※本稿はドラマ『恋は闇』に関する重要なネタバレを含みます。
愛した男は、連続殺人鬼なのか? この問いの強烈な求心力によって走り抜けた『恋は闇』
志尊淳と岸井ゆきのがダブル主演を務めたドラマ『恋は闇』(日本テレビ系)が、6月18日で最終回を迎えた。放送後からTVerの総合ランキングでも1位となるなど、大きな話題になっている。
都内で凄惨な連続殺人事件が発生するなか、テレビ局で情報番組のディレクターを務める筒井万琴(岸井ゆきの)は、週刊誌のフリーライター・設楽浩暉(志尊淳)と出会う。取材を共にするうちに二人は惹かれあう一方、報道の力で事件を止めたいという思いは虚しく事件はやまない。しかも、浩暉には次々と疑惑が浮上し、世間や警察から疑いの目を向けられていく……。
「愛した男は、連続殺人鬼なのか——?」というキャッチコピーがつけられた本作。最初こそ浩暉は、ヘラヘラとしたうさん臭い人物として描かれる。しかし視聴者は物語を追うなかで、被害者遺族に寄り添う記者としての矜持や、恋人である万琴に対する温かな眼差しを見るにつけ、「浩暉が真犯人であるわけがない」と強く思わされる。
と同時に思わせぶりにインサートされるのは、浩暉が血のついたレインコートや手袋をコインロッカーから回収するシーンや、自宅に注射器が届くシーン(事件では犯人が被害者から血液を採取していることが発覚した)など、「明らかに浩暉が犯人としか思えない」映像の数々。最終回目前に至っては、浩暉が犯人として全国指名手配される事態にまで発展。
犯人であるわけがないし、あってほしくない、しかし犯人としか思えない。ならば果たして真相は……? これは物語を通して真琴が抱き続けた葛藤そのものだ。まさに「愛した男は、連続殺人鬼なのか?」というひとつの大きな謎の強烈な求心力によって、最終回までを走り抜けたドラマだったように思う。
まさかの二重人格? あまりに多種多様な「考察」が渦巻いたが……
『恋は闇』は、「考察ブーム」の先駆けともいえる『あなたの番です』や『真犯人フラグ』の制作スタッフが手がけた作品ということもあり、本作もSNSを中心とした視聴者による考察が大いに盛り上がった。
「浩暉の二重人格」説、「万琴の親友・内海向葵が主犯だが、実行犯はフードデリバリー配達員の夏八木唯月」説、「正義感あふれる警察官の小峰正聖がいちばん怪しくないからこそ怪しい」説……。
筆者も真相が気になるあまり、たくさんの考察アカウントやYouTubeなどに目を通したが、『あなたの番です』『真犯人フラグ』がトリッキーな結末だったためもあってか、「裏の裏の裏」を読むようなものも含め、じつに多種多様な考察が飛び交っていた。
そして満を持して迎えた最終回。明かされた真犯人は……。
夏八木唯月であった。唯月はかなり多くの視聴者から犯人として疑われていた人物。考察のなかには、「デリバリー配達員だから怪しまれずに家に入れてもらえる」「背負っている大きな配達バッグのなかに凶器を隠せる」といったものもあり、筆者自身「それはなるほど一理ある」と感じていた。
しかし現実の最終回では、これらの手口に関する言及はなし。被害者が帰宅し、玄関を開けたタイミングでシンプルに背後から押し入っていたようだ。「唯月は実行犯だが指示しているのは向葵」という説も、一定程度視聴者の間で支持を集めていたように思えるが、実際は向葵はまったくの無関係。唯月の単独犯という結末だった。
どうすれば、ドラマ本編は視聴者による「考察」を超えられる?
昨今のドラマ制作において、視聴者による考察を上手く誘発することは、話題づくりのためのひとつの定石のように思える。実際、『恋は闇』の公式SNSでも、「考察ヒント動画」や意味深な事件現場の写真などが定期的に投稿され、考察を盛り上げていた。
一方で筆者が今回感じたのは、考察が加熱すればするほど、本編が考察の「裏をかく」ことはどんどん難しくなるのではないかという思いだ。多様な考察がSNSにあふれるほど、「誰一人として予想しない結末」をつくりあげるのは不可能に近くなる。
では、どうすればドラマは考察を超えられるのか?
そのひとつの答えが、「人間を描くこと」だと私は思う。「もしかしてこの人が犯人かもしれない」、そう思っていた人物が実際に犯人だった、それでもいい。それでも、そこに人間のドラマがあれば——犯人の葛藤や、事件に関わった主人公の思いが胸に迫るものとして描かれていれば、物語は視聴者の心に残り、たとえ真相がわかったあとも「もう一度見たい」と感じさせるのではないだろうか。
その点において、『恋は闇』は物足りなさがあった。特に真犯人の夏八木唯月の人物像。最終話まで真犯人を隠し通そうとしたためか、あれだけの事件を起こすに至った動機の伏線の積み上げが不十分に感じた。そのため、単なるサイコパスの快楽殺人鬼として理解することしかできなかった。なぜ唯月が殺人鬼になってしまったのか、その背景を描いたドラマはHulu限定配信の番外編で描かれているということだが、できれば本編に収めてほしかったところだ。
そして浩暉の犯していた罪。浩暉は唯月に重大な弱みを握られたことで彼の犯罪に加担せざるをえなくなり、毎度唯月が被害者を殺害する前に血液を採取する役をやらされ、何かあったら身代わりとして警察に捕まることを約束させられていた。被害者たちを見殺しにしてきたことに大きな罪の意識を抱え苦しんでいた浩暉だが、ここまでたくさんの被害者が出る前に彼ができたことは、ただ唯月に従う以外本当に何もなかったのだろうか、とは少し考えてしまった。
『恋は闇』が描きたかった「真実」とは?
一方で、「人間ドラマ」という意味で個人的によかったと感じるのは、浩暉と万琴のラブストーリー部分だ。
いつも隠しごとや嘘ばかりで、「好きだよ」と言っても絶対に「好き」と返してくれない浩暉を、それでも思い続ける万琴。彼女は浩暉を何度も疑いながらも、自分にしか見せない彼の表情のなかに真実があると信じている。
そして、自分は人を愛する権利がない、万琴を巻き込みたくないと思いながらも、彼女の天真爛漫さにどうしようもなく惹かれた浩暉。最終話のクライマックス、唯月から刺されて重傷を負った浩暉が初めて口にする「好きだよ」「すんげー好き」はすごくよかった。
一命をとりとめた浩暉は、自身の犯した罪に対して懲役15年を言い渡される。法廷で交わされる万琴と浩暉の「待ってる」「待つなよ」というやりとり。それでも「無理、待ってる」と言う万琴に対し、浩暉は少し笑って小さくうなずく。万琴が自分を待つことを、というより、自分が万琴に待たれることを、浩暉は許したのだ。その顔を見たら、浩暉が幸せに生きてくれることを願わずにはいられなかった。
最終話のタイトルは「真実とは」。その答えは、最後の最後、浩暉のモノローグで明かされる。「きっと10年経っても、20年経っても、君へのこの思いだけは『真実』」。
これがすべてだ。真犯人が誰かということではなく、二人の間に通った思いこそが、このドラマの核心——ドラマのつくり手たちが描きたかった「真実」なのだろう。
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