君島大空が照らす、アンビバレントな生。この切れ切れの人の世で

メイン画像:平木希奈(サイトを見る

音楽は感情発火装置で、記憶のなかの「ある一瞬」を無限に引き伸ばし、永遠に閉じ込めておくことのできる記録装置だ。君島大空が紡ぐ音を聴いているといつもそう思う。2019年3月28日、『午後の反射光』をリリースしたばかりの君島大空がCINRA主催イベント『exPoP!!!!!』に出演したとき、「ベッドルームを恐る恐る出てみた」といった感じの彼が自身の音楽を熱っぽく求める観客たちに接触した瞬間のことを僕は時々思い出す。世界と擦れ合うことで生じる、魂の緊張を脱ぎ捨てたかのような瞬間――あのときまでとそれ以降で、君島大空には何か変化が生まれたのではないか。そんな気がしている。

「七尾旅人に通じる、君島大空の『天使性』について書いてほしい」――下記のテキストは、ライターの天野史彬にこう何の気なしに伝えたことで生まれたものだ。ここでいう「天使」は何か具体的なものを指すのではなく、君島大空の音楽を説明するために充てがっている記号に過ぎない。その語感、文字面が想起させる抽象的なエネルギーによって、なんとか捉えようとしていたものがたしかにあるのだ。それは何か? 2019年2月21日、初めての取材で我々と君島大空が接触してから少しずつ積み重なった感覚、時間、感情を形にしようと試みた。

君島大空(きみしま おおぞら) / 撮影:平木希奈
1995年生まれ、日本の音楽家。2014年から活動をはじめる。同年からSoundCloudに自身で作詞 / 作曲 / 編曲 / 演奏 / 歌唱をし、多重録音で制作した音源の公開をはじめる。2019年3月13日、1st EP『午後の反射光』を発表。2020年7月24日、2ndシングル『火傷に雨』を発表。ギタリストとして、高井息吹、坂口喜咲、婦人倶楽部、吉澤嘉代子、adieu(上白石萌歌)などのアーティストのライブや録音に参加する一方、劇伴、楽曲提供など様々な分野で活動中。

君島大空のベッドルームと世界を繋ぐ感覚。かすかな息づかいなど、楽曲に忍ばされた宝石のような音の粒たちが描くもの

音楽家・君島大空が、2020年最初の新曲“火傷に雨”をリリースした。火傷に雨、というタイトルがすでに豊潤なイメージを抱いている。焼けて傷ついた皮膚と、雨という自然現象との接触。雨は、焼けた皮膚の痛みをより鋭くするだろうか? それとも、熱を冷まし痛みを浄化するだろうか? 実際に火傷の傷口を雨に晒した経験のない僕に正解はわからないが、しかし、そもそもイメージに正解などないのだ。

君島大空はシュルレアリスムに大きく影響を受けている音楽家だが、シュルレアリスムといえば真っ先に引用される、ロートレアモンのあまりに有名な詩の一節――「解剖台の上でミシンとこうもり傘が偶然出会ったように美しい」というあの一節のように、出会い、重なり、衝突、反射……あらゆる「接触」は無限のイメージを喚起する。

取材中、机を手で軽く叩いて音を出しながら、「こんな感じで、音っていうのは、つまるところ『何か』と『何か』の『接触』なんですよ」と僕に話してくれたのは蓮沼執太だった(関連記事:蓮沼執太が語る「接触」することで生まれる音楽や人間との関係性)。「そうか、接触か」と目から鱗が落ちるような感覚があった。それは、あまりに単純明快な、しかし、終わりのない問いをはらんだひとつの答えだった。

そういえば、去年の2月に君島大空に初めて取材をしたとき、彼は「リップノイズを集めるのが好きだ」と言っていた。あの発言を記事に入れなかったのは僕のミスだろう。君島大空の、「接触」に対するフェティッシュな欲望がよくわかる発言だ。君島大空の音楽に見られる「混濁しながらもクリア」な音像は、そんな彼の欲望によって形作られている。

“火傷に雨”のサウンドも見事に、混濁しながらもクリア、だ。曲を再生すると、君島が自身でサンプリングしたと思しき雨音や、エレキギターの胎動に空気が震える音や、そんな様々な音に交じって、恐らく君島自身のものであろう、かすかな息づかいが聴こえる。その息づかいすらも、彼は曲のなかに閉じ込めてしまえる。

