最近、新しい本に出会えていますか?
出会っていないけど出会いたい。出会っているけど、もっと知りたい。そんなあなたにお届けする、全3回の連載です。
モデルや俳優、Podcast『知らねえ単語』のパーソナリティ、そしてエッセイなど、活躍の場を広げている金井球さんが、「いま、あなたに読んでほしい本」を紹介。
金井さんとおしゃべりしているような気持ちで、軽やかに、ときにはゆっくり時間をかけて読んでみてくださいね。
感想を述べるのが苦手だ。こんにちは。はじめまして。金井球と申します。あたらしくはじまったこちらは、わたしからあなたへ、本を紹介する連載である。あるのだが、わたしは、感想を述べることがほんとうに苦手だ。でもわたしには、あなたに読んで欲しい本がある!どうしよう。どうしよう、と思ってばかりでは始まらないので、とりあえず、探り探りで始めてみましょう。あなたもあなたで、これからはじまるわたしの拙い推薦文を受け入れる準備をしてほしい。ふたりで準備をしませんか。
ひとまず、とりあえず、自己紹介しまーす。金井球。好きな食べ物、最近はすっかり麻辣湯。ひねくれ者ゆえ、麻辣湯にハマってしまったことが本当に悔しい。自撮りが趣味で、文章を書いたりしながら暮らしています。
そんなわたしは、生まれてから小学三年までを、東京都新宿区という大都会で過ごしました。ねずみも住んでいるようなアパートで貧乏暮らしをしていたら、小学校にあがると当然いじめられ(当然いじめられるなんてことは絶対にあってはいけない)、学校での居場所はいつも図書室。図書室のピンク色の壁に背をもたれながら、文章を読んでいるとき、そとのことが気にならずにいられたのです。(そとのことが気にならないから、文章を読めていた、とも言い換えることができる。)新宿で暮らしながら、新宿のことをとくべつ知ることもなく、天井のまどから差し込む陽のひかりの、なんともあたたかい図書館で、ひとり、本の世界にうっとり浸る日々でした。
四年生で関西へ引っ越し、そこでも最初は友だちがつくれず図書室に入り浸った。図書室は何棟かある校舎の、中庭に面した一階の廊下の突き当たり。前の小学校で読んでいた小説のシリーズが見つからず、たいくつな気持ちになった昼休みを覚えている。壁一面の青い鳥文庫を読破した。透明な犬を飼う、という本を読んで、透明な友だちをつくったこともある。広い校舎をぜんぶ使って鬼ごっこをした。
しばらくして、はじめて自分の部屋をもらった。リビングでは禁止されていた娯楽にかくれて触れることができるようになり、とりわけお笑いに夢中になる。ピースや平成ノブシコブシなどのNSC東京5期がお気に入りで、このひとたちのいる東京にわたしがいないことがたまに寂しく、かつていたことにたまに嬉しくなった。
YouTubeでみれるお笑いのすべてを見尽くしたころ、流行りについていけるようになった中学生のわたしには友だちがいた。学校での居場所は、みんなのいる教室になった。中学校の図書室の場所を覚えていない。要領がよくないので、どちらかを選ばなくてはいけない。わたしはわたしを救ってくれた文章の世界から離れ、そとの世界とばかり向き合っていた。人付き合いは難しい。
わたしは関西弁を話さなかった。それは、関西弁を完ぺきに話せるようになるまでに通過するであろう、えせ関西弁を喋りたくないという自意識によってだと当時は思っていたが、東京生まれであることのプライドも邪魔をしていたのだろう。実際、「お前気取ってるやろ」と言われ「気取ってないよ」と答えたこともあった。
わたしに、ふたたび文章に没頭することのおもしろさを教えてくれた作品が、又吉直樹の『火花』である。東京に生きる関西人の話。今まで読んできた小説とは何かが根本的に違い、圧倒的に切実だった。又吉直樹の書くことばの、媚びていないのに冷たくなくて、遠くないのにかっこいいこと。夢中になった。
何度も読んで、お気に入りのくだりは暗唱できるようになってしまった。もっと、もっとほしい!お年玉を片手に本屋へ走り、ついに手に取ったのが『東京百景』である。
