地域雑誌『谷中・根津・千駄木』インタビュー

1984年、東京の下町に住む20代後半の主婦たちが季刊の地域雑誌を創刊した。それがミニコミの金字塔として名高い地域雑誌『谷中・根津・千駄木』だ。創刊時からのスタッフである仰木ひろみさん、山崎範子さん、森まゆみさんらは、古くから土地に住む人を訪ねて町の歴史を書き起こし、誌面を通じて多くの人にその魅力を伝え、町をめぐる数多くの運動にかかわった。同誌が扱うエリアは、その誌名からいつしか「谷根千(やねせん)」と呼ばれるようになっていく。このような功績を持つ同誌が、2009年春号をもって幕を閉じる。なぜ終刊を決めたのか。スタッフの仰木ひろみさんに話を聞いた。

『谷根千』を作りながら、家庭のこともやっていたから、ぐちゃぐちゃ。でも楽しかった。

―そもそも、どのような動機から地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(以下『谷根千』)を創刊したのですか?

仰木:谷中・根津・千駄木あたりの歴史って、何も書き残されていなかったんですね。学校の周年行事で作るような記念誌には、その学校の歴史しか書かれていないんです。自分たちが子どもを育てている町なのに、「この町、どんな町なの?」と思っても、「今」があるだけでしょう? それでは面白くないから、みんなの代わりに「団子坂には、なぜ団子という名前がついているの?」といった疑問を長く住んでいる人に聞きに行って、それを雑誌にした、そんな感じだと思うんです。

地域雑誌『谷中・根津・千駄木』インタビュー

古い方からお話を伺うと、やっぱり町の様子が見えてくるんです。最初のころ取材に行った材木屋さんのおばあちゃんは、あの当時95歳くらいだったかな、明治25年生まれなんですけど、「昔は新宿の山から木を伐りだしていてね」「初めてガス灯がついたときは、みんな『明るいね』って言ったのよ」なんて話してくれました。その方は100歳すぎて亡くなったんですが、最後に住んだのは、外から電話をかけるとお湯が沸くというマンションだったんですって。時の流れはすごいな、と思ってね。生きている人から少し前のことを聞くだけでも、こんなに面白い。50年前どんな店があったか、電車が通っていたときはどんなだったか。それを知っている人に聞いて書き留めておくことが、自分たちのやりたいことだったんです。

―それが結果として町を活性化することにつながりましたね。

仰木:『谷根千』を読んでみんなが「町っておもしろいかも」と思い始めたのは確かですが、私たちには町おこしをする気はまったくありませんでした。今では町を何とかしてほしい人が駆け込んでくるような場所になって、反対運動も一緒にやっているし、「町づくり団体」みたいに言われていますけど、きっとそういう方面で核になる人たちが、今までいなかったんでしょう。町会組織は、「町をこういうふうにしていきたい」という相談に乗る場所でもなかったのかな、と思うし。私たちも相談には乗れないけど、それを書き起こしてみんなに読んでもらうことはできる。不忍池の地下駐車場問題や富士見坂から見える景観の問題、そういう大きな問題はできるだけ書いて、みんなに知らせるようにして。別にこの地域にこだわっていなかったら、もっと一般的なことをやってもいいわけだけれども、どうして私たちが「地域」にこだわるのか、今はそれを考えないといけないな、と思っています。

―仰木さんを含む創刊メンバーはみんな主婦ですが、家庭との両立はたいへんだったのでは?

仰木:そうですね。私はこの仕事を始めてから3人子どもを産んだんですけど、スタッフの子ども10人のうち2人が病気になって、隔離病棟に入院……ということもあったんですよ。その隣の部屋で「私たち、何やっているのかしらね」と言いながら仕事して。今は私たちも「谷根千工房」という有限会社になっていますけど、広報や人事のような部署に分かれているわけではないですから、原稿の小さな直しも、雑誌の配達も、お客さんの応対も、すべてをローテーションでやらなければいけない。その間に保護者会に行ったり、病気の子どもを迎えに行ったり、予防注射を受けさせたりといった用事も入っていたから、ぐちゃぐちゃでした。でもきっと、楽しかったからやってきたんでしょう。

―昔3人、今は1人増えて4人と、谷根千工房は少人数ですよね。一人ひとりの負荷が高そうに見えます。

仰木:昔は徹夜をよくしましたね。今はもうあんまり続かないし、夜に仕事してもいいことはないから、あまりしませんけど、昔はそれが楽しかったんです。保育園から子どもを連れ帰って、ご飯を食べさせてお風呂に入れて寝かせたら、また事務所へ。それで中島みゆきやテレサ・テンのカセットテープをかけながら仕事をしていました。電話がかかってこないので、はかどるんですよね。

―1984年の創刊当時と今では、雑誌の作り方もずいぶん変わったのではないですか?

