Kvi Babaが語る、生きる覚悟。愛はもらうものではなく手渡すもの

『Happy Birthday to Me』。Kvi Babaの3rd EPのタイトルは、明確な意志を持って、自身の脱皮と生まれ変わりに対して捧げられたものである。歌、音、リリックの視線。すべてが、これまでのものとは違う近さと温かさをもって響いてくる。

崖の下から這い上がってくるようだった声は、跳ねるように躍動。引き続きタッグを組んだBACLOGICのトラックは、泣き叫ぶギターやヘヴィなビートよりも、メロディアスなフレーズが前に出るものへと変化。そしてリリックは、痛みや死に怯えながら生を求めるものから、Kvi Babaなりの生きる意味と理由を直接的に綴るものへ。<生まれて今 初めて書く / Love Song / 綺麗事だけじゃないぞ Fight Song>(“Fight Song”)。孤独と絶望を背景にして進んできたストーリーを自分自身へのエールソングへと昇華した、素晴らしい変化作であり、本質作である。

ユースの孤独と鬱屈を掬う現行のエモの在処として、オルタナティブロックや90's emoを食らってきたクラウドラップ。その潮流と共振する音楽性・精神性を持つ存在として注目を集めたKvi Babaだが、そういった位置づけを自らはみ出していくように、端から素晴らしかったメロディと歌を存分に飛ばしている。「気鋭のラッパー」から駆け上がり、より自由に今を表す存在へと飛んでいくための序章がここに刻まれていると言えるだろう。泣き喚くばかりだった「あの頃」とは違う、本当の強さを手に入れるための一歩を踏み出したKvi Babaに、今の自分を語り尽くしてもらった。

今までのネガティブさっていうのは「遠回り」だった。だけど、どうせ希望に向かうんだったらそのまま歌えばいいっていう、「どうせ」の使い方を見つけた感じがしたんです。

Kvi Baba『Happy Birthday to Me』を聴く(Apple Musicはこちら

―“Fight Song”や“Talk to Myself”をはじめとして、晴れやかでポジティブなエールソングが根幹を固めているEPだと感じました。デビューから今までがあった上での音楽的な脱皮・変化を果たした作品だとも思いますし、一方では、曲にし続けてきたことの一番本質的な部分にある「生きていく」という想いをドンと歌った作品だとも感じますが、ご自身ではどんな作品ができたと思われていますか。

Kvi Baba:成長した部分もありつつ、変わらず「自分だな」って思える作品なんですけど……でも、これまでよりも体と心にいい作品ができたかなって思います。

―それはどういう部分に対して思います?

Kvi Baba:屁理屈ばっかり歌うのをやめたのが成長だと思います。だからポジティブなことも歌にできるようになったのかな。以前は、成長できないから自分の中のネガティブなことを吐き出すしかなかった気がするんですよ。ただ、ネガティブな部分をポジティブな部分にどう昇華したらいいのかっていう歌だったのは前も同じだったと思うんですよ。

―そうですね。

Kvi Baba:その点で言うと、根本は変わらないまま昇華の仕方に成長が表れてきたのかなっていう気がしますね。表現がうまくなったというか……同じものを歌ってるんだけど、歌い方が変わったっていう言い方が近いかな。

Kvi Baba“Fight Song”を聴く(Apple Musicはこちら

Kvi Baba(くゔぃ ばば)
1999年生まれ。大阪府・茨木出身。2017年よりSoundCloud上で立て続けに楽曲を発表し音楽活動をスタート。トラップ、オルタナティブロックを飲み込んだ音楽性を持つ。2019年2月に1st EP『Natural Born Pain』を、同年3月に2nd EP『19』を立て続けにドロップ。2019年9月25日に1stアルバム『KVI BABA』を発表し、2020年5月29日に『Happy Birthday to Me』をリリースした。

―Kvi Babaさんが前回のインタビューでおっしゃったことをよく覚えているんですけど、いちいち絶望してしまうのは、絶望してしまうほどの理想や希望を持っているからこそだっていう話をしてくれて。ネガティブから始まったとしても、生きたいっていう本音を奮い立たせるための歌である点は一切変わっていないですよね。

