東京中心ではない多様性のあり方 芸術総監督・宮城聰に聞く

ゴールデンウィークのスケジュールを、静岡に行くために空けておく舞台芸術ファンは多い。東静岡という静かな駅の近くに建つSPAC‐静岡県舞台芸術センター(以下SPAC)で毎年開催される『ふじのくに⇄せかい演劇祭』(以下『せかい演劇祭』)は、時間やお金をかけてでも行く価値のある刺激的なプログラムが組まれるからだ。

宮城聰は7年前からこの劇場の芸術総監督に就任し、『せかい演劇祭』のディレクターも務める。今年はなんと、宮城演出の『マハーバーラタ~ナラ王の冒険~』と、昨年、同演劇祭が制作したクロード・レジ演出『室内』が、世界最大の規模と実験的な精神から「演劇の聖地」とも呼ばれるフランスの『アヴィニョン演劇祭』のメイン会場に招聘されることが決まった。一地方都市の公立劇場が質の高い芸術活動を続け、国際的なプレゼンスを高めていることは大きな驚きに値する。その中心にいる宮城を支える、活動のモチベーションを伺った。

東京には劇場がたくさんありますから、それぞれの劇場は極端に言えば専門店でもいいんです。

―『ふじのくに⇄せかい演劇祭』は、公立劇場発信のフェスティバルとして10年以上も続き(2000年~2010年は『Shizuoka春の芸術祭』)、成果を上げています。SPAC初代芸術総監督の鈴木忠志さんから引き継がれたとき、宮城さんはどういう方向性を目指して工夫をしていこうと考えられたのでしょうか。

宮城:2つありまして、まず劇場のレパートリー、つまり上演する演目ですね。東京には劇場がたくさんありますから、それぞれの劇場は極端に言えば専門店でもいいんです。あそこはカレー屋さん、あそこは蕎麦屋さん、あそこはステーキハウスと分かれていていい。ところが静岡県に演劇専用の劇場は実質的にSPACしかないわけで、静岡で芝居を観ようと思った人は、自由に劇場を選ぶことができません。僕ら劇場側としても毎回同じテイストばかり出すわけにはいかないので、デパートの大食堂のように、ハンバーグもあれば蕎麦も鮨も中華もあるというラインナップにすることは考えました。

『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『真夜中の弥次さん喜多さん』©しりあがり寿
『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『真夜中の弥次さん喜多さん』©しりあがり寿

―コンセプチュアルに作品を選んで世界観を限定するのではなく、演劇の持っている幅そのものを提示するということですね。

宮城:ええ。そして、『せかい演劇祭』では先端的なもの、カッティングエッジな作品も積極的に取り込んでいこうと考えています。劇場の通常公演では作品の幅も考えながら、「まずこれは押さえておこうよ」というラインナップも意識しているんです。SPACに3~4年通えば、大体の世界演劇史は把握できるんじゃないかというプログラムを組んでいる。対して『せかい演劇祭』は、まだ演劇史にもカテゴライズできないような、演劇という領域を外に拡張していく作品も紹介していきます。だから『せかい演劇祭』では、『ファウスト 第一部』のような古典作品とあわせて、これまでは演劇と呼ばれなかったような作品も上演されるんです。

 
宮城聰

―そういった選択眼もあって『せかい演劇祭』には、東京を始めとして全国から多くの観客が集まっていますね。

宮城:SPACの芸術総監督に就任するまで、自分自身が東京をベースに活動していましたから、当然、どういうものだったら静岡までわざわざ観に行くだろうということは考えました。ク・ナウカ(宮城が演出・主宰する劇団)で世界各地の演劇祭に参加した経験がありますから、演劇祭は何のために行なわれるのか、どんな演劇祭が参加して盛り上がったのかなど、良い記憶の中から目標にする部分もありました。もちろん、『せかい演劇祭』という枠組み自体も重要な遺産で、前任の鈴木さんが提案しなければ、きっと静岡に自然発生的には生まれなかったものだと思うんです。そういう器がすでにあったことは、とても大きいです。

東京でもなかなか紹介できないタイプの芝居がたくさんあるということが、ずっと気になっていたんです。

―とはいえ、開催地が東京圏ではないという条件は、ある意味ハンディだと思うんです。『せかい演劇祭』のラインナップを見ていると、特に宮城さんが監督に就任されてからのプログラムは、そのハンディを覆す独自の雰囲気を感じさせるような気がします。

宮城:先ほど東京には劇場がたくさんあって、専門店でもやっていけるという話をしましたけど、実はそんな東京の状況でもなかなか紹介できないタイプの芝居がたくさんあるということが、昔からずっと気になっていたんです。

『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『ファウスト 第一部』©Krafft ANGERER
『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『ファウスト 第一部』©Krafft ANGERER

―それはどういうことでしょう?

