ハイバイ岩井秀人が語る演劇と小金井 23区外が持つオルタナ精神

気づかないうちに、人は普段いる場所の時間感覚を身につけているはずだ――。15年以上歩みを続けてきた劇団ハイバイの主宰にして、劇作家、演出家、俳優の岩井秀人は、そう言葉にした。今年2月から全国を行脚した、松尾スズキ・松たか子・瑛太・前野健太らが名を連ねた新作『世界は一人』を終えた岩井は、生まれてこの方40年以上住み続ける東京の小金井で今、羽を休めている。

多摩や島しょ地域の自然の魅力、そこでの体験価値を発見する事業を東京都及び(公財)東京観光財団が支援するプロジェクト『Nature Tokyo Experience』を考えるにあたって、「東京だけど東京じゃない」という「小金井性」が沁みついていると語る岩井に、じっくりと話を聞いてみた。目まぐるしい日々で生きていくうちに忘れてしまいがちなオルタナティブな感性が、ここにはある。

新作も再演も、一つひとつの作品をじっくり作っていきたい。

―ここ最近は、久々の休暇をとっていらっしゃるそうですね。

岩井:そうなんですよ、完全に休んでますね。今日は、少しは人に会わないといけないと思って……(笑)。

―近年、非常にお忙しそうでしたよね。

岩井:去年は、『ヒッキー・ソトニデテミターノ』(2012年初演)の再演やハイバイ15周年公演などで全国を回りつつ、フランスでもいくつか公演をしました。60代から90代の方々が集う「さいたまゴールド・シアター」の俳優さんたちと、『ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春』という作品を作りましたし。

今年に入っても2月から4月は、新作『世界は一人』で国内をツアーして……。途中から、「これ以上続けたらヤバい、終わったら死ぬほど休む!」と思ってました(笑)。

岩井秀人(いわい ひでと)
1974年東京生まれ。2003年ハイバイを結成。2007年より青年団演出部に所属。東京であり東京でない小金井の持つ「大衆の流行やムーブメントを憧れつつ引いて眺める目線」を武器に、家族、引きこもり、集団と個人、個人の自意識の渦、等々についての描写を続けている注目の劇団ハイバイの主宰。作品は韓国、イギリスなどで翻訳上演やリーディング上演され、国内外から注目されている。

―『世界は一人』が終わったのが4月中旬ですから、この取材当日で2か月くらい休んでいる、と。

岩井:はい、でもまだまだ休みますよ!(笑)

―(笑)。新作の数を絞って、過去作品の再演を数多く行うのは岩井さんやハイバイの特徴ですが、その中でのご活動の広がり方が、最近すごかったですよね。

岩井:でも、全部ライフワークですから。そしてこういうやり方は、本当は「普通のこと」だと感じているんですね。僕は演劇をやってはいますが、演劇のあり方に違和感も抱いているんです。

たとえば、演劇界では「新作信仰」がすごいんです。どんな書き手でも年に3本の新作なんてそうそう書けないのに、もう公演が決まったから、劇場をおさえたからといって、内容は誰も全然わからないままにチラシだけができあがる、ということがよくあります。それはいろいろ不誠実だろうと思っていて、それよりは新作も再演も、一つひとつの作品をじっくり作っていきたいんですよね。

―その誠実さの中で、いろんな作品が生まれてきました。当初は、かつて15歳から20歳くらいまで引きこもっていたご自身の経験から作品が生まれ、家庭内暴力が凄まじかった父親の話を経て、生々しさはそのままに、他の誰かの経験を描く、というふうに変わってきましたね。

岩井:そもそもは、自分が引きこもっていた頃の経験を題材にして、『ヒッキー・カンクーントルネード』(2003年初演)を書き始めたんです。そこから、今度は自分の家族の話を『て』(2008年初演)といった作品でやるようになった。

その後に、家族の外の話、身近な人の話を取材して書くようになったんですが、「この人自身が出たほうが絶対に面白いな」と思うようになりました。それで10年ほど、あちこちの地方でワークショップをやって、いろんな人がひどい目にあった話を、本人に演じてもらう、ということをやるようになったんです。

僕の中で、演劇の目的が広いものに変わっていた。

―そのワークショップが『ワレワレのモロモロ』(出演者自身に起きたできごとを、本人が台本化し演じる作品。岩井は構成、演出を手がける)の原型なんですね。

岩井:新作の『世界は一人』(2019年初演)にも、このワークショップで聞いたエピソードが入っているんです。松尾スズキさん演じる吾郎の父親が、酒浸りになって側溝に落ちて亡くなる場面がありましたが、あれは長崎でのワークショップに参加された女性の話で。

