文化とお金の複雑な関係 堤清二×小池博史対談

今年解散を発表し、その30年の歴史に幕を閉じることを決意したダンスカンパニー「パパ・タラフマラ」。今回CINRA.NETでは、12月から3月にかけて行われるファイナル・フェスティバルに先立ち、主宰の小池博史と、パパ・タラフマラとの関係も深いセゾン文化財団理事長 堤清二との対談が実現。

現代社会は行き詰まっていると分析する堤清二氏は、ご存知のとおりセゾングループの代表として西武美術館、パルコ、無印良品などを世の中に送り出し、バブル期以降の日本の都市文化を牽引してきた張本人である。その堤氏が1987年に民間の財団としてセゾン文化財団を立ち上げて、最初に助成したカンパニーのひとつがパパ・タラフマラだった。舞台芸術を支援することの意味、そしてカンパニーを継続することの困難さ。2人が駆け抜けたこの30年と、これからの舞台芸術と文化の未来について、本音で語り合ってもらった。

「解散」という事件を通して、いままでの日本の舞台芸術のあり方を広く考え直してもらいたい(小池)

―まず、30年間活動を続けてきたパパ・タラフマラを解散するに至った経緯を伺えますか?

小池博史
小池博史

小池:パパ・タラフマラを解散をしようと思ったきっかけはいくつかあります。ひとつには、この規模のカンパニーを維持していく困難さに直面したということ。もうひとつは、どうも日本の舞台芸術をとりまく状況に強い違和感が、ずっとあったんです。これまでに55作品を発表してきたのですが、そのうち多くの作品は海外で公演をして、高い評価を得てきました。しかし日本では批評もまともに出てこない。ここにある種のねじれがあるのではないか。つまり、非常に保守的で内向的な雰囲気が、今の日本の舞台芸術や文化の状況として蔓延しているのではないかと感じてきた。そこでカンパニーをいったん解散することに決めました。僕らがやってきたことを振り返ってもらいつつ、「解散」という事件を通して、今までの日本の舞台芸術のあり方を広く考え直してもらいたいと思いました。

―年末から行われるファイナル・フェスティバルの実行委員長に堤さんが就任された意図は?

小池:堤さんに実行委員長になって頂いた理由としては、単にセゾン文化財団にお世話になったというだけではなく、堤さんが率いてきたセゾン型文化が日本に与えた影響を含め、多角的な視点でこの解散と日本の文化の行く末について考えてもらいたいという目的がありました。

堤清二
堤清二

:小池さんは東日本大震災と福島原発の事故を受けて、解散をすべきだと決意されたと伺っています。その決断は、私にとっては非常にポジティブな決断に見えた。こういう手段があるんだなぁと。今、日本だけではなく世界中が行き詰まっている。オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガが『中世の秋』という本を書きましたけれど、今はね、「産業社会の秋」だと思っている。それを乗り越える新しい動きは芸術からしか生まれないと思うんです。現実と馴れ合っていると、新しいことがなかなか出来なくなってしまう。小池さんはその意味で思い切った決断をしてくれた。大変だと思うけれど、協力できることはしたいと思いました。

―確かに原発は産業社会の象徴でもありますからね。こうした事件に遭遇しながらも、いまだに現実と馴れ合う保守的な風潮は影を潜めない。そうしたいらだちが小池さんにはおありだったと。

小池:そうですね。そもそも「タラフマラ」というのはメキシコの部族の名前なんですけれど、メキシコの文化には生と死がきちんと組み込まれている。人間ってどうしても生きるほうばかりに執着してしまうじゃないですか。そして、守りに入ってしまう。舞台の現場の人たちも、公演だけでは食べていけないから、いろいろな事をする。1990年代からは大学の先生になる舞台芸術家が増えました。それが「成功」イメージのひとつになっていくわけですよ。しかしそうした安定は、ますます死を遠ざけ、死ぬこと自体、こわくなる。よく分かるんです。僕の場合、さらにカンパニーのメンバーを食べさせていくことも考えなくちゃいけない。無理なんですが、気持ちの上ではそうです。しかし、それで良いわけがないと思います。

