やなぎみわトーク&インタビュー 演劇が持つ危険なチカラ

第二次世界大戦中、米軍兵士の間で話題になったラジオパーソナリティーに「東京ローズ」という女性がいました。いや、正確には、彼女が誰だったのかを知る人はいないのかもしれません。戦中、日本からの短波ラジオを通して夕食どきの連合軍兵士たちに呼びかけたのが彼女。ときに魅惑的に、ときに毒気をはらんだジョークを交えて敵側に語りかけるその「声」の主に対し、付いた愛称が「TOKYO ROSE」だったのです。現代美術界で活躍するやなぎみわが、近年力を注ぐ演劇プロジェクトの最新作は、史実に残るこの謎の女性をモチーフに作られます。今回はその『ゼロ・アワー〜東京ローズ最後のテープ〜』上演目前のレクチャーイベントに潜入し、さらにやなぎみわご本人へのインタビューも敢行。やなぎはなぜ、東京ローズの謎に魅せられたのでしょう。

謎の女性ラジオアナウンサー「東京ローズ」の光と影

「ハロー、太平洋上のみなし子ちゃんたち。こちらはあなたの敵よ……」。日本を代表する美術作家の1人、やなぎみわが新作演劇作品で挑むモチーフは、「東京ローズ」。6月9日、その取り組みの一部が明かされるレクチャー『私の声がきこえてる?』が、KAAT神奈川芸術劇場(以下KAAT)にて開かれました。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

そもそも、史実上の「東京ローズ」とはどんな存在だったのか。壇上のやなぎさんが語り始めます。制作のために戦中のプロパガンダ放送についてリサーチしていたやなぎさんは、そこに登場する特異点としての「東京ローズ」に惹き付けられたと言います。

やなぎ:第二次大戦中、日本軍による連合国軍撹乱作戦の1つとして、主に南太平洋で戦う米軍兵士たちに向けて発信されたプロパガンダ放送番組がありました。ラジオ・トウキョウ放送(現在のNHKワールド・ラジオ日本)から発信されていた『ゼロ・アワー』です。ひとくちにプロパガンダ放送といっても、味方を鼓舞したり、敵の戦意喪失を狙ったりと色々ですが、この番組では女性アナウンサーの軽快なトークでジャズやブルースを流したりしていたそうです。


敵方の兵士たちに向け、長距離まで届く短波ラジオでの英語放送。そこで彼らに語りかける顔の見えない「声」の主に、いつしかリスナーがつけたあだ名が東京ローズでした。ときに友好的に語りかけつつ、ときに「今ごろ貴方の恋人や奥さんは、他の誰かと……?」といった毒のある言葉も差し挟んだり、極秘任務で移動中の兵士たちに「今からあそこに行くのでしょう?」とズバリ言い切った、という伝説めいた逸話も残されています。放送は1943年に始まり、終戦直前の1945年8月14日まで続いたそうです。

終戦後、連合国軍最高司令官マッカーサーと共に日本に上陸したアメリカ人記者の一部は、我先にとこの東京ローズを見つけてスクープを狙いました。そこで「発見」されたのが、日系アメリカ人「アイバ・戸栗・ダキノ」。カリフォルニア州出身で、親戚の見舞いのため初来日した最中に開戦、帰国できず滞在を続けていた女性でした。自宅に直撃取材を受けた彼女は、自分が東京ローズであったことを認めます。

やなぎ:ただ、実際には「彼女だけ」が東京ローズではなかったようで、今日では少なくとも該当し得る複数の女性アナウンサーがいたとも言われます。しかし、自分がそうだと認めたのは彼女だけでした。そんなこともあり、母国アメリカからも注目を浴びることになったのです。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

突然「時の人」となり取材攻勢を受け、映画出演もしたというアイバ。しかしアメリカに帰国後、彼女が「日系アメリカ人」であることから、『ゼロ・アワー』でのアナウンス活動が母国を欺く行為として国家反逆罪で裁かれ、有罪判決を突き付けられます。

判決内容は禁固10年と罰金1万ドル、そしてアメリカ国籍の剥奪。日本で知り合い結ばれた夫とも別れを余儀なくされます。模範囚として6年2か月で出所、後に特赦を得て国籍も取り戻しますが、退役軍人会に「困難な時も米国籍を捨てようとしなかった『愛国的市民』」として表彰されたその年、90歳で世を去りました。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

