『ふじのくに⇄せかい演劇祭』宮城聰が語る、今芸術が必要な理由

毎年ゴールデンウィークに静岡で開催される『ふじのくに⇄せかい演劇祭』。主催するSPAC(静岡県舞台芸術センター)の芸術総監督・宮城聰のディレクションのもと集められた国内外の実力作は、今日の社会が向き合う課題や問題と強くリンクしている。

今年、宮城は「発信」過多の世の中に対し、「聞く力」をひとつのテーマに据えた。例えば、SNSの世界で話題になった人や出来事に対して感じる、共感や反感。しばしば私たちは、彼ら有名人と自分の立場のあまりの違いに屈折した感情を覚えたりするが、そういった「差違」は本当に決定的なものなのだろうか。ひょっとすると、羨望を集める人々も、なんらかの焦りを抱いて言葉を発信しているのかもしれない。

そんな小さな想像をめぐらせ、そこから広い世界についてへと思いを広げていくことは、日常ではすこし難しい。でもひょっとすると、演劇やアートでならそれは可能かもしれない。『ふじのくに⇄せかい演劇祭』は、数々の上演作を架け橋として「あなた」と「世界」をつなげるのだ。同演劇祭が秘めている可能性、想像力のありようについて、今年のオープニング作品となる『寿歌』を自ら演出した宮城に聞いた。

『寿歌』はもっとも手も足も出なかった作品。でも、執筆当時の北村想さんの身体感覚があれば、自分に乗り移らせることができるかもしれない。

1979年、名古屋を拠点に活動していた劇作家・北村想によって書かれた『寿歌』は、「世界の終末の後」を舞台にした作品だ。登場人物は3人。旅芸人のゲサク、彼とともに踊りや歌を披露する奇妙な少女キョウコ、そして浮世離れした雰囲気をまとう長髪の男ヤスオが、ミサイルが飛び交い、放射能が漂う世界で旅を続ける、一種のロードムービーである。

しかしプロットと呼べるものはほとんどなく、3人は突然漫才を始めたり、いきなり死んで蘇ったりする。舞台も日本のような日本ではないような場所で、イエスキリスト本人であるらしいヤスオ(ヤソ)が存在する理由もはっきりしない。とにかく、あらゆるものが支離滅裂なままに話は進んでいく。

『寿歌』ビジュアル / 愛知県芸術劇場・SPAC-静岡県舞台芸術センター 共同企画 © 松本久木
『寿歌』ビジュアル / 愛知県芸術劇場・SPAC-静岡県舞台芸術センター 共同企画 © 松本久木

愛知県芸術劇場・SPAC-静岡県舞台芸術センター共同企画『寿歌』より ©羽鳥直志
愛知県芸術劇場・SPAC-静岡県舞台芸術センター共同企画『寿歌』より ©羽鳥直志

しかし、このデタラメな「エエカゲン」さが、終末を迎えた架空の世界にあっけらかんとした独特の明るさと殺伐さをもたらしている。何かと失望する出来事の多い現在だからこそだろうか? 本作を観ていると「こんな生き方こそ、リアルかもしれない」と、妙な切実さに駆り立てられる。

宮城:『寿歌』は初演以降、様々な演出家が何度も取り組んだ伝説の戯曲です。これまでチャンスに恵まれなかったのですが、いつか必ず北村想さんの作品に取り組みたいと思っていました。

年齢的にも物理的にも、僕が新作に取り組むことができるのは1年に1本が限界になりつつあります。そうなると、自分の残りの人生のなかで演出できる作品の残り本数を切実に考えるようになるんですね。それは「どんな人と出会いたいか?」という問いに、言い換えることもできるでしょう。そこで、真っ先に向き合いたいと思えたのが想さんでした。

宮城聰(SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督)
宮城聰(SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督)

「演出家は無から有を生み出す人ではない」と、宮城は言う。器に素材を盛り、ドレッシングをかける。サラダを作るような行為が演劇の演出だとすれば、そこで重要なのは素材に対する興味や好奇心なのだという。