父親がアル中で家の中で暴れまわっていて、その女性は若い時から家を出ていたんですが、結婚を報告するために久しぶりに実家に戻った。でも、やっぱりめちゃくちゃ酔っ払っている。お願いだから結婚式の日だけはお酒を飲まないでくれと言っても、うるさいと罵倒されてしまった。

その女性は、そこで初めてめちゃくちゃに言い返したそうなんです。「それまで私とお母さんが、どれだけ我慢してきたと思ってるの?」って。女性がそのまま家を出て翌日、母からの電話で、父の姿が見えないと言う。そして明くる日の朝、近所の人たちが井戸端会議をしていたら、長崎の海につながる側溝の、蓋と蓋の隙間をお父さんがスーッと流れていった、と……。

―……ちょっと息を飲んでしまうエピソードですね。

岩井:満ち引きに合わせて、流れていった父の体が、今度はまたスーッと戻ってきた、という……。「ヤバい話が来た」と思いましたし、ワークショップの現場もすごい空気になって。あまり深刻になっちゃだめだと思って、僕もなんとか「……はい、じゃあ今の話をみんなで演じてみましょう!」と、なんてことない風に言うので精いっぱい(笑)。

岩井:どうなるのかなと思ったんですが、側溝のシーンは、表現すること自体に無理があるんです。だからこそなのか、どのチームもゲラゲラ笑いながらやっていて、なにより話した本人が、笑いながら創作に参加して、泣きながらみんなが作ってくれた「自分の物語」を見ていた。まあ、僕も含めて結構みんな泣いちゃって。その状況を目の当たりにして、こうしたことをやり続けてもいいのかな、と感じました。

僕がやっていることは、救いとまでは言えないかもしれません。でも、その女性は父親が亡くなったことになにかしら加担しているんじゃないかと自分を責め続けていたのに、あれから何年も経った今、目の前で地元の高校生が一生懸命、父親が側溝を流れるシーンについて、「こうやればいいですよ!」と床をスーッと滑っていくのを見たりすることで、少なくとも思い出に違う意味が足されて、「自責のためだけの材料」ではなくなっていく。それは、すごく大きいことなんだと思うんです。そんなふうに僕の中で、演劇の目的が広いものに変わっていたんですね。

これからは、過去作品をミュージカル化していく、ということを考えている。

―岩井さん自身という「私」から、いろんな他人の「私」へと、世界が広がっていったんですね。

岩井:僕自身、そうやって救われてきた……と言うとやっぱり仰々しい言葉になってしまうんですが、それに近い感覚があるんです。父親にめちゃくちゃに殴られていた話も、「よくそんなことを人に話すね」と言われるけど、僕は演劇を通じて話さないではいられなかった。

その方法は、DVに限らず、親友をなくすといった喪失の経験や、フランスではモロッコからの移民の方の話もありましたが、万人ではないにしても、他の人にも効き目があるんじゃないか、と感じるようになっています。

―同級生男女3人による8歳からの20年ほどにわたる哀切を、大きなスケールで描いた『世界は一人』は、その意味でもチャレンジだったのかと思います。振り返って、どんな経験でしたか。

岩井:まさに今、休みながらも、頭のどこかでそれを考えている時間なんだろうなあと感じています。すごい勢いで「離れていっている」最中といいますか。

―客観視していっている最中、ということですか?

岩井:そういうことだと思います。新作をバンバンやらないということにもつながるんですが、1個の作品が自分にとって、あるいはお客さんにとってなんだったのかわかるのって、少なくとも半年ぐらいはかかるし、再演を繰り返していくとすると、何年間にもわたる作業なんだという気がするんです。ある経験を書いて、それをまったく違う文化の中で育った人たちに見てもらって、感想をやり取りする……ということを続けていくわけで。

さしあたって言うとすると、『世界は一人』はものすごく些細なことをミュージカル化するという試みでした。だって、林間学校でおねしょをしたことから始まる話ですから(笑)。音楽や歌は、そうした経験をブワーッと拡大する機能がある。これからは、過去作品をミュージカル化していく、ということを考えています。

―なるほど。そもそもそうした時間感覚自体が、演劇をやり始めた頃から変わってきているんじゃないでしょうか。

岩井:ああ……考えたことがなかったけど、それはすごく変わったと思いますね。最初は、次の公演は大丈夫かな、次の公演は上手くやろう、ということを考えていたけど、より長いスパンで考えるようになりました。もっとぼんやりとしたことに、確信を持てるようになったといいますか。