やっと登場いたしました。今回は又吉直樹著『東京百景』についてをかきます。わたしにとってはじめてのエッセイ。世界でいちばんおもしろい本。中学生。思春期のトロのような期間にわたしはあって、それを東京で過ごせていないことにやり場なく不満を感じていた。
東京に生まれていながら、いま関西の片隅に住んでいるわたし。よい思い出を作りきれなかった街に、いま自分が暮らしている関西圏から上京したおもしろすぎる男性。又吉直樹のことばで描かれる東京は、わたしに東京への憧れを猛烈に植え付けた。と、同時に、東京という街をとてもちいさく感じさせた。この本に書かれている情景や感情はどれもちいさい。ちいさいというのは近いということでもある。わたしは、東京を離れてこの本に出会い、はじめて東京を近くで観察することができたのだ。
誇らしさのような、恥ずかしさのような、妙にこじれたアイデンティティになりきれないアイデンティティが、ページをめくるたびこしょばされるような。一見標準語なはずなのに、なぜか完ぺきに関西弁の呼吸で書かれたとわかる文字たち。東京の、おそらく誰も気づいていないようなゴミ箱とゴミ箱の間を眺め膨らまされる妄想。『火花』に感じた切実さは、こうして書き溜められたエッセイたちが背景にあるんだろうということに痺れた。
なんどもなんども読みましたとも。ぼろぼろの本を捲ると、81ページ、いまでも「酩酊」のよこにちいさく、えんぴつで「よった(酔った)」と書かれている。酩酊もわからない頃のわたしが、必死に東京に貪りついていたのだ。(ちなみに、いま『火花』を開いたら、1ページ目の「常軌を逸する」のよこに「ふつうじゃない」と書かれていた。)
中学三年生になる頃、我が家はまた東京の、こんどははずれに越した。わたしは、東京への憧れに胸を膨らませていた。地方で生まれて東京へ行く人たちのそれとはすこしちがうだろうけれど、どこか上京のような気持ちでいた。
何度経験しても転校は上手くならず、やはりあたらしい人間関係に馴染むのには時間がかかった。だけども、わたしのこころには、つよく、憧れがあった。電車は便利だ。吉祥寺が近い。ハモニカ横丁は、立川とか、国分寺とか、自分の手に届く範囲に広がる百景に、その気になればいつだって飛び込むことができる。それはたいへんな救いであった。(ちなみに、わたしが住んでいたねずみアパートは取り壊され、3階建ての一軒家になっていた。アーメンである。そん時からわたしは金持ちが嫌い。)
二十歳になり、就職をして、わたしは憧れの高円寺に住もうときめた。(「よった」を書いていたのが、81ページ「高円寺の風景」だった。)そして、すこしずれた野方に住んだ。なんというかいまいちうまくいかない感も、わたしらしい、といえる生活が東京にあることが嬉しかった。
思春期、東京から離れた場所で東京百景にあこがれたおかげで、東京に生まれ育ちながら、今日も東京を東京と捉えて人混みをかき分けていられる。東京の景色はどんどんつまらなくなっているようにおもうけど、四角く灰色のビルの隙間にだってわたしたちはおかしなまなざしを向けることができる。
きっと今日も東京のどこかではちいさな瞬間や風景をのがさずに大事に持っているだれかがいるということに救われるのだ。東京をおもしろがりきれないあなたもきっと。
麻辣湯を食べて、悔しい気持ちに浸るわたしもいます。そんなわたしがあなたに薦めたい本の話をします。
わたしは感想を述べるのが苦手だ。なので今回はわたしの人生にかなり関係のある本に自己紹介を手伝っていただきました。さて、準備はよいでしょうか。これから探り探り、ふたりで始めていきましょう。第一回目、ありがとうございました。金井球でした。寿司も好きです。
今回紹介した本はこちら
ピース・又吉直樹 すべての東京の屍に捧ぐ 稀代の書生芸人が、上京してからの何者でもない日々、そして芸人として舞台にテレビに活躍する日々を東京の風景と共に綴る自伝的エッセイ。すれ違う怪しい人物たち、なんでもない美しい風景、行き場のない気持ち ――いま最も期待される書き手による比類なき文章100編。
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