宮城:僕には、演出をすることで戯曲を書いた人の思考回路がわかるようになる、という感覚があります。戯曲には、作者の世界の感じ方が、思いもよらず露呈してしまうような性質がある。

例えばそれはプロット(筋立て)に潜む「作為」から読み取ることができるのですが、『寿歌』からは、その「作為」がまったく見えてこない。想さん自身「どうしてこれを書いたのか自分でも不思議だ」とおっしゃっていますが、本当に奇妙な作品なんです。

宮城聰

『寿歌』を執筆した当時の北村は、精神的に不安定な状態だったという。一歩も外出せず、眠りに落ち、ふと目覚めては文章を書く。筆が止まれば、また眠る。そうやってわずか2日間で書き上げたのが、この終末的な世界だった。

宮城:このエピソードを聞くと、想さんは天から降ってきた言葉をそのまま書き付けたのではないかと思うんです。じつは、これまで私自身が取り組んできた作品のなかで、『寿歌』はもっとも手も足も出なかったものなんです。けれども、執筆当時の想さんの身体感覚があれば、自分に乗り移らせることができるかもしれない、と思いました。

この感覚を言葉にするのはひどく難しい。でも強いて言えば、それは孤独に対していかに向き合うか、ということになるでしょう。不安定な精神状態で、宙ぶらりんのまま孤独と付き合うのはとてもヘビーなことだったでしょう。カエルの卵のようにデリケートな心のコアを、むき出しにしたまま孤独と向き合った末に生まれたのが、この作品なのではないでしょうか。

宮城聰

「現実にそぐわない理想なんて捨ててしまえ!」という論調が力を増している中、『民衆の敵』は「本当に理想はいらないのか?」と私たちに問いかけている。

孤独といかに向き合うか。それは、今回の『ふじのくに⇄せかい演劇祭』の全体にも通じている。『寿歌』に続いて上演されるヨーロッパ発の作品も、それぞれが多様な孤独のありようを示しているからだ。

近代演劇の父、ヘンリック・イプセンが100年前に書いた戯曲をトーマス・オスターマイアーが演出した『民衆の敵』は、田舎町の観光資源をめぐる汚染問題と、それに対する反対の声をあげた医師が黙殺されていく様子を描いている。

宮城:イプセンの戯曲どおり、主人公は誰からも受け入れられず敗北していきます。でも、その直前に観客が参加するシーンが用意されていて、観客は、ある熟考を求められるんですね。そのときみなさんは、自分で考えるだけでなく、周囲にいる他の人の反応を気にすることになるかもしれません。

ここで問われるのはある「正しさ」についてです。第二次世界大戦が終わった後にもたらされた「正しさ」は、絶対的な価値を持っていたはずです。日本であれば、戦争を永遠に放棄すると誓った日本国憲法が、時代の「正しさ」を象徴するものでした。それは、「純粋な結晶」のようなもので、複雑な国際情勢のなかでは、それを実現することはまず不可能な理想でしかありません。でも、だからこそ大事にしておきたいと、戦後の多くの日本人は思ってきた。

トーマス・オスターマイアー演出『民衆の敵』© Arno DECLAIR
トーマス・オスターマイアー演出『民衆の敵』© Arno DECLAIR

宮城:ところが、この数十年の時代の変化のなかで「現実にそぐわない理想なんて捨ててしまえ!」という論調が力を増してきた。イギリスのEU離脱やトランプ米政権の台頭など、この2年で事態はさらに加速しています。そういった時代に、『民衆の敵』は「本当に理想はいらないのか?」と私たちに問いかけている。同作の観客が参加するシーンは、ひとまず歩みを止め、熟考してみる時間を私たちにもたらしているんです。

『民衆の敵』とは対照的な静寂を有しているのが、舞台芸術公園の「楕円堂」で上演されるクロード・レジの『夢と錯乱』だ。しかし、27歳の若さで命を絶ったオーストリアの詩人のテキストに基づく同作も、やはり別のあり方で「孤独」と「世界」に向き合っている。