接触はいつも境界線の上に小鳥のように佇んでいて、君島大空はそれをしばらく眺めてからサッと捕まえて、宝石にする。そして、そんな彼の音楽に接触した我々もまた、そこに無限のイメージを抱くのだ。接触は連鎖していく。指が弦をはじき、空気を震わせ、それを受けて、また指が弦を弾く……そんなふうにして、音が旋律となって連なっていくように。

<ずぶ濡れの僕らは切れ切れの反射光>ーー君島大空の音楽の最深部を司る「反射」というモチーフ

しかし、接触、接触、接触、といったところで、今のご時世、僕らはむしろ直接的な人と人の接触を阻まれているのだ。会いたくても会えない人たちがたくさんいる。君島大空がこの2020年にリリースする曲に“火傷に雨”を選んだことに、新型コロナウィルスの影響下にあるこの社会状況はどれほど関係しているのだろうか? 僕は、かなり関係しているのではないかと思っている。

そもそも、この曲は「新曲」といっても、アレンジ違いのバージョンがすでに彼のSoundCloudにはアップされていた。アップされた時期としては「2 years ago」となっている。また、「#shoegaizing」というタグが、申し訳程度に付けられている。少なくとも2年前には存在していた曲を今、変奏して世に出すことには、それ相応の理由が彼のなかにあるのだろう。

夢見てたんだよ、これからもそうだよ
ずぶ濡れの僕らは切れ切れの反射光
ずぶ濡れで僕らは乱反射して!
気づいていたんだろう
君島大空“火傷に雨”より

君島の処女作は『午後の反射光』と名付けられていたが、「反射」あるいは「反射光」という、彼の表現においてとても重要なモチーフが“火傷に雨”でも歌われている。彼は今再び問うている、「反射」とは何か? 「光」とは何か? と。「反射」というのもまた、接触のひとつの在りようであるし、彼が歌う<ずぶ濡れの僕らは切れ切れの反射光>とは、僕ら人間存在そのものを指しているのではないか、とも思う。

君島大空“午後の反射光”を聴く(Apple Musicはこちら

直接的な接触を阻まれた世界で、僕らはこの先どのように反射し合うことができるのか? 僕らは今、一体なにを反射しているのか……? 彼はそういうことを、この曲を出すことで世界に、自分に、問いたかったのではないだろうか。1年前、君島に取材したときに、彼がこんなことを言っていたのを思い出す。

君島:世界は「反射」で成り立っているような気がするんです。でも、僕は日々過ごしていて、人との関係も含めて、「自分以外のすべては幻なんじゃないか?」って、感覚に襲われることがあって。世界は、煙のように実体のないもので満ちているっていう感覚がある。それらを映し出している光っていうのは、なんて頼りないんだろうって不安になるんです。
(「君島大空が求める『ギリギリ、音楽』。繊細な芸術家の脳内を覗く」より)

今さら過去の発言を持ちだされることに君島本人からの異論はあるかもしれないが、書くことを続けさせてほしい。この発言をみるに、彼にとって「光」や「反射」とは、自身の存在不安と強く結びついているモチーフであった。しかし、それは決してネガティブなことではなくて、痛みや悲しみを光で照らすことで得ることができる癒しや安堵が、そこにはあったということだろう。

しかし……これは僕自身の実感として書くが、家から出ることができず、簡単に人と直接会うことができなくなったコロナ禍、世界は「幻」などではなかったし、「煙のない実態」に満ちてはいなかった。「会えない」という形でしか会えない人々、「行けない」という形でしか辿り着くことのできない場所――それは、たしかにそこにあった。部屋でいろんなことを思い出した。その記憶すらも、そこにたしかにあった。おれはこんなにもあの人や、あの街や、あの店を愛していたのか、と驚いた。不在は、存在があるから不在だった。何度も、自分の輪郭をたしかめたくなった。君島大空が今、再び「反射光」について歌ったのは、「世界は幻ではない」とたしかめるため、あるいはそう言いたいがためなんじゃないかと、僕は感じている。

嘆きの雨は、浄化の雨に。2年前の音源と比べることで立ち上がる、2020年の君島大空という音楽家の在りよう

この“火傷に雨”という曲は、2年前にSoundCloudにアップされたものと今年、新曲としてリリースされたものとでは、嘆きの雨が浄化の雨に変わるような、「痛み」が「祈り」に変わるような、そんな変化がある。あらゆるものの意味や定義は変化していく……「意味なんてない」と嘯きながらも。僕がそう感じるのは、サウンド面の変化も大きい。

