映像作家ひらのりょうと観る、鬼才画家・難波田史男の世界

天才肌のアーティストは、なぜか若くして亡くなってしまう……。そんなジンクス、本当はあり得ないはずですが、たしかにある瞬間ものすごい輝きを放った後、いなくなってしまうアーティストが時々現れるのも事実。ゴッホのように人知れずひっそりと輝きを放ち、死後にその「輝き」に皆が気付くというケースもあります。

これからご紹介するアーティスト・難波田史男(なんばた ふみお)は、まさにその後者と言ってしまって良い一人。近年再評価の気運が高まり、世田谷美術館では企画展『難波田史男の世界 イメージの冒険』が開催中ですが、果たして彼のどこがどう天才肌なのか? 絵画のルールに縛られない難波田の絵を理解するために、作家本人の気持ちを想像してみようということで、気鋭の若手アニメーション作家ひらのりょうさんと展覧会を観に行きました。約50年の時を超えたアーティスト同士の出会い。今を生きるアーティストひらのさんの目に、難波田の作品はどう映ったのでしょうか?

32歳で急逝した唯一無二の画家。大画面にびっしりと描かれたポップなキャラクターたち

18歳から画業を始め、約15年の間に2000点以上もの作品を残し、1974年に32歳で急逝した画家・難波田史男。父親が著名な抽象画家・難波田龍起ということもあり、これまで一部の美術ファンの間ではその名前が知られていましたが、一般的にはほとんど知られることはありませんでした。

『無題』(部分)1960年
『無題』(部分)1960年

しかし、その作品をよくよく観てみると、その尋常ならぬ描き込み、自由すぎるモチーフ、なぜかキャンバスではなく画用紙をつなぎ合わせた大作……。アバンギャルドともサイケデリックともヘタウマとも言えそうで、しかしそんな言葉だけに留まらない唯一無二の世界が繰り広げられていることに驚かされます。

『無題』(部分)1964年
『無題』(部分)1964年

一方、ポップでファンタジックな世界を描いているように見えながら、シュールでドロッとしたものを両立させる手腕を持つひらのさん。ある意味、難波田史男の作品と共通する部分もあるのではないでしょうか。実際に難波田の作品を観た第一印象からうかがいました。

ひらの:じつは今回の取材をきっかけに、初めて難波田史男という画家のことを知ったのですが、まず図録を見て、ものすごく自由奔放に描かれた絵に衝撃を受けました。第一印象としては「キュート」だなあと。で、実物を観たら、予想以上に作品が大きいだけでなく、図録では見えなかった細かいキャラクターなどが画面中にびっしりと描き込まれていてビックリ。それぞれのキャラクターに関係性や物語のようなものも見えてくるし、今にも動き出しそう。全体の雰囲気も時代を超えてポップですよね。

ひらのりょう
ひらのりょう

と、ひらのさんが感想をもらした作品が、展覧会の冒頭で紹介される、難波田が27歳の頃に描いた代表作『サン=メリーの音楽師』です。

『サン=メリーの音楽師(7点組)』1968年
『サン=メリーの音楽師(7点組)』1968年

自ら「現代絵巻」と呼んだ、特大キャンバスを横につなげて描いた幅9メートル以上の巨大作品は、大胆で鮮やかな色面と緻密な線画のモチーフが同じ画面に混在しています。ひらのさんの言うとおり、図録写真では到底表現しきれないほど、びっしりと細かく大量に描き込まれたキャラクターたち。画面の中では楽しい物語が繰り広げられていそうでもあり、観る側は想像をかきたてられ、引き込まれていきます。

『サン=メリーの音楽師(7点組)』(部分)1968年
『サン=メリーの音楽師(7点組)』(部分)1968年

『サン=メリーの音楽師(7点組)』(部分)1968年
『サン=メリーの音楽師(7点組)』(部分)1968年

ひらの:僕は今26歳なので、同い年くらいの頃に描かれた作品なんですね。スゴイと思ったのは、絵で音楽を表現する際に楽器や五線譜をそのまま描いているところ。普通、特に若いアーティストなら、ここまでわかり易すぎるモチーフはあえて避けると思うんですよ(笑)。それが狙ってなのか、そうでないのかもわからない奥深さがあります。急に地元の女子高生が書き足したみたいなユルいキャラクターが描かれていたり、「絵画」という枠組みを外そうとする意識があったのでしょうか? 型に押し込められない感じがすごくありますよね。

