『音まち千住の縁』の10年間を振り返る。人と人の縁を結ぶには

地域に密着したアートプロジェクトが目指すのは、一体どんなことだろう? 豊かな文化を共有したい、来訪者を増やし活性化したいなど、その目的は様々だ。

人と人の「縁(えん)」を生み出したいとの願いから始まった『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』は、今年、立ち上げから10年目を迎える。足立区千住地域を中心に、これまで大巻伸嗣、大友良英、野村誠、足立智美ら多彩なアーティストが市民と協働し、「音」をテーマとした多様なプログラムをまちなかで展開してきた。

プロジェクトは今後どこに向かっていくのか。ディレクターである吉田武司に、これまでの歩みとこれからについて聞く。

日常では出会わない人たちが出会う場を目指したい。

―『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』(以下『音まち』)で何より特徴的なのは、やはり「音」と「縁」というキーワードですね。改めて、このアートプロジェクトの始まりを教えてください。

吉田:少しシリアスな背景として、「縁」というキーワードの由来をお話しすると、孤独死などが社会的な問題になってきていたという背景があります。

吉田武司
1984年生まれ。埼玉県北本市で実施された『北本ビタミン』(2010年~2012年)や東京都三宅島の『三宅島大学』(2013年)などアートプロジェクトの事務局として企画運営に携わる。現在、『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』のディレクター

吉田:ちょうど、無縁社会(人と人との関係が希薄となりつつある社会)という言葉が広がった頃で、足立区もこの問題を真剣に受け止め、より積極的に人々が出会う機会を作っていこうと考えた。そこで軸となるキーワードとして「縁」が挙がりました。

アートプロジェクトを通じて、これまでの日常では出会わない人たちが出会う場を目指したい。『音まち』は、そのように始まったんです。

―どのようにして現在の形になったのでしょう? その際にアートを介するようになったいきさつは?

吉田:『音まち』の企画が立ち上がった大きなきっかけとしては、足立区のシティプロモーション課が、当時千住にアトリエを構えていたアーティストの大巻伸嗣さんに話を聞きに行ったことですね。

シティプロモーション課は当時、都心型のシティプロモーションについて考えるため、東京文化発信プロジェクト室(現・アーツカウンシル東京)含め、いろいろな方に話を聞いたり取材に行ったりしていた。大巻さんに取材した際、大巻さんは「足立区はアートや文化活動や音楽やいろいろなものがそこここにあふれるまちであるといい」と話した。アートを導入さえすれば地域が元気になる、といった安易な考えではない、本気の取り組みを区がやるなら協力したいと。

―そこから企画が走り出した?

吉田:さらに、東京藝大の千住キャンパスにいらしたアートマネージメントの専門家である熊倉純子教授(東京藝術大学音楽環境創造科・大学院国際芸術創造研究科)に相談することで話が形になっていきました。「音」をキーワードにしたのは、この千住キャンパスには音楽系の学科群があることから、連携の広がりや可能性に期待した面があったのだと思います。

―「音」は声や生活音から音楽まで、暮らしに身近な存在。そこから、アートへの関心の有無を超えて、広く人々がつながっていく可能性もありそうですね。

吉田:その点で、『音まち』の誕生時から関わり続けてくれている、音楽家の野村誠さんによる『千住だじゃれ音楽祭』は面白いと思います。だじゃれという言葉遊びは、一見無関係な言葉どうしを音の類似によって半ば強引に結びつける力がある。そこで地域の人たちが気軽にだじゃれを言い合い、そこから音楽を生み出していくプロジェクトです。

『野村誠ふろデュース「風呂フェッショナルなコンサート」』(2012年)撮影:森孝介 / 『千住だじゃれ音楽祭』第一弾企画として、名物銭湯「タカラ湯」で開催された

吉田:開始以来、定期的に野村さんに千住に来てもらい、プロジェクトに参加するメンバー「だじゃれ音楽研究会」(通称:だじゃ研)と即興のセッションをやるようになっていきました。僕はそれを見ていて、野村さんは単に即興演奏の質を高めたいというより、メンバーたちが音を介してコミュニケーションすることを試みているのだな、と思った時がありました。