SoundCloudにアップされた2年前のものは恐らくデモ的に捉えたほうがいいので、あまり比較すべきではないかもしれないが、しかし、当時のものと現在のものとでは、この“火傷に雨”のアレンジは興味深く変わっている。

2年前のバージョンでは、冒頭の金属質な打音にはじまり、恐らく君島自身が打ち込んだのであろう簡素なリズムが印象的に聴こえてくるが、今年リリースされたバージョンでは、石若駿によるドラムが確かな体温を持ちながら響いている。

ドラムの録音は従来のレコーディングスタジオではなく、東池袋KAKULULUという彼ら馴染みのカフェで行ったようだ。「場所」という価値観すら変わっていくなかで、彼らにとって親密で大切な、その場所の空気を閉じ込めたかったのだろう。とてもふくよかな音が捉えられている。

君島大空のTwitterより

また、2年前のバージョンは歪んだギターと降り注ぐような轟音によるザラついた音像が耳を刺すが、今年リリースされたバージョンでは、軽妙にリズムを刻むアコギの音がさりげなく効いていたり、穏やかなハーモニーも耳を引く、立体的な奥行きを感じさせるサウンドになっている。

おそらく、2年前はすべてを君島ひとりで録音したのではないかと推測するが、新曲としてのリリースされたバージョンは、ミックスは君島自身で行いながら、ドラムに石若駿、さらに、マスタリングエンジニアにはフィッシュマンズなどの仕事でも知られる木村健太郎が、そしてレコーディングエンジニアには君島自身に加え、彼の合奏形態にも参加しているギタリストの西田修大がクレジットされている。

君島大空“火傷に雨”を聴く(Apple Musicはこちら

今回の“火傷に雨”において、君島のインナースペースから産み落とされた音楽世界は、様々な場所や他者との接触(反射)の関係を経て、より「開かれた」ものになっている。君島大空はその活動名義においても、自身が「ひとり」であることにこだわりを持っているが、それはなぜかと問われれば、「人はひとりで産まれて、ひとりで死ぬから」だろう……感傷的な言い方過ぎるかもしれないが。しかし、ひとりで産まれ、ひとりで死ぬとしても、ひとりで生きることができる人間などいない。

「誕生」と「死」という、人類の普遍的で平等で純情な瞬間の狭間にある、「生きる」という行為について。そこにある生活や、仲間と飲む美味い酒や、発語と失語や、失恋と記憶や、亡霊、突然の夕立について。2020年の“火傷に雨”は、それを奏でている。存在の不安は消えない。誰も本当の解決策は持っていない。音楽家は音楽を奏でるしかないし、詩人は詩を書くしかない。その、崇高なまでの無力さと悲しさに、時折、人の魂は繋がる。

2019年4月29日、君島大空が初めて七尾旅人と接触した日のこと

ここまでが大体、規定の文字数だけど、少し思い出話を書く。君島大空の存在を僕に教えてくれたのは、CINRA.NET編集部の山元翔一くんだった。君島の処女作である『午後の反射光』の発売にあたって、僕にインタビューの依頼をくれたのだ。彼は「すごい才能」と言っていて、音源を聴いた僕もそれに同意した。山元くんは「『The Bends』期のRadiohead、もといジョニー・グリーンウッドを彷彿とさせる」と言い、僕は「初期の七尾旅人と近しいものを感じさせる」と言った。「○○みたいだ」と形容されながら会話の話題に上るのは当人にとってみれば不愉快なことかもしれないが、しかし、こうやってイメージを手繰り寄せていくことも、ときには必要なのだ……特に、最初の接触においては。

あのとき、僕と山元くんの話は噛み合っていなかったが、山元くんは君島大空のギターサウンドに注目していて、僕は彼の歌における不思議な発声や、コラージュ的な音像の作り方に注目していた。どちらも間違ってはいないが、どちらも、君島大空という才能の一部分を言い当てているだけだった。

君島大空“遠視のコントラルト”を聴く(Apple Musicはこちら

君島大空“瓶底の夏”を聴く(Apple Musicはこちら

君島大空と七尾旅人について。彼らが初めて直接出会った現場に、僕も居合わせた。取材した経緯もあって招いていただいた旅人さんのワンマンライブに君島さんも来ていて、そこで彼らは出会ったのだった。「七尾旅人と君島大空を出会わせよう」というのは、山元くんの手引きだった(彼は君島大空の活動をサポートすることに謎の使命感を持っている)。終演後、君島さんと山元くんと僕の3人で楽屋挨拶に行ったが、それは、旅人さんの大らかな優しさに僕ら全員が抱かれるような、そんな時間だったと記憶している(僕が「ありがとうございます」と言おうとしても、旅人さんがそれにかぶせるように、何度も繰り返し僕らに「ありがとう」と言うのだ。本当に、本当に、頭が下がる……)。

