万が一『OZZFEST』を知らないあなたへ

オジー・オズボーンが主催するヘヴィミュージック・フェスティバル『OZZFEST』が5月11日・12日、日本へ初上陸する。その報を聞いて早速拳を上げた人はこの原稿など読む必要はないだろうが、「万が一」このフェスの存在感と意義をイマイチ感じ取れていない人に、イヤというほど知らしめていくことにする。

グランジを踏んづけた『OZZFEST』

オジー・オズボーンの妻でありビジネス面を取り仕切るシャロン・オズボーンが1996年に立ち上げたヘヴィミュージックの祭典『OZZFEST』は、この15年間のヘヴィロックシーンを見事に活性化させてきた。立ち上がりのきっかけとなった皮肉めいたエピソードを持ち出せば、この15年間の強度がより高まるかもしれない。

96年、シャロンはJane's Addictionのペリー・ファレルが91年に始めたフェス『Lollapalooza』への出演を画策していた。このフェスは90年代前半に隆盛したグランジ / オルタナ系を結集させていたフェス。NINE INCH NAILS、Soundgarden、Alice in Chainsらが名を連ねてきたフェスは年々少しずつ隣り合うジャンルにも門戸を開きはじめ、96年にはMetallica、RANCID、Rage Against the Machineと、グランジに軸足を置きつつもそこから遠くない道を走ってきた大物へも声をかけ始めていた。今ならばとシャロンが持ちかけたオジー・オズボーンの出演を、『Lollapalooza』側は一蹴した。炎上型の妻・シャロンは、「ならば自分たちでやるわ」とヤケクソ気味にオジー主催でのヘヴィロックフェスを早速その年から始めたのだ。

やがてグランジブームの下火と共倒れするかのように『Lollapalooza』は97年で終了(2003年以降、形を変えて復活)。そこから『OZZFEST』の一人勝ちが続くことを考えると、「オジーが出演を断わられた」ことは、ヘヴィロックシーンの転換点となったと言える。ここから、シャロンとオジーによる選球眼がそのままフェスの出演に繋がり、そのままシーンでの認知に繋がる十数年が続いていく。今回の日本公演で初日のトリを務めるSlipknotは、デビュー前の99年に『OZZFEST』のセカンドステージに登場する恩恵を得たことが契機となり認知度を高めていったバンド。つまり、SlipknotからBlack Sabbathへとトリが引き継がれる今回は、『OZZFEST』15年間の成果をそのまま知らしめにくるかのようでもあるのだ。

Slipknot
Slipknot

オリジナルBLACK SABBATHの崇高さ

何よりも大トリのBlack Sabbathについて語らなければいけない。オジーを含むオリジナルラインナップで来日するのは結成40年以上の歴史において初めてのことである。残念ながらドラマーのビル・ワードは契約条件の問題で参加を見送ったが、オジー、トニー・アイオミ、ギーザー・バトラーの三者が揃うのはこれ以降を考えても唯一の機会となるだろう。Black Sabbathとは、世の中の「ヘヴィ」と付く全ての音楽の「父」である。例え直流で繋がっていなくとも、辿れば必ず最終的にそびえている父性である。自分は違う、別の道を切り開いたと思っていても、辿ればやっぱりそこにはBlack Sabbathがいる。カテゴリー名だけが増え無駄に細分化してしまった感のあるヘヴィミュージックシーンだが、起源はちっともぐらつかない。それがBlack Sabbathである。

BLACK SABBATH
BLACK SABBATH

1970年2月13日「13日の金曜日」。バンド名を掲げたアルバム『Black Sabbath』を発表したこの日は、へヴィメタルの誕生日である。69年に行なわれたウッドストック、愛と平和をロックに委ねた祭典は俗世間へ抗っていくコミュニティーの現れであった。しかし、一方で、その抗い方に溢れる手放しの多幸感は、個々人の淀みを解消してはくれなかった。巨大ムーブメントと変容しつつあったロックに、よりピュアな負荷を加え、重く深く歪ませたのがBlack Sabbathの初期作品だ。黒魔術、アンチキリスト、世間への憎悪、生きる上での暗部を具象化した歌詞世界とトニー・アイオミによるリフが粘着質に絡み、暗く沈み奥底で蠢きながら怪しく運ばれていくこの音楽。