あるとき、メンバーの一人が木琴で「ドレミファソラシド」と音を滑らせるように、流れるように演奏したんです。野村さんはそれに反応して、真似をし始めて。それを聴いた別のメンバーがまた真似をし始めるみたいな。それは音を介したコミュニケーションに聴こえて、すごく面白いなと思った。

―野村さんは地域の人たちと、どんなふうに関わろうと考えたのでしょう?

吉田:もともと野村さんはこのプロジェクトで、価値観の違う人と出会うためのプラットフォームを目指しています。特にオジサンたちと出会いたいそうで、だから「だじゃれ」をフィーチャーしたんですね。実際に始めると、「オジサン」以外にも小学生やご高齢の方、海外にルーツを持つ方もいるし、演奏技術に自信がない方など様々なバックグラウンドを持った方が参加しています。

―だじゃれは老若男女、万国共通の「音遊び」でもあるかもしれませんね。

吉田:参加メンバーを集めたミーティングでは、人によって話を聞いたり聞かなかったりですが(苦笑)、セッションが始まると皆、ちゃんと音でコミュニケーションしているんです。

だじゃ研メンバーとのセッションの様子
タイやインドネシアの音楽家たちとだじゃれ音楽を通じた交流を行なっている

―他にも、大友良英さんらが音の出る凧などを開発して「空から音が降り注ぐ演奏会」を目指した『千住フライングオーケストラ』や、アサダワタルさんが記憶や風景を通して街と人の関係を扱う音楽レーベル『千住タウンレーベル』、あるいはスプツニ子!さんが地元の若者と協働した『Adachi Hiphop Project』など、これまでのプロジェクトもバリエーションは様々ですね。

吉田:音ってやはり抽象的なもので、だからこそいろいろな伝え方、伝わり方があるし、言葉を介さず様々な人とつながれるのかもしれません。そういう意味では、市民の方々にとっても、参加の敷居を感じずにいてもらえるなら嬉しいですね。僕自身も楽器も弾けず楽譜も読めませんが、それを感じています。

これは『音まち』だからできることとして大切にしたいし、新たに『音まち』を知ってくれる人にも伝えていけたらと思っています。

場をオープンにしていくことはもちろん大切。だけど、ある程度クローズドな近しい集まりの中でこそ生まれるものもある。

―『音まち』の特徴として、何年も継続するプロジェクトがあることも挙げられます。先ほどの『千住だじゃれ音楽祭』や、大巻さんの『Memorial Rebirth 千住』(通称『千住のメモリバ』)は初回から続く名物企画ですね。先日大巻さんにお話を伺った際も(参考記事:大巻伸嗣が語るアートプロジェクトと地域の関係。継続が育む町)、単なる繰り返しではなく、積み上げていくような姿勢があるように思いました。

吉田:関わってくれる人たちが増えているのは、続けていく中で実感していますね。『千住のメモリバ』のように、内容や開催場所も毎年変化があると、関わる人、受け取ってくれる人の広がりもあります。

吉田:2018年に初めて、『千住のメモリバ』が千住エリアを超えて西新井エリアで実現したんです。千住で観た光景を何とか自分たちの地域にも持ってきたいと住民の方が連絡してきてくれたことがきっかけになりました。

千住は足立区の中で別格に大きな街で、地域のプレイヤーも多く、区が力を入れていて文化的なイベントも多く開催されていますが、逆に他のエリアではまだ少ないのが現状です。区内のいくつかのエリアから「次はうちの地域で」と声がかかり始めました。これは本当に嬉しいことですね。

―地域と連携し、広げていく上で、『音まち』のディレクターである吉田さんはどんなことを重視してきたのでしょうか?

