竹原ピストル、七転び八起きでメジャーの舞台に帰ってきた男

不屈のシンガーソングライター、竹原ピストルが再びメジャーレーベルの舞台に戻ってきた。2003年にフォークロックバンド「野狐禅」の一員としてデビューし、作品を重ねる中で熱烈な支持を受けながらも、野狐禅は2007年に所属事務所から独立し、その2年後には惜しまれながらも解散。それからはソロシンガーとして、年間300本にも及ぶライブ活動をひたすら継続してきた竹原が、このたび7年ぶりに古巣であるマネージメント事務所「オフィスオーガスタ」に所属し、新作『BEST BOUT』をリリースするのだ。

『BEST BOUT』に竹原が込めたのは、彼が終わりなきツアー生活の中で出会った人々への想いや、その人たちへの誓いだ。その最たる例をここでひとつ挙げるなら、やはりダウンタウンの松本人志に宛てたという曲“俺のアディダス~人としての志~”だろうか。竹原の才能に早くから惚れ込んでいた松本が、自ら監督した映画作品『さや侍』に彼を役者として起用したことは、きっとご存じの方も多いと思う。そんな松本にむけて、竹原は自分がミュージシャンとしてもう一度勝負するとここで誓っているのだ。

竹原の活動をここまでずっと支えてきたのは、まさにその「売れたい」という野心であり、それが薄らいだことは一度足りともないと彼は言う。では、この男をそこまで駆り立てるものとは、一体何なのだろう。こうして再びメジャーに戻ってくるまでの変遷と、ミュージシャンとして売れることへの強い執念について、竹原ピストルが熱く語ってくれた。

いまも自分の根底にあるのは、「目の前にいる人をどうやって楽しませようか」っていう気持ちなんですよね。歌はあくまでもその手段だったんです。

―所属事務所から独立した後、インディーで活動されていた7年間と、こうしてメジャーレーベルに戻った現在では、やはり環境もだいぶ変わったのではないでしょうか。

竹原:変わりましたね。これまではずっと一人でツアーをまわりっぱなしの生活でしたから。正直、心細い気持ちになることもありました。それに、「もう自分一人でやれることはここまでかもな」っていう気持ちもあったかもしれない。

―なるほど、そこまで考えていたんですね。しかしそうした道を選んだのも、竹原さんご自身だった。2007年に、野狐禅は所属事務所から独立したわけですが、その当時の竹原さんは、どのような心境だったんですか?

竹原:あの当時の自分は、とにかく地に足がついてなかったんです。自分の周りにいるスタッフの人たちがどう動いているのかよくわからないし、それでも状況が進んでいってしまうことに、ずっとソワソワしていました。それで「いっそ全部自分たちだけでやろう」と思って、事務所を辞めることにしたんですけど、それから自分で宣伝やレコーディング、ブッキングの仕事をすべてやってみて、ようやくわかったんですよね。「ああ、この役割はあの人がやってくれてたんだ。自分はどれだけ恵まれた環境にいたんだろう」って。

―いったん事務所やメジャーレーベルから離れたことで、自分の身の回りで起きていたことがようやく理解できたと。

竹原:そうなんです。自分の愚かさに気付いたという意味でも、一人で動いてきた期間は、絶対に必要だったと思ってます。たとえば、一人でやっていると、ライブの日程を決めることはできても、その詳細をハコの人と詰めたり、一つひとつを告知するのは、けっこう手間がかかるんです。それこそ年間250~300もライブをやってると、もうわけがわからなくなってくるんですよ。

竹原ピストル
竹原ピストル

―一人ではとても管理しきれない本数ですよね。それでも、竹原さんはその凄まじいライブスケジュールをずっと継続されてきたわけで。そのモチベーションを保ち続けられた理由は、どこにあったのでしょうか?

竹原:それは根本的な話になっちゃいますけど、やっぱり僕はライブが大好きだし、そのライブだけが自分を売り込む唯一の手段でしたからね。とにかくたくさんの街に行って、1人でも多くの人にライブを見てもらわなきゃ、何も始まらないだろうと。「ここに竹原ピストルっていう歌唄いがいるよ。誰か見てくれないか。そして、俺をでかいところに連れてってくれ」って思いながらやってました。

―人の目にとまるためには、とにかくライブをやりまくるしかないと。

竹原:つまり、「売れたい」ってことですね。あるいは「人気者になりたい」とか「目立ちたい」とか……僕、その気持ちだけはずっと変わってないんです。それこそ前のバンドをやっていた頃から、そこだけはブレてないと思います。

―「売れたい」はともかく、そもそも竹原さんはなぜ「人気者になりたい」「目立ちたい」と強く思うようになったんですか?