水彩絵具やクレヨンで迷いなく描かれた、殴り描きのような自己流絵画

展示は、難波田史男が絵を描き始めた19歳の頃の作品から順に紹介するコーナーへと続いていきます。基本的に難波田の作品は、市販の画用紙に水彩絵具やクレヨンで描かれた、殴り描きのような絵画ばかり。アカデミックな絵画教育を受けた人からすれば、むちゃくちゃな技法で描いているように見えるかもしれません。

『無題』(部分)1960年
『無題』(部分)1960年

ひらの:でも、これが一番初めの頃に描いた絵というのもスゴイですね……。特に最初はもっとカッコつけたり、上手く描こうとしたりするものだと思うのですが、もういきなり最初から迷いがないというか、描きたいものが一貫していますよね。

『自己とのたたかいの日々 A』(部分)1961年
『自己とのたたかいの日々 A』(部分)1961年

難波田は生涯実家暮らしで、抽象画家である父とも一緒でしたが、父から画家になるように示唆されたことも、アドバイスを受けたこともなく、高校卒業と同時にまったくの自己流で絵を描き始めました。当初は人に見せるということも意識していなかったといいます。

ひらの:偶然にも、僕の父親も美術教師なのですが、僕も父から絵を教わったことはありませんでした。美術大学に入る前は、マンガやアニメもほとんど見てなくて、デッサンくらいしか知らなかったので、見よう見まねでアニメーション制作を始めたんです。だから、パソコンで色を塗るという発想もなかったし、画材屋さんにもほとんど行ったことがなかった。知っている画材といえば、小学生の頃に使っていたクレヨンや水彩絵具だったので、それを引っぱり出して使っていました。そういう意味でも、難波田さんとはスタート地点が似ている感じがします。

じつはすごく器用? 細かく埋め尽くす模様だけでなく、流行のイラストレーターのようなタッチも描いた早稲田時代

展覧会冒頭で展示されていた『サン=メリーの音楽師』のような現代絵巻は、難波田の画業前半期、のびのびと自由闊達に筆を走らせていた頃に何作品か描かれており、今展覧会ではその中から代表的作品をいくつか観ることができます。画面が大きいだけでなく、その中に圧倒的な情報密度でモチーフが細かく描かれているので、どれだけ眺め続けても発見があり、飽きることがありません。

『モグラの道(11点組)』(部分)1963年
『モグラの道(11点組)』(部分)1963年

ひらの:細かく絵を描いていく作業って、無心になれて楽しいですよね。小学生くらいの頃、教科書の隅にすごく細かく模様を描き込んでいる子とか、いっぱいいたと思うんですよ。この赤地に白い水玉の模様は、赤味の肉と脂肪のようにも、巨大生物の断面みたいにも見えてくるし、アニメーション作家・水江未来さんの細胞アニメを思い出しました。

画業の初めにはとにかく心の赴くままに、勢いで描いていたのでしょう。現代絵巻の1つ、なんと11枚の画用紙を横に並べて描かれた『モグラの道』という作品は、当初10枚の予定だったものがおさまりきらず、11枚になってしまったようです。

『モグラの道(11点組)』1963年
『モグラの道(11点組)』1963年

ひらの:僕も5分の作品を作ろうとして、20分になっちゃったことがあります(笑)。アニメーション制作もずっと描き続ける作業なので、我を忘れるくらいじゃないとできません。1秒何コマって考えながら冷静になってやっていたら気が狂っちゃう。勢いに乗って描く感じです。

ご自身の制作と難波田の絵画にいくつかの共通点を見出して、ひらのさんもどんどんその世界に引き込まれていっているようです。12枚の画用紙を組み合わせた『イワンの馬鹿』を鑑賞しているときにも……。

『イワンの馬鹿(12点組)』(部分)1964年
『イワンの馬鹿(12点組)』(部分)1964年

『イワンの馬鹿(12点組)』1964年
『イワンの馬鹿(12点組)』1964年

ひらの:急に洒落っ気が出てきた感じで、なんだかモテようとしている気がします(笑)。でも、難波田さんは恋愛が苦手だったんじゃないですか? それは絵を観ていればわかります。

と、親しい友人の絵画を目にしているような感想がこぼれます。そして奥の展示室には、その路線をさらに突き詰め、揚々と青春を謳歌せんとした明るい大作がありました。高校卒業後、独学で絵画を描き続けた難波田は美学美術史を学ぶために早稲田大学に入学。その年の大学祭のために制作したという『早大行進曲』です。

