あの人の音楽が生まれる部屋

あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.6:弓木英梨乃

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あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.6:弓木英梨乃

毎週月曜夜9時からの路上ライブを続けて
徐々に才能に注目が集まり始めた高校時代

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高校生になって曲作りを始めた当初は、自分の気持ちをただ吐き出すような、自己満足に近い曲が多かったという弓木さん。それが少しずつ変わってきたのは、デモテープをライブハウスに送ったり、地元大阪で路上ライブをおこなうなど、音楽を通して人との繋がりが生まれるようになってきてからのことでした。「もっと多くの人に共感してもらうような歌詞を書きたい」「みんなに『いいね』と言ってもらえるようなメロディーを作りたい」、そう思った弓木さんは、より積極的に音楽活動に没頭していくようになります。

弓木:毎週月曜、夜9時からの路上ライブは絶対に続けようと心に決めて、心斎橋筋商店街のシャッター前や、梅田の歩道橋の上で演奏していましたね。最初は通り過ぎる人の反応が冷たくて、何度も心が折れそうになりました(笑)。でも、そのうち声をかけてくれる人がだんだん増えていって、台湾の観光客の方がデモテープを買って、後で手紙を送ってくれたり、そういった面白い出会いがたくさんあって楽しかったんです。

努力の甲斐もあってライブスケジュールも埋まり出し、インディーズレーベルからCDをリリースするなど、その才能で各方面の注目を集め始めた高校時代の弓木さん。しかし、こういった音楽活動のことは学校の友達に、ほとんど言っていなかったそうです。

弓木:もし知られて、ライブを観にこられたら恥ずかしくてすごくイヤだったので(笑)。だけど、あるとき高校の近くのCDショップで、インストアライブをやることになってしまったんです。お店の方が看板とかも作って、大々的に展開して下さっていたので、ドキドキしながら出て行ったら、お客さんのほとんどが高校の友達だったんですよ(笑)。「英梨乃、こんなことやってたの?」ってみんなすごくビックリしていましたね。

10代でいきなり掴み取ったメジャーデビュー
苦悩と挫折を経たサポートギタリストへの転身

弓木英梨乃の機材

曲作りを始めて、わずか2年後の2008年。高校2年生で『第2回 SCHOOL OF SCHOOL FINAL』グランプリを受賞。翌年シングル『LφST[ロスト]』(映画『携帯彼氏』主題歌)で、弓木さんは早くもシンガーソングライターとしてメジャーデビューを果たすことになります。地道な努力を重ねていたとはいえ、あまりにも急展開なメジャーデビュー。そのとき弓木さんは、どんな気持ちだったのでしょうか?

弓木:当時は「私、デビューできるんだ。嬉しい!」って、ただそれだけだったんですけど、今思い返してみると「怖いな」って思います。音楽のこともまだ何も知らなかったし、曲だってそんなにたくさん書いていたわけでもなかった。だから、デビューしてからが葛藤の毎日でした。デビュー曲が映画の主題歌だったので、CMを打ってくれたり、試写会で演奏させてもらったり、すごく力を入れてプロモーションしてもらって。「売れなきゃ」と思って頑張ったのに結果を残すことができなくて、すごく辛かったですね。体調が悪くなるくらい毎日悩んでいました。

10代で順調にデビューを果たした弓木さんでしたが、その後も思うような結果は出せず、数年後、当時の所属事務所との契約も切れてしまいました。収入もなくなりアルバイトを始めた弓木さんは、日本を離れて大好きな国だったタイへの移住まで考えたそうです。しかしそんなとき、今の事務所から声がかかりました。

弓木:「所属しているバンドのサポートギタリストが必要なんだけど」って声をかけてもらったんです。ずっとソロでやってきたので、最初は「人のバックでギターなんて弾けるのかな……」って迷いがあったんですけど、やっているうちにどんどん楽しくなっていきました。アーティストとして成功できるかどうかは、努力だけではどうにもならないところもあるじゃないですか。でもギタリストとして演奏するために必要な技術や知識を蓄えることは、頑張れば頑張ったぶんだけちゃんと結果として表れる。それが自分は楽しくて。スポーツにも通じるものがありますよね、だから向いていたのかも知れない。

21歳になったばかりの弓木さんを襲った大きな挫折経験。しかし持ち前の前向きさ、自然と状況を切り開いていく力には、ギターを始めた頃からずっと続く、ものすごく強い芯のようなものを感じます。

弓木:私のギターは、ほとんどが我流なんです。ギターを体系的に学ぶというのではなく、「このフレーズが弾けるようになりたい!」と思ったら、それをひたすら練習してマスターすることの繰り返しでここまで来た。挫けそうになったことは何度もありますよ。「何で自分はギターが全然上手くならないんだろう」とか、「自分ではいい曲だと思っているのに、何でみんなはそう思ってくれないんだろう」とか、「友人のアーティストはどんどん人気出てきているのに、私はなにがダメなんだろう」とか、毎日悩んでいました。でも、ギターだけは自分にとって唯一打ち込めるものだったし、「辞めたい」と思ったことはなかったですね。

最年少メンバーとしてKIRINJIへ加入
生まれて初めてのバンド活動

弓木英梨乃の機材

そんな弓木さんに一大転機が訪れます。2013年の夏から6人編成として再始動した新生KIRINJIに、なんと正式メンバーとして大抜擢されることになったのです。弓木さんが、KIRINJIのリーダー堀込高樹さんと出会ったのは、2011年にリリースしたソロ名義での4thシングル『River』のプロデュースを依頼したことがキッカケでした。

弓木:『River』のレコーディングのとき、ギターソロのフレーズをどうしようかっていう話になって、家で一生懸命考えたものをスタジオで披露したんです。そしたら高樹さんに「すごく面白いね。でも、もしかしたらこういうソロの方がいいんじゃない?」と、違う方向性の提案をいただいて。結局、高樹さんが考えてくれたソロと、自分で考えたソロの両方を録音しておいて、どちらを選ぶか検討しようということになりました。そしたら数日後に高樹さんから突然連絡をいただいて、「やっぱり、もう一回二人で考え直さない?」って。それで、高樹さんのご自宅に招いてもらって一緒に考え直したら、結果的に両方の案の良いところを合わせ持った、すごくいいギターソロが出来上がったんです。私にとって、とても思い出深い出来事でした。

長い間、兄弟二人だけで続けてきたキリンジが新体制になり、そこに田村玄一さんや楠均さん、千ヶ崎学さん、コトリンゴさんとともに最年少メンバーとして加入することには、相当の不安やプレッシャーもあったのでは?

弓木:最初はとても不安でした。キリンジは大好きで、ライブがあれば観に行っていましたけど、キリンジの曲ってすごく難しくて複雑なイメージがあったので……「ギター、どうやって弾いたらいいか分からない!」って(笑)。でも、メンバーの皆さんは優しく教えてくださる方たちばかりで、リハーサルでは高樹さんを中心に、和気あいあいと作り上げていくスタイルだったので、すごく安心したし嬉しかったです。自分にとって初めてのバンド活動がKIRINJIなんて、すごく光栄なことですよね。以前からのファンの方たちにも、「KIRINJI、バンドになってよかったよね」って言ってもらえるように頑張っていきたいです。

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