Kvi Baba:うん、ネガティブって言いつつも、それはポジティブに向かうためのものとして歌ってきて。痛みや絶望が自分の歌にはたくさん出てきてましたけど、見方を変えればそれが前向きなものになるっていう……そういうふうに見方や光の当て方を変えている感じだったし、僕個人の部屋にこもって日記を書くようにネガティブを吐き出して、それが聴き手次第の解釈でどう転がるかっていう感じだった。

Kvi Baba『KVI BABA』(2019年)を聴く(Apple Musicはこちら

Kvi Baba:だけど今回は初めて、自分で答えを出しに行ってるんです。それは決して不自由なことでもなく、これが正解だって自分に言い聞かせるようなことでもなく、むしろ自分を自由にするために、自分の答えを出す必要があったんですよね。

―とはいえ、以前は吐き出さないとやっていられないネガや絶望がたくさんあったわけですよね。だけど今作は歌のトーンがグッと晴れやかになって、トラックの質感も非常に温かいものになっている。この変化の背景に何があるのか、思い当たることはありますか。

Kvi Baba:なぜかって言ったら……去年の末くらいに、実際にぶっ壊れるところまで行っちゃったからだと思います。

―何がどうぶっ壊れたのか、教えてもらうことはできます?

Kvi Baba:人と揉めたり、人に裏切られたりっていうことが増えて、以前所属していたレーベル(マネジメント)を抜けて。体調も壊してしまって、本当に死ぬかもしれないっていう状況になっちゃったんですよ。Kvi Babaとしてはポジティブな状況になっていってるはずなのに、ネガティブなままの自分のままだと失うものがたくさんあって。そうなった時、ただただ純粋に「生きていく」っていうところに向かうしかなかったんです。

―ネガや傷からポジティブに向かう、ある種の反動を使うことすら現実的じゃなくなったというか。

Kvi Baba:そうそう。今までの自分のネガティブさっていうのは、ポジティブに行くための「遠回り」だったんですよ。それこそ反動として使ってただけ。だけど、どうせ希望に向かうんだったらそのまま歌えばいいっていう、「どうせ」の使い方を自分の中で見つけた感じがしたんです。人間関係のめんどくさいことに巻き込まれてしまったり、それで人間不信になってしまったり……それも含めて、ネガに行く反動で希望を歌うよりもっと直接的なルートを選ばないと本当に壊れてしまうって思うようになったんですよね。

―傷や痛みが証になって自分を形成するっていうことも、人間にはあると思うんですよ。ただ、シンプルに考えて、痛みだけじゃ生きていけないですからね。

Kvi Baba:そう、今回一番デカかったのはそこで。体壊して、仲間だったはずのレーベルと揉めて抜けて。そういう時に、さらにカサブタを剥がすようなことをしていても、実際に不健康になっていくだけだったから。新しいOSを搭載して、新しいルートで向かって行くしかなかったですね。

「明日死んでもおかしくないな」っていう感覚になったことで、本当の意味で毎回ラストソングだと思えるようになったんです。

―これは傍から見た言い方になりますけど、Kvi Babaさんが辿ってきた道のりは、日本の音楽の中になかった位置付けを担うものだったと思うんですね。現行のemoとしてのクラウドラップとリアルタイムに共振する音楽性は、日本でもロックとラップミュージックの溝を埋めるものだったと思うし、人の孤独を掬うものとしてもリアリティを持っているもので。いろんな橋を渡せる存在としての可能性を音楽的にも精神性としても放ってきたのがKvi Babaさんの音楽だと思うんですよ。

Kvi Baba:はい。

―なんでこういう話をしたかというと、自分の音楽に対する反響と盛り上がりは聞こえてきてただろうし、そこで満たされるものはなかったのかなと思ったからで。

Kvi Baba:でも、それはあんまり実感してないかも。業界の人とか、早いもの好きの人とかが「すげえぞ」って言ってくれるのはわかってたんですけど、僕自身としては、早いものがよく見えるだけでしょって思っちゃうところもあって。僕の音楽に対して「世界にいけるよ!」とか調子のいいことを言う人を信用し過ぎたが故に、体にガタがきちゃったところもあるんですよ。ジュース・ワールド(Juice WRLD)やポスト・マローン(Post Malone)がいるから僕を評価するような人じゃなくて、僕自身の本質を見てくれているか。言うまでもなく、そこが何よりも大事なんですよね。