やなぎ:戦中、日本にいた日系外国人はいずれも国籍を日本に変更することを求められたそうです。でも、アイバはそれを拒否しました。もしそれが母国アメリカへの愛国心からだったとすれば、皮肉にもそのことが裁かれる前提を作ってしまったとも言えますね。そこには、戦争に運命を大きく狂わされた1人の女性の人生があります。しかし今回の新作演劇は悲劇のヒロインとしての「東京ローズ」より、そこで重要な役割を果たした「声」という存在に注目したものになると思います。

「顔の見えない『声』が虚像として一人歩きし、人々の欲望の対象にもなる」(やなぎ)

新作演劇『ゼロ・アワー〜東京ローズ最後のテープ』では、東京ローズとして裁かれたアイバ・戸栗・ダキノの悲劇というより、そこでの「声」という存在から着想を広げていくことを明かしたやなぎさん。総合芸術とも言われる舞台の世界では、演者が発する「生の声」や音響効果について、これまでも多様なアプローチがなされてきました。ただ、やなぎさんはより広い視点でこの要素に挑戦するようです。

やなぎ:顔の見えない「声」が虚像として一人歩きし、いつしか人々の欲望の対象にもなったりする。アイバや「東京ローズ」の声も、実際の放送がアメリカ側の記録などで残されていて、CDにもなっています。一方で東京ローズと呼ばれた女性たち自身は、ある意味、自分の言葉を封じられたうえでマイクの向こうにいる人々に向き合った存在とも言える。そこで今回は、舞台上でも生音や効果音、さらに字幕も含めて日英2か国語が用いられる中で、このテーマを広げていきたいと思っています。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

この日のレクチャーには、舞台『ゼロ・アワー』で「音声デザイン」を手がけるフォルマント兄弟も登壇しました。三輪眞弘(兄)と佐近田展康(弟)という父親違いの異母兄弟による作曲・思索ユニットです。トランペットの音を声に変換して歌わせたり、人工音声のキーボード演奏で宅配ピザを注文するパフォーマンスを敢行したり、亡き世界的ロックスターに日本語で革命歌を歌わせたりと、その異能ぶりで知る人ぞ知る存在。彼らもまさに「声」をテーマに、テクノロジー、芸術、哲学などを横断して活動するアーティストと言えます。

フォルマント兄弟(左:佐近田展康、右:三輪眞弘)
フォルマント兄弟(左:佐近田展康、右:三輪眞弘)

まずは弟の佐近田さんが、実は少年時代に短波ラジオのハンティングマニアだったという打ち明け話を披露。冷戦期の東側プロパガンダ放送や、某国語で数字が延々読み上げられる暗号放送(!)を耳にしたこともあるとか。兄の三輪さんはこれらを「インターネットが普及する前のリアルタイムメディア」の1つと評します。

三輪:メディアによって身体から切り離された声というのは、姿が見えないからこそ、妄想や想像がふくらむものでもありますね。

佐近田:僕らは、(誰かの肉声を素材にするのではなく)完全に人工的に合成した「声」の表現をずっと続けていますが、作り物だとわかっていても、声主の身体を感じてしまう経験をします。声を聴くという行為は、コミュニケーション以前に、すごく身体的、快楽的な接触体験なのだと思います。だから東京ローズのような存在に、当時の米軍兵士たちが惹かれたのもよくわかる気がしました。

「『声』という表現は未だに、自分との距離感が掴みづらい存在だとも感じています」(やなぎ)

レクチャーでは他にも「声の記録」という切り口から、蓄音機に始まる古くからの技術や、大戦期にナチスが実現していたというテープ録音技術「マグネットフォン」なども紹介。舞台『ゼロ・アワー』では、そのための機器が実は東京にあった、という設定も登場するそうです。

やなぎ:複製技術・複製芸術のことを考えるとき、「本物」とはいったい何なのか? という問いもありますよね。そしてこれは、東京ローズという存在にも通じることかもしれません。また、私たちは超高精細動画や3D映画といった視覚表現にはわりとすぐ「こういうものか」と慣れてしまいますが、「声」という表現には未だに、自分との距離感が掴みづらい、外部化しづらい存在だとも感じています。

佐近田:声は自分自身にもっとも密着したメディアですからね。記念写真なら平気で飾れるけれど、録音された自分の声となると平静には聞けない。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

今回の舞台はフォルマント兄弟にとっても新たな挑戦の場なるだろうとのことです。

三輪:人工の音声を使って何かを表現するとき、聴いた人が「人工なのか本物なのかわからない」、そんな精度の高さを追究する方向性が1つあります。でも僕らの関心はそこにはないし、これまでやってきたこととも違います。ただ今回は前提として、東京ローズという存在を人間の声として想像できるレベルの表現が求められています。正直、その難しさもありますが……。

佐近田:だからこそ、従来の僕らとは違う音声合成のアプローチを模索する挑戦になると思います。

やなぎみわ作品における「案内嬢」の役割とは?