トニー・アイオミのリフは「ロックの発明品」の中でも最たる重要品だ。デビューアルバムのタイトル曲はたった3つの音で構成される。これ以降、いかなるテクノロジーを駆使しても、3つの音が反復されるだけのこの曲が放つ負のエナジーを超えることはない。あらゆるヘヴィネスはこのシンプルで恐ろしい諧調に挑み続けていると言える。オジーがBlack Sabbathに在籍したのは、デビューから10年にも満たない。その後のソロ活動中の、生きた鳩やコウモリを食いちぎるといったエピソードが伝えられては奇特なロックアイコンとして認識され、最近では私生活を赤裸々に公開した『ジ・オズボーンズ』で茶の間の「失笑」アイドルと化したオジーだが、半笑いで彼を見つめる現状はいただけない。

しかし結局、そんなものはサバスの畏敬が振り払うのだ。明らかにキャリアの後半にいるオジーが再度サバスの結集に参加する決断を下したのであるならば、この邪念に塗りたくられたサバスの魔法を、半笑いの口を閉じて味わなければいけない。昨今勘違いされがちだが、「重厚」や「過激」という概念は音の密度で語られるわけではない。正統的なブリティッシュハードロックの系譜にも位置するサバスが打ち出したエッセンスは、「ヘヴィ」の総量でいえば、現在の最前線からは劣るかもしれない。しかし、ヘヴィとはテクニックよりも思想とするのが正しいのであって、その思想体系の発案者は言わずもがなBlack Sabbathであり、ある段階からは『OZZFEST』がその思想を育成し、そして昨年から再び、本家本元が再度「宣教」に励んでいるのである。この有り難みに気付かなくてはいけない。

常に未知を行くTOOLとDEFTONES

いかなるフェスであろうと、そのラインナップを提示されると、必ずや疑義が呈される。自分のプレイリストやCD棚の並びから少しでもズレるだけで物足りないと漏らすのは単に傲慢でしかない。今回の『OZZFEST』にも予想通りその手の意見が少なからず向かっているようだ。とりわけ、海外バンドがずらりと並ぶことを期待していたファンにとって、その半数が国内バンドに占められることに嫌悪感が強い模様。しかし、『OZZFEST』自体、自国の新人バンドを育成する機関ともなり、その育成によって今やメインを張るバンドを作り続けてきたと考えれば、(実際にそのバンド勢をどう観るかは別にして)その手法自体は受け入れなければならない。どうしても観たくなければ、昼過ぎに起きて、夕方から来ればいい。

「イヤなら夕方から来ればいい」、そう強く断言できるのも、初日のDeftones、2日目のToolの存在があるからだ。この2つのバンドの凄みは今ひとつ日本市場には浸透していない。自国での人気との乖離ゆえに来日公演がコンスタントに実現しないこともその一因だが、継続されてきたヘヴィロックの道筋をより拡張させようと実験的な取り組みを画策する彼等は、結果的にこの世界の多様性を容認し続けるための思想的支柱となっている。マリリン・マンソン、Limp Bizkit、LINKIN PARKのように結果的に大衆に受け入れられていったヘヴィロックは、(意図的に感じの悪い書き方をしてみれば)ゴシックロックやヒップホップといった他のエッセンスを巧妙に調合することで商業的に通わせやすい肌触りの良いものを作り上げた。この2つは、その手の調合を徹底的に避ける。シンプルさは皆無で常に煩雑、類型バンドを一切持たないオリジナリティーだけで体を作っている。

Deftones
Deftones

Deftonesは当初こそヒップホップとメタルをミックスしたRage Against the Machineに近い音楽性にあったが、97年の『Around The Fur』以降は、ミドルテンポの楽曲にあらゆる強制力を磁石のように接着させていくことで、ヘヴィで雄大なランドスケープを作り上げている。轟音の隙間に静寂を用意する作法がサウンドの肝となる。言うなれば「繊細な轟音」、心のひだを刺すかのように理知的に轟音を届けてくる。人間の内省を音楽に浸す手法は、例えばRadioheadが試みてきたことと遠くない。だが、それが咆哮と歪みがもみくちゃになった末に放出されるものである以上、その音に用意する既存のジャンル名はない。極めて総合音楽的だ。

