メイン写真:Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
他者より不幸であることに優越感を抱いてしまう――『響け!ユーフォニアム』で知られる小説家・武田綾乃の同名小説を映画化した『愛されなくても別に』では、そんな人間心理を「不幸中毒」と呼ぶ。7月4日に公開された本作は、キャストに南沙良、馬場ふみか、本田望結、IMP.の基俊介らが登場する注目作品だ。
浪費家の母のもとに生まれ、家事とアルバイトに明け暮れる主人公・陽彩(南沙良)。ある日、同級生である雅(馬場ふみか)の父親にまつわるある噂を耳にする。そこから2人の交流が始まって……。
「毒親」、ひいては「不幸中毒」からの脱却を清々しく描いた本作の監督を務めたのは、弱冠29歳の井樫彩。「毒親」という言葉もよく聞くようになったいま、なぜ本作を手掛けたのか――話をうかがった。
あらすじ:宮田陽彩(南沙良)は、“クソ”のような大学生活を送っていた。大学に通い、それ以外の時間のほとんどを浪費家の母に代わっての家事とコンビニでのアルバイトに費やし、 その中から学費と母と2人暮らしの家計8万を収める日々。遊ぶ時間も、金もない。 何かに期待して生きてきたことがない。親にも、友人にも……。
いつものように早朝にバイトを終えた宮田は、母のために朝ご飯を作り、家事をしたあとに大学に登校していた。 そこで大学の同級生であり、バイト先の同僚でもある江永雅(馬場ふみか)のひょんなうわさを耳にする。威圧的な髪色、メイク、ピアス──バイト先ではイヤホンをつけながら接客する、地味な宮田とは正反対の彼女のうわさ。「江永さんのお父さんって殺人犯なんだって」。他の誰かと普通の関係を築けないと思っていた2人の出会いが、人生を変えていく。
※本稿は、作品のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。
原作を読んで、他人と自分を比べる主人公に自分の過去が重なった
—まずは、原作との出会いからうかがえますか?
井樫:映画『NO CALL NO LIFE』(2021年)などでご一緒してきた佐藤慎太朗プロデューサーに原作を紹介していただきました。読んで感じたのは、毒親を起点にしつつも、軸にあるのは若者たちが自分の人生を取り戻していく物語であるということ。私の親はいわゆる毒親ではありませんが、登場人物が何かと他人と自分を比べてしまう姿に「こういうことあったな」と思う部分がたくさんありました。陽彩と雅という2人の主人公がいるからこそ、より共感の幅が広がる感覚があったことも覚えています。

南沙良演じる主人公・陽彩(左)と馬場ふみか演じる雅(右) Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
—本作は他者より不幸であることに優越感を抱いてしまうことを「不幸中毒」と呼び、そこからの脱却を描いていますが、この題材に共感できる部分があったと。
井樫:たとえば、「疲れた」と口癖のように言う人に対して「こっちのほうが疲れてるわ!」みたいに思っちゃうことはありますよね。ある意味それも不幸マウントと同義だと思うんです。でも監督を務めたことで、そう思ったときに「苦しみは比べるものじゃない」って頭のなかでリフレインされるようになりました(笑)。
—監督もそうですが、いまの10代、20代は幼い頃からSNSに触れてきていますよね。それゆえに上の世代と比べても、つねに他者との比較を無意識に強いられてきた世代なのかもしれない。「他者と比べてしまう痛み」を描く本作を観て、あらためてそう感じました。
井樫:おっしゃるとおり小さい頃からスマホやSNSがあるわけですから、いろんなものを知れると同時に苦しくもなりますよね。Instagramで見た誰かと自分を比べたり、「これをしろ、これはするな」と突きつけられたり。それがあたかも現実のことのように思えてしまう、というのが幼い頃から染みついているというのはあると思います。