吉田:「人が集える場を作る」ということでしょうか。ちょっと自分のことをお話しすると、大学を出た頃に、後に「目」として活動するアートユニット「wah document」を知って、進む方向が変わりました。彼らは、いろんな人から集めたアイデアをその人たちと実現していくという作品が特徴だったんです。

街中で、「人と関わりあってできる作品」がある。それを実現する醍醐味に惹かれ、気がついたら僕も彼らのスタッフとしてアートプロジェクトの現場に携わるようになりました。wah documentといろんな土地に赴いた数年間は、どこへ行っても場を作ることに関わってきたとも言えて、それが今の『音まち』での仕事にも通じています。

『wah35「川の上でゴルフをする」』(2009年) 提供:wah document
『wah55「ふねを作って無人島に行く!!」』(2011年) 提供:wah document

―吉田さんが『音まち』の事務局長になったのは2015年ですね。

吉田:はい。2015年から2017年までは事務局長として、2018年からディレクターをやっています。それまでの『音まち』は、『BOYCOTT RHYTHM MACHINE』などの先鋭的な企画で知られる清宮陵一さんたちがプログラムを引っ張っていました。自分に彼らと同じことはできないだろうなと。でも自分のこれまでの経験から、「場を作る」ということで貢献できると思ったんです。

―確かに『音まち』では、今日の取材場所でもある「仲町の家」のような集いの場も生まれていますね。また、在留外国人の方たちとの共生を考える『イミグレーション・ミュージアム・東京』など、物理的拠点はなくてもコミュニケーションの場になっているプロジェクトも多い。

吉田:そうですね。アートプロジェクトをやっていると、いわゆる表向きの拠点だけじゃなくて、非公式の拠点もあったほうがいい。例えば、イベントの後の飲み会の話が、次につながるステップになることがありますよね(笑)。

オープンにしていくことはもちろん大切だけど、ある程度クローズドな、近しい集まりの中でこそ生まれるものもある。そうしたものは、これまでの参加メンバーが積み重ねてきた実践から、基盤ができて生まれたのだと感じます。

仲町の家では、毎月レコードの鑑賞会も行なわれている
イミグレーション・ミュージアム・東京『フィリパピポ‼︎』(2016年) 撮影:冨田了平

―具体的には、どんなものが生まれていったのでしょう?

吉田:例えば『音まち』のボランティアチームから発足した「千住ヤッチャイ大学」が、自分たちでも何かやれる環境を作りたいと、2015年に僕らも関わる形で「たこテラス」という土日限定のコミュニティスペースをオープンしました。

「たこテラス」の向かいにはタコ型の遊具で知られる公園があって、子連れのお母さんお父さんがよく訪れているんです。そこで親子を対象にした、テニスコーツによる寺小屋ワークショップや、音楽家の足立智美さんが手がけてくれたコンサート『ぬぇ』などのプログラムを開催しました。

「千住ヤッチャイ大学」の拠点となった、たこテラス
タコテラスで開催されたコンサート『ぬぇ』

―今まで『音まち』がやってきた動きが、地域の新しい拠点や自主的な新しい枠組みで行き交い始めたということですね。

吉田:さらにその動きがまた『音まち』側に反響していくようなことも、少なからず生まれてきました。

僕はこれまで様々な自治体でアートプロジェクトに関わるなかで、それらが閉じてしまう瞬間にも立ち会ってきました。ときには行政のトップが変わったことで、あっけなく終了することもある。その時、やはり自分たちの「やりきれなさ」みたいな思いはずっと残るんですね。

ですから『音まち』は、積み重ねてきたものがちょっとした歯車のずれで終わりを迎えてしまわないように、続いていくよう日々の運営を行っています。またそれと同時に、自分たちがいないところでも地域の方々が意欲的に活動するような流れにも、何かしらぜひつなげたいと常に思っていますね。

これまでの10年間で生まれた動きを、千住を越えて区内の他地域に広げたい。

―今後、『音まち』がどのようにこの土地に根付いて行けばいいと考えていますか?