Toolはどうか。彼らは新作インタビューを引き受ける際に「新作について聞かないこと」と条件をつける。アルバムジャケットや冊子には、歌詞はもとより、リスナーに前情報として与える要素を根こそぎ排除する。メディアが作り上げる「プレスリリース的」バンド像など誤った先入観を植え付けるだけ、と彼等は知っている。そんな彼等の音楽をどう文字化すればいいというのか。King Crimsonのごとき変拍子を編み上げ、音楽が作り上げる「動」と「静」の極地を瞬間で移動し、胎動を感知するかのように自分自身の音楽が持つマグマを最大限発奮させる……いやこんなんじゃ伝わらない。彼等が音楽評論の文章などちっとも気に食わないとする理由は、こういった表層を掴まえる言葉を飛び越えるダイナミズムにのみ、自分たちの音楽の動機と理由と成果を見つけているからに他ならない。The Mars Voltaがツェッペリンに片足突っ込んだ上での現代解釈だとすれば、Toolが突っ込む片足はやはりクリムゾンで、その様はプログレッシヴ(前衛的)とは名ばかりで中年のオヤジ趣味に成り下がったプログレという単語を果敢に新生代へと受け継いでいる。行方が読めないロックが「ヘヴィ」によって運営される、これはクリムゾンの作法であり、本来大切に持っていた挑発行為である。クリムゾンが「21世紀の精神異常者」と歌ったのは、彼等のことだと勝手に推察をしてしまいたくなる。

Tool
Tool

どちらも分かりやすいバンドではない。解読不能だが、支離滅裂とは違う。理路整然としているが、事細かに読み解くことができない。その大きすぎる熱源を浴びることはほぼ宗教行為に近い。大きな塊が頭の上に降りてくる。その降臨の様は、やっぱりここでも70年にBlack Sabbathがたったの3音で成し遂げた世界に挑んでいくものだ。

『TOKYO ROCKS』 vs 『OZZFEST』

バンドラインナップを頭から順だって頭から紹介してみても、どこかで嘘をつく。だから今回は極めて偏愛を向けて紹介したくなるバンドに絞らせてもらった。フェスの面白さは、そのラインナップを自分なりに約分して物語を作り上げることにある。繰り返すが、面子が納得いかない、というのは何の理由にもならない。個人のプレイリストに合わせれば、私だって、今回のラインナップに納得はできない。しかし、それはただ、それだけのことだ。DeftonesとToolが、Black Sabbathへバトンを渡す、それだけで十分だ。十二分だ。同日に開催される新たなフェス『TOKYO ROCKS』の大トリは、ロンドンのBlurだという。外に開かれた大きな競技場・味の素スタジアムで、「アイツらは中産階級のくせして」とOasisに野次られたバンドがプレイするその同時刻に、冷たいコンクリに囲まれた無愛想な幕張メッセで、労働者階級・バーミンガム出身のBlack Sabbathが地鳴りを起こす、というのは、実に挑発的でメタルちっくで彼等らしい光景ではないか。激しく、重い、噛み砕くことなどできない音たちがひたすら無機質な箱を飛び交い、脳天を直撃する。ヘヴィの畑を耕し続けたフェスティバルが、いよいよ日本にやってくる。

イベント情報
『Ozzfest Japan 2013』

2013年5月11日(土)、5月12日(日)OPEN 10:00 / START 12:00
会場:千葉県 幕張メッセ国際展示場9〜11ホール

5月11日出演:
SLIPKNOT
SLASH
DEFTONES
マキシマム ザ ホルモン
MAN WITH A MISSION
Fear, and Loathing in Las Vegas
Crossfaith
and more

5月12日出演:
BLACK SABBATH
TOOL
STONE SOUR
DIR EN GREY
ANTHEM
coldrain
AA=
人間椅子
and more

料金:
前売 1日券14,000円 2日間通し券27,000円 Tシャツ付き2日間通し券30,000円
※当日券は1日券のみ販売予定
※リストバンド交換は9:00から開始予定
※Tシャツ付き2日通し券は完売



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