なぜ『ジョーカー』に共感する?シリアルキラーと「自己超越」への羨望

R指定作品としては世界中で空前の大ヒットとなった映画『ジョーカー』。DC公式Twitterによれば、日本での興行収入は50億円を超え、DC映画史上最高記録を更新した。来年1月29日にはブルーレイ&DVDが発売される。ついにシリアルキラーが時代を象徴するダークヒーローとして、大衆の熱狂的な支持を集めるほど「殺伐とした世の中」になってしまったのか……といった危機感と一緒に論じられることが多い本作。だが、実際はどうなのか。

『ジョーカー』予告編

メイン画像:『シリアルキラー展2019』のメインビジュアルにもなったジョン・ウェイン・ゲイシーの作品

善悪を超越する存在としてのシリアルキラー。生きづらい世の中からの「離脱の通路」

確かに、近年一部の人々の間で高まっているシリアルキラーカルチャーへの関心は、わたしたちの退屈で閉塞感に満ちた日常に対する苛立ちと関連がある。それはある種のシリアルキラーたちが善悪という世間一般のルールを超越した存在のように見えるからだ。特に映画をはじめとするフィクションは、その過程を「悪の実践」を通じて、ある種の「力」を獲得する通過儀礼として描く。それは、殺人研究で名高いコリン・ウィルソンが、一部の殺人者の動機に「自己超越」への欲求を見い出したことに近いと思われる。分かりやすく言えば、「殺人という法外な行為」によって「自分が道徳や法律に囚われない自由な存在になる」という思考回路である。

つまり、まず強固なまでの「自己超越」への欲求があり、その格好の踏み台として凶悪な犯罪が要請される構図になっているのだ。

悪に耽ることで享受されうる不思議な爽快感。「マンソン・ファミリー」と『ジョーカー』の共通項

カルト指導者で殺人者のチャールズ・マンソンについてのスタンリー・コーエンとローリー・ティラーによる分析が明快だ(ちなみにマンソンは、今年9月に公開された映画『チャーリー・セズ/マンソンの女たち』〈監督:メアリー・ハロン〉のリーダーのモデルである)。コーエンとティラーは、マンソンと彼が率いるファミリーが「離脱の通路」を「悪に耽ることを通じて発見した」と主張している。

『チャーリー・セズ / マンソンの女たち』 ©2018 SQUEAKY FILMS, LLC

マンソンとその一家は、悪を何か外部の領域に帰属させようとはしなかった。彼らは自分たちの離脱の通路を、悪を奉じ窮極的なところまでそれに徹して悪に耽ることを通じて発見したのであった。マンソンの超人イデオロギー(彼は時に自分をイエス・キリストと自称した)追随者たちに対する彼の関係の在り様、大衆に対する彼の態度、暴力の文化への彼の沈淪ぶり、完全な自由を発見したという彼の自負、さらに彼にはどんな形にしろ自責感が欠落していたことなどはすべて、彼に〈上を行く〉グループの中の最左翼の資格を与えるに違いないものである。(『離脱の試み 日常生活への抵抗』石黒毅訳、法政大学出版局)

これとまったく同じような意味合いで、ジョーカーことアーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は「悪の徹底」によって「完全な自由」を見つけたというわけである。その歓喜のさざなみを全身全霊で表現し尽くしたのが、観光地としても有名になった階段でのダンスシーンだ。今まで生きていた世界から飛翔して「別の世界」に生まれ変わったような境地。わたしたちもそれに「不思議な爽快感」を覚えたりするのはそのためだ。

『ジョーカー』 ©2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & ©DC Comics

ラース・フォン・トリアー監督『ハウス・ジャック・ビルト』に描かれた極端なキャラクターも、同じ魅力を孕む

では、そのような「悪の徹底」が行き着くところまで行くとどうなるのか。

好個の例が今年6月に公開され、12月18日にブルーレイ&DVDが発売された『ハウス・ジャック・ビルト』(監督:ラース・フォン・トリアー)のジャック(マット・ディロン)だ。

シリアルキラーのジャックは、人間を芸術の「素材」に見立てる筋金入りの凶悪犯である。殺害した被害者の死体に様々なポーズを取らせ、撮影した写真を現像して雑誌社に送り付ける。親子をピクニックに誘い出して、狩猟の標的にして射殺するだけでなく、その親子の死体を獣の死体と一緒にトロフィーのように並べる。さらには、一発の銃弾で何人の人間の頭を撃ち抜けるか、複数の人間を誘拐・拘束して実験することを執拗に試みる……。

ジャックのキャラクターはあまりにも極端で現実感はないかもしれないが、人を創作に用いる絵の具や材料としか見ないという意味で、社会というルーティンからの「離脱」=「自由」を強烈な形で示すのである。もちろん映画館を出れば、誰もがジョーカーやジャックの境遇になりたいとは思わない。しかし、彼らがある種の魅力を振りまいているのも事実だ。

『ハウス・ジャック・ビルト』予告編

『ハウス・ジャック・ビルト』 ©2018 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31,ZENTROPA SWEDEN,SLOT MACHINE,ZENTROPA FRANCE,ZENTROPA KÖLN

競争社会でアドバンテージとなる「他人に批判されても痛みを感じない強み」。イージーモードで生きることへの憧れ

キーワードとなるのは「生きづらさ」である。

今年6~7月に開催された『シリアルキラー展2019』(2016年から東京や大阪で度々開催している)の盛況ぶりは、単純な「モンスター」への好奇心といった猟奇趣味にとどまらず、その犯行に垣間見えるサイコパス特性への一種の羨望を背景にしている。特にここ数年にわたる虚実入り混じったサイコパスブー厶の消費のされ方を眺めてみると、前述した「離脱」=「自由」の感覚が「生きづらさ」を打開する奇策に映る面が否定できない。