宮城:ちょっと前は「Japan as No.1」と言っていたのに、現在の日本人の多くが、「いまや中国やインドにも追い抜かれて、自分たちは取り残されてしまった」「日本は気づかないうちに世界で周回遅れになってしまった」という強迫観念を背負っているように僕は思います。そういった、「自分たちだけがうまくやることができない焦り」は、やがて「自分とは真逆に、うまくやっている人がいるらしい」という羨望の気持ちを生みます。

そうすると、個人も、国も、会社組織も、うまいことやっている対象を見習おうとする。そこで目に入るのが、例えばSNSで目立っている発信上手の人。彼ら / 彼女らにならうことが、この境遇を抜け出す唯一の方法だと思うようになってしまうんです。

クロード・レジ『夢と錯乱』© Pascal VICTOR
クロード・レジ『夢と錯乱』© Pascal VICTOR

この指摘は多くの人にとって耳の痛い話かもしれない。ライターを生業とする筆者にしても、ただ書いているだけではダメで、もっと自分をキャラ化して、発信力のあるインフルエンサーとして振舞わないと生き延びていけないのではないか……と、不安に思うことがある。人工知能の発達で仕事がなくなるだとか、英語を喋れない人間はビジネスチャンスに恵まれないだとか、そういった不安は、自分ではない誰かとの相対的な違いによって増していく。

宮城:多くの公立の劇場や施設も、よく「うちは発信が苦手で……」と言います(苦笑)。では、上手にやるってどういうことなんでしょう? 僕が思うに、その上手さっていうのは「人の話に耳を傾けず、ただ自分の意見を出しっぱなしにしている」ってことなのではないかと思うんです。だとすれば、自分のことを「遅れている」と思う人は「他人の話に耳を傾けている」から、遅れてしまっているのかもしれません。

宮城聰

宮城:今回の演劇祭に招聘したアーティストやカンパニーは、たどたどしい言葉でしか話すことができないとしても、なんとか自分の話を聞いてほしいと思っている人たちばかりです。ある意味では、のろまで不器用な人々とも言えるでしょう。でも考えてみれば、人類は何千年も答えが出ないような矛盾や不条理に向き合って、宙ぶらりんであることに耐えてきたはずなんです。そして芸術には、そのための訓練の技術や知恵が少しずつ蓄積されている。

例えばドストエフスキーの小説を読んで、「人間がわかる」ことはありません。むしろ読めば読むほどわからなくなる。でも、わからないってことに耐える力を、少しだけ獲得できるんです。『寿歌』もまさにそうで、宙ぶらりんに耐える精神を垣間見せようとしています。

今年のプログラムには「今日のヨーロッパ演劇が直面する課題」が反映されているんです。

2018年3月に東京都内で行われた『ふじのくに⇄せかい演劇祭 2018』の記者会見で、宮城は『民衆の敵』をヨーロッパ演劇の主流を継承する「先端」、『夢と錯乱』をそれとは対極的な「極北」、そして『リチャード三世 ~道化たちの醒めない悪夢~』を「流行」と呼び、「先端」「極北」「流行」の3つを座標軸にすることで「ヨーロッパ演劇の今を伝えたい」と述べていた。

狂王として知られるイングランドの王を主役にした、ジャン・ランベール=ヴィルドの『リチャード三世 ~道化たちの醒めない悪夢~』は、見世物小屋のような騒々しさを特徴とするが、狂気と表裏一体の孤独を描いた作品と言える。

ジャン・ランベール=ヴィルド『リチャード三世 ~道化たちの醒めない悪夢~』 © Tristan JEANNE-VALÈS
ジャン・ランベール=ヴィルド『リチャード三世 ~道化たちの醒めない悪夢~』 © Tristan JEANNE-VALÈS

宮城:『リチャード三世』を「流行」と表現したのは、本作にはヨーロッパが直面する課題が見え隠れしているからです。現実問題として、ヨーロッパの演劇界にお金がなくなってきています。