井樫彩(いがしあや)。1996年生まれ。北海道出身。ストーリー系とフィルムライクな映像トーンを得意とし、人物を透き通ったトーンでビューティーに演出する。映画・ドラマの経験から会話劇も得意とし、企画・脚本・監督と幅広く活動。短篇『溶ける』(16)が、国内各種映画祭で受賞し、第70 回カンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門正式出品。初長篇『真っ赤な星』(18)で劇場デビュー。ほか監督作に『NO CALL NO LIFE』(21)、『あの娘は知らない』(22)、ドラマ『復讐の未亡人』『隣の男はよく食べる』など。映画ドラマに囚われずさまざまな媒体で活動。
「家族最高」が当てはまらない人は現実にいる
—従来の物語で神聖化されがちな「家族」「母」「愛」「許し」が、本作では脱却する必要のある「呪い」として描かれていますよね。
井樫:もちろん、家族や愛などの素晴らしさを描く作品もあって良いとは思うんですが、当然そこには当てはまらない人も現実にはいて。そういう人たちにとって「家族最高」というメッセージが救いになるかというと、違うのではないかなと。だからいろんな映画があるなかで本作のような作品もあって良いんじゃないかなと思っています。
—たしかに。そういう「背負いきれない家族は辞めて良い」「許さなくても良い」といった主人公たちの決意は多くの人が求めていたものではないかと思います。監督は観客にどのようなメッセージを届けたいと考え本作を手掛けたのでしょうか?
井樫:本作は別に家族愛を否定しているわけではないんですよね。グラデーションのある感情の繊細な部分をすくい上げている作品と言いますか。「愛されなくても別に」と言いながら陽彩の手を取る雅のように、心ってそれほど単純じゃない。
私自身も生きていて自分の行動と感情に矛盾を感じる瞬間はありますし、きっとほかの人にもあると思うんです。そんな複雑な感情は、ときに切り捨てられてしまうこともありますが、この映画ではしっかり拾いたいと考えてつくりました。それが観る人に届いていたら嬉しいです。

陽彩の母親(河井青葉)。浪費家で家事の一切を陽彩に任せている Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
南沙良と馬場ふみか。キャラクターとの共通点は?
—陽彩と雅のキャラクターはどのようにつくり上げていきましたか?
井樫:原作だと陽彩は結構毒を吐く人物なんですが、映画だとそれがあまりない。何となく「こんなことを思っているんだろうな、不機嫌なんだろうな」ということを繊細な表情と少ない言葉で表出するキャラクターにしようと思いました。たまにズバッと強めのことを言わせるとか。陽彩は外部からの刺激で徐々に変わっていく人物なので、雅や水宝石(あくあ)と出会い、どう変わるかという部分も意識していましたね。
一方の雅はハリネズミのような人物です。終盤である人物にも言われるんですが。本当はとても優しくて傷つきやすい子だけど、表では強がっている。でもうっすらと優しさが滲み出ている愛らしさもある。じつは雅を演じる馬場さんも同じ傾向があると思っていて、サバサバしているけど暗い部分も垣間見えたり、同時に可愛らしさもあったりするんですよ。

宗教団体へ出向く陽彩を案じて同行する雅 Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
—陽彩と雅、2人の関係性が核となる作品です。どのように演出していったのでしょうか?
井樫:恋人ではないけど、友情と呼ぶには浅い。でもある意味愛情を持ちあっている存在だと原作を読んだときから思っていました。カテゴライズされないそのつながりってすごく素敵ですし、実際にそういう関係性ってありますよね。その絶妙なつながりを意識しながら演出していきました。
とりわけ2人の関係性を語るうえでフィーチャーしたのは「手」ですね。雅に触れて最初は吐き気を催していた陽彩が、母と決別したあとの滝壺で、雅に腕を伸ばして手を握り返す。そこで互いに支え合う存在になったことがわかる。そうやって手の描写を意識してつくることで、変化していく2人の関係性を見せるようにしました。
—劇中で語られるわけではないですが、その描写から陽彩はアロマンティック・アセクシュアル(他人に恋愛感情や性的欲求を感じない志向)であるように感じましたが、人物をつくるにあたり意識されたのでしょうか?
井樫:脚本を書くうえでも撮影するうえでも、それは意識していませんでした。陽彩はそれまで人との関わりをほぼ断絶してきたような人物なので、自分が人に対してどう感じるかもまだわかりきっていないと思うんです。だからもちろんアロマンティック・アセクシュアルの可能性もありますが、そうじゃないかもしれない。最初は人と触れるのが無理だったけど次第に雅の手が触れたように、やがて恋愛する可能性もあるのではないでしょうか。