吉田:今、北千住は「穴場だと思う街ランキング関東版」(リクルート住まいカンパニー実施)で6年連続トップなんですよ。これには『音まち』も多少貢献しているかなとはスタッフのあいだで話しています(笑)。

やっぱり足立区は「人が面白い」。これは僕自身、実際に千住に住みながらこの仕事に関わる中で実感しています。もともと江戸の宿場町の1つだったこともあり、多様な人や物事を受け入れる寛容さが昔からあった。それに助けられる形で、いろんな人たちが何かを始める環境として育まれているように感じます。

―『音まち』が発行しているフリーペーパーを見ると、地元の個性的なキーパーソンの姿が目立ちますね。そうした方たちとの付き合い方で気にかけていることはありますか?

吉田:地域の方々とのお付き合いは今でも試行錯誤中で、自分がうまくできているかどうかはわからないですね(苦笑)。ただ、とりあえず相手のところに会いに行くっていうことはしています。僕も住んでいるエリアの町会とかでお付き合いが生まれて、住みながら関わるからこそ話せる部分も、多少はあるのかなと思います。

―最後に、これからの『音まち』の展望について教えてください。

吉田:今後の方針は2つあります。1つは、これまでの10年間で生まれた動きを、千住を超えて区内の他地域に広げていく、ということ。リサーチしていくと、千住以外のエリアにも個性的な方がいたり、面白い活動があったりするんです。今までの「縁」を千住にだけ留めるのではなくて、滲ませながら、広げていけたらと思っています。

もう1つ、これは『音まち』のプロデューサーである熊倉さんの「接触と接続」という言葉。今まで『音まち』がやってきたのは「接触」で、人と人が出会う機会を作ってきたんですね。今後はそこからさらに進んで、出会った人どうしの関係を深める、接触してきた人たちを「接続」していくためのプログラムも必要になってくる。

―「接続」のための新展開があるということですね。

吉田:今、『千住・人情芸術祭』という企画を考えています。若手アーティストを公募し、協働相手として具体的な地元の人たちを選んでもらって、いかにコミットしながら作品を作れるか挑戦してもらう場です。人情というのは良いことばかりでもなく、泥臭い部分や人との摩擦も含み得るけれど、顔の見える相手と「接触」以上の意思を交わし、深く関わってもらうことに重きを置く試みです。

『音まち』を通して人と人の「接触」を10年近く続けてきたからこそ、次の「接続」が見えてきた。そして「接続」した先に何があるのかを見極めるには、いままでと同じぐらいの時間をかけてじっくり取り組むことになるかもしれません。ここからまた継続しながら、その答えを探っていくことになりそうです。

プロジェクト情報
アートアクセスあだち 音まち千住の縁(音まち)

アートを通じた新たなコミュニケーション(縁)を生み出すことを目指す市民参加型のアートプロジェクトです。足立区千住地域を中心に、市民とアーティストが協働して、「音」をテーマに様々なまちなかプログラムを展開しています。日本家屋「仲町の家」も文化サロンとして土日月・祝日にオープン中。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、東京藝術大学音楽学部・大学院国際芸術創造研究科、特定非営利活動法人音まち計画、足立区
※本事業は「東京アートポイント計画」として実施しています。

プロフィール
吉田武司 (よしだ たけし)

1984年生まれ。大阪市出身。京都造形芸術大学芸術表現・アートプロデュース学科卒業。埼玉県北本市で実施された『北本ビタミン』(2010年~2012年)や東京都三宅島の『三宅島大学』(2013年)などアートプロジェクトの事務局として企画運営に携わる。その後、2014年には東京アートポイント計画のプログラムオフィサーに従事。現在、足立区千住を中心に「音」をテーマにまちなかで展開しているアートプロジェクト『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』のディレクター



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