書く可能性ってあると思いますか?

澤部:それはもう、2011年くらいから聞かれるんですけど、未だに全然書けてないからわからないですね。

—では、現段階で次作に向けたヒントとして言えることはありますか?

澤部:『20/20』以上に明るく開けたアルバムは作れないと思うんですよ。だから、スカートが元から持っている暗い感じというか、秋冬っぽいアルバムを作りたいなと思ってるんですよね。

ただ、来年公開の映画(『そらのレストラン』)の主題歌と挿入歌を書いていて。だから、この1年は完全にクライアントワークのモードなんです。そこからまた自分だけの創作に戻るときにどういうモードで曲を作っていくかは、今の段階では自分も迷ってるところです。でも、これだけ外から求められることってめったにないじゃないですか。だからこそ、そういうモードの延長でアルバムを作りたいなという気持ちも持ってます。それができたら今の自分の状況をもっと楽しめるかもしれないと思ってますね。

リリース情報
スカート
『遠い春』初回限定盤(CD+DVD)

2018年10月31日(水)発売
価格:2,160円(税込)
PCCA-04696

[CD]
1. 遠い春(映画「高崎グラフィティ。」主題歌)
2. いるのにいない
3. 返信
4. 忘却のサチコ(テレビ東京系ドラマ24「忘却のサチコ」OPテーマ)
[DVD]
『「eight matchboxes seventy one cigarettes」at Shibuya CLUB QUATTRO 03.10.'18』
1. さよなら!さよなら!
2. 視界良好
3. ハル
4. だれかれ
5. 月光密造の夜
6. CALL
7. 魔女
8. 回想
9. ガール

スカート
『遠い春』通常盤(CD)

2018年10月31日(水)発売
価格:1,296円(税込)
PCCA-04697

1. 遠い春(映画「高崎グラフィティ。」主題歌)
2. いるのにいない
3. 返信
4. 忘却のサチコ(テレビ東京系ドラマ24「忘却のサチコ」OPテーマ)

イベント情報
スカートワンマンツアー

2018年11月18日(日)
会場:宮城県 仙台enn 2nd

2018年11月25日(日)
会場:北海道 札幌 KRAPS HALL

2018年12月2日(日)
会場:福岡県 INSA

2018年12月14日(金)
会場:大阪府 梅田 Shangri-La

2018年12月16日(日)
会場:愛知県 名古屋 TOKUZO

2018年12月19日(水)
会場:東京都 鶯谷 キネマ倶楽部

プロフィール
スカート

どこか影を持ちながらも清涼感のあるソングライティングとバンドアンサンブルで職業・性別・年齢を問わず評判を集める不健康ポップバンド。2017年10月に発表した最新アルバム『20/20』でメジャーデビュー。そのライティングセンスからこれまで多くの楽曲提供、劇伴制作に携わる。近年では藤井隆のアルバム『light showers』(2017年)に「踊りたい」、映画「PARKS パークス」(2017年)には挿入歌を提供。「山田孝之のカンヌ映画祭」(2017年)ではエンディング曲と劇伴を担当している。2018年に入っても映画「恋は雨上がりのように」の劇中音楽に参加。また、スピッツや鈴木慶一のレコーディングに参加するなどマルチに活動している。



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