人との関わりを極力避けて生きてきた陽彩 Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
—撮影現場では、南さんと馬場さんの関係はいかがでしたか?
井樫:似たような雰囲気を持った、不思議な関係性でしたね。人見知り同士なので最初はすごく離れて行動していたんですが、徐々に近づいていって、気づいたら真横に座っていたんですよ(笑)。でも別に社交辞令のような上辺の会話をするわけでもなく、ただ座ってお茶を飲んでいる。そしてたまにこっちには聞こえないくらいの声でボソボソっと喋る。本当に陽彩と雅の関係を見ているみたいでした。馴れ合わないけど2人でいる姿が素敵で可愛かったです。
—演技面ではどのようなディレクションを2人にされたのでしょうか?
井樫:基本的には自然体で演じてもらって、都度こうしてみてとかもっとこうしてほしいと伝えていました。そもそも2人とも、脚本から演じるキャラクターをしっかりイメージしてくれていて「こういうお芝居をしたい」という思いがあったんです。なのでベースは2人が自主的につくり上げたお芝居に任せつつ、必要があれば意見するといったようなかたちでディレクションをしていきました。
あと2人が演じるうえでキャラクターの背景をイメージしてもらうために、それぞれ演じるキャラクターが生まれてからいまに至るまでのできごとを書いた年表や細かい設定表を渡しました。2人には個別でアクティングコーチ(俳優の演技指導を行う専門家)のレッスンも受けてもらったんですが、そこで映画で描かれているシーンとシーンのあいだのできごとを演じてもらうこともしましたね。たとえば過去に母親から言われた酷い言葉をそのレッスン用に書いて、それを演じてもらうとか。そうすることで、役に奥行きを持たせていきました。
家族以外につながった先が、別の「支配」につながることもある
—その他のキャラクターについてもお聞かせください。バイトの同僚である堀口は、原作では「自己責任」が口癖の厄介な人物ですよね。ただ映画ではウザいけど憎めない人物として描かれており、かなり印象が変わっていました。
井樫:小説での堀口は登場人物のグラデーションを表現するうえでは良い存在だと思うんですが、本筋のストーリーに深くは絡みません。そのため、映像化するうえで彼の負の面をじっくり描く必要性はないかなと。それに加えて、本作に登場する男性って嫌な人ばかりなので……(笑)、そうでもない存在を物語に登場させたかったことも大きいです。堀口の存在が観ている人の息抜きになるといいますか。

IMP.基俊介が演じる、コンビニバイトの同僚・堀口(ほりぐち) Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
—一方、波紋を呼びそうなのが本田望結さん演じる木村水宝石をめぐる顛末です。親の支配から逃れるかたちで宗教にハマるが、結局連れ戻されてしまう。原作どおりではあるんですが、唯一まったく救われなくて……。
井樫:本作の毒親を持つ登場人物たちはそれぞれ別のかたちで親に支配されていますが、そういう人物を描くにあたって毒親やその子どもについての小説やルポをいろいろと読みました。水宝石も異常なほど過保護な親のもとで生まれ育って、人生にほとんど自由がない。そしてそこから逃げるために宗教団体を頼るという道は、理解はできるんですよね。コスモさま(作品に出てくる宗教団体の教祖)を自分の居場所だと思う感覚も、それが奪われて絶望する気持ちもわかる。
そこで思うのは、陽彩は運良く雅と出会えたから家族以外とのつながりを持てたということ。だから陽彩は支配から抜け出すことができたけど、水宝石がつながった宗教団体は決して「外」ではない、また別の支配だと私は感じました。
水宝石が誰かと「つながれなかった」ことにこの物語の残酷さを感じますし、きっと陽彩も雅と出会ってなかったら同じような顛末を辿っていたと思うんです。原作もそうですが、人生ではすべてが上手くいくわけではない。だから、本作でも「全員が救われるわけではない」という現実を描きました。