これまでの基本的な経営手法は、劇場で新作を作り、他の劇場に買ってもらい、ロングツアーを組むことで制作費を回収する、というものでした。しかし、予算が限られていくなかで、仮にビッグスケールの作品を作れたとしても、他の劇場が買うことができないという状況が起こっています。

宮城:そのなかで『リチャード三世』が成功したのは、優れた作品であることはもちろんですが、大作戯曲をわずか2名で演じる、という戦略によるものでもありました。制作の過程にはリーマンショック以降の厳しい台所事情があるんです。

『民衆の敵』のオスターマイアーは、自身が芸術監督を務めるベルリン・シャウビューネ劇場の生存戦略として、海外ツアーを選んでいますし、『夢と錯乱』のレジが一人芝居や二人芝居に力を入れているのは、カンパニーの制作体制を維持するためでもあります。つまり、今回のプログラムには「今日のヨーロッパ演劇が直面する課題」が反映されているんです。

宮城聰

フラメンコダンサーの小島章司さんが発する声の実直さ、たどたどしさは、演劇祭全体に関わる「孤独」や「発信」にも結ばれていくでしょう。

演劇祭の後半には、宮城の代表作『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』を皮切りに、舞踊家の小島章司と、女形の歌舞伎舞踊を習得したアルゼンチン出身のコンテンポラリーダンサーが共演する『シミュレイクラム/私の幻影』、オーストラリア先住民の俳優が主演する『ジャック・チャールズvs王冠』、メキシコの女優2名が空き店舗を会場に演じる『大女優になるのに必要なのは偉大な台本と成功する意志だけ』が登場する。そしてままごと、劇団子供鋸人、康本雅子、テニスコーツなど、日本各地のカンパニー&アーティストが集うプログラム『ストレンジシード』も行われる。

『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』(2012年) / 舞台芸術公園 野外劇場での公演より ©日置真光
『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』(2012年) / 舞台芸術公園 野外劇場での公演より ©日置真光

『ジャック・チャールズvs王冠』©Bindi COLE
『ジャック・チャールズvs王冠』©Bindi COLE

宮城:演劇祭の後半に予定しているプログラムの狙いは、非西欧圏で何が起こっているかを伝えることです。単純に言えば、前半で登場するヨーロッパを相対化する目線を獲得するためのプログラム。

例えば『シミュレイクラム/私の幻影』は、ノルウェー人が演出し、日本人とアルゼンチン人が主演しますから、どこの国の作品とは言いきれないところがあります。そして演劇的なるものとダンス的なるものが触れ合う「界面」としても、ユニークな作品です。

フラメンコの世界で活躍してきた小島さんは、70歳になるまで舞台上でセリフを喋った経験のない人。だから、この作品で発せられる言葉や声は、対話する相手がいて、かろうじて生み出されるものなんです。その実直さ、たどたどしさは、演劇祭全体に関わる「孤独」や「発信」にも結ばれていくでしょう。

『シミュレイクラム/ / 私の幻影』©Erik BERG
『シミュレイクラム/ / 私の幻影』©Erik BERG

宮城聰

宮城の発言を引きながら、『ふじのくに⇄せかい演劇祭』だけでなく、現在の日本やヨーロッパが直面する状況についても触れてきた本記事だが、最後にあらためて『寿歌』について、少しだけ書き加えたい。

『寿歌』が描かれた1979年から見た世界の終末を、2018年の自分があるリアリティーをもって受け止めてしまうことの奇妙さは、どこから来るものなのだろう? それはおそらく、場所も登場人物も時間もでたらめな『寿歌』に、時間をぐにゃりと歪ませるような不可思議な力があるからだろう。タイムマシーンを持たない私たちは、過去から未来へと進む時間をさかのぼることはできない。でも芸術を通じてならば、そのありえない現実を創造することもできるのではないだろうか?