仰木:『谷根千』を始めたころは原稿用紙に書いた字を写植の人に打ってもらって、それを確認して直してもらってから台紙に貼り、お化粧と称して絵を描いて印刷屋さんに持っていく……という感じ。電算写植の時代になると、ワープロで打った原稿をフロッピーに入れて持っていく。今はメールでいってしまうでしょう? それがラクな半面、最初から活字っぽくなっていると、何となく素通りしてしまったりして、「疑う」ということをしなくなる。昔は広告なんて、全部手で貼っていたんですよ。そういうことをしなくてよくなった半面、おままごとというか、砂いじりみたいな楽しみがなくなったのかな、なんて。

―写植で打った間違いを手書きで直したり、引き出し線を入れて説明を加えたりというのは、『谷根千』独特の見せ方でしたよね。

仰木:それはケガの功名なんです(笑)。本当はいけないと自分たちは思っていたけれど、最後に分かったことを、どうしても書かずにはいられなくて。ふつうはそういうことをしないから、その手書きの部分にみんなの目が引き寄せられて、おもしろがってくれていたというか……。でも、自分たちで絵や罫を加えたりするのは、すごく楽しみな作業でもありました。

大儲けしようと思って始めたことではありません。
「誰からも縛られない」という自由が一番。

―近場の購読者には、できた雑誌を自転車で配達していると聞きました。これは創刊以来ずっとですか?

仰木:個人への配達はずっとやっています。その他置いてもらっている店は、三百何十軒はありますよね。この付近(谷根千エリア)もありますし、浅草や神保町もあります。近くの谷中あたりだと軒並みという感じ。遠くに行けば行くほどパラパラなんですよ。全国に散らばっている読者にはメール便でお送りしていて、冊数が多ければ宅急便を使います。それは全部で五百通くらい出している感じかな。2冊、3冊、5冊といった具合に、何冊もまとめ買いしてくださる方もいます。

地域雑誌『谷中・根津・千駄木』インタビュー

―ミニコミでありながら、数多くの書店でも取り扱われていますし。

仰木:そうですね。近くの本屋さんにはできるだけ声をかけて、まんべんなく置いてもらうようにはしているけれど、それよりもお煎餅屋さんやお饅頭屋さんのほうが多いんです。特集で載せたお店に置いてもらう、というかたちで伸びてきました。中には『谷根千』を買うようなお客さんが来ないお店もあるでしょうし、自分の店が出ている号しか置かないというお店もありますから、あまり無理強いしないようにはしています。配達先が増えすぎてもたいへんですからね。本当は拠点拠点で売れるところが出てくるのが一番なんでしょうけど。

―『谷根千の冒険』(ちくま文庫)によると、読者層は当初50代から60代が中心だったようですが、そのあたりは変わってきましたか?

仰木:『谷根千』をそれくらいの歳で読んでいた方は、もうみんな80を超えていらして(笑)。それで「字が小さすぎて読めなくなったから、今回でやめます」とか「父は他界しました」という連絡が入ったりすることが、最近すごく多いんです。

―最初からの読者も固定読者として繰り上がってきている感じ?

仰木:一緒に来ている方も多いです。「私は創刊号から全部持っていますよ」という方もいるし、「最初から読んでいるから、最後までつきあうわ」、「自分が死んだら『谷根千』が読めなくなるから悔しいと思っていたけど、そっちのほうが前にやめそうだから安心した」とか。そういう意味では、自分と一緒に『谷根千』が育っている感じがして、おもしろいんですよね。若いころにカナダやアメリカにわたって、ずっとそちらで暮らしているような方も読んでくださっていたりします。「自分と日本は『谷根千』だけでつながっているのよ」というふうにおっしゃる。おもしろいですよね。こんなことをやっていなかったら、絶対に知り合わないような人たちがいっぱいいます。

―そういう喜びもあるとはいえ、『谷根千』を発行するうえでは苦労も多いですよね。お金の面で見合うと思いますか?

仰木:それは儲かれば儲かったほうがいいんでしょうけど、大儲けしようと思って始めたことではないですから。「誰からも縛られない」っていう自由な心が、一番なのではないかと思うんですよね。たとえば、どこか大きなスポンサーの傘下でこれを作っているとしたら、言いたいことも言えないし、「この記事を削れ」と言われることもあるでしょうけど、私たちはすべて自分たちの判断でできますからね。そういう意味では、足かせがありません。

―金銭面ではまったく問題なし?

仰木:最初はほとんど実入りがなかったですね。はじめは私の家でやっていたから家賃も要らなかったし、うちの冷蔵庫の中のものをみんなで食べたりしていました。昔、「タウン誌フェスティバル」で他のタウン誌をやっている方とお会いすると、「喫茶店で話をしたときのコーヒー代はどうしていますか?」「取材に行くときのタクシー代はどうなさるの?」という話にどうしてもなりました。けれど私たちは事務所でしゃべるから喫茶店に入ることもないし、どこへ行くにも自転車だからほとんど交通費もかからない。取材に行くときのお土産は『谷根千』だし、メモするときは子供の使い残しのノートを使う(笑)。配達のときには「のし餅をつくったところだから」というふうに、いろいろ戴いたりもしますしね。

