
7/14
窓からは夥しい数の羽虫が入ったり出たりしている。特にまとわりついてくるでもなく飛行に専念している。眺めていると色んな種類が入り乱れている。大小のハエのような肢体の丸っこいものや、これも大小様々な羽蟻。これは窓枠にとまってせわしなく行ったり来たりしている。窓の外では琥珀色の景色をバックに、微小な羽虫が群れとなって浮遊して移動している。
キャラメルの強い匂いが漂ってくる。エメラルドグリーンと青の緩慢な図形が規則的に重なりあう絨毯を眺めた。砂が絨毯の生地に染み込んでいるせいで、足を動かすと靴の裏が擦れてザラリと音をたてる。どろっとしたコーヒーとも茶とも判別のつかない飲み物を飲みながら、いつか観た光景だと思ったが、それが錯覚であることは確かなことだ。
ホテルのロビーは特異な活気に溢れていた。この茹だるような暑さのせいで沸き上がるはずの蒸気のかわりに、表情のないざわめきが漂っている。行き交う人は誰も自分に関心を持たなかった。植物の葉のような眼で、それは妙な安心感を湛えている。
昨夜、空港を降り、滑るようにバイクタクシーに乗り込むと、そこには町があった。
太陽が低いところから照りつけるせいで、石造りの近代的な建物は暗いオレンジ色でべったり染まっていた。歩く影の周りをオレンジ色の液体が膨張したまま絶えず動いているようだった。
通りに人影は殆どなく、町全体が店じまいを始めたような雰囲気だった。
布の下ろされた店が並ぶ広場の中心部にホテルはあった。絨毯敷きのロビーには暗いシャンデリアが蜜のようにぶら下がっている。フロントには誰もいないようだったが、ベルの前に立つとそれまで屈んでいたと思われる人影がカウンターの下から静かに現れた。
浅黒い整った顔のボーイはチェックインのあいだ、表情も無くこちらを視ていた。様子をうかがうというよりは後方10メートルほど先を見ているように見えたので、シートへの記入を終えると何気なく振り返ってみた。
そこには2基の回転扉があり、その隙間を縫うように夜の光がブラッドオレンジ色のゼリー状となって建物のなかに侵入を試みようとしていた。その液体とも固体ともつかぬ存在はひとつの回転扉につき両側からそれぞれ押し寄せている。そのせいで力学的に拮抗状態にある扉は回転することができずにガタガタと震えている。
「あなたもトマホークを観に来たのか」
「え?」
ボーイのほうに振り返るともう口を開いてはいない。確かに声は彼の口のほうから聴こえたのである。
「いまなんて?」
ボーイは申し訳ないが言葉がわからない、というふうに首を振った。ここは違う国、言葉が通じないのだ。その間にもゼリー状は色を血のような赤に変えて、もはや押し寄せている。いっそう扉を激しく震わせ、隙間から絨毯を湿らそうとしている。しばらくのあいだそれを眺めていた。とても静かだった。他には宿泊客はいないのだろうか。
「投擲(とうてき)の季節はもう始まっている」
ボーイはもうそこにはおらず、スーツケースを転がして格子の引き戸のついた旧式のエレベーターに乗り込もうとしていた。
昼頃、エレーベーターを使わずに階段でロビーに降りてくると、昨夜とはうって変わった光景が広がっていた。階段の中段から見下ろすとそこは砂埃が薄明な雲海のように輝いて層をつくっていた。無数の人の頭がそこから突き出しかき混ぜるように行き来している。頭の数に比べて人の声はほとんど無く、食器のぶつかる音や、コーヒーメーカーのチェインソーのように唸る音がむしろ際立って聴こえてきた。
とりあえずラウンジの隅、比較的ハレーションの少なそうな、だが外を見晴らせる窓際のほうに席をみつけた。体は疲労していた。テーブルにつき、壁に頭を持たせかかると羽虫に飛行が近くで、遠くで、見えた。それは巨大な室内プールに三々五々飛び込むヘルシンキの水泳選手のように見えた。
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ベッドに横になっていると、どこかで誰かが歌うのが聴こえた。声の感じからすると40代くらいの女性のように聴こえる。窓から身を乗り出して姿を探すが、見当たらないので定かではない。
同じメロディーの反復で構成されているが、子守歌にしては性急すぎるし、鼻歌にしては重厚である。勝手に歌詞をつけてみた。
『楽しい呪いは投げられた
エイブラムス エイブラムス
私の心臓のラジオ、チューニングしてくださるかしら?
まんまる憂いが膨らんだ
ダヴィデ ダヴィデ ダヴィデ
私の本棚のロデオ、悦びにかえてくださるかしら?
苦しい宴の大団円
アビガイル アビガイル
私の淫らなメトロノーム、止めてくださるかしら?』
波多野裕文(People In The Box)
波多野裕文(vocals/guitars),福井健太(bass),山口大吾(drums)による独自の世界観を持つスリーピースバンド。透明感のある純粋な歌声と歌詞の独自な世界観を持つ楽曲センス、うねる様な力強さを持ったベースとしなやかでかつ躍動感のあるドラムが一つの物語を作り上げているかのようなサウンドは唯一無二。スリーピースにもかかわらず、まるで抗うかのような変則的かつ難解な曲構成を持ち、中毒性と没入感を持つ極上のポップミュージックを形成する。また独特な彼らの世界観が吐き出されるかのようなライブパフォーマンスは、数々の大型フェスやワンマンライブでクチコミを中心に話題となり、着実に動員を伸ばし続ける。2009年10月に3rd mini album「Ghost Apple」をリリース、2010年2月17日、1st single「SkyMouth」をリリースし、全国ツアーを行いファイナルSHIBUYA-AXを含む、他会場でチケット完売させた、新世代実力派。





















