今、あらゆる市場は企業ではなく個人を向いている

この本のサブタイトルである「誰が物語を操るのか」という問いかけは、一頃前までは「誰がこの大根を育てたのか」と同じくらい容易な問いかけだった。「この大根を作ったのは千葉県の桜井さん農家ですよ」と答えるように、映画のエンドロールよろしくクリエイトした側の名を連ねれば良かった。しかし、今はそういう時代にない。双方向性という言葉で語られるSNS周辺が編み上げた連なりは、物語の在り方を確かに変えた。受け手は単なる観客から参加者となり、物語そのものに付与していくようになった。象徴的な例がある。ブログとTwitterを世に生み出したのは、共に、アメリカ大陸の中西部に位置する、大平原が続くネブラスカ州の出身者だった。州最大の都市まで車で2時間かかる場所から、距離を問わない、発信者を選ばない、あのメディアが生まれた。そして、瞬く間に有機的にうごめき始めた。

現行のウェブ世界で、物語を操りビジネスを成功へ至らせるための重要な要素を、著者はデイビット・シールズの著書『REALITY HUNGER(未邦訳 / 仮題『リアリティへの渇き』)』から引用しながらこう記す。「ランダムであること。直感的であること。感情的切迫。視聴者または読者が参加すること。文化的な人類学的な自分語り。正統性への渇望と同時にギミックへの偏愛」、これはつまり、「フィクションとノンフィクションの境界、つまり『現実』そのものをぼかすという誘惑」なのだとする。ぼかす上で真っ先に起こすべき行動は、「供給して→需要させる」というこれまでの決まりきった順序を根から疑ること。視聴者/読者は、かしこまって提供される前の段階で受容することを欲する。「需要」ではない、「受容」だ。制作者は、受け入れてもらった参加者の声を反映させて、需要させるべき形を改めて模索する。マクルーハンは「メディアはメッセージである」と言った。しかし今、ひとつのメディアをある地点に置いて眺望したとき、一方向からの宣言と対する回答のみで呼吸しているメディアは皆無だ。あったとしても、もはや錆ついているだろう。訳者があとがきで「『私たちがメディアである』というスリリングな時代」と本書を総観しているが、この双方向性は徐々にかつての物語の主演を、共演あるいは助演に落とし込もうとしている。ただそれは決してネガティブなジャッジではない。供給する側にとって、これはチャンスなのだ。なぜなら、受け手に「本当の主役はあなたです」(←おお、これは『24時間テレビ』の謳い文句ではないか)と思わせることができれば、新たな物語を供給し続けることが可能になるからだ。だから、供給側はある技術を探る、そう、「のめりこませる技術」だ。

本書でも何度か言及されているが、かつて『スーパーマリオ』は、物語の鍵をプレイヤー自身に探究させる装置をアットランダムに用意することで熱狂を得た。あれと同様の取り組みを、たとえば、映画で作り上げようとしよう。映画の内実が鑑賞前から漂ってくるような仕掛けをウェブ上に転がしておく。それを貴方がつかまえることで、映画の輪郭が明らかになるかもしれませんよ……という判断の場を用意する。私たちはもう、予告篇のダイジェスト映像が好都合に切り貼りされていることを知っているし、制作側から出されるプレスリリースとそれに基づく体温を感じない紹介記事では体が反応しないことを知っている。では、その諸々に慣れた体に、「この作品は自分のために存在している」と思わせるためにはどういったアプローチが有効なのか、この本の具体例に答えが詰まっている。18歳のイギリス人男性、ニック・ヘイリーは大好きなバンド・CSSの楽曲に合わせて勝手にiPod touchのCMを作成し、YouTubeにアップした。アップから数日後、その映像がアップル本社のマーケティング担当者に発見された。街をバスで移動中に代理店からのメールを受け取ったヘイリーは「何のいたずらか」と疑うが、数日後に彼はロスに飛び、アップルの会議に出席していた。CM完成から数週間後、CSSの楽曲はビルボードチャートにランクインした。本書が紹介するこういった双方向性のサンプルが、視界を広げてくれる。

さて、ここからはこの「のめりこませる」ことへの疑義を少々述べてみたい。この本では、(とっても回りくどい言い方だが)「のめりこませようとする取り組みに対して、個人がのめりこまないようにする必要性の有無や防御方法」が一切書かれていない。つまり、のめりこませようと仕掛けてくるものを疑うべきかどうか、という観点は本書にはない。キング・クリムゾンの頭脳、ロバート・フィリップが、昨年8月にイギリスの経済誌『Financial Times』に掲載されたインタビュー記事で、こう突き刺していた。タイトルは「The day the music died」だ、彼の引退宣言とも言われている。そこに、こんな一節があった。「初期のキング・クリムゾンがポピュラー音楽に、その中でも特にロックに大きなインパクトを与えたのは、それをやれる能力はあるが、何をやっているのか自覚してない若造たちだったから。40年で何が変わったか、簡単だ。40年前は経済だけが市場だったが、今では社会全体が市場だ。道徳にまで値段がついている」。のめりこませる行為は直ちに値段として換算されるわけではない、しかし、個々人の道徳や行動原理を先読みしてのめりこませる行為は、おおよそ個々人の財布に隣接しているものだ。

つい先日見かけた新聞記事に驚いた。これまでずっと書籍販売で首位を守り続けてきた紀伊國屋書店がTSUTAYAチェーンに抜かれたという。朝日新聞の記事は、勝因をはっきりとこう記す。「会員カード『Tカード』の購買履歴を分析し、売れ筋の書籍や雑誌にしぼった品ぞろえにしていることが効果を上げたとみられる」。御存知のように、「Tカード」の利用範囲は広い。「○○で何を買ったか」という横断的な個人情報を本屋という単位に約分することで、そこにやってくる人がどんな本を欲するかを先読みすることができるのだ、という。こう聞かされると、古臭い私は思う、そんな分析に負けてたまるか、のめりこまされてたまるか、と。本や映画や音楽や絵画は個人に負荷をかけてくるもの、それらが個人の動きを快適にするためだけに用意されてはつまらない。先読みに抗っていく個人でありたい、と思う……おまえの指針なんて聞きたくねぇよとの声が聞こえる、恐縮。しかし、今こそ個々人が、この本で紹介される「のめりこませる技術」と対峙し、それぞれの手法を自分に照らして自分なりの答えを探らなくてはいけない段階にあるのは確かだろう。ロバート・フィリップが言い残したように、今、市場は経済ではなく社会にある。企業が連なることを経済活動と呼ぶ。一方、社会活動と呼ばれるのは、往々にして個人が連なることを指す。だから市場は個人に絡み付いてくる。それに浸るもよし、逃れるもよし。ただその選択は自分でしたい。ビジネスに投じられてきた思索の矢印を根源から疑い挑発するこの本を読めば否が応でも奮い立つだろう。

書籍情報
『のめりこませる技術』

2012年12月24日発売
著者:フランク・ローズ、島内哲朗訳
価格:2,200円(税込)
ページ数:440頁
発行:フィルムアート社

プロフィール
フランク・ローズ

ワイアード誌のライター兼編集者としてプレイステーション3に社運を賭けたソニーの命運から、死後ハリウッドでようやく評価されたフィリップ・K・ディックのキャリアまで幅広い題材を取材してきた。本書以外には1989年、スティーブ・ジョブズ追放の顛末を綴った『エデンの西─アップル・コンピュータの野望と相剋』やハリウッドの仁義無き戦いを描いた『The Agency(未邦訳:仮題 代理店)』の著者でもある。



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