最近、新しい本に出会えていますか?
出会っていないけど出会いたい。出会っているけど、もっと知りたい。そんなあなたにお届けする、全3回の連載です。
モデルや俳優、Podcast『知らねえ単語』のパーソナリティ、そしてエッセイなど、活躍の場を広げている金井球さんが、「いま、あなたに読んでほしい本」を紹介。第二回目は、仲西森奈『そのときどきで思い思いにアンカーを打つ。』について。
この本を携えて、金井さんはかつて京都を旅しました。仲西さんが人生の大切な時期を過ごしたこの街で、いつか読んでみたかったのだといいます。金井さんが京都でこの本のページを開いた日のこと、そこで感じたこととは?
金井さんとおしゃべりしているような気持ちで、軽やかに、ときにはゆっくり時間をかけて読んでみてくださいね。
2025年7月。失敗したなー。と思いながら、うだるような暑さのなかを歩いていた。はじめてのひとり旅、ひとり京都。背中を蒸らすリュックのなかには、この土地で絶対に読みたい本が入っている。
わたくし金井球がお送りする、「超スーパーよんでフォーユー」第二回は、仲西森奈『そのときどきで思い思いにアンカーを打つ。』について書きます。すごくすきな本で、どんなかばんにも無理やり入れて持ち歩いている。『そのときどきで』は、それぞれが独立した短い物語を集めた掌編小説集である。
この本と出会ったのは、高円寺、不安になる階段をてこてこと登った先にある狭い本屋だった。視野の端にこの本が入ったとき、はじめ、この色とかたちに惹かれた。緑色の合皮、スーツの内ポケットに収まりそうなサイズ感で、一見すると本というより、おじさんが使う手帳のようである。手に取ると、なにかすごく物質としての魅力があった。それは手触りなのか、重みか、厚みかはわからない。びびび。わたしは常日頃、びびび。みたいな感覚を大事にしようと心掛けている。在庫が残りひとつだったことにも運命を感じ、立ち読みもせず、すぐにレジへと向かった。
そんな始まりだったので、べつに中身がおもしろくなくったって、宝物にはなっていたんじゃないか、と思う。そんなに期待をしないまま、でも、本屋を出てすぐに読み始めた。これがあまりにおもしろかったので、へんな話、すごく驚いてしまった。
『そのときどきで』には、ちいさな小説や短い詩が五十篇収められており、ひとつの話として終わっているように見えるものもあれば、(1)(2)(3)(4)と続く連作もあったり、いろんな話にまたがって登場する人物もいる。たとえば、さっき怖いものについて話していたカジさんが、別の話ではカーセックスをしていたりする。でも場面場面のつながりは見えない。それが、伏線回収とかじゃなく、膨大につづく、しらんひとの人生の一場面を一場面ずつ見せられているということを裏付けるようで、かれらが、本の中にしかいないとは思えない。物語のために用意された人物とはどうしても思えない。在る!のだ。
文体も独特というか、仲西さんの文体が確実にあるとわかるのに、一人称で進む物語では、人物のあたまのなかから直接出てきた言葉だと読めてしまう。考えや状況が結論にたどり着くまえに、次の連想へつぎつぎと横滑りしていて、それらが整えられているのではなく、その動きのままに文章になっている。だからすごく、人のあたまのなかで鳴っている音を聞いているような感じがする。それがすごくたのしいので、この本を読んでいると、自分も言葉を書きたくなる。文章に触れてみたくなる文章だとおもう。
ふしぎな気持ちに包まれながらこの本を読み終えて、巻末に「この物語はフィクションであり、このフィクションはそのときどきで拾い上げる複数の実在の重ね合わせによってショートスパンで光彩の色を変えていくスパンコールであり、この物語はショートスパンコールである。」という文言と、これから刊行される予定の二十巻までのタイトルがずらっと書かれたページをみつけた。
そう、この本は、一冊五十篇、全二十巻、合計一〇〇〇篇で完結する掌編小説シリーズ「ショートスパンコール」の第一巻だったのだ。なるほど、とわたしは腑に落ちて、なんかめっちゃ、めっちゃときめいた。一〇〇〇篇書くこと、一〇〇〇篇読むこと、その営みが、ゆっくりと紡がれていくこと。それは、実在していることと何も違わないような気がして嬉しかった。
