『娘は戦場で生まれた』の衝撃。前代未聞のドキュメンタリーを貫く「問い」

内戦が続くシリアを舞台に、無差別爆撃の恐怖にさらされながら、「全世界」と「生まれたばかりの娘」に真実を伝えるため、4年にわたってカメラを回し続けた前代未聞のドキュメンタリー映画『娘は戦場で生まれた』(2019年、イギリス / シリア、監督:ワアド・アル=カデブ / エドワード・ワッツ)が、2月29日からシアター・イメージフォーラムなどで公開される。

『娘は戦場で生まれた』予告編

カンヌ国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞ほか多数の映画賞を受賞した本作は、ドキュメンタリー映画ではあるが、既存のジャンルに囚われない圧倒的なサスペンスとドラマ性、人間の尊厳という普遍的なテーマを持った稀有な映画である。これは、ドキュメンタリー映画のある種の拡張といえるものであり、スマートフォンなどのデジタルデバイスの普及と、市民ジャーナリズムの進化が化学反応を起こしたことによる新時代の幕開けを告げている。

本稿では、主に作品を構成している3つの側面について言及したいと考えている。1つ目は戦争犯罪、2つ目は恋愛・家族、3つ目は人生観であり、3つ目が最も重要な要素となっている。以下、順に説明する。

「顔の見えない」人間が「顔の見えない」人間の頭上に爆弾を投げ付ける。戦争犯罪の圧倒的リアル

1つ目の戦争犯罪だ。
シリア内戦は、東日本大震災で日本が揺れていた2011年3月15日に、シリア南部の町で起こった市民らによる抗議行動がきっかけで始まった。今年で丸9年を迎えようとしている。在英のシリア人権監視団によれば、シリア内戦の死者は38万人を超えている。そのうち11万人以上が民間人だという。

©Channel 4 Television Corporation MMXIX
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本作の主人公であり、映画監督でもあるワアドは、内戦勃発時はジャーナリストを志望する学生だった。抗議行動を間近で見聞きし、実際にデモに参加する中で、スマホで撮影を開始する。アレッポ大学では学生たちが「自由」を声高に叫び、時代が大きく転換するかに見えた。しかし、そのような希望や熱狂を嘲笑うかのように、抗議行動やデモに対する弾圧が始まり、想像を絶する人権侵害が日常化することとなる。

ワアドは、アサド政権軍などに包囲されたアレッポの病院で、多くの仲間たちと助け合いながら、その目を覆うような惨状をカメラで捉え続ける。上空からはアサド政権軍やロシア軍の爆撃機からクラスター爆弾が降り注ぎ、「たる爆弾」という誘導装置のない無差別殺戮を目的とした爆弾も投下される。この空爆の実態を報道ベースで知っていることと、映像と音で追体験することとは訳が違う。高画質のデジタルカメラを通じてPOVショット(主観映像)のように、ワアドたちが味わった空爆のショックと爆音、トラウマと慟哭は、改めて「空爆される側の不条理」を強烈に浮かび上がらせる。「飛行機による最初の空爆」が行なわれたのは今をさかぼること109年前の1911年、イタリアがトルコ領リビアの植民地化を狙った伊土戦争(イタリア=トルコ戦争)であった。それは程なく一般市民に恐怖心を植え付けることを主目的とした「無差別爆撃」の思想を作り出した。「顔の見えない」人間が「顔の見えない」人間の頭上に爆弾を投げ付ける非人道的な所業――。

ワアドの独白「私は撮影した。それがここにいる理由になり悪夢に価値を与えてくれた」は、全世界に向けて悪夢の一端を発信することを自らの任務にした覚悟がうかがえる。

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家族や地域社会というコミュニティが崩壊しつつある今、何を守るため、誰と生きていくのか

2つ目は恋愛・家族。
内戦の初期、ワアドは、親友の医師ハムザがデモの負傷者の救助に走る様子を追うことになる。アレッポをめぐる物語の中心人物にしたのだ。やがて本格的な内戦へと突入すると、彼は仲間たちと病院を開き、空爆の負傷者の治療に当たることになった。床一面が文字通り血の海となり、次々とボロ切れのようになった老若男女が運び込まれ、治療の甲斐なく息を引き取る者が後を絶たない。そのような過酷な状況下で、ワアドとハムザは夫婦となり、娘のサマが誕生する。

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病院の仲間たちにとって、サマは自分たちの子どもでもある。つまり、全員がまるで家族のような固い絆でつながっている。そして、それは最後まで自己の尊厳を守ろうとして斃れた無数の犠牲者を媒介にしている。死さえ奪うことのできない何かが彼や彼女たちを結び付けているのだ。

