「若く、美しく、完璧な自分になれる」。元トップ女優のエリザベス(デミ・ムーア)は、謎の薬剤「サブスタンス」を投与し、もうひとりの自分であるスー(マーガレット・クアリー)を生み出した。誰もが魅了されるルックスと、トップクラスの実力で、スーはたちまち大スターとなる。
「サブスタンス」にはルールがあった。エリザベスとスーはお互いの生命と美しさを守るため、一週ごとに入れ替わらなければならないのだ。ところが、若いスーはそのルールを破りはじめて……。
観る者の予想を裏切り続ける展開と、エネルギッシュな映像表現で世界を震撼させた映画『サブスタンス』。本作を「今年観た映画で一番良かった」と絶賛するのは、小説『かわいそ笑』や『6』、展覧会『行方不明展」などボーダレスに活躍するホラー作家・梨だ。
「笑うしかないくらいぶっ飛んでいる。だけど、ちゃんと必然性がある」。日常を食い破る恐怖、現代社会へのまなざし、そして作り手の切実な衝動。日本ホラー界の最前線をひた走るストーリーテラーは、この異形の一作をどう読み解いたのか。
映画『サブスタンス』本予告
「この映画で描かれていることは対岸の火事じゃなくて、普通にありえる話だと思った」
―まずは映画のご感想を率直にお聞かせください。
梨:今年観た映画で一番良かったです。終わったあとに思わず拍手したくらい。映画を観た方にはわかってもらえると思うんですが、笑うしかないくらいぶっ飛んでいる。しかも、ただぶっ飛んでいるのではなく、ちゃんと必然性があるうえで、ありえないほどの絶望が描かれている。その「行き切った」感じが印象的で、「ここまでやらなきゃダメだよね」と思いました。
―ホラーの作り手として、作品のアイデアやストーリーに共感したところはありましたか?
梨:モチーフの選び方が秀逸ですよね。ある種のボディ・ホラー的な誇張がある一方で、根本はとても日常的。たとえば、Instagramで「ボディメイク」とか「ダイエット」って検索すると、普段からそういう投稿ばかり出てくるようになりますけど、「キレイになりたい」というような感情は誰にでもありうると思うんです。だから「注射で痩せる」とか「骨延長手術で」とか、逆に「お風呂に1週間入ってません」みたいな極端な方向に振れたものも出てくる。そういうものって、一見すると日常からかけ離れているようで、SNSがあればすぐに手が届きますよね。だから、この映画で描かれていることは対岸の火事じゃなくて、普通にありえる話だと思ったんです。
―あくまでも、ありふれた日常から非日常に入っていく構造だということですね。
梨:そうです。「サブスタンス」という技術自体はファンタジックでも、それを支える設定や演出にものすごくリアリティがある。薬を買うために電話をかけて、指示された場所に向かって、番号を押してボックスを開けたら段ボールが出てくる。家に持ち帰って箱を開けると、何の変哲もない注射器や、パウチに詰められた安定化剤のようなものが入っていて――ああいうものって、「最近ちょっと健康に気を遣ってて」っていう友達の家にあっても違和感がないと思うんです。それこそ、SNSの広告に出てくるサプリや健康食品のサブスクと変わらない。そういう日常の解像度が非常に高いので、どんどん非日常の世界になり、どれだけえげつない展開になっても「これはリアルな恐怖だ」と思えました。

「世にも奇妙な物語」に通じる部分がある
―映画を観ながら、梨さんが特に引き込まれたシーンや演出をお聞かせください。
梨:すでに何回か観ているんですが、2回目、3回目と観ていくうちに、冒頭のシーンがすごいことに気づくんですよ。卵黄に注射を打つオープニングの、あのカットから映画を始めること自体が思い切っているし、なにしろ生命の根源である卵に、人間が注射器を突き立てるわけですから、その後のあらゆる展開をすでに示唆していますよね。しかも、あの映像はいわゆる作中作で、エリザベスのような「サブスタンス」のユーザーが見ているもの。登場人物たちよりもひとつ奥のレイヤーにあるものから映画を始めることで、より没入感が高まりますし、これ以上の導入は思いつかないですね。
―個人的に、序盤は「世にも奇妙な物語」のようだと思ったんです。しかし、そこからの飛距離が遠いというか、ものすごく遠いところまで連れていってくれる。
梨:私も「世にも奇妙な物語」に通じると思いました。モチーフの現代性や、起承転結の感じも含めて「世にも」に近いなと。だけど、「世にも」は1エピソードあたり約20分というフォーマットがあるから、この映画ほど遠くまでは飛べないですよね。その点、『サブスタンス』は短編でも成立しそうなモチーフを選びながら、長編映画という媒体で、142分かけて描き切っているのがすごい。しかも荒唐無稽な話なのに、最後にはストンと納得できる。エリザベスとスーの2人──いや、正確には1人ですけど、彼女の感情を追いかけていくと「そりゃそうなるよな」と思えるんです。きちんと人間が描かれているので、「そうはならんやろ」とは思わない。
―確かに、ひとつの人間ドラマとしても一本筋が通っていて、描くべきことを描き、しかるべき結末にたどり着いたところで映画が終わりますよね。
梨:私はもともと日本やアジアのホラーをよく観ていて、『呪詛』や『仄暗い水の底から』が大好きなんですが、それは雰囲気や空気感だけでなく、登場人物の内面がきちんと伝わってくるからなんです。人物が単なるやられ役として配置されているのではなく、その人の思考や論理、切実さに共感できる。『サブスタンス』もそこがいいんですよね。

作品の源流には怒りがある
―『サブスタンス』は良い意味ですごく過剰な映画だと思うんです。その一方で梨さんの作品は、引き算で作られているような余白の表現が印象的なので、スタイルとしては真逆なのかなと思っていました。けれど、やはり通じるところはあるんですね。
梨:私があと3回転生しても、たぶんこの映画は作れないんですよ(笑)。きっと、劇中の55分くらいの展開でオチをつけて終わらせてしまうと思うんです。
この映画は、本当に全部を見せてくるじゃないですか。後半だけでなく序盤から、いかにも昔のテレビマンっぽいプロデューサーが、殻付きのエビをぐちゃぐちゃにしながら食べるシーンもそう。「ここまでするか」というくらい嫌な場面ですけど、わざわざそういう部分を見せるのは「これを伝えなければ」という思いがあるからですよね。
これは私の想像ですが、作品の源流にはとてつもない怒りがあると思うんです。どうにもならない現実に対する怒り、どうしてこうなるんだという怒り――それらをどんどん足していき、すべてを表現することでたどり着いたのがこの映画。おそらく、この形しかありえなかったのではないかと思います。

- 『サブスタンス』
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2025年5月16日(金)全国公開
監督・脚本:コラリー・ファルジャ『REVENGE リベンジ』
出演:デミ・ムーア、マーガレット・クアリー、デニス・クエイド
製作国:イギリス フランス
配給:ギャガ ©︎2024 UNIVERSAL STUDIOS
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