『早大行進曲B(4点組)』1964年
『早大行進曲B(4点組)』1964年

ひらの:これまでの作品と比べても明らかに違いますよね。すごく可愛くてお洒落。時代の空気感も含まれている気がするし、ヨーロッパの洒落たイラストレーターが描きそうな絵にも見えます。でも、その一方で不条理ギャグマンガの巨匠・谷岡ヤスジ的な感じも入っていたり(笑)。じつはすごく器用な画家なんじゃないかと思います。

『早大行進曲B(4点組)』(部分)1964年
『早大行進曲B(4点組)』(部分)1964年

『早大行進曲B(4点組)』(部分)1964年
『早大行進曲B(4点組)』(部分)1964年

たしかに当時の流行誌のイラストに使われていたとしてもおかしくない、同級生にも喜ばれたのではと想像できる画風です。しかし、難波田の作品に輝くような青春の明るさが見えるのはこの辺りまで。大学1年の暮れに、大学紛争が勃発。難波田は積極的に紛争に参加することはありませんでしたが、その繊細で優しい精神を持って紛争の現場に立ち会い、喧噪に揉まれることで心に傷を負ってしまったそうです。そして展示は第2部「内なる物語世界へ 1967-1973」へと続いていきます。

大学にはあまり行かず、自室でひたすらに画用紙に向かう日々。画業の後半期へ

第2部「内なる物語世界へ 1967-1973」は、作品の雰囲気が大きく変わります。現代絵巻などで見せていた大型の作品から画用紙サイズの小品へ。細かく描かれたキャラクターたちも姿を消し、抽象的な色や形、線だけが画面に描かれるようになります。大学紛争で心のバランスを崩してしまってからは、同級生たちとも距離を置き、最低限の授業に出席する以外はただ自室で黙々と作品を描き続けたそう。そんな内省的な心境を隠さない作品が大量に残されています。

『無題』1967年
『無題』1967年

ひらの:この辺りの作品、一番好きかもしれません。急に生々しくなりますよね。人毛感というか「毛」がうっそうと生えているような感じ。線も真っ直ぐではなくうねっている気がする。この時期、精神的にはスランプ状態だったのかもしれませんが、画家としてはそうでもなかったんじゃないかと思います。

ひらのさんが見入っていた作品以降、難波田は小さな画用紙に水彩絵具を用いた作品をひたすら描き始めます。そのスピードは、1日に20枚描くこともあったというほどで、制作への没入ぶりは恐ろしさを感じるほどです。

ひらの:でもその気持ち、すごくわかる気がします。描くのが楽しいとかじゃなくて、描き続けていないと、自分自身に向き合えなくなったというのかな。落ち込んでいたとしても、描くときは描くんですよ。で、描いているときが一番落ち着いていたりするんです。

『水中庭園』(部分)1967年
『水中庭園』(部分)1967年

難波田が自身の心を埋めるために描かれたのかもしれない、膨大な数の作品を前にすると、混沌とした剥き出しの創作エネルギー、その生々しさに圧倒されます。今展覧会ではそれらをそのまま展示するのではなく、使われている色をヒントに、同時期に制作されたであろう作品ごとのグループに分けて展示しています。グループごとに一つひとつの作品を観ていくと、1つの線が次の線を呼び、次の色彩を呼んで、次々と作品が生まれていく様子が見えるそうです。

ひらの:こんな風に何かを作らなきゃ! という気持ちに突き動かされてしまっているときって、もう自分を信じるしかないというか。「完成したところでどうなるの?」という不安がよぎりながらもとりあえず作る。僕の場合、それこそ風呂にも入らずにやり続けますから、完成して誰かに見せるときは本当に恐怖です。それまでの時間がすべて無駄になるかもしれない怖さ。どこまで自分を信じられるかという戦いはつらいでしょうけれど、描く楽しさと苦しさは常に背中合わせなんだと思います。

『無題』(部分)1970年
『無題』(部分)1970年

展覧会の前半では、楽しそうに奔放に描かれた作品を観てきただけに、後半の作品には苦しそうな様子も感じてしまうのですが、好きで無邪気に絵を描いていた難波田にやっと独自のスタイルが出てきた、本物の画家になろうと羽化する直前に葛藤していた、ということなのかもしれません。