―これは安易な比較論じゃなく、声と歌とメロディの強さ、リリックの素晴らしさがあった上で時代性を纏っている音楽であるという意味で言ったんですけど、その歌の部分のアップデートが今作はかなり飛躍的だと思うんです。そのあたりは自覚的なものがありますか。

Kvi Baba:ありますね。今回もBACHLOGICと作ってるんですけど、そもそも彼が選んでくるサウンドが変わったと思うんですよ。温かい音が多くなったり、手触りが近いものになったり。で、それに対してリリックも変わったのは必然で。僕はトラックを聴いてからリリックを書くので、歌詞や歌が変わったのはトラックが変わったからとも言えるし、そのトラックを選んでリリックを書くことには自分のメンタリティが表れるし。

―逆に言うと、BACHLOGICさんのトラックが以前と変わったものとして出てきたのはどうしてなんでしょうか。

Kvi Baba:やっぱり周囲の人も僕自身の変化を受け取っていたんでしょうね。BACHLOGICも、次はもっとポジティブなフィーリングのものを作らないと僕が死んじゃうと思ったのかもしれない。僕が「こっちに行きたい」と思うと、彼のトラックも、周囲のクリエイターの作風も、不思議とそっちになってくるんですよ。

―やっぱり曲以上に人間がグルーヴを持ってる?

Kvi Baba:そう思います。感覚的なところで通じ合うものもあるし、スタジオで会って最近のことを話すだけで、バイブスはわかってると思うんですよ。だから、それに合わせて同じマインドで曲を作ってくれてるんでしょうね。だから、ただ音が綺麗とか、大事なのはそういうところじゃないんですよ。音に対する指示もしたくないし、その音の中に人と人の空気感がちゃんと宿っているかどうかでしかなくて。

<心のどこかじゃ死にたいかも>っていうことも踏まえた上で、<心の大半生きたいんだろ>っていう大きな部分を示せた。

―前作までのサウンドは極端に泣いていたと思うし、極端にグシャッとした音色のギターがKvi Babaさんの歌の中の心象風景そのままだった。それに比べて今回は、とにかくメロディが跳ねてると感じるし、音も歌ってますよね。このあたりに関しては、ご自身でどういう感触を持っていますか。

Kvi Baba:前はトラックの底で呻いてたし、這いつくばって登ろうとしてたと思うんですよ。だけど今は、同じ崖を登るのは変わらなくてもハイキングできてる感じ。跳ねながら向かっていけてるんですよ。「明日死んでもおかしくないな」っていう感覚になったことで、本当の意味で毎回ラストソングだと思えるようになったんです。そうなると、ポジティブとは言っても綺麗なだけじゃないものも素直に出てくるようになって。

―音に関しても「綺麗なだけの音は求めない」とおっしゃいましたけど、しんどかった過去も、死んでしまいたいと思った日も、忘れたんじゃなくて全部持っていくんだよっていう歌になってますよね。ただの綺麗事じゃない。

Kvi Baba:別にストイックでもなんでもないけど、だけど自分の弱い部分を甘やかしたり「それもOK」って思ったりするのが嫌だったんです。綺麗なことだけを歌ったり、前向きなことだけを歌ったりするのは逃げだと思ってた。だけど、大前提として<心のどこかじゃ死にたいかも>っていうことも踏まえた上で、<心の大半生きたいんだろ>っていう大きな部分を示すっていう……それが今回の大きな変化かな。「生きたいでしょ?」って言われたら「そんなことない」って言いたくなる時もある。逆に、「死にたい」って言う人に「嘘つけ、本気で言ってないくせに」って返すのも嫌いなんですよ。生きてたら、死にたいと思うこともきっとあるじゃないですか。