思い出すのは、アサド政権軍と過激派組織「イスラム国」の暴力が吹き荒れる街で、市民ジャーナリズムによる抵抗を試みる人々を描いたドキュメンタリー映画『ラッカは静かに虐殺されている』(2017年、アメリカ、監督:マシュー・ハイネマン)だ。摘発と処刑の恐怖に脅えながら、若者たちは粘り強い結束を示す。彼らはドイツへと逃れざるを得なくなるが、その「疑似家族」ともいえる絆はさらに強固なものになる。何かのために、誰かのために自分の命を投げ出すには、同士的な連帯が不可欠だ。2つの映画に共通しているのは、自分たちが守りたいもののために、新しい共同性を形作るというサバイバリズム(生存主義)である。

これはわたしたちにとっても避けては通れない主題だ。今や世界中で家族や地域社会といったコミュニティが崩壊の一途をたどり、国家も自国民というだけでは保護の対象に含めず放棄の機会すらうかがう始末である。どこの社会も多かれ少なかれ焼け野原と化しつつあるのだ。では、「何を守るために、誰と生きていくのか」――そんな単刀直入な問いをわたしたちに投げ掛けているのである。

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「心の傷が癒えなくても、何も後悔しない」。苦境に置かれてもなお、自律的な生を生きることはできているか

3つ目は人生観。どのような人生を生きるのかという根源的な視点である。
詳しくは本編を鑑賞してもらえばわかるが、映画の中盤辺りで、ワアドとハムザは「恐るべき決断」を行なう。それまで2人の姿勢に共感し、同情的に寄り添っていた観客も驚くような展開である。ワアドは、ナレーションでそれを「誰も理解しなかった」と振り返り、果ては「私たちも(なぜそのような行動を取ったのか)わからない」「今もあの行動が信じられない」と正直に述懐する。

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ここで鍵になるのは、映画の時間軸の構成の仕方だ。2012年から2016年までの出来事を忙しく行ったり来たりするため、うっかりすると今見ている場面が過去のエピソードなのか、現在のエピソードなのかが一瞬判別し難くなる。しかし、この過去と現在の交叉が何よりも重大な批評になっている。つまり、わかりやすい因果律――「ああしていれば良かった」「こうしていればこうなった」――に寄り掛かることから距離を置いているのである。そういった自分の外側にある原因や論理には頼らず、自分の内側から止め処なく湧き上がる衝動に従うこと。ワアドが「今もあの行動が信じられない」と言ったのは、それが時間や因果の影響を超えたところで決定されたものであり、その重い事実は、ラスト近くの台詞「時間を巻き戻せたら、私は同じことをする」「心の傷が癒えなくても、何も後悔しない」に見事なまでに表れている。

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それは、さながらニーチェの運命愛のようである。ニーチェは、もし悪魔があなたに忍び寄って来てこんなことを言ったらどうだろうと問題提起をした。「おまえは今生きている人生を、まったく同じように無限に繰り返さなければならない。すべての苦しみや喜びも何もかもがまた戻って来る。しかもすべてが何一つ変わらずに……」。さて、あなたはこの悪魔を呪うだろうか? それともこの悪魔に「神々しさ」を見い出すほどの瞬間に出会っているだろうか?――と(『ニーチェ全集〈8〉悦ばしき知識』信太正三訳、ちくま学芸文庫)。

これは現状肯定=運命に身を任せる態度とは似て非なるものだ。自分が歩む道を周囲の誰かや状況のせいにする余地をあえて残さず、そのようなものに邪魔されない主体性と自由から選び取る強さのことを指している。もちろん、ワアドたちには「守るべきもの」が明確だからそれが可能であるという言い方もできるだろう。しかし、それだけでは最終的な説明にはならない。ここには非常に抜き差しならない真理が横たわっている。

ワアドたちと育ちも境遇も異なるが、わたしたちも絶えず多くの決断をしている。時にそれは自他の生命を大きく左右する。だが、わたしたちは、今の人生を百回でも二百回でも繰り返すとして、「時間を巻き戻せたら、私は同じことをする」――という自律的な生を生きているだろうか。そんな内省へと導かずにはおれない哲学的な映画でもあるのだ。

©Channel 4 Television Corporation MMXIX
作品情報
『娘は戦場で生まれた』

2020年2月29日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開
監督:ワアド・アルカティーブ、エドワード・ワッツ
出演:
ワアド・アルカティーブ
サマ・アルカティーブ
ハムザ・アルカティーブ
ほか
上映時間:100分
配給:トランスフォーマー



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