一番お金がかかったのは、文房具屋さんでのコピー代です。いま事務所にあるものは、テーブルもいすも本棚も、ほとんど貰い物や拾い物で、買ったものといえばパソコンぐらいですかね。コピー機は、ある研究会が購入したものを「置かせてあげる」という名目で(笑)。やっぱりモノを持っていても使わない人はけっこういて、足りないもの、ほしいものを書いて事務所のカベに貼っておくと、「ボールペンなら家にいっぱいある」「定規なら余ってる」と言って、持ってきてくれたりするんです。すごく助かりました。そんな感じでモノを買ったのは最低限、だからなんとかやっていける。やっぱり事務所の形を整えるのに備品を買うなり何なりしていたら、それだけで続かないと思うんですよ。

今やめても後悔しないと思うけれど、
「まだやれることはあるかな」とも思ったり。

―終刊を決意された理由を教えてください。

仰木:「雑誌を出し続ける」って、本当にたいへんなことなんですよ。メンバー4人が同じだけのテンションをあげて、持続的にやっていかないと、できないんです。今までは子どもを産んだときも、誰かがそのぶんこなすという感じで互いに補い合ってきました。毎年お正月になると『谷根千』を今年も続けるか話し合って、その時点で「今年は4号出そうね」と決めてきました。終刊を発表した2007年2月末はみんな、体が悪くなったり、家庭の事情や介護があったりと、『谷根千』にかかわる時間がとれなかった時期だったんです。私たちは『谷根千』を、「タダでどうぞ」と置いてあるような本にはしたくない、お金を払って買ってもらえる雑誌にしたいとずっと思ってきました。だから、内容に責任の負えなくなったものをダラダラ出して、「100号にしたからいいでしょ」という話でもないかな、と。

地域雑誌『谷中・根津・千駄木』インタビュー

けれど、いま自分たちの状況が厳しいからといって「はい、やめます」というのも無責任。どれくらいの期間があれば私たちがやりたいことを残さずやれて、読者も別れを惜しんでくれるかな、と考えたら、93号ぐらいが妥当かな、ということになったんです。定期購読者には、そこまでお金を払っている方が多かったんですよ。その前にやめてしまったら、お金を返す作業をしなければならないでしょ? それもたいへんなので。

―今回の終刊について、サイト上では雑誌が継続できる最低ラインの7000部を割り込んだから、と説明されていますが。

仰木:部数の問題は前からで、どんどんジリ貧になっていきましたからね。1984年の創刊から10年目ぐらいまではわりかし上り坂で、40号台は1万部を超えていました。けれどパソコンが浸透し始めて、少しインターネットで検索すれば必要な情報がいくらでも出てくるような時代になりましたからね。

―今、『谷根千』でやり残したと感じていることは?

仰木:興味はつきないんですよ。たとえば一つ特集をやれば、やる前より後のほうが分かることが多いですしね。物事に対して疑問がわいてきて、質問しまくりたくなるタチなんです。だから何にでも首を突っ込みたくなってしまうんじゃないかな。私たちが保存運動にかかわった安田邸っていう古いお屋敷が去年の4月から公開されているので、そこにボランティアで行っているんですけれども、『谷根千』の延長線上にもそういう興味のあることがいっぱいあって、首を突っ込み始めると抜け出せない(笑)。「なんでこんなことをしているんだろう?」と思うときもありますけど、みんなに見てもらうのが楽しかったりうれしかったりするからやるんでしょうね。でも歴史は続いているし、私たちにはいつか終わりがくる。誰かが私たちがやってきたようなことを続けてくれればいいのかな、という気もするので、今やめても後悔はしないと思います。けれど「まだやれることはあるかな」って思ったり。

―最後に、今まで『谷根千』を読んできた読者に向けて、一言メッセージを。

仰木:私はこの後もこの地で生き続けないといけないから、雑誌は出さなくても同じ興味で町を見ていると思うし、機会があれば何かやるかもしれない。あまり惜しんだり、「さみしい」「悲しい」と言ったりしないでほしいな、って。実際、私たち自身もいまだにキツネにつままれているようで、「ホントにやめるの?」という感じもあるけども、とにかく自分たちのやれることを、あと4冊の中でやろうと思っています。谷根千工房そのものを存続させるかどうかについては、まだ決めていないんです。『谷根千』を作っている間は、何も考えられないから。

―今日はどうもありがとうございました。

書籍情報
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バックナンバー60冊セットを通常より5,000円安い23,100円(税込)で提供中。お問い合わせは、谷根千工房(03-3822-7623)まで。

プロフィール
仰木ひろみ (おおぎ ひろみ)

1956年東京都文京区生まれ。1984年より友人3人と地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊。サントリー地域文化賞、NTTタウン誌大賞などを受賞。旧東京音楽学校奏楽堂のパイプオルガン復元、東京駅・上野駅の保存、不忍池の地下駐車場問題などにも参加。現在は、「NPO法人文京歴史的建物の活用を考える会」で千駄木「旧安田楠雄邸庭園」公開のための活動を行っている。



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