その後、君島大空は“八月”のカバーをSoundCloudにアップしたり、今年は、羊文学の塩塚モエカと“サーカスナイト”のカバーをリリースしていた。君島にとって七尾旅人とはどのような存在なのか、いつか取材で聞いてみたい。

君島大空と塩塚モエカ“サーカスナイト”を聴く(Apple Musicはこちら

君島大空の音楽に照らし出される、私たちのアンビバレントな生

この“火傷に雨”のレビュー依頼をもらったとき、CINRA山元くんからは、こんな注文がそれとなく来ていた。「七尾旅人に通じる、君島大空の『天使性』について書いてほしい」と。なぜ、こんなわけのわからない注文が来るのかというと、ときと場所は忘れたが、いつだったか、僕はたしかに山元くんに言ったのだ。「君島さんは天使みたいな人だ。旅人さんみたいに」と。

あのときは、君島大空の繊細で朗らかな人柄や、ユニセックスな佇まい(越境性)を指してそう言っていたような気がするし、あと、実際に旅人さんには“エンゼル・コール”という名曲があって、彼は昔、天使の羽を背中に付けて、ライブをしていたこともあった(彼は天使の羽も付ければ、軍服だって身に付ける)。そういうイメージが重なって、僕は軽々しくそんなことを言ったのだろう。しかし、いざ「書け」と言われると……。

天使については、今の僕には語彙力がなさ過ぎて書けない。ごめんなさい。ただ、ひとつ思い当たることを書くとすれば、僕が君島大空の音楽を愛するのは、その「同時性」のようなものに惹かれている部分が強い、ということだ。彼の音楽には、あらゆるものが「同時」に存在しているように感じる。

たとえば、過去と未来と現在が。たとえば、男と女が。たとえば、存在と不在が。たとえば、歌とノイズが。現在は過去や未来の対極にあるものではないし、あるひとつの性は、また別の性の対極にあるのではない。不在は存在の対極にあるものではないし、歌はノイズと対極にあるものではない。それらはすべて同じ場所に、同時に存在しているということを、僕は君島大空の音楽を聴いていると強く感じる。

そしてそれは、僕がずっと七尾旅人の音楽に感じてきたことでもある。あらゆるものは、それと一見対極にある別のものを常に内包しながら存在している、ということ。その前提のうえで、物事は常に変化していくし、時折、僕らは何かを決めなくちゃいけないときがある。

君島大空の音楽にある「同時性」は、僕にとってすごく肯定的な力を持って響く。あらゆる矢印が、あらゆる方向を向きながら同時に存在することに対する肯定。そんなところが、僕にとってはすごく「天使っぽい」のだ。僕はまた今日も彼の音楽の響きに震え、癒されている。

君島大空『火傷に雨』ジャケット
君島大空『火傷に雨』ジャケット(Apple Musicで聴く / Spotifyで聴く

リリース情報
君島大空
『火傷に雨』

2020年7月24日(金・祝)配信リリース

プロフィール
君島大空 (きみしま おおぞら)

1995年生まれ、日本の音楽家。2014年から活動をはじめる。同年からSoundCloudに自身で作詞/作曲/編曲/演奏/歌唱をし、多重録音で制作した音源の公開をはじめる。2019年3月13日、1st EP『午後の反射光』を発表。4月には初の合奏形態でのライブを敢行。2019年7月5日、1stシングル『散瞳/花曇』を発表。2019年7月27日、『FUJI ROCK FESTIVAL'19』 ROOKIE A GO-GOに合奏形態で出演。同年11月には合奏形態で初のツアーを敢行。2020年1月、Eテレ・NHKドキュメンタリー『no art, no life』の主題曲に起用。2020年7月24日、2ndシングル『火傷に雨』を発表。ギタリストとして、高井息吹、坂口喜咲、婦人倶楽部、吉澤嘉代子、adieu(上白石萌歌)などのアーティストのライブや録音に参加する一方、劇伴、楽曲提供など様々な分野で活動中。



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