また三輪さんからは、現代美術と舞台作品におけるやなぎさんの中でのつながりについて質問がありました。やなぎさんがアーティストとして広く知られることになった初期シリーズ『エレベーターガール』は、近年の舞台作品でも「案内嬢」に姿を変えてしばしば登場します。今回も、そのトレードマークであるお揃いの制服をまとった「東京ローズ」たちが登場する予定。その狙いとは?

やなぎ:以前の舞台3部作『1924』では、彼女たちはいわば舞台上の解説係、狂言回しとして登場しました。つまり、物語の外側のレイヤーから観衆に接する存在です。言い換えれば彼女たちには主体というものがなく、個々の区別もつかない透明な存在ですね。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

「それって……まさに『メディア』のことだとも思えてきますね」という三輪さんの鋭い指摘も印象的でした。しかも、今回は主役というべき東京ローズが案内嬢でもある、というこれまでにない構造。そこで彼女たちがどんな役割を果たすのかも注目したいところです。

なお、フォルマント兄弟に加え、舞台の装置デザインではトラフ建築設計事務所も参加予定。建築、インテリア、美術展の会場設計まで縦横無尽に手がけ、チェルフィッチュやパパ・タラフマラとの仕事でも知られる建築家集団は、今回どんなコラボレーションを見せてくれるでしょうか。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

さらにこの日の聴衆席には、日本で活動するジャーナリスト、作家、ミュージシャンのモーリー・ロバートソンさんの姿も。実は今回、『ゼロ・アワー』の劇中で東京ローズの有罪を煽ったラジオコメンテーターの声を担当するそうです。彼もアメリカ西海岸で生まれ、日米間を行き来しながら成長したことを考えると興味深いキャスティングです。ジョークを交えた軽妙な挨拶の中で、アメリカ人の父と日本人の母を持つことから、少年時代のからかいやいじめの言葉として「東京ローズ」の言葉を持ち出された思い出なども語ってくれました。

「作品の中の『エレベーターガール』が動き出したら、何を語るだろうと、ずっと思っていましたね」(やなぎ)

レクチャー終了後、このまま稽古がスタートするというやなぎさんに時間をいただき、特別に直接お話させてもらえることに。そこで、演劇に惹かれたきっかけ、思い出の舞台作品、美術と演劇をつなぐものなど、ご自身の言葉で語っていただきました。

―まず、これまで現代美術の世界で活躍してきたやなぎさんが、近年、演劇作品に大きく力を入れているのはどんな経緯からなのでしょうか?

やなぎ:初期作品『エレベーターガール』シリーズは、写真作品ですが、実は最初の2作品くらいは、生身の女性が展覧会場にいるというパフォーマンス作品だったんですよ。ですから演劇的な表現への関心はもともとあったんですね。ただ、そのときは実際やってみて、生身の人間のイレギュラーさを扱いきれないな、という気持ちが強くて(苦笑)。

―それで写真や映像を用いた表現が主体になっていった、と。

やなぎ:写真だと、素材と技法で仕上げることができますからね。もともと工芸を学んでいたので、それに近い感覚があったのかもしれませんね。

やなぎみわ演劇公演『ゼロ・アワー 〜東京ローズ 最後のテープ〜』ビジュアル
やなぎみわ演劇公演『ゼロ・アワー 〜東京ローズ 最後のテープ〜』ビジュアル

―ちなみに、最初に感銘を受けた演劇作品は?