:それはそうですね。アートって、生き方そのものであって、それでもって食べて行くとかいうことと、本質的に違うことのような気がするんですね。

小池:そこが難しいところで、たとえば小説を書くとか、絵を描くことは1人でできるけれど、舞台にはどうしても、大勢の人間が関わってくる。どうやっても食べていくこと/食べさせていくことを考えなくちゃいけない。しかし、芸術活動では不可能だ。ならば、どうするのか? だが、芸術である限り、挑戦が一義です。そこがとても大変なところなんです。

2/3ページ:変な言い方をすれば、独裁者だからできたんですよ(堤)

本来、日本人の身体言語に、多様性はあると思います(小池)

:舞台芸術っていうのは、そういう意味ではもっとも困難な芸術様式ですね。何人かが集まらないといけないからね。では、たとえばあるカンパニーに30人メンバーがいたとしますね。そのうち10人と、別の集団の10人と、第三番目の集団の10人が集まって芝居をして、終わったら解散して……そういう結合したり解散したりが始終自由に行なわれるというかたちはやりやすいのですか?

小池:つまりプロデュース方式ということですよね。誰かプロデューサーがいて、メンバーは流動的に参加するという。もちろんその面白さもあるでしょう。でも、カンパニーじゃないとできないこともあるんです。先日の『TAROと踊ろう』(岡本太郎美術館、2011年10月1、2日)などは、稽古期間が20日くらいしかなかったんですよ。でもいままで、長年に渡って、カンパニーとしての身体言語を私と共有してますから、短期間でも密度の濃い作品ができるんですね。これをバラバラなひとでやると、共通認識をはかることからはじめなければいけない。それはそれで面白いんですけど、短期間では無理だし、また、カンパニーって大きな一つの言語を生み出していくっていう強烈な感覚があるんですよ。それこそピーター・ブルックも、カンパニーではないですが、大体同じ人が集まってやりますよね。言語の共有化がはかれ、その継承ができるから、強い作品を生み出しやすいんです。もっとカンパニー制度の良さを認識した方が良いと思います。

左:小池博史、右:堤清二

:日本人の身体言語は、多様性を持っていますか? よその国の身体言語とくらべて。あるいは画一性に冒されていますか?

小池:本来、多様性はあると思います。そういう輸入文化の国でしたから。たとえばバレエをやらせても、日本人の単なる身体ではなく、アジア的な別個の身体性があるわけで、それらをとりいれて、混合していく能力は高いと思うんですよ。音楽でいえば「序破急」的な流れと西洋音楽、それぞれに柔軟に対応できます。ですから可能性はあるんです。でも、そこから先の問題が大きい。いかにそのポジションからオリジナリティを生み出せるかが問われます。取り入れるまでは良い。でも、取り入れた段階から少し行ったくらいで満足してしまう。テレビの影響が大きいのだと思いますが、非常に画一的な視覚文化、画一的な音に流されてしまう面が強いと感じます。

:なるほどねぇ。僕も毎年、ろうあ学校の生徒の作品を、何枚かの絵はがきにして送ってもらうんだけれども、絵画的表現がすごい多様なんです。これはね、身体的な不自由がかえって、平均化されることを拒否しているんだと思います。人間のからだの表現ひとつとっても、こんな見え方がするものかと毎年思わされていますよ。やっぱりテレビは画一化に向かっているよなぁ。大衆を組織するというか……だからテレビ時代になればなるほど、本来のあるべき舞台芸術のマーケットとして小さくなっていきますよね。

変な言い方をすれば、独裁者だからできたんですよ(堤)

小池:舞台表現はいやおうなく三次元なんですよ。これは大きな要素です。三次元ということは二次元はすでに内包されている。時間の要素もある。そして身体があります。見方を画一化しなければ、無限の可能性を秘めているはずなんです。だが、そんな事は誰も言いません。僕は、安部公房スタジオ(73年に発足した演劇集団。堤清二のバックアップにより、主に渋谷西部劇場で公演を行なっていた)を見たのが、舞台をはじめた大きなきっかけなんですけど、安部公房のような文学者が、言葉を超えて、身体とか空間を使いながら表現を拡大しうるんだということに驚愕しました。しかし、安部さんは文学者としてしか評価されなかった。あの状況には愕然としましたね。