宮城:東京都市圏には、人口が3千万人ぐらいはいますよね。そうすると、1万人のうち1人しか興味を持たないようなハイエッジな作品でも、情報さえきちんと届けられれば3千人は集まります。でも、静岡市でただ同じ作品を上演しても70人くらいしか集まりません。静岡県全体でも370人。だから、静岡で上演するためには1万人に1人クラスの作品じゃダメなんです。ハイエッジでありながら、1,000人に1人、500人に1人が面白いと思えるような、普遍性も併せ持った作品じゃないと成立しない。でも東京のシーンでは、そういう普遍性を持たない作品でも成立してしまうところがあるんですね。

―東京は分母が大きいぶん、共通のリテラシーを持つ人が集まりやすく、マニアックな作品が成立しやすいということですね。そしてそれはある意味、小さくて閉じた世界を生み出すことになる。

宮城:東京は逆にマニアックなほうが目立ちやすいというか。普遍性まで併せ持った作品だと、周りに埋もれてぼんやりしてしまうんですよ。

―それは、ク・ナウカの活動をされながら感じたことでもあったのでしょうか?

宮城:そうですね。僕はク・ナウカの作風をマニアックにはしたくなかったんだけれども、東京で動員を集めていくには、そうせざるを得ないところがありました。でも海外、特にアジアとか第三世界で芝居をすると、現代演劇なんて観たことない人たちに自分たちの表現が通じるのか、露骨に問われるわけです。99%通じてないのに1%の「何か」でドカンと通じることもあって、そのときに自分たちの表現に普遍性があるのかないのかが曝け出されるんですよね。それは、誰に対しても口当たりの良い作品にするということとはまったく別で、時を越えて、あるいは地域を越えて、通じる人には通じるという、そういう種類の普遍性を表現者として目指したいと思っていました。そして演劇祭の上演作品として考えた場合、そのような作品はむしろ静岡のような場所のほうがとり上げやすいんですよね。

その人が生きている国や地域や時代がもたらす縛りが、必ず身体には映し込まれている。たとえそれを台詞で語らなくても、身体がそれを語るんです。

―宮城さんは、2014年の所信表明として、「多様性」という言葉を何度も使われていました。それは、多様性にこそスタンダードがある、ということでしょうか。

宮城:世界は多様だということ、価値観や常識や見た目など、本当に色々な人が住んでいるという事実を、身を持って知ってもらうための窓が『せかい演劇祭』の役割の1つだと考えているんです。今、世界はどうなっているんだろう? と考えるときに、インターネットで調べるのが現代の一般的なやり方ですが、そこで受け取れるのは映像や文字情報だけで、身体だけはインターネットでは繋がりようがない。

―『せかい演劇祭』で3年ぶりに再演される『タカセの夢』は、カメルーン人の振付家メルラン・ニヤカムと10代の日本人ダンサーとのコラボレーションですが、多様性というコンセプトが強く反映されたプログラムといえますね。

宮城:どれだけアフリカの情報を得ても、現実にカメルーンの人が目の前に現れないことには、あるいは自分がカメルーンに行かなければ、その身体や動きを感じることはできません。身体を抜きにして世界を理解したという錯覚が当たり前のことにならないためにも、「身体を観る」という機会を提供していかなくちゃいけない。世界のいろんな場所で実際に生きている身体に静岡まで来てもらって、観客の方にそれを目撃してもらいたいんです。

『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『タカセの夢』©日置真光
『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『タカセの夢』©日置真光

―あえてお聞きしますが、そこまで生身の身体にこだわるのは何故ですか?

宮城:身体には必ずその人を縛る社会状況が映り込んでいるからです。その人が生きている国や地域や時代がもたらす縛りが、必ず身体には映し込まれていて、たとえそれを台詞で語らなくても、身体がそれを語るんです。『せかい演劇祭』は世界各国から来た人たちが直接、身体と身体を向き合わすことのできる貴重な機会だと思います。その狙いというか機能や役割が、最近になって一層重要性を増しているというのが僕の認識です。

―それはやはり、最近の国際情勢をかんがみて?