やなぎ:大学生のときに初めて自分でチケットを買って観たのは、唐十郎(状況劇場)の紅テント公演。衝撃的でしたね。神社の境内に建てられた、薄暗いテントの中での上演でした。わけの分からない台詞の洪水と(笑)、ラストシーンで舞台が崩壊する「屋台崩し」がすごく印象に残っています。私が見たのは1980年代後半で、より前の時代からご存知の方とはまた捉え方も違うでしょう。でも、時を越えて伝わるものも、あそこにはあったと感じます。今、京都の大学でも現代美術や演劇を教えていて、今回の作品も生徒たちに協力してもらっていますが、この春に唐演劇を見せたら、やっぱり衝撃を受けていました(笑)。

―ただ、ご自身の演劇作品は、そういった日本のアングラ演劇ともまた違うものですよね。

やなぎ:「感染」してしまった部分もありますけどね(笑)。でも、そういった当時のアングラ演劇にあった、「看板女優がこの世の希望や絶望、近代から前近代までをすべてしょって立つ」というのは私の作品にはありません。「案内嬢」はドラマを背負わない狂言回しですし。八百比丘尼(日本の伝説の女僧)のような得体のしれない強さは持っていますが。

やなぎみわ
やなぎみわ

―美術と演劇の創作において、やなぎさんの中での違いや接点とは?

やなぎ:演劇は閉ざされた空間で集団体験できるという点で、世界の縮図となりやすく、危険な表現でもあります。美術はさまざまなメディアをとりこんで拡散はしていけるけれど、個人の表現という面が強いと感じます。一方で接点といえば、『エレベーターガール』の写真の中でもの言わぬ彼女たちが動き出したら、何を語るだろう? 演劇を始める際に、そんな興味がありました。彼女たちに言葉を話させて、初めて彼女たちが何者なのかが、わかったところもありますよ。

―それはどういうことでしょう?

やなぎ:ある部分、日本の植民地的近代の象徴なんですね。それは、明治期に欧米から輸入されて今に至るもの、そして、それが何かはっきり理解されないまま漂って、私たちの中でダブルスタンダードのような状態に置かれているものなんですよ。

「写真史の中で心霊写真みたいなものが現れたことは、ローズの『声』に近いものを感じます」(やなぎみわ)

―先ほどのお話のように、美術と演劇、両方の創作を続ける中で得られることも多いですか?

やなぎ:両者はどこかでつながってもいるとも感じます。写真と演劇もそうで、どちらも黒い箱の中で演じられるものですから。一方で演劇では常に何かが動いている必要があり、写真は何かを止め、定着させるという大きな違いがある。そして両方とも生と死を扱うマジックボックスでもある。今回の「声」に関して言えば、録音機の歴史と写真史にも共通点があります。特にその「複製」においてかなり似た経緯をたどっているし、その中で心霊写真みたいなものが現れたことは、ローズの「声」に近いものを感じます。演劇のほうにいると、写真も含めた複製芸術のことが逆照射されてよくわかるんです。

―やなぎさんの演劇作品には、史実とフィクションが混在しつつ展開するものも多いですね。レクチャーでは『ゼロ・アワー』も当時と2006年を行き来しつつ、そのような要素が入り込むとのお話がありました。

やなぎ:今回、東京ローズは実在したのかどうかについて「しなかった」との前提で舞台作りをしています。それはフィクションだけど、ある視点から見れば真実とも言える。東京ローズが誰かというのは、その声を聴いた人によって異なるわけで、誰でもあり、誰でもなかったとも言えますからね。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

―作品タイトルには「最後のテープ」という意味深な言葉も含まれていますね。

やなぎ:これはサミュエル・ベケットの戯曲『クラップの最後のテープ』から引用しています。自分の声をテープレコーダーで録音し続けた男が69歳の老人になり、30年前の自分の声を聞いたりするのですが、そこには10年前にそれを聞いた自分が、より若いころの自分の声を聞きながら文句をつぶやいていたりする、というものです。

―ここでもまた、「声」ですね。

やなぎ:『ゼロ・アワー』はKAATでの初演後、『あいちトリエンナーレ 2013』でも上演されます。実はその舞台芸術プログラムの統括プロデューサーから、参加作家たちにベケットにまつわる何かを取り入れる、とのお題が出ていて(笑)。ベケット作品は不条理劇とも言われますが、私には、言語ででき上がっている西洋文明に対する批判とも思えるんです。言語によって具象化されたものが、その言語によって抽象化され、輪郭が消えていく――そこでも最後に残るのは、「声」なのかなと。

―そうしてさまざまな要素がつながっていくのが面白いですね。

やなぎ:そう、つながっていくのもまた、そこに言葉があるから。まるで織物のようでもあり、「テキスト」「テキスタイル」という言葉の関連にも思いは及びます。言葉って、誤解が生じたりすることもあるけど面白いものです。

「自分自身が知りたいことについて、演劇を通して再体験することで、はじめてわかる瞬間がある。それを観客と共有したい思いも強いです」(やなぎみわ)

―ところで、近作では明治期から太平洋戦争時の史実をモチーフにすることが多いのは、なぜでしょう?

