
奥山大史監督って?インディーズ映画でシネコン上映の快挙
『僕はイエス様が嫌い』- インタビュー・テキスト
- 長嶋太陽
- 撮影:豊島望 編集:久野剛士(CINRA.NET編集部)
「誰もが共感しそうなこと」よりも「こんなこと感じるのって自分だけかも」と思ってしまうことのほうが、なぜか共感が集まりやすいんです。
―インタビューをしていて感じるんですけど、奥山さんって落ち着いていますよね。感情的になったりすることはありますか?
奥山:感情……常にこの感じですね。「うれしい!」とか「悲しい!」みたいに強く揺さぶられることはあんまりないんですよ。感情に起伏がないのかもしれません。
―お話を聞いていてもそんな印象があります。
奥山:すごく怒ったり、大泣きしたりとかって、小さい頃からあんまりないんですよね。この映画のオーディションでも、感情を素直に表に出さない、自分に似た子を選ぼうと思っていました。
本音と建前がなくてなんでもいえちゃう人より、感情がふとしたときに出てきてしまうような人を主人公にしたいんです。日本人って、忖度とか建前が多くて、それはいいこととは限らないけど、そういうことも含めて映画にしたいと思っているんです。
―この映画って、感情の繊細な部分に強く訴えかけてきますよね。でも、奥山さん自身はすごく落ち着いている。それがどうしてなのか知りたくて。
奥山:僕は小さい頃の記憶が、不思議としっかり残ってるんです。「あのとき、こう思ったな」とか、「なんとなく、こう感じたな」とか。決してわかりやすい気持ちではないんですけど、些細で具体的なことをしつこいくらい覚えてるんですよね。
―物語を描く人は、感情や記憶を自分の引き出しの中に収納しておいて、それを適切に取り出して使う、というような話を聞いたことがあります。
奥山:そういうところはあるかもしれません。映画を作るときは「自分だけかな」って思うような感情の動きを、あえて入れ込むようにしてますね。「誰もが共感しそうなこと」よりも「こんなこと感じるのって自分だけかも」って思うことを入れるほうが、なぜか共感が集まりやすいんです。
たとえば初めて誰かを好きになってドキドキする感覚のように、わかりやすく共感されやすいことってあるじゃないですか。そういう「誰にでも理解できる感情」はなるべく映画に出さないようにしています。この映画にも恋愛の要素を加えることはできたんですけど、そうすると少年たちに対して「性の目覚め」みたいなものを求められちゃう気がして、どうしても既視感のあるものになってしまう。
―2人の美しさとか関係性の繊細さは、まさにこの映画にしかない新鮮さだと思います。ユラくんには、奥山さん自身の姿を投影しているのでしょうか?
奥山:そうですね。自分がユラくんぐらいの年齢のときに抱えてた「神様」や「信仰」に関する違和感や感情は、大学生になっても解決してなかったので、映画に撮りたいと思ったんです。脚本を書いて、そのときのことを思い出すために母校に行って、先生と話して……。映画が完成して、見てくれた方々と話して。そういうことを繰り返す中で、自分の中でなにかが整理された気がしています。
―忘れるのって、寂しいけれど救いでもあるんですよね。人が生きていく上で大切なこと。だから、覚えているということの苦しさもあると思います。
奥山:そうですね。本当に自分勝手な話ですけれど、小学生のときの友達にちゃんと別れを告げるために、必要な作業だったのかもしれません。きっと、この映画を作ることが、自分の人生を前に進めてくれたんです。
作品情報

- 『僕はイエス様が嫌い』
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2019年5月31日(金)からTOHO シネマズ日比谷で公開
監督・脚本:奥山大史
出演:
佐藤結良
大熊理樹
チャド・マレーン
佐伯日菜子
北山雅康
上映時間:76分
配給:ショウゲート
プロフィール
- 奥山大史(おくやま ひろし)
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1996年東京生まれ。初監督長編映画「僕はイエス様が嫌い」が、第66回サン・セバスティアン国際映画祭の最優秀新人監督賞を史上最年少で受賞。学生時代に監督した短編映画「Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41」(主演:大竹しのぶ)は、第23回釜山国際映画祭に正式出品された。