本田望結が演じる、陽彩と雅の同級生・木村水宝石(きむらあくあ) Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
「手」から見る2人の感情と関係性の変化
—ここからは演出についてうかがいます。原作では陽彩が母親と決別したあと、雅との会話を通じて心を整理していきますよね。映画ではそれが、滝壺での映像で語られていたのが美しい脚色だなと思いました。
井樫:それは手の変化を基準に考えた結果辿り着いた脚色でした。最初から「手」「匂い」「水族館」というように、際立たせたい単語を決めていたんです。そしてそれらを陽彩と雅の関係性を描くアイテムとして使っていきました。
—水族館に始まり、雨や滝壺、水槽など「水」が繰り返し描かれています。そこに込めた意図を教えてもらえますか?
井樫:たとえば雨が降る、火が燃える、風が吹くとかって自然現象は心理描写の比喩表現として使えるじゃないですか。すごく怒っているときに燃え盛る火を描写したり。今回で言えば、序盤に大変な目に見舞われる2人の様子をカットバックで描いています。そこではずっと雨が降っているんですが、2人の状況とぐちゃぐちゃな感情、そこに大降りの雨がリンクする。そして2人が同居することになり気持ちが落ち着いたとき、雨が上がるんです。演出としてそういう手法が好きなんですよね。

Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
—性行為中に首を絞められるなどセンシティブな描写も出てきます。そういったシーンを撮影するうえで注意したこと、また映像として表現するうえで気をつけたことを教えてもらえますか?
井樫:雅を演じた馬場さんとは同い年ということもあり密に話したりもしていて。今回に関しては一緒にご飯に行ったときに該当のシーンについて話し合いました。
私は性的なシーンを撮るときは最初に必ず絵コンテを描いて、それ以外のことはやらないと決めていて。それで、絵コンテを馬場さんサイドにお渡しして、やりたくないことや嫌なことがあったら教えてと伝えました。ただそれは彼女との信頼関係がすでにできているから可能なのであって、特殊な方法ではありますよね。また別の作品でそういったシーンがある際は、ケースバイケースでアプローチは変えています。
また、今回のシーンは性的な描写をしたかったわけではなく、事実としてこういうできごとがあったことを示したかった。そのため、性的に感じさせないカット割りや構図を意識しました。
「間取り」で語る、支配と自由
—陽彩の実家と雅と暮らす家はそれぞれ実際の建物を使って撮影したそうですね。窮屈な実家に対し、雅と暮らす家はゆったりとした空気感がありとても対照的に感じました。
井樫:陽彩の実家として使った建物はそもそも窮屈な構造で、引きの画が撮りづらかったんです。それに加えてモノをごちゃごちゃと飾ることでより閉塞感を出しました。一方で陽彩と雅が一緒に住む部屋は縦のラインが広くて引きの画が撮れるので、映像的にも抜け感が出ました。さらに2人はモノに執着がないと思うので、必要なものはあるけどごちゃごちゃはしていない。制作部や美術部といろいろ話し合い、対照的な2部屋ができあがりました。
—雅の髪色が次々と変わっていったり、陽彩と雅の服装が徐々に似ていったりとファッション面にもこだわりを感じました。
井樫:まず雅の髪色について、私の周りにも髪色や髪型が頻繁に変わる人がいて。話を聞くとどうやら変身願望があって、どんどん変えていかないと落ち着かないそうなんです。雅もそういう人物なのかなと思い、最初の髪はピンク、そこから青に変えて。そのあとは陽彩と暮らすようになって色が抜けたままの金色に変化します。気持ちが落ち着いた表れだと思います。
衣装は、私の作品で何度かご一緒しているスタイリストの本田匠さんに担当してもらいました。スタイリストによっては「フードが邪魔だから寝巻きにパーカーは着ない」というようなリアル志向の方もいるんですが、その方はむしろ「こっちのほうがキャラクターに合って可愛いよね」と言ってくるのが良いなと思っていて。今回もいろいろ話をして、時代設定は2019年だからそれ以前の服しか使わないという方法もあるけど、それは気にしないでいこうと決めました。本来陽彩のような人物だったら、パーカーとジーパンといった格好になりがちだけれど、「それはダサいから嫌だね」って話もしたりして(笑)。
海外の映画でも時代や背景を無視して、意図的に可愛くて素敵な服装にすることもあるじゃないですか。本作も同様でキャッチーな服装を狙ってスタイリングをしていきました。馬場さんも服が好きなので、衣装合わせのときに「こっちかな? いやこっちのほうが良い」とみんなでワイワイ決めていったのが印象に残っています。

Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
不幸中毒にならないために、「ちゃんと想像する」
—井樫さんにとって、4作目の長編監督作となる『愛されなくても別に』ですが、これまで以上に挑戦した部分を教えてもらえますか?
井樫:できることは全部しようというスタンスでいろいろ挑戦しました。たとえば脚本は撮影の1か月前までひたすら書き続けていたんですが、脚本の直しを入れたり精度を上げるために「脚本のための俳優部」を呼んで、目の前で書いた内容を演じたりしてもらいました。その芝居を見て「この台詞は少し違うな」と調整していく。ある程度脚本が完成した段階でそれをやると、結構見えてくるものがあるんですよね。
あとは主演2人にアクティングコーチのレッスンを受けてもらったこともそうですし、宗教についてのリサーチもしっかり行いました。思いつく限りいろんなアプローチをとったのが今回の撮影の特徴でした。
—本作を撮り終えて、あらためて「不幸中毒」から脱却するために必要なことはなんだと思いますか?
井樫:やはり「想像すること」ではないでしょうか。他者を自分とは違う人間なんだとわかったうえで、理解しようとして、人と関わる。ただ、想像力を膨らませないとそういう人間関係を築くのはなかなか難しいと思うので、まずは「ちゃんと想像する」ことがその第一歩なんじゃないかなと。
想像するうえで必要なことを、映画や小説などから吸収していたりするじゃないですか。原作小説を読んだときも不幸中毒という言葉に共感して、そこで初めて「あのときの私はそう思っていたな」と過去の自分を客観視できたこともあって。それは人と関わることでも培えるとも思いますが、物語に入り込むなかで私のように自分を省みることもあるかもしれない。そういう意味で、映画や小説をたくさん観たり読んだりすることが大事だと思いました。
- 作品情報
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『愛されなくても別に』
2025年7月4日(金)全国公開
監督:井樫彩
原作:武田綾乃「愛されなくても別に」(講談社文庫)
脚本:井樫彩 / イ・ナウォン
出演:
南沙良
馬場ふみか
本田望結
基俊介
ほか
配給:カルチュア・パブリッシャーズ
Ⓒ武田綾乃/講談社 Ⓒ2025 映画「愛されなくても別に」製作委員会
- プロフィール
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- 井樫彩 (いがしあや)
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1996年生まれ。北海道出身。ストーリー系とフィルムライクな映像トーンを得意とし、人物を透き通ったトーンでビューティーに演出する。映画・ドラマの経験から会話劇も得意とし、企画・脚本・監督と幅広く活動。短篇『溶ける』(16)が、国内各種映画祭で受賞し、第70 回カンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門正式出品。初長篇『真っ赤な星』(18)で劇場デビュー。ほか監督作に『NO CALL NO LIFE』(21)、『あの娘は知らない』(22)、ドラマ『復讐の未亡人』『隣の男はよく食べる』など。映画ドラマに囚われずさまざまな媒体で活動。
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