竹原:それが未だにわからないんですよね(笑)。ガキの頃からそんな感じだったんです。そういえば、中学生の頃、担任の先生からも同じような質問をされたことがありましたね。「なんで君はそんなことをしちゃうの?」って(笑)。クラスメイトにしょうもないことを言って笑い声が上がったときや、みんなの前で歌を披露して盛り上がったときの感覚がたまらなく好きで。いまも自分の根底にあるのは、そういう「目の前にいる人をどうやって楽しませようか」っていう気持ちなんですよね。歌はあくまでもその手段だったんです。

ボクシングって歌詞のネタとしてすごく使いやすいんですよ。たとえば、「不屈」とか「俺は諦めない」みたいな気持ちを表したいとき、ボクシングの描写ほどわかりやすいものってないじゃないですか。

―高校や大学の頃は、全日本選手権に出場するほどボクシングに打ち込んでいたそうですが、それも「人前に出たい」という気持ちと関わっているのでしょうか?

竹原:それも絶対にあったと思います。単純にかっこいいなと思ってたし、あんまり人がやらないことをやって目立ちたかった。それこそ、リングに上がってみたかったんです。

―実際、竹原さんの歌にはボクシングの描写がいくつも登場しますよね。きっとボクシングという競技は、竹原さんの人生観に大きな影響を及ぼしているんだろうと思うのですが。

竹原:たしかにそうですね。そもそも、ボクシングって歌詞のネタとしてすごく使いやすいんですよ。たとえば、「不屈」とか「俺は諦めない」みたいな気持ちを表したいとき、ボクシングの描写ほどわかりやすいものってないじゃないですか。ましてや自分はそのボクシングを一生懸命やっていたわけですから、それを歌にしない手はないですよね。

竹原ピストル

―自分が歌に込めたい気持ちを投影しやすいのが、ボクシングだったと。

竹原:そうだと思います。少なくとも、自分がボクシングをやっていなかったら書けなかった曲もあるのは間違いないでしょうね。でも、自分にとってそれより先にあるのが、さっき話した「人前で何かしたい」という気持ちなんです。そこで何を歌おうかと考えていったときに、それがボクシングに結実することもあったというか。

自分は松本(人志)さんに何の恩返しもできていなかったから。「次にお会いするとき、このままじゃ合わせる顔がないぞ」とずっと思ってたんです。

―竹原さんの歌詞を見ていくと、ある特定の人に向けられているような言葉がいくつもありますよね。たとえば今回のアルバムだと、“LIVE IN 和歌山”は、まさに1人のファンに向けられているようですが。

竹原: “LIVE IN 和歌山”はその極端な例かもしれません。でも実はあれって、特定の人に向けて歌っている体ではあるけど、それと同時に僕がみんなに伝えたい気持ちでもあるんです。でも、もし目の前にいる大勢に向かって<薬づけでも生きろ>と歌ったら、それはあまりにも乱暴だし、受けようによってはものすごく稚拙だと思われてしまいますよね。そこで僕は「和歌山に精神的な病を患っているやつがいまして、俺はこいつに向けて言ってるんですよ」と、1人をストーリーにはめて歌っているんです。

―なるほど。1人の具体的な出来事を取り上げることで、よりたくさんの聴き手に伝えられることを意識しながら書いていたんですね。

竹原:本当は「何がなんでも生きなきゃいけない。どんな手を使っても、生きていきましょうよ」って、みんなに言いたいんです。そんな自分の本音を、「こいつに言ってることですから、みなさんは気にしないでください」みたいな感じで、ちょっとぼやかしながら歌っています(笑)。

―では、“俺のアディダス~人としての志~” はどうでしょう? あの曲は松本人志さんに宛てた曲とのことですが。

竹原:あの曲を書いた動機って、正直に話すとあんまりかっこよくないんですよね。というのも、その頃の自分は、一人で活動していく限界を感じ始めていて、「俺、これからもずっとこんな感じなのかな」って、けっこう不安を抱えながらツアーをまわっていたんです。そうしたら、以前所属していたオフィスオーガスタから「一緒にやらないか?」という話が出てきて、「マジ? これは掴むべきチャンスかも」と(笑)。ちょうどそんなタイミングで書いたのが、あの曲なんです。つまり、あれって「不屈の男」みたいな感じの曲ですけど、実際の俺はまったくそうじゃないんですよね。まあ、それが自分らしいっちゃ自分らしいんですけど。

―その想いにピタッとハマるのが、松本さんに向ける歌だったというのは?