やなぎ:そこにある、欠落して忘れられた部分に興味があるんです。かつて思想と芸術の狭間で、命がけで芸術を受け継いでいこうとした作家たちが「芸術のための芸術」を選ぶ瞬間を追体験してみる試みが『1924』だった。ヨーロッパの真似だと後世に揶揄され、政治思想に結びついたゆえにともすればタブー視されやがて黙殺されていく、そんなモダニズムの20世紀の痛々しさ。でも、自分自身がそこを知りたいし、演劇を通して体験することで、わかってくる部分がある。それを観客と共有したい思いも強いです。この次の作品くらいからは、また違う試みもしたいですけどね。

レクチャー『私の声がきこえてる?』会場風景

―ただ、これまで歴史上の芸術家たちを主役に据えたものが多かったのに対し、『ゼロ・アワー』ではその世界から離れているという違いがあります。

やなぎ:私自身が長く携わってきた「美術」というお題から自由でなければならないと思っています。なぜなら、芸術ばかりをテーマにしていては、芸術は見えない、ということです(笑)。その点でこれまでとは違う舞台にもなると思っています。

―最後に、これから観に行こうかなという読者にメッセージをお願いできますか?

やなぎ:ぜひ「東京ローズ」の声に注目……じゃないですね、「注耳」してください(笑)。客席の皆さんも舞台に参加するような臨場感を持たせたい。たとえば、実際に1945年に太平洋上で短波ラジオから流れる声を傍受しているような……。太平洋を挟んで互いに語りかけあいながら、ある声は黙殺され、ある声は利用され、しかし結局はいずれも歴史の波間に消えていきました。そんな声たちをよみがえらせることができればと思っています。

イベント情報
やなぎみわ演劇公演
『ゼロ・アワー 〜東京ローズ 最後のテープ〜』

2013年7月12日(金)〜7月15日(月・祝)全6公演
会場:神奈川県 横浜 KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
作・演出・美術:やなぎみわ
音声デザイン:フォルマント兄弟(三輪眞弘+佐近田展康)
装置デザイン:トラフ建築設計事務所
出演:
松角洋平
荒尾日南子
吉田圭佑
高橋紀恵(文学座)
高橋牧
小田さやか
明季
声の出演:
Clyde Stroman
Lucas Kushner
松崎颯
Morley Robertson
料金:一般4,000円 学生3,000円 当日4,500円

『あいちトリエンナーレ2013国際美術展』

ワークショップ+パフォーマンス『案内嬢プロジェクト』
2013年8月10日(土)〜8月11日(日)
会場:愛知県 栄 愛知芸術文化センター内

『あいちトリエンナーレ2013』パフォーミングアーツ委嘱公演
『ゼロ・アワー 〜東京ローズ最後のテープ〜』あいち公演

2013年8月30日(金)〜9月1日(日)
会場:愛知県 栄 愛知県芸術劇場 小ホール

プロフィール
やなぎみわ

兵庫県生まれ。京都を拠点に活動。京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。1990年代後半より、若い女性をモチーフに、CGや特殊メイクを駆使した写真作品を発表し、とりわけ、制服を身につけた案内嬢たちが商業施設空間に佇む『エレベーターガール』のシリーズで注目を集めた。2000年より、女性が空想する半世紀後の自分を写真で再現した『マイ・グランドマザーズ』シリーズ、少女と老婆が登場する物語を題材にした『フェアリーテイル』シリーズなどを手がける。いずれの作品にも、ジェンダー、若さと老い、美と醜といった女性を取り巻く問題への深い洞察があるとともに、語ること、場を設定することへの演劇的な関心を認めることができる。国内外での個展多数。2009年、『第53回ヴェネツィア・ビエンナーレ』日本館代表。2010年より演劇公演を手がけるようになり、2011年から新たに演劇プロジェクトを始動させた。大正期の日本を舞台に、新興芸術運動の揺籃を描いた『1924』三部作、明治後期のパノラマ館などを舞台にした『パノラマ』シリーズなど美術館と劇場、双方で上演した。



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