静寂の時間が交錯する唯一無二の音楽空間

ジョン・ケージの生誕100年記念コンサートを渋谷慶一郎がプロデュースする。出演は飴屋法水、salyu、康本雅子と異色の豪華キャストが集結という前代未聞の公演情報は瞬時に大きな話題を集め、チケットは即座に完売。当日は全国各地から、名古屋の愛知芸術センターへ多くの人々が押し寄せた。その伝説の一夜の模様をお届けしたい。

写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)
写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)

本公演の題目は、ジョン・ケージ晩年期の連作で「ナンバーピース」と呼ばれた膨大な作品群から構成された。「ナンバーピース」にはそれぞれ『One』『One⁴』『Two』などの数字タイトルが付けられており、英字表記は演奏者の人数、右肩の数字はシリーズ中何番目の作品にあたるかを示している。『One⁴』(1990)はドラムソロ、『One⁶』(1990)はヴァイオリン・ソロといったように、「One」シリーズは一人の演奏家のための曲を13曲にわたって編成、『Four』(1980)は弦楽四重奏曲、また、最大編成のオーケストラ曲『108』(1991)といったものも存在する(108を最大としたのは煩悩の数にちなんでのことだろうか)。

実際の楽譜でも数字が大きな役割を担っている。楽譜上には、音程や音価、強弱などの音型や、単音や和音がそれぞれ「何分何秒〜何分何秒」の間に弾くように指示されている。これは、ケージがこのシリーズで発明した「タイム・ブラケット」と呼ばれる作曲技法だ。つまり、ある指定の時間枠であれば、実際に音を鳴らすタイミング「だけが」演奏者に委ねられる。「はっきりとしたメロディーやリズムはなく、しかし不協和やノイジーな音楽かというとそうでもない、緩やかな緊張と『美しさの直前』のような、他に聴くことのできない時間の伸縮が持続する」と渋谷は述べている。代表作『4分33秒』とは違うかたちで、晩年のケージは「ナンバーピース」によって極度の緊張と集中を伴う「静寂」を音楽に浮かび上がらせることで、演奏者と聴衆の間にある音楽空間の存在を提示した。

写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)
写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)

しかし、今回の試みはケージの遺志を引き継ぐことだけには留まらなかった。渋谷は「One」シリーズから10曲を選び、それらの同時演奏を試みることで新たな時間の重なりを実現させようとした。また、コンテンポラリーダンサーの康本雅子とアレッシオ・シルヴェストリンを舞台上に登場させることで、音と音の間にたゆたう空間を視覚的に表現してみせたのだ。本来、同時演奏を意図されていない楽曲が、複数人=One(X)の影響を少なからず相互に受けることで、いかなる変化を及ぼすのだろうか?

写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)
写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)

ピアノの渋谷慶一郎、コンピュータのevala、バイオリンの辺見康孝、チェロの多井智紀、そして第一演目では不確定楽器の奏者として演出家の飴屋法水とダンスの康本雅子が登場した。演奏者それぞれに微かな照明が当たるだけの暗い舞台で、響き渡る一音一音が次第に交わっていく。一瞬の隙も許さぬ緊張が空間全体を支配し始めた。

写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)
写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)

飴屋の演奏する不確定楽器とは、その名の通り楽器の種類に制限を持たせず、時には紙を破く音、イスを倒す音なども楽器として扱うことを意味している。そもそも舞台演出家の飴屋がこの舞台に登場すること自体が異色なのだが、ステージ上における飴屋の存在感はさすがのひと言だった。イスを倒す(時に自らも同時に転ぶ)、弦のないギターをこするといった動作が、ケージの書いた譜面通りに実現されることで音楽になり、また視覚的にどんどんと惹き込まれていく。もはやある種の神性を帯びた飴屋の存在感は、どこかコミカルでもありながら、それだけで何かの物語を見ているかのようだった。

写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)
写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)

そこに康本雅子の登場である。空気の振動に呼応するかのような康本の即興のダンスは、演奏者たちが鳴らす音と絶妙に交わりながら更なる深まりを見せていった。渋谷の発案で、舞台の床にはシリーズ中唯一のケージの映像作品『One¹¹』(1992)が写し出され、その上で踊ることで、ダンスのための小さな舞台が浮かび上がっていた。しなやかに、かつ鋭く振動する康本のダンスは、同時多発的な音楽空間を見事に可視化していた。

写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)
写真提供:愛知芸術文化センター(撮影:羽鳥直志)

また、第二演目に登場したsalyuのボイスが素晴らしかった。演じた『One¹²』は声のための楽曲として存在しているが、その録音は知られる限り残されていなかったという。しかし、salyuが放つ独特のブレスと声質は驚くほど本公演の世界観にリンクし、途中から入った渋谷のピアノによる『One』(1987)、そしてアレッシオのダンスと絶妙にマッチしていた。アレッシオが次第に激しく体をうねらせるごとに、彼自身の体から発する振動や息継ぎが微かに聞こえてくる。その震えはsalyuのボイスとも重なり合い、第一演目とは打って変わって、まるで生き物の鼓動のような有機的な空間が表出していた。

音楽であり、舞台表現でもあった本公演は、あの空間でしか体験できない絶対的な世界が存在していた。「One」の同時演奏という大胆な異化への試みは、ケージの遺した世界を飛び越え、新たな音の可能性を提示したのではないだろうか。

■セットリスト
前半
One³(1989)for unspecified(ampilified ambient sound)
One⁶(1990)for Violin
One¹³(1992)for Cello with curved bow
One⁵(1990)for Piano
One⁷ for unspecified(不確定楽器)

後半
One⁸(1991)for Cello with curved bow
One⁷(1990)for unspecified(不確定楽器)
One¹²(1992)for Voice
One¹⁰(1992)for Violin
One(1987)for Piano

イベント情報
ジョン・ケージ生誕100年記念コンサート『渋谷慶一郎プロデュース One(X)Cage→Today』

2012年9月26日(金)START 19:00
会場:愛知県 愛知県芸術劇場
出演者:
渋谷慶一郎(ピアノ)
Salyu(ボイス)
辺見康孝(ヴァイオリン)
多井智紀(チェロ)
飴屋法水(不確定楽器)
evala(コンピュータ)
アレッシオ・シルヴェストリン(ダンス)
康本雅子(ダンス)



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