―わかります。倒錯した感情は誰しも持ってますよね。それを表現にできるのが音楽っていうものだったりする。

Kvi Baba:そうなんですよね、僕もそう思う。

―<閉じた心の部屋は届かないかもしれない><だけどそれでもいいんだ そっと残しておくね>っていうラインに、今おっしゃったことが表れている気がします。閉じようとする自分と取っ組み合っていたのが以前なら、閉じてしまう自分に対して「そこにいてもいいよ」って言える大らかさと素直さが歌にも出ていて。

Kvi Baba:うん、話していても思いましたけど、ブレてないですね。全部変わらないまま、前に向かっていく感じを手に入れられた感じですね。これまでは、下のモゴモゴした声で歌っている曲が多かったんですよ。

―そうですね。呻きが歌になって、歌が呻きになってた。

Kvi Baba:で、それが僕の内面の奥深くを表現してたと思うんですけど、今回は目線を上げて歌うようにして。そしたらそのまま歌もキーも上がって。上向いて歌うっていうのはたとえ話ですけど、でもやっぱりリアルに出てくるんですよね、心の向きって。

“Fight Song”のRemixにはVIGORMANとNORIKIYOが参加

ラップをやっているというより、自分なりのヒップホップをやってる。「こんなのヒップホップじゃない」って言う先輩も多いとは思うんですよ。だけど、それは大した問題じゃない。

―歌の話で言うと、ラップをやる意識でラップをしてきたのか、歌のひとつの在り方としてラップを捉えてきた方なのか、どう思います?

Kvi Baba:うーん……「ラップやってるぜ」っていう意識ではなかったですね。元々音楽を始めたきっかけがラップだっただけで。でも、自分がやってるのはヒップホップだっていう気持ちはあります。歌とメロディも、自分なりのヒップホップをやってるっていう意識の中にありますね。

―ご自身にとってのヒップホップは、どういうところに宿るものだと思いますか。

Kvi Baba:下を知ってこそ上を目指せるっていう精神性ですね。下の頃の気持ちを絶対に忘れない。問題があっても、環境が不遇でも、なんとかしたくて叫ぶのがヒップホップだと思う。そうやって日常を変えてリアルにしていくのが自分にとって大事で。だから自分はラップミュージックをやっているというより、自分なりのヒップホップをやってる。きっと、サウンド面や歌の面では「こんなのヒップホップじゃない」って言う先輩も多いとは思うんですよ。だけど自分にとっては、それは大した問題じゃないんですよね。

『KVI BABA』(2019年)収録

―むしろその定型や枠を突き破っていくことにこそ、ご自身にとってのヒップホップがある?

Kvi Baba:そうです。メロディに関しては特に心に直結して出てくるもので、以前よりもさらにストレートに出てくるようになったと思うんですよ。リリックもほぼ同時だったんですけど、でも書く前に突っかかることも増えてきた気もしますね。

―それはどうして?

Kvi Baba:さっき話したみたいに、「これがラストソングになっても悔いのないように」っていう気持ちで書くと、これでいいのかなって自分に問いかけるところが出てくるんですよ。迷いというよりも、言葉に対する重みを問うようになるっていうか。ただ、自分の心を表現しようと思い続けてるわけですから、やっぱりスッと出てくるものを一番に信じたいんですけど……そういう意味でリリックの生まれ方は変わってきたかな。だけど、生まれ方も含めて考えると、メロディは一番心に近いから。

―逆に言うと、メロディ自体が言葉を持っていて、メロディが語りたがっていることに耳を傾けていくという感覚もありますか。

Kvi Baba:ああ、そうですね。僕にとってはメロディもリリックの一部なんですよ。カラスがカラスを呼ぶように、オオカミがオオカミを呼ぶように。僕らからしたらただの音でも、そこには彼らしかわからない意味がある。で、僕にとってのメロディもそれと同じだし、<Ah>とか<Oh>も全部リリックとして必然性を持って出てきてるんです。間を埋める合いの手じゃなくて、リリックなんですよ。

