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『吾妻橋ダンスクロッシング』 佐々木敦×岡田利規×桜井圭介鼎談
今年もやります、「グル―ヴィーな身体」をキーワードに、あらゆるジャンルの最先端パフォーマンスを“X”クロスさせるイベント『吾妻橋ダンスクロッシング』。しかしキュレーターの桜井圭介氏からは、思わぬ「ダンスがつまらない」の発言が飛び出した。果たして、本当にダンスはつまらなくなったのか? ていうかそもそも、ダンスの面白さってなんなの? 桜井氏とハード・コアかつエキサイティングなトークを繰り広げたのは、おなじみ批評家の佐々木敦氏と、チェルフィッチュ主宰の岡田利規氏。改めて、ダンスの魅力について、存分に語っていただきました。
(テキスト・撮影:小林宏彰)
佐々木敦
1964年生まれ。批評家。HEADZ主宰。雑誌エクス・ポ/ヒアホン編集発行人。BRAINZ塾長。早稲田大学および武蔵野美術大学非常勤講師。『ニッポンの思想』『批評とは何か?』『絶対安全文芸批評』『テクノイズ・マテリアリズム』など著書多数。
岡田利規
1973年生まれ。劇作家、演出家、小説家。演劇ユニット「チェルフィッチュ」主宰。2005年9月、横浜文化賞・文化芸術奨励賞を受賞。同年、『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。2008年4月、『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第2回大江健三郎賞受賞。
桜井圭介
執筆活動をはじめ、『吾妻橋ダンスクロッシング』『HARAJUKU PERFORMANCE+(PLUS)』などのキュレーション、『トヨタコレオグラフィーアワード』などの選考委員、音楽家として振付家とのコラボレーションなど、あの手この手で、ダンスとのオルタナティヴな関係を模索中。著書に『西麻布ダンス教室』など。
最近、「ダンスそんなに面白いかよ」「コンテンポラリーダンスとかウザいんですけど」ってね、そういう感じがしていて(桜井)
岡田:どこから話しましょうか。
佐々木:(チラシを指差して)このダンスのところがぐちゃぐちゃってなっているところとか(笑)。
桜井:ちょっと臆病なやり方だったな、って思ってるんだよね。ほんとは「×××」としたかったんだけど。「ダンス」にバッテンをつけたいな、と思ってね。今、気分的に「ダンスそんなに面白いかよ」「コンテンポラリーダンスとかウザいんですけど」ってね、そういう感じがしていて。今回のラインナップ見て、「ダンスクロッシングなのにダンス無いじゃん」って言われるかもだけど、それはもう仕方ないっていうか(笑)。
岡田:それは「演劇の方が面白い」っていう意味にとってしまって差し支えないのでしょうか?
桜井:うーん、ある意味、そうかな。結局、「どっちがダンスだよ?」っていう話でね。
岡田:(笑)。意味がわからないですよね。
桜井:もともと僕はダンスっていうものをジャンルとして捉えていないところがあるので、簡単に言っちゃえば、その身体にグルーヴがあるかとか、舞台に流れる時間にうねりがあるか、もっと単純に「ドキドキ」するか、とかね。そういうことでいうと、今ダンスなのはこれとこれとこれだよ、と。

岡田利規
岡田:僕ね、自分のやってることは演劇の人たちには理解されてないけど、ダンスの人はピンと来られているみたいだぞって思った時期があったんですよ。でも「ダンスの人たち」っていうふうに思ってたのは、実はすごく誤解で(笑)、僕のやってることにピンと来てる人たちってのは、コアな、そのごく一部の人たちだったわけです。それこそ桜井さんとか。でも、そうと分かって以降も、そうしたコアなところのことを「ダンス」だと思ってる感じって、僕の中には今も残っちゃってるんですけどね。そもそも僕が「クーラー」をダンスだと言い張って作ったのだって、桜井さんに「ダンス作ってよ」ってそそのかされたからで(笑)。
ダンスの観客たちが何を見ているかというと、「形」と「動き」だと思うんですよ(佐々木)

桜井圭介
桜井:うーん。今更だけど、やっぱ岡田くんが05年に「クーラー」でトヨタアワード獲ってたら、ダンスシーンは変わってたと言わざるをえないなー。僕はここ1、2年の間にダンスが保守化しているという感じがすごくしているんですよ。ジャンルに籠る、というか。『吾妻橋』を始めた5年前にはもっとものすごくオープンな感じで、「あ、ダンスというものの可能性はこんなにもあるんだ」という感じでどんどん広がっていったと思うんですね。で、だんだんとそれに対する反動みたいな感じで、「ダンスはダンスでしょ」とか、「もっと真面目にやんなきゃダメ」みたいな感じになっちゃったというかね。
佐々木:じゃあ、ダンスが持っていた可能性を押し広げる実験の場として『吾妻橋』が登場して、それが認知を高めていって、お客さんも沢山集まってくる、ということに反比例して、従来のダンスの側の人たちというのは、よりコンサバな方向というか、保守反動な感じになっていっている、という傾向がこの5年で強まっていて、その外にどんどん出ていく方向と内に籠る方向っていうのが両立しえなくなっているようにも見える、ということですか?

康本雅子 写真:横田徹
(『吾妻橋ダンスクロッシング』に出演)
桜井:そうです。単純に「ジャンルの壁」ってことなのかもしれないけど。
佐々木:僕は舞台で何かやっているのをまた見るようになったのってここ数年のことなんだけど、それも再三言っているようにチェルフィッチュとの出会いがなければなかったわけで、だからよくわからないんですが、たぶんダンスの世界とか、演劇の世界というのは間違いなくあって、その中の平均値の人たち、あるいはマジョリティの人たちが、基本的にはどういうことを期待しているのか、「演劇を観るっていうことはこういうことを観るんだよ」みたいなコンセンサスみたいなものがあって、それからあまり離れているとアレルギーが生じるっていう話じゃないですか?
すごいわかりやすく言っちゃうと、演劇を見に来るお客さんでいうと、その見たいものっていうのは「役」と「物語」だと思うんですよ、基本は。でもダンスの場合、「役」も「物語」もない場合ってあるじゃないですか。そこに違いがある。で、じゃあダンスの人たちが何を見ているかというと、「形」と「動き」だと思うんですよ。もちろんその両方を持っていても良いと思うんだけど、その総体からある部分を切り離したものが「演劇」だっていう捉えられ方をしていて、もう片方が「ダンス」っていう見られ方をしている。で、そういう見方をしている観客は、片方からもう片方に架橋するような方法論っていうのは割と違和感があったりするっていうのが、両方の側からあると思うんですよ。その両方の側を結果として、良くも悪くも刺激しちゃうようなところが、『吾妻橋ダンスクロッシング』にもチェルフィッチュにも多少ともあるんじゃないかっていうことだと思うんだけど。


