さて、2025年7月。わたしは京都にいた。盆地、観光地、見知らぬ土地、にひとりでポツンと立っている。人に溢れた東京から逃亡!というつもりで深夜バスに乗りこんだのに、コピーアンドペーストしたみたいな人混みに放り込まれている。しかも、放り込んだのは自分自身である。誰を責めることもできない。はあ金ない。お腹すいたあ。携帯の充電も割とやばい。なにより暑い。喉も渇いている。足疲れてきたかも。眠い。すくなくとも、夏に来るべき場所じゃなかった。この状況を楽しもうとするほど、あたまのなかでは余計な独り言が次々に生まれ、耐えきれなくなったものが声になって外へ漏れる。それらはだれにも拾われず、京都のまちを彷徨っている。
ひとりになりたかったはずなのに、せっかく京都まで来て、家へ帰りたいと思ってしまう自分が情けなくてしかたない。わたしがひとり旅に向いていないのかもしれない、ということは、それはそれはショックなことだった。
でもわたしには最終手段があった。リュックには『そのときどきで思い思いにアンカーを打つ。』を入れてきた。京都でこの本を読むことは、この旅における目的のひとつ。仲西さんが人生の大切な時期を過ごした京都で、この本を読んでみたかった。これを読めば、この旅に意味が生まれるような気がしていた。京都まで来たことが、きちんと何かになるはずだった。暑い道の端で、ほとんど焦るように文章を追った。読んだはずなのに、暑い、人多い、帰りたい、は消えなくて、一篇だけ読んですぐに閉じてしまった。
そんななか、友だちがおしえてくれていた雑貨屋へ行った。店内をうろうろしながら、ふと店主の人に、「わたし、一人旅って向いてないかもしれないです」とこぼしてみた。見知らぬ土地の、見知らぬ人に、そんなことを話す必要はべつになかったのだけど、口に出してみると、どんどん気持ちが明るくなっていった。わたしはずっと人と喋りたかったのだ。ふらりと人と喋りたかった。ひとり旅というものを、だれとも話さず、だれにも頼らず、ひとりで立派に時間を使うことだと思い込んでいたのかもしれない。寂しがり屋を矯正する必要はないのだと気がつくと気持ちがよく、すこし晴れやかに人混みを散歩した。
夜になると、すこしだけまちはしずかになった。わたしはようやく鴨川の脇に腰を下ろす。祭りのあとだった。カップルたちが並んで座り、ひとりでのんびり過ごしている男の人がいて、鳥もいた。みんな、何かを達成するでもなく、それぞれにそこにいた。
もう一度本をひらいて、また、一篇だけ読んでみた。京都の、この速度だ、とわかった気がした。この本のなかにいる人々はこの速度で、生きているのかもしれない。
目の前には、わたしの知らない人生を生きている人たちがいた。本のなかにも、わたしの知らない時間を生きている人たちがいる。カップルも、ひとりで過ごす男の人も、鳥も、カジさんも、何かのためではなく、それぞれの速さでそこに在った。
わたしも、そのなかでしばらく、何もせずにいた。
東京へ帰るバスの中でも読んだ。必要なときにひらいて、一篇だけ読んで、また閉じた。京都で読んだからといって、なにか劇的に感じ方が変わったわけではなかった。ただ、鴨川に流れるゆったりとした時間と、この本の根っこに流れているだろう時間を、自分なりに接続させることができたのは大きな成果だった。
登場人物たちは、わたしが本を閉じているあいだも、どこかでそれぞれに暮らしているように思える。もちろん、ほんとうにはいない。でも、一〇〇〇篇をかけてすこしずつ生きていくのだ。
文章に触れたくなったら触れて、ひとと喋りたくなったら喋ればいい。
今日も持ち歩きに最適なサイズです。
今回紹介した本はこちら
仲西森奈『そのときどきで思い思いにアンカーを打つ。』(さりげなく、2022年) 仕事を辞めてパリへ飛ぶ人、「神」という名のウーパールーパーを看取った人、内臓が地球の人……九つのストーリーラインが絡み合い、脱線しながら進む連作掌編小説集。一冊五十篇、全二十巻・一〇〇〇篇で完結する「ショートスパンコール」シリーズの第一巻。
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