竹原:それはやっぱり、自分は松本さんに何の恩返しもできていなかったから、「次にお会いするとき、このままじゃ合わせる顔がないぞ」とずっと思ってたんです。ちょうどそんなタイミングでまた事務所と話せる機会を持てたので、「これで自分がもう一度挑戦しようとしている姿くらいは、ようやくお見せできるかもしれない」って。

―この曲は、松本さんへの言葉でありながら、竹原さん自身に語りかけたものでもあるわけですね。

竹原:そうですね。“俺のアディダス”や“カウント10”で歌っているのは、「こうありたい」っていう「理想」なんです。少なくとも、僕はあの曲を地で行くような男ではまったくないので。自分に対して「お前がなんぼのもんじゃ」って思う部分は、たくさんあるんですよ。だからこそ、僕は万人に向けて<薬づけでも生きろ>なんて、おこがましくて歌えない。ただ、そこに居あわせた人を楽しませたいということだけには、ものすごく執着しているんですけどね。

マナーや建前として、人生の勝ち負けなんてものは「ない」ってことにしておくべきなのかもしれないんですけど、現実としてそれはあるし、それは個人が決めることだと思うんですよね。

―竹原さんは“カウント10”で、<ぼくは“人生勝ち負けなんてないんだ”という人の人生に心を動かされたことは、一度たりとも、無い>と歌われていますよね。これってすごく力強い言葉だと思うんですけど、ここでいう勝ち負けとはどういうことなのか、改めて教えていただけませんか。

竹原:たとえば、相対的に誰かと誰かの人生を比べることはいけないとされていますよね。でも、内心では「あの人の人生よりも私の人生の方が素晴らしい」、あるいは「劣っている」みたいな考え方って、やっぱりあるんです。マナーや建前として、人生の勝ち負けなんてものは「ない」ってことにしておくべきなのかもしれないんですけど、現実としてそれはあるし、それはこっちが決めることだと思うんですよね。

―人生の中に勝ち負けがあるかどうかは、個人が決めることだと。

竹原:そうですね。何をもって勝ち負けとするかはわからないけど、絶対に勝ち負けは個々の中にある。で、僕の場合は「諦めたら負け」なんですよね。本当は何か志があるのに、そこでダメだと思ったとしたら、そのときが負け。でも、俺は諦めてないから、勝ちだと思ってる。

竹原ピストル

―たしかにそうやって優劣をつけるのって、いまは世の中の風潮としてよくないものとされがちですよね。たとえば幼稚園の運動会とかでも、最近はあえて順位をつけないようにしているところも多いと言いますし。

竹原:でも、そうやってみんなが手をつないで横一列でゴールしたとしても、絶対に足の速さには個体差がありますからね。そこは絶対に忘れてはいけないと思います。あと、これは勝ち負けの話とは別ですけど、いつも気になっていることがもうひとつあって。

―それは何でしょう?

竹原:たとえば、子どもたちが5~6人で遊んでいたりすると、大人はそういう子どもたちの姿を見たとき、一括りに「無邪気だな。いいな」と思ったりしますよね。でも、たぶんその子たちの中に1人くらいは、本当はそいつらと一緒に遊びたくないやつもいると思うんです。実は無理やり仲間に入れられてたり、本当は2人だけで遊びたかったんだけど、グループの中に逆らえないやつがいるんじゃないかって。僕、そういう見方ってけっこう大事な気がしていて。

―そういう楽しそうな空気の中にも、実はうっかり見落とされがちな感情があるということですね。

被災地で歌っているときも、僕は「いまに見とけ」と思ってました。出てくるだけでみんなが楽しくなっちゃうような人間に自分がならないと、この街には戻れないなって。

―竹原さんが、自分に対して「お前がなんぼのもんじゃ」と思っている、と考えられるようになったきっかけや、何か影響を受けた出来事があれば、ぜひ教えていただけますか。

竹原:うーん……大きな出来事はいろいろあると思いますけど。

―僕がいまふと思ったのは、東日本大震災のことなんです。というのも、竹原さんはあの当日、ちょうど福島のライブハウスに出演される予定だったそうですね。その後、ライブは中止になって、竹原さんは3日間を福島で過ごされたと。たとえばその経験は、竹原さんの音楽活動に何かしらの影響を与えたのでしょうか?