堤清二

:安部さんは成城高校の先輩で、「芝居をする空間がほしいから探してくれ」と言われて探したんです。ただ、始終こぼしてたなぁ、つまり、テレビなんかから声がかかると、まちがいなく役者の芝居が悪くなる。でもテレビで売れないとスタジオもやっていけないし……なんてね。社内でも評判が悪くて(笑)、堤の先輩ならしょうがないとみな思ってたんでしょうね。

それで思い出したのは、美術館に空間つくって、そこで芝居をやったらどうでしょうって言ったら、美術館そのものも社内であまり評判がよくなくて(笑)、わからないところでわからないことをやるんだったら良いでしょって言って、やったことありますけどね。思い出すなぁ、それ自体は成功だったと思います。

小池:私たちには西武美術館は希望でしたね。あそこがあったからこそ、これからの日本の文化は面白くなると思った。

―堤さんが立ち上げられた民間の財団によるメセナ活動も、先駆的な役割を果たしたように思います。

小池博史

小池:セゾンの助成金が果たした役割は本当に大きかったと思います。それが民間から出てきたのも大きい。国がやるものだとどうしても保守的になりがちです。

:さっきの安部さんの件や西武美術館にしてもそうですが、変な言い方をすれば、独裁者だからできたんですよ。


―堤さんはパルコや無印良品の展開など、経済的な才覚もお持ちなわけです。そういった経済活動と、文化活動と、堤さんの中ではどのように折り合いをつけて共存しているんですか?

:折り合いはついていないのではないかと思います。これはもう、完全な二面性ですよ。だから、芸術を広めていく活動は、独裁者としてやるしかない。と言っても、あまりやりすぎちゃうとまずいから、一応は百貨店なので、ミイラ展みたいな人が集まりやすいものもやったりする。そうすると3ヵ月か4ヵ月は保つわけだ。それでまた、面白いものをやる。周りには、それが変だって言われるわけ。あなた分裂してるねって(笑)。分裂して悪いですかって返すんだけれども、そういうとまた変なやつだと思われる。

3/3ページ:正直に言ってしまうと、私はね、メセナ活動が好きじゃないんです(堤)

正直に言ってしまうと、私はね、メセナ活動が好きじゃないんです(堤)

―とはいえ、はじめは独裁者として行った動きが、その後ニーズとして広がっていくという流れもあったと思います。まさに百貨店で現代美術を紹介するという流れも、当時のニーズがあったからできたんじゃないでしょうか。

堤清二

:1959年にパリへ行った時に、休みの日に現代美術の美術館に行ってびっくりしたんです。1930年代の作家たちが盛んに採り上げられていて、カンディンスキーからクレーから、最初これが絵だろうかと思うわけだけど、面白い。渡仏をしたことで、私は私自身の文化的な鎖国状態に気がついたんですよ。

明治以降は専門の小さな商社が、イギリスの貴重な柱時計を輸入していたりするようなことはありましたけど、いくら金があるからといって贅沢品を輸入するのは、国民あらざるものだという風潮がありましてね。私がヨーロッパに行ったのも、当時高島屋さんがイタリア展というのをやっておりまして、これが私にとっては一種のショックだったんです。日本は技術は良いけれど仕上げが下手だから、外国のデザインを国内に広めれば、輸出もできるようになるんじゃないかと。これをきっかけに、明治維新からの消費鎖国が解除されたと思いましたね。

小池:そういう意味でいくと、舞台芸術はいまでも鎖国状態だと思いますね。パパ・タラフマラも、これまで世界中で公演をしてきましたが、受け入れられる器の広さが日本とは圧倒的に違うわけです。国内は、どうしても外に目が向いていない。内側にしか向いていないですよね。そして、それで良いとしてきた。みんなで内側を向いていれば、何も問題はなかった。

―堤さんが生み出したセゾン文化が、日本の都市文化に西洋の現代芸術を理解する市民層を形成して鎖国を解除したとすれば、同じようにこれからのメセナ活動が、いま小池さんが感じている現代の鎖国状態を解除できるとお考えですか。