―一般的な言葉ではない歌には、ご自身の何が出ているんですか。

Kvi Baba:うーん……感覚的な話ですけど、たとえば“Fight Song”の<Oh!>は何を言ってるのかっていうのが、歌詞の中のどこかに見つかるっていう感じですかね。たとえば赤ちゃんの泣き声で言えば、お母さんはきっと言葉じゃなくても「なぜ泣いてるのか」がわかるじゃないですか。で、<Oh!>のお母さんは僕なので、この<Oh!>は何を言いたいのかっていうのが僕はわかるんです。それもちゃんと歌だし、意味なんですよね。

―当たり前の話かもしれないけど、でもめちゃくちゃ面白い話です。たとえば“Fight Song”に入ってくる<Oh!>に対して、これは歓びの声だなって思わせるメロディでありサウンドになってるわけですよね。それも全部含めて、音楽は言葉を超えた言語になっていくと信じている人なんだなと、改めてよくわかります。もっと言えば、言葉にならない声や気持ちを抱えている人を掬い上げる歌としての説得力も感じる話で。

Kvi Baba:うん、めちゃくちゃ信じてますね。やっぱり、自分が救われた経験値が一番大きいのが音楽なんですよ。僕の歌で誰かが「救われました」って言ってくれる時にも嬉しさはありますけど、でも、何よりも自分が救われた時に音楽の力を感じる。本当に音楽に救われた経験って、音楽をやっている全員が持っているものなのかはわからないんですけど……でも、僕は確実にそうです。自分が音楽に救われた経験をずっと忘れてない。それはお金じゃ買えない大事なものなんですよ。

心は目に見えないし、心を心たらしめる温もりも目に見えない。目に見えるものとか、一見わかりやすいだけのものなんて、たかが知れてるんです。自殺しちゃうお金持ちだっているし、いくら金があっても治せない病気だってある。やっぱり目に見えないものに本当の価値や喜びが宿るんだなって思う。人との繋がりに喜びを感じて生きていけるのかって部分で言っても、結局はお金の繋がりじゃなくて愛であって。愛だって、本質的には目に見えないですよね。家族への愛、仲間への愛、友達への愛。種類は問えないんですけど。

―今のお話で言うと、ご自身が愛を実感するのは、もらう時より渡す時なんですか?

Kvi Baba:うん、渡す時っすね。

―何がそう言わせるんですか。

Kvi Baba:与えられるほうが幸せっていう人もいるとは思うんですけど……渡す愛のほうが幸いなのはなぜかって、ただもらうよりも、自分の中で育んだ愛のほうが、体感できる温度が高いからじゃないですかね。

この先もきっと、過去を恨んで死にたくなることはある。だけど、あの時があったから今の自分はここにいるんです。今を愛せるかどうかで、自分にとってのリアルは変えていけるんですよね。

―自分が育んだ愛のほうが体感温度が高いって、いい言葉ですね。

Kvi Baba:誰かからプレゼントをもらった時にもジワっと温かくなるけど、まず自分で愛を育むことを知らないと、人からもらう愛も愛だとわからないから。まずは自分から愛さないと、人との関係も始まっていかないんですよ。これは僕も半年前には気づけなかったことだけど、生きているっていうことをまず自分が愛さないと、何も始まらないんですよね。

やっぱり、僕は一度全部ゼロになってしまったから。なぜか周囲の人から無視されるようになってしまったり、裏切るヤツが出てきたり、それで体を壊してしまったり。すべてがそこで止まったんですよ。だからこそ、愛は増えるものじゃなくて自分から生み出さないといけないものなんだって気づけたんですよ。

―おっしゃったことはまさしく<許せない人にも言うよ ありがとう>っていうラインにも出てますね。

Kvi Baba:今は特に、愛してほしい、寂しいっていうのが共通言語になってるとは思うんですよ。だけどまず愛を育んで人に渡すことの喜びを感じないと、「愛が大事だ」って口で言いながらも愛が何かもわからないだけになっていく。誰かが愛してくれないから自分は人を愛せない、誰かに何かをされたから人を愛せないって言うだけで終わるから、寂しさや不安が裏返って人を踏み台にしたり攻撃しちゃったりする。でもそうじゃなくて、愛されないなら、まず自分が人を愛せる人になればいいんですよ。