ひらの:もともと無垢な人なんだけど、さらに無垢を追い求めているような感じがします。自意識がすごく強いんでしょうね。作家にはやっぱりそういう人が多いと思いますよ。生き方と表現がつながっているタイプは、自分がどう生きるのかと考えなくてはいけなくて、難波田さんの場合は、これまでの作品を観る限り、無垢であろうとしたのかなと。でも、無垢って言ったって、そんなに上手くはいかないじゃないですか。大学紛争に巻き込まれたり、青春の最中にいろんな女の人と出会ったりしたら、多分もう訳がわからなくなる。だからこうしてひたすら描くことが純粋性を守り続けるための手段だったのかと、そんな気がします。

「無垢」や「純粋」だけでは括れない。相反する欲望や感情、その狭間で揺れ動く様子までもが正直に描き出された「いびつな絵画」

展覧会鑑賞を終えたひらのさんに、あらためて話を伺いました。実際に作品を観て、難波田史男という画家について、どのように感じられたのでしょうか。

『無題』(部分)1972年
『無題』(部分)1972年

ひらの:本当に希有な才能を持った画家だと思いました。絵を描くことがただ好きで仕方がないのか、描かなくてはいられない何かがあったのかわからないけれど、そんな切実な迫力がありながらも、一方であえて外してくるような器用さも持ち合わせている。ある種の計算もあると思うんですけれど、同時にそれを純化させようとする狂気があるのかもしれない。すごくユニークでアンバランスなんだけど、ある意味、生きている人間の感情としては正しいような、すごく素直な作家だと思います。

『無題』(部分)1970年
『無題』(部分)1970年

たしかに「無垢」や「純粋」と一言では言いきれない、アンビバレンツな魅力のある難波田の絵画。個人的に注目しておきたいポイントを聞いてみました。

ひらの:僕の想像ですが、無垢であろうとする男の葛藤みたいな、そのいびつさが難波田さんの絵にはあると思うんです。無邪気さと、ある種の生々しい、性的なことに対する嫌悪感のようなものが混ざった、ちょっといびつな世界というのは唯一無二なので、観ていて感じるものもあると思う。絵の中に物語もありますし、生きるうえで出てくるいびつさみたいなものが見えてきたら、鑑賞していて絶対に楽しいと思います。1人の男の正直な姿、普通はなかなか観られないですよ。

ひらのりょう

展覧会の最後には、父・難波田龍起の油彩作品も展示されています。抽象画家として美術史に名を刻んだ龍起の作品には、史男作品と比べると威厳があり、硬派な絵画にも感じられます。一方、奔放で捉えどころがないようにも思えた史男の絵画は、どんな人でもイメージを、親しみを込めて読み解くことができる、普遍さを備えていることに気づかされました。

史男の夭逝後、アトリエに残された膨大な作品を丹念に調べていった父・龍起は、描くことの自由を求め続けた史男から学び、吸収し、自らのスタイルに取り入れていったそうです。「人はなぜ描くのか?」その意味を、剥き出しの精神と共に触れさせてくれる難波田史男の絵画は、時代を超えて私たちの心を揺さぶり続けていくでしょう。

イベント情報
『難波田史男の世界 イメージの冒険』

2014年12月6日(土)~2015年2月8日(日)
会場:東京都 用賀 世田谷美術館 1階展示室
時間:10:00~18:00(最終入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜
料金:一般1,000円 65歳以上800円 大高生800円 中小生500円
※一般の障がい者の方は500円、大高中小生の障がい者の方は無料、介助の方は1名まで無料

担当学芸員による展覧会解説
2015年1月29日(木)14:00~15:30
会場:東京都 用賀 世田谷美術館 講堂

『100円ワークショップ「トライ!ドライポイント」』
(難波田史男旧蔵のプレス機でドライポイント版画をプリントします)
2015年1月17日(土)、1月24日(土)、1月31日(土)、2月7日(土)
会場:東京都 用賀 世田谷美術館 地下創作室
時間:13:00~15:00
料金:100円

プロフィール
ひらのりょう

1988年埼玉県春日部市生まれ。多摩美術大学情報デザイン学科卒業。クリエイターズ マネージメントFOGHORN所属。産み出す作品はポップでディープでビザール。文化人類学やフォークロアからサブカルチャーまで、自らの貪欲な触覚の導くままにモチーフを定め作品化を続ける。その発表形態もアニメーション、イラスト、マンガ、紙芝居、VJ,音楽、と多岐に渡り周囲を混乱させるが、その視点は常に身近な生活に根ざしており、ロマンスや人外の者が好物。



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