宮城:この1年余りで東アジアを中心に、世界全体がナショナリズムというものに非常に傾いていると感じます。そしてナショナリズムは、最も便利な道具として文化を利用します。私たちの国にはこういう独自の文化があるとか、あの文化は私たちの国が発祥だとか、この文化的発明があるから隣の国より優れているとか、そういうことをしきりに言うようになる。これはやはり、グローバリズムによって経済的格差が生まれたことも大きいでしょう。お金や自信を持っていない人がどうやったら誇りを持ち得るのかというときに、自国に誇りを求めることは当然とも言えます。さらに政治家がそれを利用するわけで、今後も続いて行くグローバリズム経済の中では、ますます頭をもたげる問題になってくるでしょうね。

―ロシアとウクライナの情勢などもその1つですね。富裕層や知識階級までもが傾いていると聞きます。

宮城:『ソチオリンピック』の閉幕式で、ロシアのアーティストの肖像が次々と映し出されて、「ロシアはこんなに凄いんだぞ!」ってことなんでしょうけど、その中にチェーホフ(ロシアを代表する劇作家)もいて、利用されているようで気の毒だと思いました(笑)。僕はそういう流れに抗って、多様性にこそ価値があると言っていきたい。「私たちのほうが優れている」とか、「これは私たち独自の文化だ」とか、そういったことは虚妄だよと。全然違う、並存しようもなさそうに見えるものが同じ土俵の上に乗っている。それが豊かさであって、そういう状態が一番楽しいんだよとわかってもらうために、さまざまな国から人が集まって、演劇という土俵の上にみんなが乗っかる演劇祭の価値は、今こそ高まっているんじゃないかと思いますね。

宮城聰

―だから、「国際演劇祭」ではなく、あえて『せかい演劇祭』なのでしょうか?

宮城:インターナショナルという概念、ネイション(国家)のインター(間)という考え方を避けたかったんです。もうネイション単位の発想ではダメなんじゃないかと。「ふじのくに」なんていうのは、かつての日本の藩みたいな小さい範囲ですけど、日本の中でも小さな文化がたくさん集まっていて、それぞれ違いがある。世界もきっと同じだろうと。そうした小さな単位同士でも交流できるはずだし、演劇という器はきっとそういうことに使えるんですよ。

ヨーロッパでは「私が世界をこう切り取りました」みたいな、個人の主張がはっきり語られる作品でないと、なかなか舞台芸術の範疇にすら入れてもらえないんです。

―先日、「演劇の聖地」であるフランス『アヴィニョン演劇祭』のメイン会場に招聘されることが決まった、宮城さんの代表作『マハーバーラタ』が、『せかい演劇祭』でも再演されます。衣裳、メイク、音楽などから多国籍な印象を受ける作品ですが、それ以上に舞台や客席の向こうにある「何か」を寿ぐような祝祭感が作品全体を包んでいて、どこの国風ということが気にならない。宮城さんがおっしゃる、多様な「せかい」の1つに思えました。

宮城:最初、この作品をやろうと思ったときは、特に深く考えていなかったんですよ。「ハッピーエンドの物語は友人や家族を誘いやすい」、それから「和物(日本の物語)」は、海外の原作よりもお客さんが入るという説があって(笑)。

『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『アヴィニョン演劇祭の60年~世界最大の演劇祭はこうして生まれた』©Le Festival d'Avignon
『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品
『アヴィニョン演劇祭の60年~世界最大の演劇祭はこうして生まれた』
©Le Festival d'Avignon

―なんと、現実的な(笑)。

宮城:だから、初演の頃はまだ作品の持つポテンシャルにあまり気が付いていなかったんです。ただ、最初の稽古のときからずっと言っていたのは「古怪(こかい。不思議、奇怪なこと)じゃなきゃいけない」ということでした。

―古怪ですか?

宮城:僕は落語の八代目林家正蔵師匠が大好きなんですが、その噺にはときおり古怪なところがあるんです。何か必然性はあるんだろうけど、今のわれわれの理屈ではうまく説明できないような部分。昔の民話やグリム童話とかにもありますよね。この作品ではそれが重要になると思ったんです。僕はよく役者からアイデアをもらうんですが、この作品に関しては、気が利いていたり、頭が良さそうなアイデアは全部却下(笑)。あえて「違和感」のようなものを残しながら作っていった結果、おっしゃってくださったように、作品の後ろにあるものを寿ぐような感じが出たんだと思います。きっと何百年前からいたであろう精霊や神様のような存在を楽しませて、今ここにいる観客や僕たちは、たまたまそこに立ち会っているような感じが出ましたね。

『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『マハーバーラタ』
『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』上演作品『マハーバーラタ』

―結果、その古怪な作品が今年の『アヴィニョン演劇祭』メイン会場を独占するという快挙に繋がりました。『マハーバーラタ』は、2006年にもパリで上演していますが、ヨーロッパの観客の反応はいかがでしたか?