―Kvi Babaさん自身も、心の傷になった経験が昔あったわけじゃないですか。愛してるものがぶっ壊れるところを見てきた。今は、それも赦せたんですか。

Kvi Baba:赦せた………どうだろうなあ。まあ、そのきっかけになった張本人に対して今も「ぶっ殺してえな」って思うこともありますよ。それ以上に、あの時俺は無力だったなって自分を恨むこともある。だけど、それを心の中でそっとしておく強さは身につけたんじゃないですかね。たぶん、本質的には赦せてない。だから<許せぬ人にも言うよ ありがとう>なんです。この先も過去を恨んで死にたくなることもきっとある。だけど、あの時があったから今の自分はここにいるんです。今を愛せるかどうかで、自分にとってのリアルはいくらでも変えていけるんですよね。

―わかります。

Kvi Baba:愛って、貴族みたいな人だけ手に入れられるものじゃないんですよ。日常の至るところにあるもので、実は自分たちが一番多く触れているものが愛だと思うから。死んでしまいそうな時、全部が嫌になる時にはそこに立ち返るべきなんじゃないかなって。そういうメッセージですね。

―共感合戦みたいな世の中の構造からしても、ネガティブなものをネガティブに吐き出して、そこから前向きなものを生んでいくっていう物語化のほうが「わかりやすい」とされると思うんですよ。だけどネガによる共感云々だったり「自分はダメだ」って言ったりするよりも先に、じゃあどう生きてくんだよ? って自分に問いかける強さが今作の輝きだと思うし、それはまさに“Talk to Myself”に表現されていることだなと思うし。

Kvi Baba“Talk to Myself”を聴く(Apple Musicはこちら

Kvi Baba:命について考えることが多くなったから、目線が広がった感がありますよね。“Life is short”にも<同じ時間を愛す 同じ時空を愛す>っていうラインがありましたけど、その感覚がさらに強まったというか。同じ時間に生きていることで人と人を比べ合うことは必要なくて、今をどう愛するかだけでいいよなって。そう思うんですよ。

―<誰の道 僕の意味 生きる訳を見つけた / 下向いた君が笑うとこを僕は見てみたいんだ>っていうところまで歌い切るようになったのが素晴らしくて。自分のライフストーリーに対するファイトソングでもあり、それが結果的に人へのファイトソングになっていくっていう。

Kvi Baba:今作はやっぱり、“Talk to Myself”が大きい基盤になってる感じがありますよね。人と同じ時間軸を生きている感覚が生まれたからこそ、自分への歌なんだけど人への歌でもあるって思えて。愛や気持ちって、どうしても人に手渡すものだと思いがちですけど、鏡を見れば、最初に手渡せる相手はそこにいるんですよ。自分に対してぶん投げていけばきっと、今を同じように生きている人にも届く。自分を大切にできる人はきっと、人のことも大事にできる。そう信じてるんですよ。

―最初の作品からアートワークに描かれている物語の主人公――つまりKvi Babaさんは、どんなストーリーを辿っている最中だと思えます?

Kvi Baba:1st EPで傷を負って、1stアルバムでも傷を負って。だけどその傷を歌にすることで癒されていくものがあると知って。その上で今回のEPで、本当の意味で傷を生かせた感じですかね。アートワークの主人公が、泣いてるんだけど強く立ってるというか。強くなっていくと同時に、弱さに対して優しくなっていく。そこからどうしていくかっていう勝負が始まった気がします。

リリース情報
Kvi Baba
『Happy Birthday to Me』

2020年5月29日(金)配信
価格:1,222円(税込)

1. Fight Song
2. No Clouds
3. By Your Side
4. Talk to Myself
5. Fight Song (Remix) feat. VIGORMAN&NORIKIYO
6. Decide feat. RYKEY

プロフィール
Kvi Baba (くゔぃ ばば)

1999年生まれ。大阪府・茨木出身。2017年よりSoundCloud上で立て続けに楽曲を発表し音楽活動をスタート。トラップ、オルタナティブロックを飲み込んだ音楽性を持つ。2019年2月に1st EP『Natural Born Pain』を、同年3月に2nd EP『19』を立て続けにドロップ。2019年9月25日に1stアルバム『KVI BABA』を発表し、2020年5月29日に『Happy Birthday to Me』をリリースした。



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