竹原:たしかにあれは大きかったですね。「歌で誰かを勇気づけたい」みたいな考えが、完全に自分の中から取り払われた瞬間だったのかもしれない。「こんな出し物、屁のツッパリにもならない」って。それこそ、僕は年間何百本もツアーをまわってきましたけど、つまりそれって、自分から勝手に登場して、誰も知らないオリジナルソングをそこで歌ってるわけじゃないですか。ましてやギャラまでもらっていくこともあるわけで。あくまでもこれは自分のことですけど、「歌唄いなんて乞食と変わらないじゃないか」って、そのときに思ったんです。「お前ごときが歌で人を救えるとでも思ってんのか」って。

―だからこそ、自分は売れなければいけないという想いが強まったのでしょうか?

竹原:そうですね。被災地で歌っているときも、僕は「いまに見とけ」と思ってました。出てくるだけでみんなが楽しくなっちゃうような人間に自分がならないと、この街には戻れないなって。たとえば、ものすごくビッグな人たちが被災地を訪れると、それだけでみんなが明るくなったりするじゃないですか? それってものすごいことだと思うんですよね。僕もそういうものになりたいんです。ああ、これは何時間もかけて話したい内容ですね。たしかにおっしゃる通り、震災は自分にとってものすごくでかかった。

(理想的な人物像は)僕らよりもずいぶん上の世代の漫才師さんとかですね。

―つまり、竹原さんは、自分がいるとそれだけで周りが楽しくなるような存在になりたいと。登場するだけで場が明るくなるような存在に。

竹原:やっぱりそれが最強ですよね。結局それって、「そこに居あわせた人をどうにかして楽しませたい」っていう気持ちと同じなんですよ。僕はそのために音楽をやっているわけだから。むしろ自分そのものは軽く見てもらいたいんですよね。

―それは、歌唄いとして売れても、竹原さん自身のイメージやパーソナリティーは、そんなに重く受け止めてもらわなくていいということでしょうか?

竹原:僕は、そんなに大した人間じゃないし、隙だらけのやつだから、そこもちゃんとわかっていてほしいんです。俺、俗にいうカリスマ性とかって、これっぽっちも興味がないんです。カリスマ性があると言われている人を見ても、かっこいいとは思わないんです。

―じゃあ、そんな竹原さんにとっての理想的な人物像って、たとえばどんな人ですか?

竹原:それは、僕らよりもずいぶん上の世代の漫才師さんとかですね。たまに吉本の劇場へお笑いを観に行くと、いま人気の若い芸人さん達よりもはるかに早い出順で、そういう年輩の芸人さんが登場するんですよ。そういう人たちがやり込んできたネタを披露しているときの佇まいって、すごくいい。芸歴が長い分、話芸もしっかりしているから、ずっと観ていられるし、自分もそうやってやり続けていけたらなと思ってます。つまり、僕がなりたいのは、ものすごくいい歌を歌う、普通のおっさんなんですよね(笑)。

竹原ピストル

―(笑)。こうしてまたメジャーに移籍したことは、そのための大きなステップになりそうですね。

竹原:そうですね。僕、歌はこれからもずっと続けていくと思うんですよ。だって、それしか出来ない人間ですから。ただ、こういう「歌で自分がビッグになれるかどうか」みたいなギャンブルって、いつまでもやれることではないんですよね。人がそういう博打に挑戦できる期間って、やっぱり限られてると思うから、こうして自分がまたそこに挑めることは、本当に幸せだと思ってます。