あと年々、ヘビーなことをきちんと扱えるようになっている……というと語弊があるかもしれませんが、ワークショップの参加者の方も、そういうものをゆだねてくれるようになってきた、という感触もありますね。

23区内だと、きっと根本的に、ワーカホリックな才能がないと生きていけない気がする。

―それにしても、ヘビーな経験を聞きつづけるということは、相当タフなことだろうと思います。

岩井:そうですね、正直、しばらくは誰の身の上話も聞きたくなくなりました(笑)。僕はかつて引きこもっていた分、人に会っていないので、それを挽回しなくちゃいけないと思っている部分もあるんだと思います。外の世界を知らないから、いろんな人がどういうふうに生きているのかを知らなくちゃいけない、という思いがどこかにあって。

それでワーッと話を聞いているうちに、お腹いっぱいになりすぎて、それで人に会わなくなり、また会って、会わなくなって……ということを繰り返していくんでしょうね(笑)。

―その意味で、リセットする場所としての小金井ということを伺ってみたいんです。今もお住まいなんですよね?

岩井:生まれてからずっと、40年以上住んでいますね。劇団サンプルの松井周くんも小金井出身で、中学校の先輩なんですが、ふたりに共通しているのは、東京にいながらも、時間の流れ方の感覚が違う、ということなんですよ。「東京だけど東京じゃない」といいますか。

―「東京だけど東京じゃない」。どういうことでしょうか?

岩井:たとえば、都心で起きていることはテレビでも流れていて、JR中央線で20~30分くらいのところで起きているわけですが、どうも手ざわりが「フィクション」なんですよね。バンドだディスコだと、どんなブームが起きても、その距離で眺めているうちにやがて去っていくわけです。

人間がなにかを強烈に信じて、熱中してやめて、ということをものすごく短いスパンで繰り返しているのを、少し離れて見ている。とても忙しそうだなと思います。その23区的なスパンは僕にはちょっと無理。こちらは時間の流れ方も違って、気候も若干違うわけです。「あれ、都心と違って、こっちは雨が降ってるよ?」くらいの距離感ですから(笑)。

―先ほどの「新作信仰」への違和感につながるようなお話ですね。グルグルと高速回転するものへの戸惑いというか。

岩井:そうですね。僕にとって小金井は、「一回ちゃんと深呼吸ができる場所」なんです。23区内だと、きっと根本的に、ワーカホリックな才能がないと生きていけない気がします。でもそうした活動は、ともするとその業界のなかだけでの価値、たとえば「演劇のための演劇」「芸術のための芸術」になってしまう気がするんです。

僕は、芸術は芸術のためにあるんじゃなくて、人間のためにあるものだと思う。そういう意味で、「深呼吸ができる場所」としての小金井、そのタイムスパンが、僕の中に沁みついているんだと思います。

―都心とのアクセスは容易で、でも深呼吸はできる場所なんですよね、きっと。

岩井:台本を書いているのも近所のファミリーレストランですし、家族で散歩をするっていったら小金井公園ですからね。

岩井秀人Twitterより。実際に小金井の風景を投稿することも

―小金井公園は緑が本当に豊かで広くて、いい場所ですよね。遠出しなくてもそうしたリフレッシュができる。

岩井:あえて緑が豊かなところに遠出しなくてもよくなるというか、普通に周りが緑でモジャモジャしていますから(笑)。本当に森林浴みたいなことをしたかったら、実は車で20~30分も行けば着けちゃうんです。僕もなにも考えたくないときに、昭島や拝島、青梅のほうへ――東京をさらに西へとドライブしてきました。

なにもないのがいいんですよね。奥多摩までいくと、「本当の空」が見える。夜の意味合いも変わって見えるんですよ。24時間明るい場所じゃないわけですから。都心の暑さと違って、ひんやりとしていますし。それはきっと、まだみんな、そんなに知らないと思います。

岩井が「『本当の空』が見える」と語った奥多摩。山々に囲まれた奥多摩湖は、新緑や紅葉など四季折々の風景の美しさを見ることができる。© (公財)東京観光財団

場所には場所のタイム感がある。そして人は、自分がいる場所のタイム感に自然となっていく気がする。

―「なにも考えない場所」を確保するのって、なかなか難しいですよね。それがすぐ行ける場所にある、という。

岩井:東京って、本当にとんでもない量の情報があるんですよ。小金井から都心へ電車に乗っていくにしても、いたる壁に広告があって、ディスプレイでもずっとなにかが流し続けられていて、圧の強い雑誌の中吊りがあって……電車の外に目をやっても看板だらけで、それは車で都心に向かっても変わりはないですから。