:こういう対談だし、正直に言っても良いですかね。

―もちろんです。

:私はね、メセナ活動が好きじゃないんです。もちろん、あった方が良いし、それで助かるアーティストも多いと思うんですよ。でも、本当の芸術がそこから生まれるとは思っていないところがどこかにある。それはアーティストにとっては外部環境です。じゃあどうすれば良いかと言えば、これまでの話しの通り、舞台芸術をはじめとして、どうしても表現したいと思うものをアーティスト側が持っていることです。その上で困難な状況の除去を手助けする。そこの度合いが本当に難しい。

―だとすれば、今だからこそ見える希望のようなものはあるんでしょうか?

:この間、魯迅の『阿Q正伝』を読み直して、発見したんです。あの時代に、阿Qという人物を造形できたのはすごいと思った。権力に弱く、小狡く、どうしようもない人物です。それでいてプライドが高い。しかしその人物のことを、魯迅は「大衆それは自分自体だ」という意識で書いているのね。これはすごいなと。僕は日本人もどうしようもないと思っていた。権力に弱いし、お互いに助け合うし(笑)。だけど待てよと、どこにも良いところがないと思っているこっちがどうしようもないんじゃないだろうか。魯迅を読みながらそう思ったんです。

それと同時に小池さんが解散を決めたことも、ようやくアーティストらしい決断をすることができるひとが出てきてくれたと思ったわけ。先ほど言ったように、生と死の両方を内包した作品を造形できる力は、アーティストの側からしか出てこないと思うのでね。

小池博史

小池:生に執着してしまうがゆえに、人間は後ろ向きな判断をしてしまいがちです。ですが震災と原発の問題を受けて、我々は一体どこへ向かうのか。人間が人間であるとはどういうことか。自然とどのように向かい合えば良いのか。今一度考え直さなくてはいけない時期に来ていると思います。無力さに打ちひしがれながらの矜持といいますか。そういう意味で今回のファイナル・フェスティバルでは過去4作品の上演、それに付随する講演などで積極的に表現し、語って行きたいと思っています。併せて書籍も発売される予定です。過去の作品DVDも14本、出します。ぜひともこの冬、パパ・タラフマラ最後の活動にご注目をよろしくお願いいたします。

イベント情報
『パパタラ ファイナルフェスティバル』

2011年12月~2012年3月までの4ヶ月間に渡り、代表的な旧4作品の上演。 他、シンポジウム、トーク、出版、DVD出版、展示、ライブも実施予定。これまでの活動を振り返りつつ、その全体像を未来に繋げるための動きを作り出す複合型フェスティバル。

書籍情報
プロフィール
堤清二

1927年生。東京大学経済学部卒。衆議院議長を務めた父親の秘書を経て、54年(株)西武百貨店入社。63年、自ら設立した(株)西友ストアー「現(株)西友」の社長に、66年には西武百貨店の社長に就任。クレジットカード、レストラン、保険等様々な分野での事業活動に取り組み、多彩な企業群セゾングループのトップとなる。91年、セゾングループ代表を辞し、経営の第一線から引退。現在は、1987年に設立した(財)セゾン文化財団(2010年7月に公益財団法人に移行)の理事長として活動。また、(財)セゾン現代美術館理事長も86年より務める。一方、辻井喬の名義で詩人および作家としても活動。

1956年生まれ。一橋大学卒業。TVディレクターを経て82年パフォーミングアーツグループ「パパ・タラフマラ』を設立。以降、全55作品の作・演出・振付を手掛ける。パパ・タラフマラ以外での演出作品も多数。演劇・舞踊・美術等のジャンルを超えた、強くオリジナリティ溢れる作品群は、30ヶ国以上で上演され、国際的に高い評価を確立。各国アーティストとの作品製作やプロデュース作品の製作、公演、プロ対象・市民対象のワークショップを数多く実施。97~2004年、つくば舞台芸術監督、アジア舞台芸術家フォーラム委員長、さまざまな審議員、審査員等を歴任。2011年、パパ・タラフマラ解散を発表。「ファイナル・フェスティバル」と銘打った連続公演を準備している。



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