宮城:ヨーロッパでは「私、宮城聰が世界をこう切り取りました」みたいな、個人の主張がはっきり語られる作品でないと、なかなか舞台芸術の範疇にすら入れてもらえないんです。その意味で『マハーバーラタ』は、「私個人」とか「私は世界をこんなふうに見ています」みたいなのは古怪じゃないから、わざと排除していたわけで、結果的に民俗芸能みたいな作品だって思われちゃうんじゃないかと危惧していたんですけど、そうじゃなかったというのは嬉しかったし、驚きましたね。

東京に対するオルタナティブというのかな、そういうものを、芝居を作っている人たちに提示していきたい。

―今年の『アヴィニョン演劇祭』で、世界の演劇シーンからSPACや『せかい演劇祭』の取り組みがあらためて注目されると思いますが、宮城さんの今後のビジョンがあれば教えてください。

宮城:今回の『マハーバーラタ』はKAAT神奈川芸術劇場との提携公演になるんですが、日本でもヨーロッパのように公立劇場のネットワークをどんどん広げていきたいですね。劇場同士で役者や技術スタッフを交流させることで、これまでの単館規模では成し得なかった、公立劇場でしかできない作品が新しく生まれると思いますし、もっと言えば、今の東京中心のシ—ンを少しは相対化できるようにしていきたいです。東京に対するオルタナティブというのかな、そういうものを、芝居を作っている人たちに提示していきたいですね。

―先ほどのお話と繋がってきますが、作品の普遍性を高めて観客を増やすのではなく、細かく情報を行き渡らせることでマーケットが成立する東京の状況は、日本では特殊な状況でもあるのに、そのスタイルが無条件にスタンダードとして考えられるのは確かに問題ですね。

宮城:芝居で食べていく道というのが、今はまだ限られていますよね。東京で芸能事務所に入って、小さい役でもいいから動員の多い商業演劇に出続けるとか、アルバイトをしながらときどき貯金をはたいて自主公演をするとか。でも、公立劇場のカンパニーに入って、演技や作品のクオリティーを上げることを目指して切磋琢磨するというチョイスもあるということが、もっと多くの人に見えてくればいいなと。東京で演劇をやっている人たちの中にも、あるいは芝居をやるために東京に行こうと考えている地方の人たちにも、僕たちのような方法を選ぼうかなと考える人が増えてくると思うんです。

宮城聰

―「メジャーとインディーズ」ではなく、「エレクトロとアコースティック」のような関係性、オルタナティブのあり方を提示したいと。

宮城:そうすると公立劇場で作られる芝居の注目度もさらに上がるでしょう。地方でお客さんを集めるには、テレビに出ている人が出演していないとダメだというのが従来のイメージですが、そうではなくて地方だからこそ質の高い芝居を作れる場所があるということが、常識になればいいと思います。いずれそれらの公立劇場のネットワークが、アジア各国都市の劇場やフェスティバルとも繋がっていければいいと思っています。

イベント情報
『ふじのくに⇄せかい演劇祭2014』

2014年4月26日(土)~5月6日(火・祝)
会場:静岡県 静岡芸術劇場、静岡県舞台芸術公園など
上演作品:
『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』(演出:宮城聰)
『ファウスト 第一部』(演出:ニコラス・シュテーマン)
『ジャン×Keitaの隊長退屈男』(作・演出:ジャン・ランベール=ヴィルド)
『よく生きる/死ぬためのちょっとしたレッスン』(構成・演出:エンリケ・バルガス)
『真夜中の弥次さん喜多さん』(脚本・演出:天野天街)
『タカセの夢』(振付・演出:メルラン・ニヤカム)
『マネキンに恋して - ショールーム・ダミーズ -』(演出・振付・舞台美術:ジゼル・ヴィエンヌ、エティエンヌ・ビドー=レイ)
『Jerk(ジャーク)』(演出:ジゼル・ヴィエンヌ)
上映作品:
『ピーター・ブルックのザ・タイトロープ(原題)』(監督:サイモン・ブルック)
『ピーター・ブルックのマハーバーラタ』(監督:ピーター・ブルック)
『アヴィニョン演劇祭の60年~世界最大の演劇祭はこうして生まれた』(監督:ミシェル・ヴィオット 脚本:ミシェル・ヴィオット、ベルナール・フェーヴル=ダルシエ)
『ピーター・ブルックの演劇的冒険 — アフリカの100日』(監督:ミシェル・アガット)

ワークショップ:『ミリアム・ゴルトシュミットによる演劇ワークショップ』(講師:ミリアム・ゴルトシュミット)
※各プログラムの開催日時などはオフィシャルサイト参照

プロフィール
宮城聰(みやぎ さとし)

1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志・渡辺守章・日高八郎各師から演劇論を学び、1990年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出は国内外から高い評価を得ている。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘。また、静岡の青少年に向けた新たな事業を展開し、「世界を見る窓」としての劇場づくりに力を注いでいる。代表作に『王女メデイア』『マハーバーラタ』『ペール・ギュント』など。2004年『第3回朝日舞台芸術賞』受賞。2005年『第2回アサヒビール芸術賞』受賞。



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