愛知県芸術劇場にて3月下旬に初演された『寿歌』は、『ふじのくに⇄せかい演劇祭』では野外劇場「有度」にて上演される
愛知県芸術劇場にて3月下旬に初演された『寿歌』は、『ふじのくに⇄せかい演劇祭』では野外劇場「有度」にて上演される

そういったパラレルワールド的な思考は、例えばSF映画の『インターステラー』や『メッセージ』などに顕著だが、西欧圏の支配を受けたことのないアフリカの架空国家を描いたアメコミ原作の映画『ブラックパンサー』が、観客から熱狂的に支持されたことも、芸術表現が持ちうる「異なる価値観にに観客の想像力を接続する」可能性を示す出来事だったと言えるだろう。そして、この「希望」とも呼べる接続が起こる手前には、宮城が言ったような「宙ぶらりん」の時間が、流れているように私は思う。

宮城:これは余談なのですが、僕の今回の演出は、『寿歌』という戯曲が示そうとしている、ある種の「無残さ」に対して美しすぎる気がしています。これは初演した夜にはじめて思ったことで、僕はまだこの作品の全部を掴めていないのかもしれません。

宮城聰

宙ぶらりんであることを無意識的に描いた北村想の『寿歌』と格闘した宮城もまた、演出家としてこれまでにない宙ぶらりんの感覚を覚えたのかもしれない。その意味でも、この新しい『寿歌』はいまだ完成と未完成のあいだを浮遊し続けている。

様々な声と身振りで「世界」とつながることを試みる演劇祭の幕開けを告げる言祝ぎの歌。それは粗暴な声の大きさで「正しさ」と「正しくなさ」を仕分けしてみせるツイートやポストとは、まるで違うメロディとリズムを持っている。『寿歌』は、宙ぶらりんな曖昧さのなかで、私たちに躊躇することや迷うことの意味を問いかけている。

宮城聰

イベント情報
『ふじのくに⇄せかい演劇祭 2018』

2018年4月28日(土)~5月6日(日) 会場:静岡県 静岡芸術劇場、舞台芸術公園、駿府城公園、レストラン フランセ

上演作品:
『寿歌』(演出:宮城聰、作:北村想)
『民衆の敵』(演出:トーマス・オスターマイアー、作:ヘンリック・イプセン)
『夢と錯乱』(演出:クロード・レジ、作:ゲオルク・トラークル)
『リチャード三世 ~道化たちの醒めない悪夢~』(演出・出演:ジャン・ランベール=ヴィルドほか、原作:ウィリアム・シェイクスピア)
『マハーバーラタ ~ナラ王の冒険~』(演出:宮城聰、台本:久保田梓美)
『シミュレイクラム/私の幻影』(演出・振付:アラン・ルシアン・オイエン)
『ジャック・チャールズ vs 王冠』(演出:レイチェル・マザ、作:ジャック・チャールズ、ジョン・ロメリル)
『大女優になるのに必要なのは偉大な台本と成功する意志だけ』(演出・作:ダミアン・セルバンテス)
料金:一般4,100円 全演目パスポート16,000円
※障害者割引2,800円(要障害者手帳、付添1名無料)

プロフィール
宮城聰 (みやぎ さとし)

1959年東京生まれ。演出家。SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京大学で小田島雄志・渡辺守章・日高八郎各師から演劇論を学び、90年ク・ナウカ旗揚げ。国際的な公演活動を展開し、同時代的テキスト解釈とアジア演劇の身体技法や様式性を融合させた演出で国内外から高い評価を得る。2007年4月SPAC芸術総監督に就任。自作の上演と並行して世界各地から現代社会を鋭く切り取った作品を次々と招聘、「世界を見る窓」としての劇場づくりに力を注いでいる。14年7月アヴィニョン演劇祭から招聘された『マハーバーラタ』の成功を受け、17年『アンティゴネ』を同演劇祭のオープニング作品として法王庁中庭で上演、アジアの演劇がオープニングに選ばれたのは同演劇祭史上初めてのことであり、その作品世界は大きな反響を呼んだ。他の代表作に『王女メデイア』『ペール・ギュント』など。04年第3回朝日舞台芸術賞受賞。05年第2回アサヒビール芸術賞受賞。平成29年度(第68回)芸術選奨文部科学大臣賞(演劇部門)受賞。



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