たとえば小金井も、そうした環境の中で、単なる郊外だと捉えられているかもしれません。でも、場所には場所のタイム感がある。そして人は、自分がいる場所のタイム感に自然となっていく気がします。会社にいたら体はその会社の時間感覚になっていきますし、やがて家に帰ってもそれは続くようになるでしょう?

―東から西へと移動の方向を変えるだけで見えてくるものがあるかもしれませんね。そうした異なる時間が流れる多摩エリアに、あったらいいなと思うものはありますか。

岩井:ぜひ、レイブ(野外で自主的に開催される、オールナイトの音楽イベント)をやってほしいですね。なかなか難しいところもあるかもしれませんが、文化としては、ものすごくいいカルチャーですから。若い人たちが自分たちで祭りを作れる。その間、音楽を聴きたい人も、キャンプがしたい人も来ていい。都内でありながら自然が豊かな場所でそうしたイベントがあると、絶対に面白いと思います。

岩井:とはいえ僕も、同じ東京でも、離島(伊豆諸島や小笠原諸島)って行ったことがないんですよね。そうした場所に行ってみたいとは思っているんです、引きこもっていた分(笑)。どこから行けるんですか?

―羽田空港から飛行機、竹芝から船といった手段で行ける島があって、あと調布飛行場から行ける島がありますね。最短だと大島で25分、神津島でも45分です。

岩井:えっ、そんな近いの? 知らなかった……それはみんな絶対に知ったほうがいい(笑)。

―それこそ調布飛行場は、小金井からすぐです。

岩井:もう、めちゃくちゃ近いですよ(笑)。船や飛行機で都内の離島に行くというのも、非日常感があっていいですね。調布からすぐ行けるということがメジャーになるだけで、どこに出かけようかと考える時に、多摩に行くのか、島に行くのか、いろんな選択肢が出てきそう。

火山が生んだダイナミックな自然の風景が楽しめる大島。調布飛行場から約25分、竹芝桟橋から高速船で最短1時間45分と気軽に行くことができる。© (公財)東京観光財団

―東京都以外からやって来ても、行きやすいですもんね。たとえば岩井さんは、小金井に人を招くということはあるんでしょうか。執筆以外に、作品を作るプロセスなどで。

岩井:たとえば、ハイバイの作品が好きで、ワークショップを受けたいと言ってくれる俳優さんには、台本の背景を知ってもらうために、小金井でワークショップをすることがあります。先ほどの時間感覚とかを含めて、ほんの些細なことかもしれないけど、作品の背景を感じ取ってもらえるんじゃないかな、って。

岩井:(多摩エリアの地図を眺めながら)やっぱり広いなあ……。うちの母ちゃんがよく言うんですよ、「小金井が東京の真ん中だ」って(笑)。なにを言うんだと思っていましたけど、やっぱり東京の真ん中、中心なんですよね。

東京都全域

―お話を伺っていると、岩井さんの中には、すごくオルタナティブな感性が、地域性と共に根付いていらっしゃるんだなと感じます。

岩井:「もちろんそれはあってもいいけど、こっちがあってもいいでしょ」という感じなんですよ。メインストリームでなにかが幅を利かしていても、それとは異なる側のことをずっと思い続けているんでしょうね。そこにはきっと、小金井性があるんだと思います。

プロフィール
岩井秀人 (いわい ひでと)

1974年東京生まれ。2003年ハイバイを結成。2007年より青年団演出部に所属。東京であり東京でない小金井の持つ「大衆の流行やムーブメントを憧れつつ引いて眺める目線」を武器に、家族、引きこもり、集団と個人、個人の自意識の渦、等々についての描写を続けている注目の劇団ハイバイの主宰。作品は韓国、イギリスなどで翻訳上演やリーディング上演され、国内外から注目されている。2012年NHKBSプレミアムドラマ『生むと生まれるそれからのこと』で第30回向田邦子賞、2013年『ある女』で第57回岸田國士戯曲賞を受賞。2014年『ヒッキー・カンクーントルネード』で処女小説を発表。代表作『ヒッキー・カンクーントルネード』『て』『ある女』『おとこたち』。



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