『シリアルキラー展2019』ビジュアル

例えば、累計30万部以上を売り上げたベストセラー『サイコパス』(文春新書)で、著者の中野信子氏が述べたサイコパスの特性「他人に批判されても痛みを感じない強み」は、タフなメンタルを持ちたいと思う人々には競争社会におけるアドバンテージに見えるだろう。P・T・エリオットは、『サイコパスのすすめ 人と社会を操作する闇の技術』(松田和也訳、青土社)で、「自己啓発ビジネスの『出世の仕方』部門の全ては、『普通の』人間がサイコパスのように行動することを可能とするようにデザインされている、とも言える」と指摘した。つまり、どうやらサイコパスモードは、効果的な生存戦略として頭角を現しつつあるようなのだ。

権力者の行動から見えてくる「サイコパス性の勝利」。正直者が貧乏くじを引く時代

グローバル化の進行でヒトとモノが過剰に流動的になり、誰もが敵となり得る「万人の万人に対する闘争」(トマス・ホッブズ)状態が出現し、「正直者」「素面」で生きようとする者が、かえって「損をする」「貧乏くじを引く」時代――。このような現代特有の状況が深刻化して、「生きづらさ」の度合いが強くなればなるほど、サイコパス的な生き方が「ほど良い離脱」をもたらすイージーモードに思えるのは自然なことだ。しかも、それを強固に後押ししているのは、昨今の権力者をめぐる「嘘をつき通し、悪びれない」サイコパス性の勝利である。要するに、サイコ的な人格で世渡りをした方が生きやすい世界になり始めているということだ。そんなわけでサイコパスカルチャーはむしろ現実において花盛りである。

8月に公開された映画『永遠に僕のもの』も実在する連続殺人犯がモデル ©2018 CAPITAL INTELECTUAL S.A / UNDERGROUND PRODUCCIONES / EL DESEO

祭りや芸術という「離脱」「超越」を具現化した知恵が失われた今、わたしたちはサイコパス性か消極性を選び取る

そのような意味で『ジョーカー』の快進撃は、いわばわたしたちの世界がポイント・オブ・ノーリターン(後戻り不可能)の通過を示すフラグといえる。だが、とりわけ重要なことは何も犯罪を企てたりしなくても「自己超越」への欲求を満たし、「離脱」=「自由」を得ることは可能だという端的な事実である。ただ、そのような知恵は社会からほとんど消え失せてしまった。『ハウス・ジャック・ビルト』のジャックの台詞「俺達が理解できないほど芸術は広大なんだ」は、元来「自己超越」を集団的に達成する「祭り」や、芸術における「秩序の破壊」機能を指し示している。だが、すでに祭りや芸術はその期待に応えられるものではなくなり、今や現実に起こる「大事件」だけがそれに近い役目を果たしている。

そうすると、人々は「個人レベル」で欲求に対する手当てを試みるか、消極的な適応を決め込むこととなる。言うまでもなく前者における「個人レベル」の失敗版がマンソンを始めとする一部のシリアルキラーたちだ。後者は、世界が「広大」とはほど遠い、微動だにしない狭苦しい秩序に感じられ、「何かが風穴を開けてくれる」ことを期待している受動性に甘んじるのである。つまり、人生を自らの手で切り拓くことを「やり過ごす」姿勢がデフォルトになってしまうのだ。

そう、実のところ、スクリーンに映っているのは紛れもなくわたしたちの自画像の奇っ怪なバリエーションなのであり、鑑賞者の一人ひとりに「暗黒の未来」への処し方をぶっきらぼうに問いかけているのである。「おまえはいつ自分を取り戻すのか?」と。

作品情報
『ジョーカー』

2019年10月4日(金)から全国公開

監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス、スコット・シルバー
出演:
ホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ほか
配給:ワーナー・ブラザース映画

『チャーリー・セズ / マンソンの女たち』

2019年9月6日(金)からアップリンク吉祥寺で公開

監督:メアリー・ハロン
脚本:グィネヴィア・ターナー
原作:エド・サンダース『ファミリー シャロン・テート殺人事件』(草思社文庫)
音楽:キーガン・デウィット
出演:
ハンナ・マリー
ソシー・ベーコン
マリアンヌ・レンドン
メリット・ウェヴァー
スキ・ウォーターハウス
チェイス・クロフォード
アナベス・ギッシュ
ケイリー・カーター
グレイス・ヴァン・ディーン
マット・スミス
ジェームズ・トレヴェナ・ブラウン
ブライアン・エイドリアン
上映時間:110分
配給:キングレコード

『ハウス・ジャック・ビルト』

2019年6月14日(金)から新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開

監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
出演:
マット・ディロン
ブルーノ・ガンツ
ユマ・サーマン
シオバン・ファロン
ソフィー・グローベール
ライリー・キーオ
ジェレミー・デイビス
配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
©2018 ZENTROPA ENTERTAINMENTS31, ZENTROPA SWEDEN, SLOT MACHINE, ZENTROPA FRANCE, ZENTROPA KÖLN



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ダイバーシティーやインクルージョンという言葉が浸透し、SDGsなど社会課題の解決を目指す取り組みが進む。しかし、個人のちいさな声はどうしても取りこぼされてしまいがちだ。いまこの瞬間も、たくさんの子どもや若者たちが真剣な悩みやコンプレックス、生きづらさを抱えながら、毎日を生きている。

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