―その博打に勝つまで、竹原さんにはずっと勝負してほしいですけどね。

竹原:でも、僕はそこがタチ悪いんですよね。だって、いつも「これが最後だな」って言い続けながら、今日までやってきてますから(笑)。

イベント情報
『全都道府県弾き語りツアー“BEST BOUT”』

2014年10月30日(木)
会場:北海道 札幌 KRAPS HALL

2014年10月31日(金)
会場:北海道 函館 あうん堂ホール

2014年11月3日(月・祝)
会場:福島県 Out Line

2014年11月4日(火)
会場:山形県 フランクロイドライト

2014年11月5日(水)
会場:岩手県 久慈 UNITY

2014年11月6日(木)
会場:秋田県 秋田 Club SWINDLE

2014年11月7日(金)
会場:青森県 八戸 ROXX

2014年11月8日(土)
会場:青森県 弘前 Mag-Net

2014年11月10日(月)
会場:長野県 松本 ALECX

2014年11月11日(火)
会場:富山県 SUMMER KNIGHT

2014年11月12日(水)
会場:石川県 金沢 vanvanV4

2014年11月13日(木)
会場:福井県 CHOP

2014年11月17日(月)
会場:神奈川県 日吉 NAP

2014年11月19日(水)
会場:山梨県 甲府 CONVICTION

2014年11月20日(木)
会場:埼玉県 西川口 Hearts

2014年11月25日(火)
会場:兵庫県 神戸 Back Beat

2014年11月26日(水)
会場:奈良県 LIVE HOUSE 奈良ネバーランド

2014年11月27日(木)
会場:和歌山県 OLDTIME

2014年11月28日(金)
会場:滋賀県 B-FLAT

2014年11月29日(土)
会場:京都府 ROOTER×2

2014年12月1日(月)
会場:香川県 高松 DIME

2014年12月2日(火)
会場:高知県 X-pt.

2014年12月3(水)
会場:徳島県 club GRINDHOUSE

2014年12月5日(金)
会場:愛媛県 松山 キティーホール

2014年12月7日(日)
会場:山口県 周南 LIVE rise SHUNAN

2014年12月8日(月)
会場:広島県 BACK BEAT

2014年12月10日(水)
会場:鳥取県 米子 AZTiC laughs

2014年12月11日(木)
会場:島根県 松江 AZTiC canova

2014年12月12日(金)
会場:岡山県 MO:GLA

2014年12月13日(土)
会場:広島県 福山 Cable

2014年12月15日(月)
会場:千葉県 ANGA

2014年12月16日(火)
会場:栃木県 宇都宮 悠日カフェ

2014年12月17日(水)
会場:茨城県 club SONIC mito

014年12月18日(木)
会場:茨城県 日立 LIVE GARAGE 常陸小川屋

2014年12月19日(金)
会場:神奈川県 横浜 YOKOHAMA B.B.street

2014年12月22日(月)
会場:宮城県 仙台 LIVE HOUSE enn 2nd

2014年12月24日(水)
会場:群馬県 高崎 club FLEEZ

2014年12月25日(木)
会場:新潟県 GOLDEN PIGS YELLOW

2014年1月9日(金)
2014年1月10日(土)
会場:熊本県 BATTLE BOX会場:福岡県 ROOMS

2014年1月11日(日)
会場:長崎県 Ohana Café

2014年1月13日(火)
会場:佐賀県 GEILS

2014年1月14日(水)
会場:大分県 CLUB SPOT

2014年1月15日(木)
会場:鹿児島県 SR ホール

2014年1月17日(土)
会場:宮崎県 FLOOR

2014年1月18日(日)
会場:沖縄県 output okinawa

2014年1月19日(月)
会場:沖縄県 ZIGZAG

2014年1月21日(水)
会場:京都府 磔磔

2014年1月22日(木)
会場:大阪府 心斎橋 Music Club JANUS

料金:3,240円(ドリンク別)

プロフィール
竹原ピストル (たけはらぴすとる)

歌手、ミュージシャン、俳優。大学時代の1995年、ボクシング部主将を務め、全日本選手権に2度出場。1999年、野狐禅を結成し音楽活動を本格化。際立った音楽性が高く評価され、2003年にメジャーデビュー。2009年4月に野狐禅を解散し、一人きりでの表現活動を開始。毎年250~300本のペースでライブも並行するなど勢力的に活動を行う。2014年、デビュー時のマネージメントオフィスであるオフィスオーガスタに再び所属。そして、10月22日に、ビクタースピードスターレコーズより、ニューアルバム『BEST BOUT』を発表。同時に、役者としての評価も高く、『青春☆金属バット』 (2006年、熊切和嘉監督)、『さや侍』(2011年、松本人志監督)などに出演。



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